2011年7月31日日曜日

The Hindu

こんばんワニ。


顕示選好理論(だっけ?)の課題、終わりました★

1日で15ページ、やればできるもんですねぇ

(まぁ、やたらグラフを挿入したおかげかもしれないけど)

明日印刷して、月曜日提出。


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また部屋にこもってたので、ネタがない。。。

新聞の話でもしますかね

わが寮では、The Hinduという新聞を購読しています。

タミル語の新聞もあるんだけど、さすがにそれは読めないので…苦笑

このへんで英語の新聞っていうとThe Hinduがメジャーなやつなのかな。

いろんなところで見かけます。

トップニュースみたいなのが一面と最後のページにあって

最初の方は地域のニュース、タミルナドゥ州のニュース

でインド国内のニュース

社説、読者の声

ビジネス関係

国際ニュース

スポーツ

(テレビ欄がどっかにはさまる。)

なんですが。

スポーツの話題が最低でも2ページあるのに対し国際面が1ページ。。。

しかもその貴重な1ページも、スポーツ関連に半分場所をとられたり、でっかい広告が掲載されたりで内容はゼロに近い感じ。

扱ってるのは、まぁ世界で話題になるようなことなんだけど(最近だとオスロの件とかね)。

マードックの話とか、

ストラス・カーンの話とか、

どうでもいいこともたくさん書かれてる。

もっとたくさん書かなくちゃいけないことがあるでしょーって思うんだけどなぁ。
(あっ、パキスタンのことはきちっと書かれてます)


でもおもしろいのは、天気と同じようにダムの貯水量が毎日きちんと書いてある。

農業で生計をたてる人たちがまだまだたくさんいるだけに、降水量と貯水量は死活問題なんだよね。


私は○○に住む××です。△△の手術をするのに~~円が必要です。心の優しいあなたのご支援を待っています」といった内容の広告(っていうのかな?)+本人の写真。

よくわかんないけど、これを掲載するに当たって当人はお金を払ってないんだよね…?


日本でも訃報は新聞に掲載されますが

××さんの○○周忌に、故人を偲んで」的な内容のもの。

新聞に掲載するくらいそんなに何年も偲んでるのねーみたいな。。。


あとなんかおもしろいのあったかなー


それと、気になるのは英語がヘッタクソなこと。

特に地域欄。このへんの記者が書いてるんだろうけど、たまに内容がサッパリわかんないときがあるのよね。

社説とかインド国内ニュースのところはきちっとしてんだけどね。。。

2011年7月30日土曜日

Marriage: Peace - Love - Affection

おはよウナギ。

まためんどくさい課題があって、徹夜になりかけです。

大学のときから陽が出てるとなかなか勉強できないので、完璧夜型人間なんだとつくづく思います。

徹夜して何かやりとげたときの達成感と空腹感といったら、たまりません<3



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どこの国でも話が脱線する教授がいるわけで。

Henri Fayolの管理の原理の話をしていたら(教授はWeberって言ってたけどFayolのはず笑)

個人の利益はみんなの利益に従属しなければいけない



(中略)ということで一生懸命働こう!Commitment(一生懸命やる、献身)が大事!

じゃぁCommitmentっちゃなんね?と話がそれて。




「君たちはみんな結婚すると思う。結婚したい人は?」(たいていみんな手を挙げる)




「よろしい。でも今はまだダメ。もうちょっと待ちなさい。MBAとってからね」(笑)


なんで人は結婚するんだと思う?」(みんなちょっと考えて、黙る)

私は個人的に経済的な理由とかすっごく(経営のクラスだし)現実的なことを言うべきなのかなー、とか

インドだし、「親がすすめるから」とか文化的な側面もあるんだよなー、とか

考えたんだけど。

結婚はpeace, love, affectionを与えてくれるからだよ

だそうです<3


で、「House」と「Home」の違いの話になり。

ニュアンスの問題なのですが家をhouseって言うのとhomeって言うのは聞こえが違うんですよね。Houseって言うとただの建物みたいな感じ。Homeっていうと、家族がいて生活があって…みたいなね。教授いわくHomeはpeaceを与えてくれる場所なんだそうです。


話はCommittmentAffectionの話に。

Pigeon、ハトの話なんだけどね。

信憑性は怪しいのですが、教授いわく

ハトは、affectionにあふれた生き物。

つがいで子育てする。
卵を温めるのはオスメスで。
卵からヒナがかえったら、交代でエサをとりにいく。

でも、そんな仲むつまじいハトさんたちにも
危険はあるわけで。
エサをとりにいったオスまたはメスが帰ってこないことがある。

残されたハトは巣で待つ。
1日。
2日。
3日…

パートナーが帰ってこないのがわかると、
ハトは巣を離れ
地面に舞い降りてくる。

ちっちゃい石をいくつもいくつも飲み込む。 

そうしておなかがいっぱいになったら、
ハトは今までに飛んだことないくらい高ーいところまで
一気に飛んでいって、
羽をたたむ。

そうして、地面に落ちて死ぬのだそうです。

残されたヒナは、
おなかをすかせて死んでしまう。

でもこれがハトのaffectionでcommitmentなんだって。

ホントだったらすごい話。
人間だったらミリオンセラーの小説かブロックバスターの映画が作れそう。

でも悲しい話で、授業中なのにホロリと泣きたくなってしまいました。


そして、

こんな話するくらいなんだから

教授の家はpeaceとloveとaffectionにあふれているんだろうなーと思い、

オッサンなのに熱く愛について語ってくれた教授に

ちょっぴりドキドキしてしまいました。


※ちなみに、うろ覚えですが、インドでは夫が亡くなって未亡人となった人が自殺を図るのが美徳とされているような文化もあるようです。教授の話とからめて考えるとまたフクザツな気持ちになるので、今日のところは「いい話だった~」で済ませたいと思います。


では、仮眠してまた課題をやるよー

朝6時18分。明るいー★

2011年7月29日金曜日

子ども免疫

こんばんワニ



一応MBAの学生さんなので、International Relations(国際関係学)という全然関係のないことを大学で勉強していたにも関わらず、ムツカシイ経済の本なんか読んだりして、頭がヒーハーいってます。

で、一応一生懸命勉強しているのですがたまにジャマが入るのです。

これはお世話になってるCさんとこのPreethiが私の読んでる顕示選好理論(ってなんだかまだよくわかってない)のプリントの裏にのびのびと落書きをしてくれた証拠写真です。

私は言わずと知れた子ども嫌いです。妹ちゃんが小学校で働いてるなんて、信じられないね!って感じ。

でも去年こっちに来て、PreethiやAkshayaと3ヶ月過ごして、毎日「ミワーグッドモーニン」「ワッツユアネーム??」を近所の子どもから言われ続けていたわけなので、かなり免疫ができた!と思っています。

以前の私なら、自分の所有物に落書きされるとか、自分の蛍光ペンの先がひん曲がるくらいグリグリ落書きされるとか、ゼッタイムリだったから!笑 (ちなみにこのペンあとでAkshayaがくわえてたのでそのまま置いてきました)


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そういえば、ATMカード取得した話補足。

口座を開設したときにATMカードは1週間で届くといわれたのですが、

「ゼッタイ1週間なんかじゃ来ない」と友だちが言うので

1週間半後に行ってみたら、

1週間ってのは目安だよ。明日来るかもしれないし、明後日来るかもしれないし

と銀行員。目安って笑

なので「だよねーインドだもんねー」と思ってとりに行くのもあきらめていたら、何日かたって携帯電話にSMSで「届きましたとりに来てください」って連絡があったのよね。

カードもらうだけなのに10分くらい待たされて、ちゃっちいカードもらってきました。

最初にATMで使わないとactivateされないそうなのでさっそく週末に使ってみようと思ったら…。

カードをさしてドアを開けるタイプなので、ひとりで中に入って使おうと思ったらスクリーンにタミル語で何か書いてあって、さっぱり作動せず。あれぇと思ってたら外からコンコンと窓をたたくおじさん。「日曜は使えないの?」と聞いたら、「プロブレム」だそうです。。。

寮からATMまで、歩いて15分くらいかかるんだよねー

でも、大学キャンパス内の銀行でおろそうと思うと、同じくらい時間かかるんだよねー

結論、歩いたほうが健康にいいかな?

でも銀行にいると教授とか知り合いとかが来て、思わぬおしゃべりの場になったりするので、それも楽しかったりするのです。←こういう時間の使い方ってインド式かも苦笑





2011年7月28日木曜日

INefficiency

こんばんワニ。




以前おねずにやられて家を建て直すことになった人の家の話を書きましたが、これがおうちを建てなおすお兄ちゃんたちです。日本のとび職っぽさはなし。

といっても、なんだか家を建てるのにいい月があるそうで、その月(たぶんタミル暦)が始まる8月半ばになるまでは家を取り壊すこともしないんだそう。

ということで、現在は増築する部分の掃除とか、建てるのに必要なもの(レンガとか、セメントに使う?砂とか)を家の周りに準備したりといった段階です。

で、この写真。

この日お兄ちゃんたちが来てまず家の周りのごみを焼き払いました。この写真は、その次に家の前の通りにどさどさっと置かれた砂を10メートルくらい家に近いところに移動しているところなんですね。

最初からそっちに砂おろしてくれればよかったんじゃん???

この砂が運ばれてきたのはこの日の朝。トラックが来てざざーーーーーーっと砂を置いていったらしい。たかが10メートルのためにお兄ちゃんたちはこのお皿で何十往復もするハメになったわけです。

で、このムダっちゃムダな労働にもきちんとお金を払ってるわけで。

インドに限らず、いろんな国(途上国だけってわけじゃないと思う)を見ていると、efficiency(効率)がないなと思ってしまいます。ムダが多い。時間もお金もリソースもムダにしてる。機械化できるところをしてない。時間を気にしない。

せかせか日本人を30年近くやってると、こうしたムダが気になって仕方ないのです。

でもこちらに来て授業やセミナーを受けていると、たとえば機械化はヒトから仕事を奪ってしまうからダメなんて言う人もいるのです。いっぺん農業のセミナーで「日本の農耕機は農民から仕事を奪った」なんて言われて肩身のせまい思いをしたこともあるのよね。

踏み切りも人力手動だし
通帳記帳も人が印刷してるし
図書館の本は並び方にまるで決まりがないし(マネジメントの棚になんでイランの歴史の本がある?)
時間通りに何か起こることなんて皆無…に近い

これも文化かなって思うのだけど、こうしたことをちょっとずつでも直していけば経済効果あると思うんだけどね。

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こっちで使ってるノートってA4よりちょっと細長いノートで無地のやつなんだけど、講師が(無地の使う前)「なんで罫線ノートを使うの」とか「ページの周りにマージンを書きなさい、見づらいわ」とか言うからブチ切れ。

小学生じゃないんだからノートぐらい自分の好きなように使わせてくれ!

ホント、小学生なみ。講師のノートを手書きで写して、コンピュータのクラスで作った表を手書きでノートに書き写して、このノートを講師に見せなくてはいけない。で、講師がサインする。連絡帳かよ…。

そしてこの意味不明なマージン!!!!!!
紙の幅より2センチくらいちっちゃい四角を書き込まないといけないという決まり。

手書きの件といい、マージンといい、意味がさっぱりわからん!!!!!!

マージンの件はクラスメートが

Neatnessのために必要なのよ。インドでは、小学校から大学院までマージンが大事なの

Neatness(きちんとしてること、清潔感)が大事なら、パソコン使わせてくれ!!!

…と、憤慨してしまった水曜日でした。





 

2011年7月26日火曜日

A Long Way to India (10) Rushing to the Departure Gate

こんばんワニ。

ながったらしく書いてきたインドに来るまでの過程をさらっと終わらせたいと思います。

2011年5月24日インド大使館から連絡が入り、奨学金に受かったと連絡が入る。同時に、大学から出願書を受け取ったこととインド人学生には入学試験があるむね連絡が入る。私は免除。(注:他の大学は留学生に試験を課してるところもあります)

ヴィサ取得のため大学からのAdmission Letter(入学受け入れレター)到着を待つ。待つ。待つ。

5月28日お世話になったNGOの25周年記念式典で皆さんにインドに行くことを伝える。

5月31日バイト終了。

タミル語の勉強なんか始めちゃってみる。

6月5日チャリティーカレー(略してチャリカレ)を新宿にて開催。友人そしてお世話になった皆さんから44,620円のご寄付をいただき中央共同募金→東北へ寄付。これが東北の皆さんに対して私にできるせめてもの活動でした。

6月10日朝インドヴィサセンターにて学生ヴィサ申請。地震の影響でいつもより発行に時間がかかるとのことで、あせるあせる。ちなみにICCR奨学生はVisa Feeがかからないので、Service Charge(200円)とJapan Overseas Corporation:JOC Fee(735円)の計935円で済みました。(注:これも変わる可能性ありますね)→NGOでお世話になったFさんとTさんにごあいさつ→高校の友だちに会う

6月12日妹の彼ちゃんが六花亭のバターサンドを持ってあいさつに来る<3

6月13日親友sに会う。甘酸っぱい恋心をうらやましく思う。

6月14日夕方ヴィサ取得。書類の不備があると…とやきもきしていたので、ホっとする(ここには書けない事情も多々ありました苦笑)

6月15日妹がbling blingを取得<3

6月16日いつものように成田空港で母と白玉クリームあんみつを食べて出発→荷物が重すぎると5kgその場で減量させられる→セキュリティに入る前にKindleと電子辞書をぶっこわす。


長かったような、短かったような。



2011年7月24日日曜日

Life is over

こんばんワニ


狂犬病予防接種3回目

B型肝炎予防接種2回目

終了。

この間狂犬病の注射の際20ルピー多めに請求しようとしたドクターですが、今日B型肝炎をお願いしたら50ルピーでいいとのこと。安!と思ったら

ワクチンの費用だけでかまいません。このあたりでは予防接種を受けようと思っても高くて受けられない人がいっぱいいる。ワクチンの費用以外に私の診療費用を入れたら村の人たちはこなくなっちゃうでしょう?

と、超かっこいいことを言ってくれました。

地域のことを考えてくれてる。そんな彼に対する信頼が高まりました。

…じゃなんで1回目は150ルピーだったのかわかんないけど苦笑


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この週末もNilakottaiと近くの村に行ってました。

近所に見かけない女の子がいるので、あー普段はどっかの学校に通ってて週末だけ帰ってくるのかなと思っていたのですが。

夕方の水くみを終えて水浴びをしたあとに着替えると、髪の毛の分け目に赤いラインをひいています。シンドゥールというもので、既婚女性がつけるものなんですよね。

でもこの子どう見ても15歳くらいにしか見えない。

足元を見ると、トゥリングもしている。これも既婚女性がつけるもの。

水浴びの前は足元見なかったけど、ティーンエイジャーだからふざけてるんだろうと結論。お母さんのつけてるとかね。

でも、そのあと座って、友人Pを介して話をしているとなんとこの子本当に結婚してました。

1ヶ月前に結婚した14歳

お隣に住んでるおにーちゃんと恋愛結婚でゴールインしたそうです(おにーちゃんがいくつなのかは不明)。

恋愛結婚もまだ田舎ではめずらしいのだけど、14歳って…。ご両親がよく許したなぁと思うのだけど、こちらでは女の子の教育にお金を払えないから早めに結婚させるケースも多いらしく。この子もそんな事情があるのかなって思います。

女性と結婚に関してはダウリなどいろいろ問題があるので今日は詳しく書くのはやめときます…

でもその子が席を外したとたん、友人が「あの子の人生おしまいよ。これからは自由がない。子どもができて、家事に追われて…」とぽつりと言いました。

その友人も大学を出てすぐに結婚して今は二人の子どもがいます。私はずっと彼女の奮闘ぶりを見ているので、ちょっと個人的なグチも入ってるのかなって思いました…。


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この話を聞く少し前に(土曜日)、同じ村の友人Jの父親が亡くなったと知らせがありました。具合が悪くて、近くの町で治療を受けているのだけどよくならないのでマドゥライの大きい病院に転院すると聞いていました。

毎朝4時に起きて家畜の世話をして、花畑で収穫・Nilakottaiのマーケットで販売、そのあと少し休んでまた夕方に家畜の世話。こんな風に規則正しい生活をして、タバコも吸わずマジメに働いていたのに肺がんだったそうです。とても残念です。

友人の家に行くとたくさんの人たちが集まっていて故人をしのんでいました。ご本人がイスに座らされて花輪をたくさんかけているのはビックリしたけれど、日本でもお棺にお花をたくさん詰めるし…ね

友人と話をするべきか迷っていたのですが、私が去年泊まっていたうちのお母さんMさんが「あっちにいるから一緒に行きましょう」と話しかけてきました。彼は親戚と親しい友人に囲まれて泣いていました。

木曜日、お父さんの治療のため献血をしたばかりだったそうです。

私も金曜日に村についたときにMさんたちと「Jのお父さんを日本に連れていって治療をしたらいくらくらいかかるだろう」と冗談交じりに話をしていたので、なんだか申し訳なかったです。

「明日はお父さんを見送らなくちゃいけないんだから、今日はお父さんと過ごせる時間を大切にしなくちゃ」

とかって伝えたかったのですが、これがこちらの社会・文化的にOKなコメントなのかわからず、結局何も言えませんでした。

こちらは、本当に人生が終わってしまったんですね…

お父さんのご冥福をお祈りします。



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この間私がお尻をローストしたのがこの箱のような物体です。たぶんこの中にエンジンが。混んでるとこの上に3人くらい座ってます。


おやすみなサイ…









2011年7月22日金曜日

A Long Way to India (9) It's a Sign!

こんばんワニー



ヒンドゥー教徒の人の家に行くと、Pooja Room(プージャルーム)ってのがたいていあります。仏教で言うと仏壇、神道で言うと神棚、みたいな感じかな。お祈りをするところです。もちろんきちっと棚を設けてる人もいれば、ちょこちょこっと簡単に作ってる人もいます。お香をたいたり、なにやら備えたり、神様のブロマイドみたいなのがぺたぺたはってあったり、おもしろいです。

参考資料の写真がないので、私のプージャルームをご紹介。

っていうか、ただ単に小さな宝物たちを並べているだけなのだけど笑

左から
  1.  大学に行く前に高校の友だちからもらったイノシシさん
  2. Bさんにもらったガネーシャさん
  3. 大好きなカリフォルニアのKenwood Sauvignon Blancのコルクと彼にもらったカエルさん
  4. バイト先の人にもらった招き猫さん
  5. Yちゃんに最近もらった「金うん」踏んでる猫さん
 うしろにひかえてるMちゃんのポーチと並んで、見ると何かほっとするのです。


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インドに来るまでの過程第9章。


2011年2月にインド大使館で奨学金選考試験を受けて3ヶ月。

3月にはじめたアルバイト先の会社は東日本大震災の大打撃を受けて業績不振

ってなわけで契約更新がなくなって5月末でバイトをやめることになりました。

まぁインドに行くことになれば6月中にはやめなくちゃいけなかったからかまわないのだけど、実質切られたカタチなのであまりいい気持ちはしませんでした。←まぁここもすったもんだあったんだけど苦笑、まぁいいか…。


待っても待っても奨学金の結果がこなーい

でも、もし受かったら6月16日のフライトで出発しなくちゃいけないので(安チケットなので変更不可)いろいろ準備をしなければいけなかったわけね。
  • 大学に出願する
  • 予防接種を受ける→インドでやることにする
  • 航空券手配→終了
  • 家の中を整理していらないものを処分→リサイクルストア
  • 被災地のために何かする
  • 来年切れる免許を期間前更新
  • 携帯契約切る→出発後家族に頼む
  • 国民年金の引き落とし手続き
  • Visaとる→受かってからじゃん…
  • インドにどうやってお金を持ってくか検討する

 大学の出願は5月2日に完了。すでに教授にコンタクトして「入学は問題ない」と言われていたので入学試験も受けない私にとってはカタチだけの出願なのだけど、必要なものをそろえて出しました。
  • 出願書
  • 大学の成績証明書
  • 高校の成績証明書
  • パスポート(誕生日の証明のため)
  • ICCRに出したのと同じCertificate of Physical Fitness
  • Demand Draft
 最後のがやっかいでした。Demand Draftとは送金小切手のことで、送る先のインドの銀行口座が指定されています。ですがなぜかルピーではなく米ドルで作ることになっていて、地元のJ銀行では「ドルだとアメリカの銀行を通して作ることになり、インドの銀行には送れない」とのこと。

ということで、インドの銀行(SBI: State Bank of India)の東京支店ドル立てのDDを作ってもらうことにしました。

こういう日に限って朝電車に乗ろうとあわてて階段を駆け下りたら足をくじいてしまうというハメになり…ありえないくらいはれた足で銀座の街を駆け回ったのでした。。。

そういえば、15時にしまる銀行に数分遅れて入ってきたインド人のお兄さんが、「今日このお金を送らないと家族がインドで手術を受けられない」と(つたない)日本語で話しているのを日本人女性スタッフが軽くあしらったあと、インド人男性スタッフが(たぶん)ヒンディー語で(たぶん)「15時までだ、もう受け取れない」と言っているのがとても印象的でした。お兄さん、どうしたんだろう…けっこう大きい札束だったけれど。

そんなお兄さんにすまない気持ちでDDを受け取り、足を引きずりつつ、お堀の近くの郵便局から出願完了。


にしても結果が届かない、とちょっとあせりだしたのは5月後半でした。


インドに行くためにインドに行ったんだし、志望動機も悪くないはず。
私を落とす理由は少ないとは思うけれど…


そして5月24日

私の中では「ひと区切り」だなと思った日です。さまざまな事情でしばらく家の中があわただしい状態だったのですが、この日をもってひと区切り、でした。

家族と一緒に目黒で食事をしていました。私はお昼ご飯を食べない人なのでただ座ってたんだけど。携帯電話が鳴って、知らない番号だったから(まさか…)と思ってあわててお店の外に出ると、大使館の方でした。

受かりました、ということと6月15日までに出発してね、ということ…

イヤ、16日に航空券予約してあるんですけど!!!笑

まぁ、この点は大学側が7月1日までに来ればOKと言っていたので大丈夫です!と貫き通しました笑

しかし、なんだか結果が出てしまうと、準備のことがあれこれ頭をかけめぐって、出発までに間に合うのかなぁと思ったものです。すぐに家族にも言えず、ひと晩寝かせました。

ただ、自分の中で「ひと区切り」だったこの日に連絡が来たのは何かのサインなのかなと思いました。実感ないけど、インドの大学院に行くべきなんだって



そうして最後に

10. 6月渡印

となるのです…。


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 今日やっとATMカードもらってきました。暗証番号が自分で選べないのね…

2011年7月21日木曜日

I am allergic to mango...did I not tell you?

こんばんワニ


うちの大学、来週金曜日が学費支払締め切りなんですが、うちの学科で払ってないのって私だけなんだよね苦笑

なぜ滞納してるかって?ICCRから学費が届かないからさ

ICCRからは「こっちから直接払うから自分では払わないで」

大学からは「自分で仮に払っちゃうと払い戻しができないかもしれないから立て替えないで」

と言われているのですが、払わないと
→私は在籍してないことになる
→受験でおちた子が入学できる

ことになってしまうのです
私は追い出される

今週末か月曜には大学宛に送るよ~と言っていたICCRディレクター。来なかったらマジ困る。



構内のCanteenにて。

■ インド英語Inglish ■ Canteenって、水筒って意味もあるんだけど食堂のこと。Messと同じようにやっぱり軍隊とかの食堂ってイメージなのだけど、大学の食堂のことも指すらしい。MessもCanteenもイギリス英語なのかな。私にはなじみがないです。

で、授業のあとに寄ってこーみたいな感じで一休みしてるところです。

オレンジのジュースはSliceというマンゴージュース。果汁がホントに入ってんのかって思うけど…。

こっちにいるとSliceMaazaFrootiとなんだか同じようなマンゴージュースがたくさんあります。

私マンゴーはアレルギーだから果汁が入ってたらダメだよって何度も周りに言ってるのにすぐ買ってきて飲みなさいとすすめられます。

基本的にソーダとか100%果汁以外のジュースは飲まない主義なので困っちゃうんだよね。

どうしても何か飲んでくれ!じゃなきゃ(砂糖いっぱいの)スナックを食べてくれ!と言われたので、えーと、そのボトル何?Mountain Dew?それでいいや。と、妥協して付き合ったのでした。。。Mountain Dewなんて超久しぶり。

左の子が食べてるのは(たぶん)ケーサリっていうこれまた甘いおやつです。結婚式の食事のときとかにも出てくる。5ルピー=10円だって。

2011年7月19日火曜日

切ないオンナノコ心

こんばんワニ


どうやら寮母の下には寮母手下みたいなポジションがあるらしく、

新しく就任しました寮母手下です。よろしくみたいなミーティングが開かれました。

規則が15ほど読み上げられその中に入ってたのが

電気製品はケータイとラップトップ以外使っちゃダメ

…だそうです。

扇風機バトル、継続。

寮母手下、前に話をしていい人だなぁと思ってただけあって、敵側に回ったのは非常に残念です。


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今日隣に座ってた子が紙切れを出して、

私のゴールドのネックレス、ローンを借りるために担保にしたの

とぼそっと言いました。

15,000ルピー、日本円でおよそ3万円です。

なんで?お金、困ってるの?とは聞けなかったけれど…

ここにいて不思議だなぁって思うのは、みんなお金ないって言うけれど、ジュエリーにお金をきちんと使うということ。

大学生だって、みんな金のネックレスやピアスをしています。

自分で買うわけではないから、きっと家族からのプレゼントなんだろうね。お金がなくても、娘(男性も金のリングとかしてるけど)さんにはきちっとしたものを身につけてもらいたいってことなのかな。これも文化ですかねぇ。

マドゥライのような都市部にはもちろん、Nilakottaiみたいな田舎町にだって立派なジュエリー屋さんがあって、中に入るとティーを振舞われつつチェーンやピアス、ブレスレット、コルス(女性が足首につけるシルバーのチェーン)を見ることができます。都市部だとエアコンがきいてて超快適~笑

ちなみに、マニプールの子たちはそんなジュエリーを普段していないので、南インドの習慣なのかな。どのへんまで浸透してるんだろう。

んー逆に、私なんか高価なジュエリーなんて買ったことも買おうと思ったこともないから、チープなピアスしてるのがはずかしいのかもしれないけど。でも周りの子たちがするのとは違うデザインなので、「すてき」と言ってもらえます。お世辞??

まぁ、私にはこの金銭感覚は理解できないけれど、家族にもらった、大切なジュエリーを、ひと時かもしれないけど手放すのは、彼女たちにとってはとっても切ないことなのかもしれない。

お金の工面ができて、ネックレスがあの子の手元に戻ってくるといいのだけど。

2011年7月18日月曜日

A Long Way to India (8) Baking Addiction ひたすら待つ日々

こんばんワニ。


貴重な土曜日と日曜日を宿題に使ったというなんともマジメな大学院生、です。

座りっぱなしでお尻が痛い。




私が最初にこの部屋に来たとき中にあったものは、
  1. ベッドフレーム×3
  2. 棚×1
  3. いす×2
でした。これってつまり3人部屋だってことなんだけど。

他の部屋には壁につくりつけの棚がついていてみんなそこに洋服やら本やら押し込んでいるのだけど、私の部屋にはそれがありません。服をいつまでもトランクに入れておくわけにもいかないし、棚がもっとほしかった。あと、いすだけあっても机がなくちゃなーんにもできない!

ということで棚と机ほしいんだけど。と例の寮母に言ったら「新学期が始まったら寮生が移動するからそのときにね」って言ったままなーんにもしてくれない。

ってことで、個人交渉。使ってないやつあったらちょうだい!と言い続けて1ヶ月。やっと
  1. ベッドフレーム×2→ひとつ新しい子に譲った
  2. 棚×3
  3. いす×2
  4. 机×1
になりました。

写真が勉強(?)スペース。今日は朝から12時間ここに座ってSkypeしつつ手書き課題をやってました。そのうちここが本で埋まるのかな~


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インドに来るまでの過程第8弾(長いって?笑)


東日本大震災のあと、旅行業界は大変なダメージを受けました。特に私のバイト先は国内専門だったもんで、やれキャンセルだ、やれ中止だ、やれ返金だと、新しい予約が入らないにしてもけっこう忙しい毎日を送ってました。

4月はちょっと人間不信になるようなこともたくさんあったんだけど、守秘義務があるので書けませんね苦笑

4月11日の余震は、まるで"Don't you dear forget"と言われてるようでした。

大使館・ICCRからの連絡もなく、問い合わせると「5月に結果が出ると思いますけど」って回答。やっぱ待つしかないわな。みたいな。


自分の変化に気がついたのはこのころ。

何って、お菓子作り中毒になっていたのです。

年末に帰国してからアルバイトを始めるまで、なんとなく家にいることも多かったので、家に余ってるものを使ってお菓子を作ることがあったのだけど、

地震のあとからかなりの頻度で作るようになったのです。

休みになると「何か作らなくちゃ」という義務感を感じて。

証拠写真

そしたら、友だちMちゃんのママも同じ症状だったんですよ。家におじゃまして豪華なケーキをいただいた時に、地震のあとたくさん作ってるって話を聞いたから「私もなんですよー」って話をして。

自分で分析したんだけど…

毎日テレビや新聞で壊れたビルや流されていくモノ、何もなくなってしまったかつての街のようすを繰り返し観ていたから、なにか「つくる」っていう作業に惹かれたのかなって思うんだよね。

まーおかげで、節電しなくちゃいけないのにオーブンをガンガン使い、うちのエンゲル係数は跳ね上がったので、メイワクきわまりない中毒であったことは確か…ですね。


そんなわけで、2011年4月は結果を待ちつつパンを焼きつつ仕事をする毎日でした。

あっでも「受かったら」の準備はちょっとずつやってました。

到着してから書類作成等に半月くらいはかかるっていうBさんのアドバイスをうけたので、

新学期が始まる7月はじめからさかのぼってちょうど2週間前・6月16日に出発するため、誰にも言わずにチェンナイまでの片道航空券を買ったのが4月30日でした。


この続きはまた今度ねー

9. 5月大学院出願奨学金選考通過
10. 6月渡印

2011年7月17日日曜日

祝★一ヶ月

こんばんワニ~


ただいま0時半でーす。

こっちに来てから初めての夜ふかし。なんでって、

手書きの宿題をネットでちゃちゃっと調べ物して終わらせようと思ったら
なぜか寮の半分だけ午後停電
(しかも片側、じゃなくて寮のあちこち、約半分)
ラップトップもバッテリ切れ

先日のことがあるので寮母に言いに行くのもなんかヤダなぁと思っていたら、他の子が「電気消えてるよ」と言ってくれました笑

傘を持ってどこかへ消えた寮母はちょっとしてから(そこらへんにいそうな)お兄ちゃんを連れてきてました。しばらくごそごそ作業しているのを2階から眺めていたら、ぱぱっと電気がつきました。

その間に夜ご飯も運ばれてきてしまったので、食べて宿題開始~こんな時間に泣


そんなこんなで日付が変わってしまったのですが、

7月16日で晴れて渡印1ヶ月。なのです

去年インドに3ヶ月いたときは、最初の1ヶ月に体調を崩しまくり、「インドに2年なんかムリ」とまで思ったものです。

そして、ここに滞在した日本人先輩たちの話(とそれを見守っていたインド人の話)をまとめると、最初の1ヶ月はまず倒れるという方程式のようになっていたのですが、

1ヶ月間、ピンピンしてました<3笑

(まぁ、食べすぎでダウンしたけど笑)もしかしたら年末の3ヶ月でできたインドに対する抗体がまだ私の体の中に残ってるんじゃないかしら~と思っています。

でも油断は禁物だね。水と食べもの、暑さには注意しなくちゃ。

2011年7月16日土曜日

What is RAGGING?

こんばんワニ。


TGIF!
金曜日です。今週も5日間、よくがんばった(教授を待ち続けた)。

今週末は予防接種を休んで、課題を終わらせて勉強をしようかなと思っています。


この間扇風機にまつわる寮のルールについて書いたので、私の大学のさまざまな決まりごとについて書きたいと思います。


♪ 図書館 ♪


まず、私はまだ本が借りられません。もらった学生証がまだ仮のものなので、本を借りるのに必要なバーコードがついてないんです。でも何とからならいっすかねぇ?と聞きに行ったら、

バーコードの番号を学生課で聞いてくれば印刷して仮の学生証に貼ってあげるよ

とのこと…笑 じゃぁ電話して自分で聞いてくれ!

何で本を借りたいかというと…この図書館で勉強するのは大変だから。

なぜって、ノートを持ち込めないから。持ち込めるのはloose sheets of paper(紙きれ)のみ!他の荷物は受付に置いていかなくてはいけないのです。

授業のノートだってラップトップでタイプしてた人間にとっては苦痛きわまりないとしか言いようがありません…。

その他にも図書館には

きれいできちっと服を着た人じゃないと入っちゃダメ

というルールもあります。どの程度なら許されるんでしょうか…う~む。


♪ キャンパス基本ルール ♪


最近キャンパスのあちこちで見られるようになったRaggingはダメ!という貼り紙。

Raggingって何のことだろー…と思ってGoogleしてみたら

インド・スリランカにおける、在校生による新入生への暴力

のことらしいです。アメリカでいうhazingのことですな。スリランカではけっこーな社会問題になってるそう。こーんな田舎の大学にそんなイジメみたいなことする子がいるんだろーかと思いますが。

他にもキャンパス基本ルールには

地域の政治活動に積極的に参加するのは控えること。

キャンパス内での喫煙と飲酒はゼッタイダメ。

Swadeshiの考えにのっとって、生徒・教師は平日キャンパスではKhadiを着ましょう。

とか、いろいろあるわけです。

Swadeshiっていうのは、インド独立運動のときのスローガンみたいなもので、自給自足という意味があります。当時はイギリスの製品を買わないで国産のものを食べて身につけて生活しようというボイコットだったわけね。

Khadiっていうのは、手つむぎ手織りのコットン布。イギリスの服なんか買わないで、国産のKhadiを着ようと提唱したのがMahatma Gandhi(MG)ってわけね。MGが着てるシンプルな布、あれがKhadiです。

そもそもうちの大学の名前がなんでGANDHIgramかというと、MGの教えにのっとっているからなんですね~(今さら情報でスマン)。「Gandhian Thoughts」という学科があるくらいです←この学科の教授のクラスは必須。

で、そんなKhadiを着ようじゃありませんか、というルールのはずですが、教授だって守ってる人はひとにぎりじゃないですかねー。

ルールは守るためじゃなくて破るためにある。

と誇らしげに言っていた(インド人の)友だちの言葉がうかびますね。。。


じゃぁ、やっぱり扇風機の件も、聞かなかったことにしようかな

↑ この件で もう、マジムカつく!とマニプールガールズに話をしたら、「隣の部屋も使ってるし、気にしなくていいよ。他にも持ってちゃいけないもの持ってる子たくさんいるし」と言ってたので、そのまま保留になってます笑





私、花を買うのってキライな人なんです。

でもこちらの女の人って毎朝…とまではいかなくても頻繁にジャスミンや他の花を髪の毛に飾ります。だからヘアピンは女の子のマストアイテムなんじゃないかな。

「ヘアピンがないから」といつも断るのですが、昨日の結婚式では「手に持ってるだけでいいから」と渡されました。

何の花だかわかりませんが、バラのようなすごく強ーいかおりがしました。

暑くってすぐしおれちゃうから、せめてと思って写真を1枚。

2011年7月15日金曜日

A Long Way to India (7) 3/11 and Aftermath

こんばんワニ



今日寮の友だちに誘われて大学の敷地内で行われた結婚披露宴に行ってきました。

私は誘われてないんだけど、こっちの人はあんまりそういうの気にしないみたい…

以前に友人のものも含めてインド結婚式は何度も経験しているのですが、規模宗教がさまざまだし、何よりも当人が幸せってのが前提なので(もちろんお見合いだとそうじゃない場合も多々笑)何度行ってもあきることはないです。これは大学の中のちっちゃな部屋で行われたヒンドゥー式、かな。

結局誰が誰と知り合いで招待されたのか不明でしたが、どうやらカップルの片側がヒンディ語教授の家らしく、写真の中で右で立ってるおにーちゃんの披露した歌もヒンディ語でした。

このあと、カップルが退席したのをいいことに二人のかけている花輪でイタズラして撮った写真もあるのですが、流出するとまずいのでお蔵入りしておきます笑


★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆


インドに来るまでの過程第7章。

東京で留学資金稼ぎのアルバイトをはじめたのが2011年3月1日。


3月10日、思ったより忙しいアルバイトに疲れて、行こうかどうしようか迷ったけれど、以前に引率したインド・スタディツアーの参加者たちとゴハンを食べて、(あぁ、行ってよかったな)と帰宅。


そして3月11日はやってきました。

そのとき都内にいた私の経験したことなんて、東北にいた方たちの経験と比べたらなんてことはないでしょう。でも、揺れるビルの中で、床がぬけてこのまま私たちは落ちてくんだと思ったし、そのあとに見た、聞いた、感じたことは一生忘れません。

小雨の中、東京駅をめざすスーツの群れ。
東京駅は大混乱。
今日はJRがもう動かない、と聞いて移動を開始する人たち、動けない年配の観光者たち。
つながらない携帯電話。
公衆電話には長蛇の列。
コンビニからものが消えていく。
封鎖されて車が一台もない道。反対方向は大混雑。
ほのあかりの中、疲労しきって見とれた日本橋。
テレビに流れる各地からの恐ろしい映像。右下には日本地図と、真っ赤にそまった沿岸部。

水がない。
電気がない。
ガスがない。
ガソリンがない。
牛乳がない。
米がない。

いきなり住み慣れた家から連れてこられて、閉じ込められた場所で、恐ろしい目に遭ったロコ。
置き去りにされた東北のペットたちや家畜たち。
餓死は「かわいそうだから」と殺処分される動物たち。

もちろんヒトが経験した被害は甚大。でも、私は地震のあとから東北の動物たちのことが気になるようになりました。新聞を読んで悲しくて、自分で何もできないのがくやしくて、泣いたのも初めてです。


日本がこんなことになってるときに、
国際協力をしたいからと留学するのは間違ってるんじゃないだろうか

困っている人、助けを必要としている人のために働くのが夢なら、
今は日本にとどまるべきなんじゃないだろうか

動物たちはヒトが勝手につくった仕組みの中で生かされ、今は殺されている。
こんなことって許せるんだろうか


貯金もなくって、まとまった募金もできなかった私は、アルバイトをやめることもできず、被災者の方のために何もできない、くやしい、と毎日考えて、悩んで、自己嫌悪に陥っていました。


もう全部投げ出して、東北に行こう。そうしよう


そう思った日もあります。

でもできなかった。それは


今の自分にできることはあまりない


とわかっていたからです。緊急支援のノウハウもない。土木の知識もない。体力だってあんまりない。行けばちょっとでも何かできることはあるだろうけど、逆に被災地の負担になってしまう可能性のほうが高いと感じたんです。

新聞で被災地の方が、「経済活動をやめないでほしい。被害のなかった所ではいつも通りの生活をして日本経済を支えてほしい」「いつも通り働くことが大切」とおっしゃっているのを読みました。そのときは、そんなこと言われたって、被災地がこんなことになってるのに、いつも通りってわけにはいかないと思ったけれど、心のどこかでは、こういう言葉を信じて、耳をふさいで、目を閉じて、アルバイトに行っていたのかもしれません。

初めてのアルバイト代からちょっとだけ寄付。罪滅ぼしとしか言いようのない額だけど、


今の生活の中で自分にできることをしよう


と思えるようになりました。


今の自分にできること。大学院に行って、人の役に立てる知識と技能を身につけること。
今の自分の目標。2年たったら、本当に人の役に立つ仕事をすること。そして動物たちのためにも活動しよう。


続きはまた今度。

9. 5月大学院出願奨学金選考通過
10. 6月渡印

2011年7月14日木曜日

Hand-Written!?

こんばんワニ


今日の午後もクラスがキャンセルになったので、早く部屋に戻ってきました。

水浴びをして、扇風機を回していると、寮のMatron(寮母さんと言うのでしょうか)がやってきて

あなた、誰の許可をもらってその扇風機を使っているの?

…はぁ?

寮の部屋の天井には扇風機(ファン)がついています。部屋の奥と手前2箇所つけるところがあるのですが、ひと部屋ひとつという決まりがあるそうです。

部屋が縦長だから、どう考えても設計ミス。もしくは、当初2箇所つけてたのに節電でひとつになったとか?経緯はわからないけど。

んで、私は部屋の奥、ベッドがある側にファンがついてます。でもコンセントがあってパソコンをつなげるのが部屋の手前側なので、勉強するときのためにDesk Fan(卓上?扇風機)を買ってきたわけね。もちろん、こっちを使ってるときは天井のは使わないって決めてます。

天井のファンがひとつしかつけられないってのは前に聞いたけど、それ以外に買っちゃいけないなんてきーてない

しかしMatronいわく

ひと部屋ひとつなんじゃなくて、3人でひとつなのよ。一人で2つ持ってたら不公平でしょ

まぁ、わからなくもないけど、

携帯2台持ってる子はどーすんの?
パソコンが2台以上ある部屋はどーすんの?
電気つけっぱなしの人たちはどーすんの?
暑くもないのにファン回しっぱなしの人だっているでしょ?

と、私は思うのです。

めんどくさいけど、MatronじゃなくてWarden(寮長)に話をつける必要がありそうです。



教室の様子。女の子たちはぎゅうぎゅう詰めで座ってます。


今日のEntrepreneurship(起業)の授業にて。

教授が入ってきたとたん、「2週間後までに提出しなさい」と課題の説明。

このクラスはいくつかのユニットに分かれていて、1番目のユニットで学ぶ内容をまとめてこいとのこと。

…自分で勉強するんだったら、授業いらないじゃん…

ページ数無制限。40ページ書いてもいいぞ

はぁっ?

採点は5点満点だ

5点…

締め切りまでに提出すれば1点、きれいにまとめてあれば1点、参考文献が書いてあれば1点だ

内容2点満点かよ!

手書きで書いてこいよ

コラーーーーー! 


やる気がさっぱりわかない課題。ここできちんとやっておけばテストは問題ないって言ってたけど…手書きって泣

大学院レベルになって手書きって、これも文化なのでしょうか。それとも教授の趣味?

ちなみに、紙の質によって裏表使っていいか表のみなのか変わるそうです。なんだそりゃ。

2011年7月13日水曜日

A Long Way to India (6) Pre 3/11 ロコとの生活 アルバイト探し

こんばんワニ


今日も私のバスルームをめぐって鳥と格闘しました。

中に入れないように窓をギリギリまで閉めてます。

でも湿気がこもるから、ちょとは開いてる。

鳥がピーピー鳴いてるのが「入れないじゃん!」に聞こえてほくそ笑んでました。


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さて、インドに来るまでの過程第6章。
 
2011年2月3日猫のことを気にしつつICCR奨学金選考試験終了。

帰りがけに結果通知などこれからの日程が知らされるかと思いきや…そんなこともなく、面接終わった人から各自解散だったわけね。

待つしかないか、コレ。みたいな笑


で、結果を待つ間に留学資金を稼ぐことにしました。

もしICCRの奨学金がもらえてなおかつ第一希望のGandhigram Rural Instituteに通うことになれば、田舎なので支給される奨学金で生活費は何とかなりそう。でも緊急にお金が必要になるかもしれないし、往復の交通費は自分もち。なのでお金がないとちょっと…ね。

しかし、前年のインド渡航前にアルバイトをして、インターンシップの際には「餞別」という名の大量の援助を両親にもらっていたにも関わらず、私にはこの時点で貯金がこれっぽっちもありませんでした苦笑。

ということで、猫エイズの治療のためロコを獣医に連れていきつつ、履歴書を書いたり職務経歴書を書いたりカバーレターを書いたり、あと確定申告をしたりの毎日。

東京のどまんなかからやってきたロコは田舎アレルギーなのかうちに来たとたんくしゃみ鼻水が止まらなくなり、これもエイズのせいかも…ってことで毎日注射を打って、家では目薬と口内炎を抑える薬をやってました。

連れてきたときは気がつかなかったのが、ロコには歯がないってこと。おばあちゃんだからなのか(推定15歳以上)、これもエイズのせいなのか。だからゴハンかめません。←獣医さんの話だと猫って基本的に丸のみしてるから関係ないみたいだけど。それと、瞳孔が開きっぱなしで明るいところは辛そう。よく見えてないかもしれません。←これも時間と共にちょっとずつよくなったけど。

最初はベッドの下に隠れてなかなか出てこなかったけれど、数日してさわっても平気になって、一緒に布団で寝るようになって。ちょっとずつうちの環境に慣れてきました。でもエイズがうつっちゃうといけないので、他の猫たちとは隔離。ヒトがいるときだけ、ちょっとずつご対面。

ロコはめっちゃ早起き。そして夜更かしも好き。昼間寝てるくせに、私が寝ようとすると「なでてー!」とふがふが言いながら寄ってきます。最初は「もうやめて!」と思ったけど、だんだんそれが「仕方ないなー<3」となっていきました笑


という、ロコとの寝不足の毎日の末、2月下旬、

今まではNGOなどの仕事をしてきましたが、これからは旅行業界で働いていきたいと思っていて

とか大嘘ついてとある旅行会社のアルバイトに採用してもらいました。あっでも、スタディツアーの仕事だったらこれからもやりたいからあながちウソでもないかな。もちろん

短くても1年くらいは続けたいと思っています

は、大嘘だけど。。。

そういえば、平行していくつか応募していた仕事の中には、留学行かないんだったらこの仕事したい!ってのもありました。超がつく有名な団体の正職員です。筆記試験があって、面接まで行ったんだけどね。


3月1日、アルバイト開始。久しぶりにガッツリ企業な感じの場所に行ったのでどっぷり疲れて帰ってきました。同時採用された子の「デキる」っぷりを見て、自分これから大丈夫かなって思ったり。


そして、3月11日はすぐそこまで迫っていたのでした。


この続きはまた今度~

9. 5月大学院出願奨学金選考通過
10. 6月渡印


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毎日写真を掲載しようと思うのだけど、ネタがあまりありません。。。

この間撮ったバスからの写真



 これ、正面なんだけど、どうやって撮ったかわかる?

こっちのバスって前側にエンジンがついているらしくて 、運転席の横、中央部分に台形のような形のものがどどーんとついてるのね。その写真も撮ればわかりやすかったかな、ゴメンナサイ。

で、混雑してるときはこのエンジン上部が座席と化してしまうわけね。

普段だったらそんなことしないけど、狂犬病ワクチン後でふらふらしていて、しかもどっさり果物のはいった袋を持っていた私は、「座らなければ…」と思ってここに座ってしまったのでした。

最初のうちは「わ~こんな風に見えるんだ~すてき~」と思っていたのだけど、

そのうち「お尻が熱い…

そして「もうやだ!ヤケドしちゃう!

でもやっぱり混雑してるから立っても動けない。

んで、結局目的地までお尻をローストしたのでした。

2011年7月12日火曜日

勝手にルームシェアリング と 石鹸泥棒

こんばんワニ


先日書いたように、私は金曜日をのぞく平日6クラスの授業がある

…はずなのですが、なんだか授業がサッパリすすみません。

1クラス目 教授が来ない
2クラス目 終了15分前になってやっと教授が登場
3クラス目 めずらしく教授が時間通りに登場でもこの人金曜日来なかった
4クラス目 教授が来ない
5クラス目 15分遅刻で講師が登場→男子生徒がいないので15分ほど談笑する
6クラス目 奨学金のオリエンテーションで、授業ナシ

てなわけで中身のあるクラスだったのは2クラスのみ。

私は奨学金もらってるけど、1クラス1時間1分1秒にお金を自分で払ってると思ったら「返金しろチクショー!」とかって考えちゃう。でも

あんまり気にしていない様子のクラスメートたち


今日もこちらでの生活について書きます。私の部屋について。


私の寮ではたいていの子たちは3人くらいで部屋をシェアしてます。私はさすがに知らない人と同じ部屋で生活できないと思うのでちょっと多く払って個人部屋にしてます。

でもって他の子たちは同じ階に2ヶ所ある共有のバスルームを使っているのだけど、私の部屋には専用のがついています。


朝起きてバスルームに入ると、もしくは授業が終わって帰ってきてバスルームに入ると、バスルームに小枝やら藁(わら)が落っこちています

最初のうちは風で飛んできたのが入っちゃったんだろうと思っていました。

しかし偶然にしては量が多い。確信犯のよう

最近になってこのごちゃごちゃを投下している犯人がわかりました。

鳥さんです。

どうやら私のバスルームの窓のすぐ外(もしくはバスルーム自体を狙っているのかしら)に巣を作りたいらしいです。

私がバスルームを使っていることなどおかまいなしに、毎日せっせとおうちの材料を運んでくる鳥さん。私がバスルームを使っているときも飛んできて「おぉっと、誰かいたのか」ぐらいの感じでまた飛んでいきます。

私が鳥だったら「おぉっと、人間がいるのか。じゃぁここはダメだな」とかって思う…と思うのだけど、彼らはなぜかあきらめないのです。彼らがせっせと集めた材料を窓からぽーんと捨てても、また次の日にはクズがあちらこちらに。

鳥がルームメイトなんてステキだし、お互いに生活圏に入らない距離感があればかまわないのだけど、バスルームの窓を開け閉めするたびに巣が壊れてしまうので、ちょっとこのルームシェアリングはむずかしいと私は思うのです…。

このルームシェアリングは鳥さんの片思いってことで、しばらくは一人部屋を満喫(するために毎日窓周辺を掃除)したいと思います


別の話。

ある晩。寝ていると

がちゃーーん

とトイレから音が。ビックリ。

洗面台にやたらと物を置いてるので、なんかおっこちたんだろうと思ってベッドから起きてバスルームの電気をつけると

しゅるっ

何かいた!しっぽが下水管に入ってったおねずだ

と背筋がぞ~っとしたのですが(注:通常洗面台の下にはパイプがついていると思うのですが、私の洗面台にはただホースみたいのがついていて、床にあけられた穴につっこんであり、そこが下水管です。)

気を取り直して何を落っことされたのかと見てみると、

石鹸。私が環境にいいかなと思って日本で買った、何てことない無添加石鹸です。

食べものでも探してて石鹸が落ちちゃったのかな。と思うことにして、石鹸を洗って元のところに戻しました。

次の日。

朝起きてバスルームに入ると。

石鹸がまた同じところに落ちているこれも確信犯か

んーでも、偶然かもしれないし。。。と思うことにして、再び石鹸を洗って元のところに戻しました。

そして今朝。

朝起きて水浴び(注:シャワーはないです。バケツにお水をくんで水浴びしています)をしているとき、石鹸に手をのばすと、

あれ?石鹸がない

また落っこちてるのかと思ってあちこち探しましたが、ない

3回目のチャレンジにして、ついに私の石鹸はおねず泥棒に盗まれたのでした。

でも、何でだろうね。石鹸っておいしいの?石鹸がほしいなんて、よっぽどキレイ好きなおねずなの

あわてて新しい石鹸を出してきたのですが、また盗まれちゃったらどうしよう。

2011年7月11日月曜日

A Long Way to India (5) ICCRの選考試験 と ロコとの出会い

こんばんワニ


おとといの狂犬病予防接種と、友人の家での「これ食べなさい」「もっとおかわりしなさい」攻撃によって昨日はダウン気味でした。

以前にも書いたように私は寮で食事をしているのですが、大学内の飲食施設はVegetarianオンリーという決まりがあるそうで、必然的に寮でもVegetarian食のみです。

そんな私をかわいそうに思っているのか、友人の家に行くとやたら肉を出してくれます。

チキンとマトンと魚とどれがいい?」必ず聞かれます…
マトンは羊じゃなくてヤギの肉なのね。なじみがないのもあるけどヤギがそのへんにいるのを見ると食べるのがかわいそうになっちゃうのでパス。このへんの魚はおいしくないのでパス。するとたいていチキンになるわけね。

このへんの田舎だとお肉ってパックで売ってるわけじゃなくって、そこらへんの屋台のようなお店で買ってくるようです。店先には鶏ちゃんたちの入った檻があったり、ヤギさんたちがつながれてたり。そして丸太のような木があって、おっちゃんたちが肉をそこでさばいて、正面につるしたり。

実際にさばくプロセスを見たことがないのですが、そして肉を食べるというのはこの作業が必要だと頭では分かっているのですが、想像してしまうとVegitarianでもいいかなとか考えてしまうのです。いけませんね。

で、話は戻るけど、昨日もチキンをたーくさん出してもらいました。いつもチキンってどこの部位なんだろうみたいな形のがカレーに入ってるんだけど笑、わざわざもも肉も買ってきてくれてね…KFCカレー風味みたいな…。

とお腹いっぱい食べて帰ってきて、体が重く感じたので、リセットが必要だなと感じました。

夕飯と朝ごはんを抜いて、白いご飯が出るお昼に食べたのがこちらです


わかるかな~。ふりかけご飯と、お味噌汁です。
ご飯ばっかりやたらあるように見えますが、そんなに量はないです笑

あぁ、おいしい。幸せでした。


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


さて、インドに来るまでの過程第5章です。


かなりの重量の出願書類を出したのが2011年1月27日。

あまり応募する人がいないせいか書類選考はないようで、選考試験のスケジュールがメールで届いたのが書類締め切りと同日の1月31日です。


選考試験は2月3日(そんなすぐやるのかよって感じもしたけど)。内容は以下でした:

(1)筆記試験1時間半
(2)面接

最初の連絡では(1)を午前にやって(2)を午後にという話でしたが、これまた応募者が少ないためか全て午前中にやると追って連絡がありました。

あっ、言うまでもなく(1)(2)共に英語です。でも試験室での指示は日本語だったり英語だったりしました。


筆記試験は

(a)文章理解10点
(b)選択問題20点
(c)同意語5点
(d)反意語5点
(e)文章作成20点
の計60点

どこかのサイトで、高校生でも解ける問題と書いてあったように記憶しています。そんなにむずかしくないです。でも私は同意語とか反意語が苦手なのでテキトーに解答しちゃいました苦笑

文章理解はガンジーの話で、簡単な文章で内容を要約して述べるような問題です。

文章を書くほうのトピックは何だったかな…インドの文化に関するものだったような気が。何語くらいって指示があったのがめんどくさかった(語数数えなくちゃいけないからね)。


で、このあとの面接が40点で、10分くらい大使館と(たぶん)JASSOの人と話をするってものでした。私は面接の順番がけっこう早かったのでまだもう一人の面接官が来てなくて、大使館の女性スタッフのみと話をしていたら途中でその人が入ってきたって感じ。

聞かれた内容は"Why don't you tell me about yourself"的な。ここで自分の経歴となんでインドじゃなきゃダメなのか再び暑苦しく語ればOKだと思います。私はインドに行ったことがあるのでそれで話がふくらんで、選考内容とか詳しい話にまで至らなかったです。


試験が行われるインド大使館は最近改装されたばかりでピッカピカ。すっごくモダンな建物です。試験室は地下でした。

応募する人は院にすすむ大学生が多いのかな?たいていがスーツでした…が、カジュアルな格好で来ている人もいたし、churidaと南インドではよんでいるプンジャービドレス(チュニック・パンツ・ショールのセット)の女の子もいました。芸術関係やダンス関係の人は自分の活動経歴のポートフォリオも準備していたようです。あと、詳しく言及は避けますが占い師みたいな不思議な人もいました(あの人も受かったのかしら…)

あんだけの書類を期日までに提出するのはむずかしいようで、当日足りない書類を回収する場面もありました。そのときに他の人の封筒見て「ちっちゃ!」と思ったわけね…。


余談になりますが試験前、

1月29日に日本がアジアカップで優勝。

1月31日に私はロコに出会いました

ロコは現在私の実家で先輩猫クロウ・メイと仲良く(?)暮らしているおばあちゃん猫です。

ロコの唯一の家族だった私の親戚が倒れたのが1月30日。猫がいるという話を聞いて、翌日親戚を病院に見舞いがてらエサをやりに行きました。

ロコの住まいは決して心地よいものとは言えませんでした。とりあえず事情が落ち着くまでは家族が順番にエサをやりに行くことになりましたが、どう考えてもあのおうちにロコだけ置いていくわけにはいかなかったんです。

私はロコ(と呼ぶことになったけど最初は名前もわからなかったんです)のことが気がかりで、試験の前の日もロコのことばかり考えていたと、日記に書いています。

独居老人のパートナーとなって、家族となってくれるペットたち。でもそのヒトが倒れたらペットたちはどうすればいいの?今までこんな話を聞きかじったことはあったけれど、目の前に突きつけられた現実を前に、これって高齢化社会同様に社会問題じゃんね、と思ったのです。

試験が終わったあとエサをやりに行って、ロコをそこに残して帰るのがとてもつらかった。だから試験の内容なんてあんまり覚えてないんですよね。

2月5日ロコが行っていたであろう親戚の家近くの獣医にロコを連れて行って、ロコが猫後天性免疫不全症候群(猫エイズ)であることが判明

うちの猫(クロウ・メイ)たちにうつってしまう可能性が十分ある。また、私たちは以前に猫エイズで大事な家族をなくした辛い思い出もあります。でも、ヒトの都合でロコをほうっておくわけにはいかないんです。

そして2月6日、ロコがうちにやってきました(というか、首都高かっとばして連れてきた)。


この続きはまた今度。

8. 3月留学資金稼ぎアルバイト開始→直後に東日本大震災
9. 5月大学院出願奨学金選考通過
10. 6月渡印


♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


さっきのふりかけ、丸美屋のなんだけど、



こしあんが重要な原材料らしい


また明日からクラスだ~



2011年7月10日日曜日

Will You Forget Me?

こんにちワン!

狂犬病のワクチン2本目打った!

腕痛い!体だるい!


てなわけで、新学期始まって最初の週末はNilakottaiでまた予防注射を打ってきたのでした。

前回とちがってお医者さんが打ってくれたので、空気も入ってなかったし最後の1滴まで使ってくれた…と思う。

ただし前回と同じものを打ってるのに20ルピー高いので、「OK。でも先週は380ルピーだったよね?」と隣にいた友人に話したら、お医者さんがワクチンの入ってた箱をじーっと見て、「380ルピー。ヘヘヘ」と笑っているので、同じ値段で済みました(あぶなかったー)

でも別の友人にこのことを話したら「360ルピーだったって言えばよかったのに」だそうです。

こうして私もしたたかな人間になっていくのでしょうか。

 


友人の家の末っ子、Akshaya。去年の9月私がホームステイをはじめたときにはまだ産まれて3ヶ月だったので、うんこはそのへんでするわ、おもちゃは何でもかんでも口に入れるわ、子育てって大変だなぁと改めて教えてくれた輩です。

6ヶ月経って帰ってきたら、髪の毛はぼーぼーに生えてるわ、歩き出してるわで、私のいた3ヶ月もこの子の一生に比べたら短ーいものでしかなかったのねぇとしみじみ。

しかし今は食べものとそうでないものの区別がつくようで、りんごを切ったりご飯を食べていると寄ってきてくれーくれーとねだってきます。(まるで猫のよう)

これは私のサンダルを試しばきしたあとに、返してくれるところ。





毎回毎回インドに来るまでのうんぬんかんぬんを書いていてもおもしろくないかと思うので(というか私も疲れるので)違う話題をはさみたいと思います。


□■心配するトコちがうんじゃね?■□


先週の月曜日、新学期初日。意気揚々と教室に入っていった私。

最初は宇宙人かのように扱われましたが、次第に女の子たちが話しかけてくれて、最初に同じ列に座った子たちとなんとなーくつるむようになりました。

ある女の子の初日の一言。
日本に帰ったら、私のこと忘れちゃう?

いやいや…2年間おんなじクラス受けるんだから、そんなことないべ。
(みわ)「いや~忘れるわけないよ~」


そして2日後くらい。電話番号を交換したあとに、同じ女の子が
日本でも同じSIMカード使うの?

(みわ)「日本で使うとローミングが高いからねー。日本で別のSIMカード買うよ」

じゃぁ日本の携帯番号もちょうだい。電話してね。

(みわ)「…うん…わかった」


そして金曜日。また同じ女の子が
日本に帰ったら、私のこと忘れちゃう?

(みわ)「イヤ…」

これは、教授が来なくってずーっと教室で待ってたときの会話です。

…心配するトコちがうんじゃね?

教授が何でこないのとか、教室間違ってんじゃないのかとか、そこじゃね?
…と、私のような人間は考えてしまうのです苦笑


インドに来てよく感じるのは、多くの人がすぐにattachment(愛着)を持ってくれる(持ってしまう)ということです。

3ヶ月ステイしたおうちのお父さんは私のことを3人目の娘のように思ってくれているし、
以前に数日間だけステイしたおうちの女の子とは今でも連絡をとりあっているし、
去年私が帰るってときにはみんな本当に悲しそうに見送ってくれました(本心かどうかは別として…)

こんなのってあんまり経験したことないし、これもインドに帰ってきた理由のひとつなのかなぁとは思います。文化だね~

でも、ドライ人間な私は、会って5日で「忘れないで」オーラを出されると、ドン引きしてしまうのです笑。私は基本的に家族と気の合う友だちとしかつきあえないので。

この子だけではなくて、他のクラスメートにも、「MBAとったら日本に帰っちゃうの?えっ、帰っちゃうの?」とかって言われます。

あーったばかりのーひーとーなのにー
まえからしってーいーたーよーうなー♪

とかって歌があったけど…

すし詰め状態の席配置だけではなく、心から他のクラスメートと密着していかなければこの大学院生活うまくやってけないのでは

とかって思ってしまうのね、私。白状でゴメンナサイ

2011年7月8日金曜日

A Long Way to India (4) ICCRに出願:分厚い袋

こんばんワニ


今日から授業が始まりました。授業は

1 9:30~10:30
2 10:30~11:30
15分休憩
3 11:45~12:45
1時間休憩
4 13:45~14:45
5 14:45~15:45
6 15:45~16:45

てな感じです。毎朝9:15から朝のお祈り、金曜日は16時にお祈りの時間というのがあるので5クラスで終了。

日本の大学は(行ったことないからわかんないんだけど)、こんな風にぎっしり授業があるのでしょうか

私の大学時代は好きなクラスを選んでじゃんじゃんとるって感じだったので、朝8時から夜22時までクラスの幅があったし、クラスの間が数時間あくこともあったし、週に2回だけ行けばいいってこともありました。

こんな風にぎっしり毎日授業がありなおかつほとんどのクラスが同じ教室で行われるというのは高校以来なので、ちょっと心配ではあります苦笑

そしてなぜか現れない2時間目の教授…(待ちぼうけ)←これも、大学のときはクラスの時間の何%までに教授が来なかったら帰っていいって決まりがあったので、何もわからず待っているのはちとpain in the assであります。スタッフに聞いたら「待ってなさい」クラスメートに聞いたら「今日は初日だからね」で済ませるし。時間の感覚がちがうのね


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インドに来るまでの過程第4章。ICCR奨学金応募準備です。


そもそもこのブログをはじめた理由のひとつが、ICCR奨学金の選考を考えてる人に内容や実態を少しでもわかってもらえたらなーと思ったからです。というのも、以前に書いてますが奨学金の要綱について日本での応募先である駐日インド大使館は「本国からの連絡待ちで」と質問をしてもとりあってくれない(ことが多い)んですよ。

私も情報を得るため、以前にICCR奨学金を受けているBさんや全国の皆さんのブログや「まさら通り-インド発信-」さん(許可もらってないのでお名前のみ)を細かく読んだものです…

ただし、いざ応募する段階になるとそれぞれの希望や事情で内容も変わってくるので、参考程度に読んでいただけたらと思います。


注:私が応募したのは2011年度分です!(内容は大きく変わらないかもしれませんが)応募の際はその年の要項をよく確認して!


まず 、この奨学金ってギリギリまで要綱がアップされません。確か大使館でアップされたのが1月10日、締め切りが1月31日でした。なので昨年までの要綱を見て、成績証明書など準備ができることははじめちゃったほうが無難です

私も12月15日に帰国して次の日には大学の成績証明書送付の手続きをしました←私の大学の場合、クリスマス・新年休暇が長いからだけど。


以前に書いたように、日本でICCR奨学金を受ける場合、駐日インド大使館と独立行政法人日本学生支援機構(JASSO: Japan Student Services Organization)が選考に関わってきます。そのため、ほぼ同内容の書類を前者には英文で後者には和文で送る必要があります。

ここで注意したいのが

(1)インド大使館のサイトでは、JASSOに書類を送ること自体言及がない
(2)ICCRの応募要項とJASSOの応募要項の書類内容が必ずしも一致しない

ってことなんですね苦笑

私はもともとICCR奨学金について初めて詳細を知ったのはJASSOのサイトだったため、JASSOに書類を送ることは知っていたんですけど、大使館のサイトだけ見たら、わっかんないですよ。

で、(2)に関して、2つの要綱を読んで、私が提出したのは以下になります:

英文→インド大使館へ

1. 出願書Application for Indo-Japan Cultural Exchange Programme1通オリジナル1通コピー
2. ICCR要綱Scholarships for Foreign Nationalsの中のApplication Form全8ページ、1通オリジナル5通コピー
3. 研究計画書6通
4. 高校の英文成績証明書大学の成績証明書1通オリジナル5通コピー
5. 大学の卒業証明書1通オリジナル5通コピー
6. 推薦書1通オリジナル5通コピー×2名分
7. パスポートのコピー6通
8. パスポートサイズ写真×9枚
9. 大学で取った全てのクラスのシラバスのコピー6通
10. TOEICスコア原本5通1通コピー

和文→JASSOへ

11. 出願書1通オリジナル2通コピー
12. 研究計画書2通
13. 大学の成績証明書2通と和訳2通
14. 大学の卒業証明書1通オリジナル1通コピー
15. 推薦書1通オリジナル1通コピー×2名分
16. TOEICスコアコピー2通
17. ICCR要綱Application Form(英文2)の中のCertificate of Physical Fitnessコピー2通和訳2通
18. パスポートのコピー6通
19 . 写真4cmx5cm×1枚


~解説(また何か思い出したら順次増やしていきます)~

(a)1と2はインド大使館ウェブサイトでダウンロードしました。

(b)特に気にしなくてもいいと思いますが1でPermanent domicleとあるのには本籍、2でPermanent addressとあるのは実家の住所にしました。Permanent addressって必ずしも本籍ということではないらしい。っていうか本籍のシステム自体海外ではまれなので逆に別の住所が書いてあるのってどうかと思うのだけど。

(c)2は全部大文字で!

(d)2で父親もしくはGuardian保護者の詳細を書くっていうのは、インドのお国柄?だと思います。もしご両親が離婚していて母親と住んでいたとしても父親の情報を書くべきだと、visaの申込みのときに耳にした記憶があります。

(e)2で希望大学とコース名を書くところはせまいですが、きちんとフルネームで書かなければダメだそうです。そんな大学やコースがないとかって言われちゃう可能性あり。私は第一希望にBさんが通っていたGandhigram Rural InstituteのMBAコース、第二希望に別の大学の森林環境マネジメントコース、第三希望にまた別の大学のソーシャルワークコースを書いて、第四・第五希望にはまさかならないだろうと勝手に思い込んで笑、タミルナドゥの適当な大学・コースを書きました。でもたまに、希望してないところで同じようなプログラムをやってるとそこに入学が決まっちゃったりするそうなので、その際はどーーーしても希望のところじゃなくちゃダメって抗議しなくちゃいけないかも。
(f)2で学歴をかくところ。Grade XIIってのが日本では高校にあたるそうです。私はHIGH SCHOOL DIPLOMAって書いておきました。

(g)2で推薦者を書くところは英文推薦状を書いてくれた教授の名前をそのまま書きました。

(h)2と17のCertificate of Physical Fitnessですが、たまたま近くにNASAで診断をしてたとかいうお医者さんがいて、英文で健康診断書を書いてもらいました。都内や、そうでなくてもトラベルクリニックのようなところでは英文診断書を書いてもらえます。こういうところで渡航前の予防注射の相談もしたほうがいいだろうね(と思うけど、私はインドでやっちゃってます)。診断書を書いてもらうときにHIV/AIDSのテスト結果も忘れずに。HIV/AIDS感染者は奨学金がもらえないと要綱に書いてあります。以前は外国人登録の際にもこの結果が必要だったそう。今では差別的だとこの書類は必要でないことになっていましたが(私もそんなのおかしいと思う)、私は大学で提出を求められました。

(i)3と12に関して、いわゆる日本の大学院に提出するための細かい研究計画書である必要はないそうです。インドに行きたいと暑苦しく語り、なぜインドじゃなくちゃダメなのかしつこく語り、勉強したい内容について書けばいいと思います。私は3ページちょっとでした。

(j)4に関して、高校の成績証明書は要綱には書いてなかったのだけど大使館に必要だと言われました。あせりましたねー。私が高校を卒業したのは9年前なので、高校でもうその当時の成績を保存してないんだって。たまたま大学出願の際に作ってもらっていた英文の成績書が残っていたので、コピーでいいか大使館に確認してそれを提出しました。

(k)6と15の推薦書。英文和文それぞれ2人から書いてもらいますが、同じ人のをどちらかに訳せば2人に頼むだけで済みます。でも私は日本でインドに関わる仕事をしていたこともアピール?したかったので、2010年5月まで働いていたNGOの事務局長に和文をお願いし、大学の教授2名に英文をお願いし、そのうち1名のレターを和文に訳してもらいました。

(l)7と18のパスポートに関して余談。私のパスポートは2011年中に切れる予定だったので、インドで更新するならと新しく作り直しました。前のパスポートはサンフランシスコの領事館で作った思い出深いパスポート。髪の毛も長かったし(若かったし)何よりパスポートに大好きなサンフランシスコの表記が入ってるから気に入ってたのね。泣く泣くこれをVOIDして、新しく作成。はじめて10年用を作るためにピカピカの新つくば市庁舎に行ったのもいい思い出だけど。

(m)要綱で9を見たとき、かんべんしてよって思った。だって4年分だよ?34クラス分だよ?1クラス仮に1ページだとしても、34枚。それが6通ずつでしょ?おかげで書類がすんごい量になりました。クロネコヤマトで80サイズ。Full of my records。全部あるかどうかもわからないけどとりあえず大学のノートを全てひっぱりだしてシラバスを抜き取り、スキャン。1日かかったよね。(家族はあきれてた)私はうちにスキャナーもプリンタもあるけど、ない人はコピー代が超かかるって聞きました。

(n)ちなみに私は、記入を間違って最初から書き直すのがいやだったし全部データで残したかったので、ちょっとめんどくさいんですが研究計画書以外はほぼ書類をすべてAdobe Illustratorで作成しました。応募書類はたいていPDFなのでそれをとりこんで、それに記入していくって感じ。おかげでちっこい文字もきれいに記入できました。

(o)これは応募する前、したあとにも言えることなのだけど、応募者は渡航するまで直接ICCRとやりとりができないので、大使館の担当の人の名前を聞いて、しつこくても電話やメールでたくさん質問したほうがいいと思います。だって自分の人生を決める留学になるかもしれないんだもん、失敗したくないでしょ?

(p)そんなやりとりで判明したこともあります。たとえば、書類は全部A4じゃなくちゃダメって書いてあるけど例外もあるとか(海外で書類作成してもらう場合はA4じゃない可能性もあるわけで)、diplomaそのものじゃなくてcertificateでいいとか、リストに出てない大学でも自分が行きたいと強く願えば私のように選考を通る可能性もあるとか、ね。↑で要綱が出る前にはとりあってもらえないって書いたけど、要綱が出たらこっちのもん。わかんないことはガンガン聞きましょう


さて…

以上をぜーんぶ用意して、大きな袋二つ持ってクロネコヤマトへ。そして2011年1月27日、やっと出願書類を全てインド大使館とJASSOに送ったのでした。

選考試験のとき他の人の書類が普通の封筒に入ってるのを見て唖然としたことは言うまでもありません

んで、このあとの流れは以下。今後順次書いていきますねー

7. 2011年2月ICCR奨学金選考試験
8. 3月留学資金稼ぎアルバイト開始→直後に東日本大震災
9. 5月大学院出願奨学金選考通過
10. 6月渡印


☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★








今日の夜ご飯。ご飯にサンバルというサラサラしたカレーをかけて食べます。しかしこのご飯、ところどころ写真のようなかたまりが。なんだかモチみたい…。

このあとご飯をおかわりして、ラッサムという酸味のある汁をかけてまた白米をたいらげます。私はそこまでがっつり食べられないのでラッサムはコップでいただきました。友人の家ではしょっちゅうやってるんだけどここのラッサムは辛い泣。

食べる人はカードというヨーグルトちっくなのをかけてもう一杯。コメバンザイタミルナドゥ。

今日は★七夕★ですね。織姫と彦星が1年ぶりに会えたうれしさで泣くので七夕の日は必ず雨が降るそうです。…ってこともさっきまで忘れてたんだけど、今日の午後こっちに来て初めてまとまった雨が降りました。気温も下がって快適です。

2011年7月7日木曜日

A Long Way to India (3) インドに行く前のインド滞在 コレイクラデスカ

こんばんワニ


昨日に引き続きまして新入生オリエンテーションでした。

そして80%くらいはタミル語で行われました…

この大学はEnglish Medium=英語教育をすることになっているのでオリエンテーションだって英語でなされるべき。でも実際は、特に学士過程の子たちは高校での言語がタミル語だったため、いきなり英語でオリエンされてもわからないでしょーとのこと。

イヤイヤ、私たちOut-of-state students(タミルナドゥ州外から来ている生徒)や留学生はどーすりゃいいのさ。

…と不満がムンムンしていたところに、なぜか感想を述べてくださいとあのすし詰め生徒陣の前に連れて行かれ、「ふざけんな!全然わかんなかった!」と言うわけにもいかず、ニコニコ「大学について学ぶよい機会となりました」と言ってしまったのでした。

でも、ま、授業でこんなことになると困っちゃうので、授業でタミル語話されたらきちっとビシっと「わかりません」と言うつもりです。

あぁ、疲れた。石みたいな席だったからお尻が痛い。


そういえば、今日は例のお茶の時間に、お茶をそそぐおにーちゃんの横で紙コップを並べる係を(なかば率先して)やりました。でっかいバケツみたいなのからでっかいマグカップにくんで、ちっこい紙コップ(容量100cc)に注ぐので、テーブルの上にお茶がこぼれて、池みたいになってました。紙コップがぷかぷか浮いてたもん。


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では、昨日の続きのインドに来るまでの過程第3章。

2010年1月にインドに留学しようと決めて、その前にインドでインターンをしようと決意。


…ハイ。
インドに留学する前に、インドでインターンしてました

この3ヶ月は本当に貴重な体験となったので、一度のポストじゃなかなか書ききれません。なので今回は概要のみ!→

2010年9月15日、まだまだ暑い日本を出発。デリー経由でタミルナドゥ州チェンナイ入りし、そこから電車でKodai Road駅へ.。インターン先のNGOCIRHEPのスタッフがお出迎え。

そして、Veelinayakenpattiという村でホームステイをしながら、CIRHEPのトレーニングセンター(TC)とNilakottaiにあるオフィスを行き来しながら開発プロジェクトについて学ぶインターン生活が始まったのです。

最初の1ヶ月は、下痢、発熱、疲れ、虫刺され、そして食べすぎで苦しんだ苦しんだ。今までスタディツアー引率でインドに来たときはお腹壊したことなんてなかったのに、大変でした。たぶん理由は:

(1)今までは引率という立場でキモチもひきしまってたので、体に抵抗力があった

(2)うっかりFunction foodを食べた

ということだと思います。Functionは以前に書いてますがお祝いごとのこと。行ってすぐに友だちの結婚式がマドゥライで行われたので参加したのだけれど、そのときに食べた食事というのが、屋外で調理され炎天下の中何時間もほっとかれたであろう肉入り(Non-veggie)、だったのです。その夜に第一波の腹痛・発熱が来たもんね。

それ以来、基本function foodには手をつけない、食べてもVegetarianのみ、と決めています。皆さんも気をつけましょう。

という苦しみのみの3ヶ月だったわけではなくて、そのあと2ヶ月はけっこうムリしても倒れないくらい免疫ができて、充実した日々を送ったのでした。

これもまとめのみとしますが、3ヶ月でCIRHEPの以下のプログラムについてお勉強させてもらいました

(1) Adolescent Girls Program
(2) Biodynamic and Organic Agriculture
(3) Nature School
(4) Watershed Development
(5) Women Empowerment

そして12月、泣く泣く(という心の余裕もないくらい急いでたんだけど)Veelinayakenpattiを離れ、チェンナイで上京した田舎者みたいな気分になったあと、デリー空港の新しいターミナルにうっとりし、そしてハーゲンダッツがターミナル内にあるのに感動し、15日晴れて日本に帰国。


そして数日間放心状態。我に返って、「あぁ南インド料理とティーがなつかしい」としみじみ。

そのあと6. ICCR奨学金応募準備に取りかかるのですがこれはまた今度にします。

そのあとの流れ
7. 2011年2月ICCR奨学金選考試験
8. 3月留学資金稼ぎアルバイト開始→直後に東日本大震災
9. 5月大学院出願奨学金選考通過
10. 6月渡印


☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


そういえば。

おとといからクラスメートの女の子たちとつるんでいるのですが、ひとりが

日本はとてもきれいで、大好き。家ではNHKを見ている

と言うので、あらまーと感心。

実は私も上記インターンシップ中に日本のチャンネルがあるよということで、インドの田舎の村のテレビでCool Japanを観るという経験があって、NHKの番組が観られることは知ってました。でもこっちの人は日本のチャンネルだってわからないかもしれないし、日本の番組もアニメ以外興味ないだろうなって思ってたので、うれしかったのね。

その子がNHKの番組をやってるテレビの画面を携帯のビデオで撮ったのがあるというので観てみると。

青いあじさい。
 緑の広がる風景。
  あぁ、ステキ。
   誰かが大きなびんを出してくる。梅干か何か…?

と思ったら、よく見る顔が、なにやら説明している。
 …ベニシアさんじゃないですか。

彼女が観ていたのは猫のしっぽ カエルの手だったわけね。

まぁ、日本であることに変わりはないし、ベニシアさんは日本人より日本の文化について詳しいかもしれないけど。

本人はベニシアさんがイギリス人だったことを知らなかったらしい

まぁ、日本好きって言ってくれるんだからいっか。


そして、そんなクラスメートの知っていた唯一の日本語:

コレ イクラデスカ

…大事だよね。うん。

2011年7月5日火曜日

A Long Way to India (2) 1年半計画

こんにちワン

昨日大学院の新学期がはじまって、明日までオリエンテーション。

私のコースはMaster of Business Administration(経営管理学修士)、いわゆるMBAです。うちの大学のRural Project Management(農村プロジェクトマネジメント)という専門分野がくっついています。他にも

Co-operative Management(協同組合マネジメント)
Rural Industries Management(農村産業マネジメント)
Small Business Management(小規模事業マネジメント)

と専門分野があって(ちとこのあたりうろおぼえ)、同じMBAコースでありながら別々の学科に生徒が所属しているという仕組みになってます←なぜか教授陣はここを誇りに思ってるらしい。

んで、昨日はこの4つの学科から来ているMBAの生徒のみのオリエンだったのですが、今日・明日は今学期からこの大学に所属する全ての生徒が参加するオリエンテーションが開かれました。

 


ぎっしり すし詰め

私は講堂の階段状になっている席に座れたのだけど、下にいる子たちは床(の上のカーペットみたいなやつの上)に座ってました。小学校の始業式じゃないんだから…と思うけれど。

ちなみに男の子は左、女の子は右に座ってます。教室でもびしっと分かれるみたい。自分の大学の感覚からだと変…と感じてしまいます。

朝から学科長の話などだらだら~っとありましたが、さすがインドお茶の時間はきっちり設けます。


ビスケットと紅茶を求めるメス陣(オス列はまた別にある)。申し訳ないけど、難民キャンプとか戦時の配給とかそんな感じでビスケットを配っていたので、私は遠慮しました←でもけっきょくクラスメートにすすめられる。

あっちなみに学生証申込書はこのオリエンの前にもらってきたよー


ではでは、インドに来るまでの過程第2章。


この間のポストで、2010年度の申込みには間に合わないだろうとあっさりあきらめた私。それが2010年の1月ごろでした。

じゃ、今までの1年半何をしてたか。


1. まず、2011年度に応募しようとやんわりと決断。


2. 当時働いていたNGOのインドでのローカルパートナー(実際に現地でのプロジェクト運営を行っている現地NGOのこと)として候補に挙がっていた団体の中に、この大学から近い場所で活動しているCIRHEPがありました。私は2010年の春にスタディツアーの引率でこの事業地を訪れ、CIRHEPの行っているWatershed Development(流水域開発)プロジェクトに関心を持ちました。

-流水域開発についてはまた機会があったら詳しく書きますが、私のNGOはインドの別の事業知で大規模な流水域開発を行っていて、その際にBさんから流水域開発について教えてもらったのがきっかけでこの開発手法(っていうのかな)には興味をずっと持っていました。-

そこで、

インドに留学するなら多少インドに滞在して何か関連することを学んだ経験があるほうがいいのではないだろうか→じゃぁ、CIRHEPでインターンしてみよう

と、安易に(?)考えたのでした。


3. 2010年5月、会員総会を終えたNGOを退職。事務局長にCIRHEPでのインターンとその後のインド留学希望のプランを伝える


4. インターンシップ資金稼ぎ。アルバイトはたくさんあるのだろうけど、数ヶ月だったら人生でこれからできないかもしれない仕事がしてみたいと、ツアー参加者がぽそっと言及していた「リゾートアルバイト(通称リゾバ)」の派遣登録をしてみる→すぐ来てくださいといわれ、待遇もあんまりいいわけじゃないのに箱根の保養所で2ヶ月アルバイトをすることに。

いやー大変だった。アットホーム=人数が少なくて人間関係がビミョー、温泉つき=お客さんと入浴、強羅=最寄コンビニまで坂道or山道、そして他スタッフの指摘する幽霊疑惑…

数えだしたら行かない理由はたくさんあったのだけど、1日2食温泉・昼寝つき、強羅の大文字焼き屋根から観覧、そして酷暑となった2010年夏避暑地で過ごしてしまったというbig plusなお仕事だったと、今になったら思えるのです。


芦ノ湖<3

楽しいバイト仲間、すてきな美術館・カフェ・オーナーさんとの出会いもありました。


5. 9月に実家に一時帰り、数日後インドへ。12月まで3ヶ月のCIRHEPインターン生活


詳しくはまた別のポストにしますね。ちなみにその後は


6. 12月に帰国、ICCR奨学金応募準備
7. 2011年2月ICCR奨学金選考試験
8. 3月留学資金稼ぎアルバイト開始→直後に東日本大震災
9. 5月大学院出願奨学金選考通過
10. 6月渡印

となるのですが…話が長くなりそうです。

2011年7月4日月曜日

First Day of School! Oops, My Bad, I meant UNIVERSITY

こんにちワン


今日は大学院の新学期初日

初日からガッツリ授業なのかと思ったら今日からあさってまではオリエンテーションなんだそう。

↑とかって情報が生徒にいきわたってないのはなぜー

朝は学科長の話があり、大学院生とはなんぞや、時間を有効に使え、2年後には君たちは立派な人間に…などなど。

午後は図書館の使い方のガイダンス。タミル語だったので1時間ぼけーっとしてました。

つーか、午後は図書館に集まるんだとばっかり思ってたら(他の子もそうそうって言ってたし)、朝集まったとこでよかったらしく、暑いのに図書館の前で待ちぼうけだった私…。おかげで学生証の申込用紙ももらいそこねたーーーー

↑っていうか学生証申し込まなくちゃいけないってどういうことなのよー。普通みんなにくれるでしょ…


そんなこんなで私のFirst Day of Schoolはなんだか消化不良のまま終わりました。

インド英語Inglish■私の中では小学校だろうが大学だろうがSchoolはSchoolだと思っているのですが、こっちでCollegeもしくはUniversityをSchoolとよぶと、怒られるか「何言ってんの」みたいな顔をされます。Schoolというのは高校くらいまでのことを言うらしい。

なのでFirst Day of University!と言うべきなのでしょうが、なんかしっくりこない。


昨日の続きを書こうと思ったけど、今日はお休みでー

2011年7月3日日曜日

A Long Way to India (1) ICCRって何ぞや

こんにちワン


明日から大学院の授業がはじまります。

今日は学科長のおうちを訪問。お嬢さんが二人目の子どもを授かってそのお祝いをする日でした。

インド英語■(以降Inglishとよびます笑)お祝いごと・セレモニーをfunctionと言います。たぶん普通英語でfunctionという言葉自体が示すのは大きくてフォーマルなイベントのみなんだけど、インドでは小さいものから大きいものまでfunction。そして毎週のようにやたらある。人口が多いとお祝い事も多いのね。


右が教授のお嬢さん、真ん中が一人目の子ども、左がダンナ。バンガロールに住んでるのにわざわざこの日のためにこちらまで来たそうな。

お嬢さんのおでこに手をやってるのは私の寮に住んでるマニプール州の子。そうです例の牛肉姉妹です笑 黄色い絵の具のようなものをまずぽちっと塗って、そのあと赤い粉をのせてあげます。黄色いのはターメリック(カレーの色になるやつ)かサンダルウッドで(どっちだかわからん)、赤いのはクムクムというやっぱりターメリックの粉の一種らしいです。

お嬢さんは訪れた人にバングル(ブレスレット)もつけてもらっていました。金具で止めるタイプのものではなくてただの輪っかなので、石鹸を手にぬりたくってすべりがいいようにしてました…大きいサイズじゃダメなの~?

このあと文化圏の違う私たちにもこの絵の具のような物体が塗られるのです。んで、そのあとバナナの葉っぱにたっぷり盛られたランチ。

帰りがけに大学のスタッフに呼び止められて話を聞いたら、このfunctionにもきちっと科学的な意味合いがあるんだそうな。ウソこけ、と思ったけど聞いてみたら納得。

このセレモニーは女性が妊娠7ヶ月を迎えるときに行われます。このころになるとお腹の子どもが外の世界にますます敏感になって音楽も聴きとれるようになる。彼女がつけているバングルはガラス製で、動くとチャリンチャリンときれいな音がします。これが音楽と同じ効果で、お腹の子どもにいいんだそうな。確かにバングルって赤ちゃんのいるお腹に近いところで揺れるからね。

また、7ヶ月を迎えて身重になってきた妊婦を、周りの人間が出産までサポートするよと伝える意味合いもあるんだそう。

ここにいると、日々学ぶことがあります…。


前置きが長くなりましたが、何でまたインドなのよ?に引き続き、インドに来るまでの過程を書きたいと思います。


まず私が奨学金をもらっているICCRについて。

ICCR: Indian Council for Cultural Relationsはインドの外務省にくっついている機関で、インド文化を他の国で広めたり、文化交流を奨励しています。日本でインド大使館が何か文化系イベントをやっているときはICCRがからんでると思う。

で、そのICCRの活動のひとつが、留学生にインドで勉強してちょーだいという奨学金制度の運営。これが私の受けている奨学金なわけです。

ICCRはたくさんの奨学金をオファーしていて、アフリカや他のアジアの国など途上国からの受け入れを目的としたものや、ヒンディ語を勉強する人だけのもの、そして私のように選考はなんでもいいよーというテキトーなスキームまであります。一応名称としてはIndo-Japan CEP: Cultural Exchange Programという中に入るのかな。

この奨学金は自分の国に駐在しているインド大使館を通じて応募するという決まりがあります。日本ではそれと別に独立行政法人日本学生支援機構(JASSO: Japan Student Services Organization)も選考に参加しているようです。JASSOのサイトは他の国に留学するための奨学金情報がたくさん出ているので、留学を考えている人にはおススメ。


ICCRの奨学金の内容ですが(情報は2011年度版)

■受け入れ先:インドの大学・研究機関
学士、修士、博士と博士課程修了レベルまで

■支給内容
奨学金、授業料、宿泊費、医療費、研究旅費、論文作成費(レベルによって有無がある)

で、肝心の

■応募資格
学歴がちゃんとある
英語できる
健康
日本で応募の場合日本国籍がある

…ゆるい笑

学士レベルなら、高校を卒業している健全な日本人であれば応募資格があるんですね。


応募すると、
(1)東京のインド大使館で英語と面接の簡単な選考試験がある
(2)大使館→ICCR→希望教育機関で受け入れOKか打診がある
(3)希望者は別途受け入れ大学に願書を提出する&必要なら入学試験を受ける
というような流れになります。

んで、この奨学金応募時期なんですが、日本では毎年12月か1月となってます。

…そうです。アバウト笑

年によってなんだか変動するようで、大使館に聞いても「本国から資料が届きませんので…」の一点張り。

まぁ、応募要項は毎年リユーズしているようだし、例年必要なものをそろえとけばまず間違いはないと思うのだけど。


しかーし。

私が前回書いたような理由でよし、大学院行こう!と決めたのは2009年の末。翌1月に2010年度分で提出する書類をかきあつめるのには時間が足りなかったのね。

ということで、じゃー2011年度分で受けることにしよう、と1年間応募を見送ったのでした。(今思えばムリしてでもやっときゃよかったとは思うけれど)

次回からその後の1年半について書きますねー