2013年3月30日土曜日

おせっかいを通り越してはたメーワク Student Protest (3)

こんばんワニ。


数日前「夜寝るとき天井のファン使う」を解禁しました。

寝るときにACやらファンやら使っていると朝ノドが痛いので多少暑くても使わないのだけど、さすがに夏に向けて暑くなってきたので。


そんな今日はGood Friday(聖金曜日、キリストが死んだとされる4月の金曜日)。ここにいる東北部の子たちはたぶん全員クリスチャンなので、マニプール出身の先生んとこに集まってservice(お勤め、式)があるようです。

クリスマスも含めたまにこういった会にも呼ばれるのだけど、なぜかクリスチャンの集まりだと尻込みしてしまう私。

いつも自分は無宗教ですと言っているけれど、心のどこかで多神教(八百万の神様…)を信じているからなのかなぁと最近思います。


さて今日は夜ご飯何にしようと夕方Chinnalapattiまで行ってきました。

よく行くCeylon Bakeryにはキリストの絵がかけてあるのでオーナーがクリスチャンなんだろうな。クリスチャンの祝日だから今日はお休みだろうと思っていたけど、行ったら開いてる。携帯電話のプリペイドチャージ(をベーカリーでやってんだけど笑)担当のおじさんはいないけど、ベーカリー部門は通常営業って感じ。

働いている子に「今日休みじゃないのー?」と言ったら「違うのよ。言ってやってよ」とおじさんの息子(たぶん。同じ顔だから)に目配せ。

そこで息子氏に私から「何で今日休みじゃないんですかー」と言うと「でも休んでたらあなた買い物できないでしょ」と返される。

「休みだと思ってでもチェックしにきたのよ笑!」

おじさんの方は今日どっかでお祈りの式があるとかでちゃっかり休んだらしい。

働いてるオンナノコとオトコノコもてっきりクリスチャンなのだと思ってたけど、そうではないんだって。じゃぁ休みじゃなくても文句言うな笑


で、そういえばこのお店って「Ceylon」ベーカリーじゃんね、と思う。

Ceylonというのは「セイロン紅茶」と言われるように、スリランカの旧名です。

スリランカ政府に対するバッシングがタミルナドゥ中で盛り上がりすぎちゃってる中、ここも被害受けたりするんじゃないかと思ってたけど、そんなことはぜーんぜんなさそうな感じ。

Dindigulの本店は被害受けてたりして。

…そんなことない気がする笑

まさか地元の人はセイロン=スリランカだって知らないわけ?


と、私が言うのにはきちんと理由があるわけです。


反スリランカ政府運動がはじまってから、スリランカと名のつくものはやたらと襲われているんですよ。


たぶん最初に襲われたのはChennaiのBank of Ceylonだと思う。マスクをした12人が押し入り、銀行員を襲い銀行をメチャメチャにしたんです。

あとSri Lankan Airlinesのオフィスに石を投げつけたヤツもいました。


まぁここまでは、よく中国でも日本企業を襲うってことがあるので、ありがちだなぁと思っていたのだけど、次第に変な方向にエスカレートしていったわけです。


スリランカのシンハラ人たちには仏教徒が多いので当然お坊さんもいるんですが。Thanjavurを訪れていたそんなお坊さんが例の寺院で地元タミル人に襲われるという事件もありました。

そのあとすぐにまたChennaiで仏僧が電車の駅で襲われています


最近新しいカトリック教皇がアルゼンチンの内戦時代に殺戮を見てみぬフリしたなんて話も出てきたけど、かといって教皇が人を惨殺していたわけではないだろうし、このお坊さんたちだって進んでタミルの人たちを殺していたということはないと思うのです…


そしてもうなんかメチャクチャじゃんかと思われる事件が。


タミルナドゥの中に海岸エリアを切り取って別の特別行政区にしているPondicherryというところ(もともとフランス領でその影響が今も残りおいしいワインやフランス・インドフュージョン料理が食べられるという夢のような場所)があります。

ここにあるSri Aurobindo Ashramashramというのはヒンドゥ教の教えだったりヨガのレッスンをしたりするような場所)も最近50人のタミル人がやってきて施設を襲いました

で。Sri Aurobindoというここの創設者がシンハラ人でしたというならまぁなんとなくわかるのですが、Aurobindoは西ベンガル出身。

はい?

でも、ここが襲われたのは彼が西ベンガル出身だったからなんです。

じゃぁスリランカと関係ないじゃんと思うのですが。実は。

西ベンガルの州知事Mamata Banerjeeが国連人権理事会の決議(スリランカ政府の内戦時のタミル人に対する行いを非難するもの)に反対していたから、なのです。

…やっぱ関係ないじゃん!

これってつまり。日本政府がこの決議にちょっとでもイチャモンをつけようなら私がそこらへんでボコボコにされるというようなものなのです。恐ろしい。。。

(そういえば西ベンガル出身のクラスメイトNは無事だろうか笑)


そして、政治と切り離されるべきだと私が常日頃考えているスポーツ界にも影響が。


インドの国技ではないにしろものすごく人気があるクリケット。

インディアンプレミアリーグ(IPL)というのがプロクリケットリーグで、インド国内だけではなくて、クリケット選手が多い旧英国領の国から多くのプレイヤーが集まっています。

例によってタミル人の気持ちをくみとってますよと主張したいわがタミルナドゥ州の州知事Jayalalithaaは「スリランカの選手はうちの州でプレイしないでほしいわ」とIPLに言い出す。

でIPLもそれを聞き入れちゃって、Chennaiでの試合にはスリランカ選手は出ないことになったのです。スリランカの選手が襲われないようなセキュリティ体制が整えられないというのが理由らしいけれど。

アホか。こういうときだからこそ、スポーツではフェアに、気持ちよく、タミル選手もシンハラ選手もプレイさせるべきじゃないの???

けどねー。。。パキスタンの選手もしょっちゅうインドに来るなと言われるんですよね。クリケットは人気がある分政治が介入しやすいんだろうか。

にしても、シドニーオリンピックで北朝鮮と韓国が一緒に入場したことにエラく感動した自分としては、パレスチナとユダヤの子どもがサッカーを通じて交流しているなんてことにものすごく感銘を受ける自分としては、なんでインド人はこういうことができないんだと思うのです。


そして、もうはたメーワクとしか考えられないようなことも起こっています。


まぁ、以前から言ってることですが、タミルナドゥ州政府はタミル人が多い北スリランカを独立させろと言っています。

これはつまり、規模は違うけど、中国が横浜のチャイナタウンを独立させろというようなものです。

スリランカのことは、同じ民族であれ、他の国がとやかく言うことではないし、スリランカタミルがそうしたいのであればそれが実現するようにサポートを国際レベルで(国連とかね)することが必要だと思うのです。

まぁ、タミルナドゥ州政府にとっては「だってインド中央政府はタミルの気持ちわかってくれないんだもん!」ってところでしょうが、ウダウダ言う前に何もしてないスリランカ人の安全確保をしなさいよ。


で、今日の新聞で読んだけど、このゴタゴタでスリランカ出身のタミル人だってメーワクこうむってるのです。


最近の混乱で、スリランカから留学している生徒たちが物件を借りられないということが起きています。スリランカ人だと言うと、通常の書類の他に警察に行っていろいろ手続きがあるとかで、大家がめんどくさがって貸さないとつっぱねてしまうんだそうです。

これがシンハラ人だけだったらまぁ、ねぇ、こんなご時勢だから、と思うけどこれはタミル系スリランカ人にも当てはまることなのです。

というのも、Rajiv Gandhi(スリランカ内戦時にIndian Peace Keeping Forceを送り、結果タミル系スリランカ人と戦わせるハメになった)の暗殺(タミル組織LTTEによると言われている)からずーーーーっと、タミル系スリランカ人には警察の厳しい目がついて回っているわけで。

今回の反スリランカ政府デモに至っては、「タミルナドゥにきている難民の人たちはデモで先導きってるんだろう」なんて思うけど、実際には「スリランカの生徒はデモに参加しないように」と大学からきびしく言われて、寮で待機もしくはヒドい生活環境の「難民キャンプ」に帰っているそうなのです。


つまり、タミルタミルと言っているけど、本当に運動を起こしているのはスリランカの、本当にツラい思いをしたタミル人ではなくて、タミルナドゥで育って、最近になって「お隣の国でこういうことがありました、許せません」とわかってしまったインド人なんですよね。


結局誰のための運動なの?と思う。




2013年3月27日水曜日

Variance (2) 引き続きまして

こんばんワニ。



ちょっと前に「ばらつき」の話をしましたが

たとえばこういうことです。


!?

私の大好きなBritanniaのMilik Bikis

追記:ウソでした。Horlicks Biscuitsだった。

袋開けてかじったんじゃないですよ。

密封されています。



別の角度から撮ってみました

あきらかにひとつサイズがおかしいでしょ!

あけてみたら案の定
おねずがかじったあとでした

…ではなくて
割れていて破片が入ってない。

日本だったら「代わりに異物が混入されてるかも」とか思って
食べないかもしれないけれど
インドだったら「インドだし」で
済ませてしまいます。

味も別に支障はなかった。

でもだまされた気分。


  ●   ●   ●   


おととい(日曜日)←カレーの日

寮母が
「タミル語の新聞に明日から大学再開って書いてあるわよ」
と言うので
チッ休みも終わりかと思いつつも
授業遅れまくってるしなぁと考えて
じゃぁ明日は朝きちんと起きなくちゃと考えていたのだけど

寮の子と話してたら
「明日誰も来ないと思う」
と聞いたので、結局よくわからず。

朝のお祈りの前の鐘(9時15分)がカンカン鳴ったら授業に行けばいいか。

と思って就寝。


昨日(月曜日)

うーんと思って起きると9時17分!!!!!

な、鳴らなかったよね。。。

と耳を済ませて5分後のお祈り開始鐘を待ちましたが
鳴る気配はなし。


現在のところ再開は来週の月曜日のようです。

というのも、
今週の金曜日が祝日(Good Friday、イースター前の金曜日)で
またすぐ休みになっちゃうから、
というよくわからない理由だかららしい。

学生運動の方もまだあちこちでやってますが
国連の決議も出てますんで
そのうち下火になるだろうとのことです。

ということで引き続きまして今週もお休みです。


  ●   ●   ●   


この間カレー作ってたときに
イトコちゃんと話をしました。

あんまりふたりで話をすることはないのですが
先日Aachi'sに行ったあたりからもっと話をするようになったんだよね。

私「今教会から帰ってきたばっかりじゃない?」

イトコちゃん「うんそう、Palm Sunday(イースター前の日曜日)だったから」

私「あそう…(Palm Sundayが何かよくわかっていない)」


イ「Palm Sundayって知ってる?」

私「(ドキリ)聞いたことはあるけど…」

イ「でもPalm Sundayは万国共通のはずよね」

私「う、うん、そうだよね汗」

とたわいもなくない話(彼女にとっては大切な話だと思う)をしていたら
いきなり

イ「ねぇ、ミワは幸せ?

な、なんですと?

私「んー、まぁ、幸せだと思うけれど」

イ「なんかねぇ、ミワを見ていると思うの。
ミワは他の人のことぜーんぜん気にしないんじゃないかって」

えぇぇー そんなこと…ない、と思うけど苦笑

私そんなに他人に興味がない人だと思われてるのかしら。。。

まぁ、よくよく話を聞いてみると
彼女の言いたかったことは

彼女がデリーからこのど田舎に引っ越してきて
出会いがいろいろあったけれど
彼女が人に何か期待すると
必ずといっていいほど裏切られる。

そのたびにすっごくガッカリしているんだそう。

だけど私は人づきあいでガッカリしていない風、
に見えるんだって。

ふぅん。。。

そのあと玉ねぎを炒めながら
そうかなぁと思ってよくよく考えてみると。

もともと何年か前から
「人を信じすぎちゃダメだな」とか「人に頼っちゃダメだな」と
思うことが多くなったので、
初対面の人とか、まずでっかく壁を作って接していると思う。

今でこそ仲いい人でもそのレベルに達するまでには
かなり時間がかかるし。

インドに来てからは
ものごとが思い通りにいかないのは日常茶飯事なので
誰かに何か頼んできちんとやってもらえるなんて
ハナから期待していない。

イ「私たち、ひとりで生きていけないから
お互いに助け合っていかなくちゃいけないでしょう?」

私「あー、そこそこ。
私はひとりでも生きていけるんじゃん?と思っちゃうんだよね。
団体より個人の人だから笑」

イ「そうなんだぁ」

私「ここに来たばっかりのとき、クラスメイトも私よりずっと若いから
友だちなんかできなくてもいいと思ってたしね」

イ「ふぅん」

私「あんまり人に期待しないし」

イ「そうなの、私もそうならなくちゃ」



と話は続いたのだけど
正直、イトコちゃんは人を信じ続けていいと思う。

期待はずれでガッカリ、
だまされてガッカリ、
こんなのっていやだけど、
これも人生のうちだしね。


それに何度も書いてるけど
基本的人嫌い笑な私にもかかわらず
懐にズンズン入り込んでくる
仲良く一緒にすごせるようになりましたよ。

これが私の成長っぷり。かな






2013年3月25日月曜日

Japanese Curry こくまろ

こくまろ

こんばんワニ。

お祭りでうかれていた私ですが遊んでいたばかりではなくって
ちゃんと修士論文書いてますよ。

というか、今日やっと「とりあえず終わり」まで書き終わったんですー。
あとはごちゃごちゃ見た目を手直しして
文章が変なところを直すわけですが。

過去数日間
電気があったらタイプ、
停電のときは書き終わったところをプリントしたものに訂正をペン書き
ということをしていました。

そしたらねー。

「あぁこの日眠かったんだろうな」
という個所が多々笑

イミフメイ!
ってな文章もいろいろありました。


で、今日の17時すぎに「流水域開発こうしたほうがいいですよね」
という部分を書いてとりあえずおしまい。

ひと晩寝かせて頭を整理させたいので


ひさーしぶりに苦笑、ご飯を作ることにしました。

いや、ご飯食べてなかったわけじゃないですよ。
2週間くらいちと手抜きをしていたのです。
論文で忙しかったから…

で、いつも何かと食べさせてもらっている
(よくご飯によんでもらっているのです)
マニプーリシスターズとイトコちゃんに日本カレーを作ることに。


いや、実はね。
本当はタミルの人たちに日本カレーを紹介したいと思っていたのだけど。

日本から戻る日、空港に向かう先で寄った地元のセブンイレブンで
あわてて日本食を買い込みトランクにつっこんできたのですが

戻ってから「こくまろ」のよく表示を見てみたら
牛脂」使ってやがる。。。

ヒンドゥ教の人には食べていただけない。

まぁ、私もいやなのだけれど。

そんなわけで
日本カレーはクリスチャンの彼女たちにふるまうことにしました。


大学の入り口のすぐそばにある野菜やさん。

最近表でいっつもグリーンピースをさやから出しているオトコノコがいて
(隣のスナック屋でグリーンピース使ってるからだと思う)
家族の手伝いしてるのえらいなぁと思っていました。

ちょっと年齢が高いので
学校行ってないのかなと思っていたら
話をしてみると(とは言ってもあいさつくらいだけど)
軽度の知的障がいがあるらしいことがわかりました。

だから学校行ってないのかな…と
勝手に想像。

今日の夕方ひさーしぶりにお店に行ったら
いつものようにグリーンピース作業をしている彼に
お客さんが話しかけている。

タミル語じゃない…ヒンディ語?

このお店にはうちの大学の先生もよく来るので
ヒンディ語圏から来ている先生だったのかも。

でもオトコノコもぽつぽつ答えている。

何を言っているかわからないけれど
ビハール州」
と聞こえました。

び、ビハール。。。


(Aがうち、Bがビハール。ちょっとズームアウトしないとわかりづらい)


今日たまたま英語を話さない野菜やのおばちゃんの横に
娘なのか若いオンナノコがいたので

あのオトコノコ、ビハールから来たの?」
と聞くと

「わからない、記憶がないから」
とのことでした。


確かに彼の顔立ちはタミルの人ではないとは思ったけれど
そんな遠くから、障がいのある子が何でこんなところに。

以前に読んだ新聞の記事でも

やはり知的障がいのあるオトコノコが長距離電車に乗ってしまい
遠いところにたどり着いて
障がいを持った人たちの施設で保護されていたのですが
数ヶ月だか数年後
たまたま同じ地方から来た人がそのオトコノコに会う機会があり
それもたまったまお互いに方言で話せることがわかったので
その人が親御さんを探し出し
無事にオトコノコが家に帰る

という感動的な話があったのですが。

大学の野菜やさんにこんなオトコノコがいるなんて
ありきたりの話なのだろうかと思いました。


…ってことがあったんだよ!かわいそうだよねぇ!

とカレーを持ってマニプーリルームに行ったところ

警察に連絡すれば捜査してくれるかも
と言われたのですが

今朝の新聞に
いかに警察が役立たずか
という一面丸々使った記事が出てたので

「う~ん、それはどうかなぁ」
と、思いました。


彼女たちにカレーをおすそわけして
自分は部屋に帰ってきたのですが
さっそくご飯にかけて食べたところ

おいしいんだけど、辛くない。。。

中辛ってこんなもんだっけと
しみじみ思いました。

世界一辛いとかいう唐辛子を食べる彼女たちなので
辛くなさすぎておいしいと思わないかも
と申し訳なく思っていたら

Facebookで
日本食おいしかったよ
と言ってもらえました。

厳密には日本食ではないのですが、
まぁ、いっか。





2013年3月23日土曜日

Uncountable Unforgettables II (2) 夜通し

こんばんワニ。


昨日の続きです。


と、いうことで神様が無事お寺におさまりました。


このあとまた神様にいろいろなお供えものを持っていくわけですね。。。


わいわい

きちんと聞くの忘れましたが、女性たちが何か食べものを持ってきて
集めているところです。

神様にというわけではなくって、
神様の像を作ってくれた別の村の人に感謝してもしくは
神様をこっちの村に持ってきてお腹ペコペコの男性陣が食べる
というようなものだったようですが
今はこれを食べる人はいないそうです。

でも伝統守って一応みんな作るわけ。

風呂敷みたいなのにざっくり包んでどこかに持っていかれたけれど
Cいわく「犬が食べちゃうんじゃない」とのこと。。。


ランプ

神様に供えるランプ。

ふだんはお水を入れるポットですが
頭なんかにのっけて大変そう。。。

写真ではわからないと思うけれど
このポットの上にギー(バター)などで作ったペーストが乗せてあり
これにアルコールランプの「芯」のようなものを差し込んで
火をつけています。


順番待ち

これまたお寺の周りをぐるりと回ってからお寺へ。

待ってる間に
ランプの飾りに火がうつっちゃって
あわてて火を消している女性もいました。

デコレーションは各家庭それぞれと言ったところでしょうか。


主役

前にこのコミュニティのお祭りをやったのは20数年前ということなので
この中には生まれて初めてこのお祭りに参加という人も多いでしょう。

真ん中のたいこ、これが不思議な音を出す楽器です。

いっぺんたたいてみたいわぁ。 


ひとりで

ピアス事件のその後。

せっかく神様に買ったピアスをつけてもらえなかったということで
Cはがっかり、Cの甥っ子Jはプンプン、
Jの奥さんPも放心状態。

メイクアップのあとCはまたピアスをしてよとお願いに行ったのだけど
取り入ってもらえず。

腹を立てたJはもうこのお祭りに参加するのはやめろと言って
Pがランプを持っていくのにも反対しました。

ランプの集まりにCたちが参加していなかったのに気がついたのか
Cのおうちでみんながガッカリしているのを聞きつけたのか
祭司(たぶん)のおじさんがCのおうちにやってきたのです。

どうしたんだと優しく聞く祭司に
Cは涙ながらに「つけてもらえなかったのが悲しくって」と訴える。

そこで祭司はCのおうちのピアスを神様につけてもらうからと約束しました。

と、言うことで次のイベントが始まっちゃう前に
あわててPがランプを持っていくところ。

ぐるりとお寺を回ってランプを奉納しました。

中では祭司のアシスタントくんたちが指令を受けて
ピアスをつけている真っ最中

かと思ったら

ピアスのうしろの金具(落ちないように留めるやつね)を
落っことしやがった!

女神様はお花やサリーやらで何重にも飾られているので
ちっこい金具を探すのは一苦労ふた苦労。

しかもお寺の奥、オイルランプのみで照らされているところにいらっしゃるので
暗くて見つからなーい。

見かねた祭司が携帯電話を取り出して
電話の明かりで探す始末。。。笑

まぁ四苦八苦してどうにか金具も発見。

ピアスをしてもらった女神様は
メイクアップが本当に完成したって感じで
私もうれしかったです。


トランス

続いてのイベントは例の鉢植え奉納。

Veelinayakenpattiのはちと小さめかな。

Cのコミュニティの女性たちはおそろいのサリーを用意していました。

列をはみ出して奇声をあげつつ水色のお姉ちゃんに支えられているのは
トランス状態の女性。

勤めていた団体スタディツアーでもお世話になったお母さん。

お祭り時にはトランス状態の人、多いんですよね。
特に女性。

最初観たときはビックリしたけれど。

みんなフツーに対応しています。笑


ぐるぐる

鉢植え奉納のあと。

女性たちが輪になって、ぐるぐると回りつつ拍子をとって
真ん中の女性が歌っている。

意味を聞くのを忘れた。

男性のダンスと違うけれど
これもなんだか農村ちっくな、素朴な盆踊りのようでした。



ありゃ

夜が明けちまった! 


高見の見物

ということで2日目。

案の定ヤギさんたちのいけにえがあるということだったので
Nilakottaiのオフィスに非難しました。。。

やっぱりまだちょっと見る勇気がないです。


ふたつも!

午後オフィスから村に戻ってきました。


2日目のハイライトはファイヤーポット

4か5家庭がポットを準備したようです。



やんややんや

ポットを奉納したらまたダンス。


あれ?

ポット放置してあんじゃん!



VIP

2010年にここでボランティアをしていたスウェーデンのK。

今年はその彼氏くんがここで研究をしつつ
ボランティアをやっているようです。

なんでかわからないけど彼だけ特別対応。
(ブーブー)


と、私の参加はここまで。

全然論文の作業がすすまないのと
極度の疲労で
もうアカンと思ったので
寮に帰ることにしたのです。

最近はいつもこれという20時15分のバスに乗り大学へ。

いつも夜到着のときはひとつ手前のChinnalapattiで降りて
オートにのり大学に帰ります
(大学の前にオートがいないことがあるから)。

だからChinnalapattiまでって車掌さんに言うんだけど。

最近はなぜかこの周辺の人たちに
私がGandhigramの学生だということが知られていて
Gandhigramまで行くと思われている始末。

ウトウトしていたらChinnalapattiを過ぎちゃって
Gandhigramで起こされる。

「Chinnalapattiまでって言ったじゃん!」
と言うと
「あ、そう」
で済まされる。。。

バスを降りるとまーーーーーーーーーーーーーっくら。
オートもいない。

暗い中を寮まで歩いて帰ったら寮母が
「今日このあたりずーっと停電なのよ。電線の問題なのよね」
とのこと。。。

せっかく帰ってきたのに論文の作業できない!

と思ったら22時半に復旧しました。


今日も朝からコツコツやってますよー

いつ終わるかなぁ

2013年3月22日金曜日

Uncountable Unforgettables II (1) 二つの村祭り

こんばんワニ。


…というような理由で大学が閉鎖中の私。大学の外は危ないので(?これがよくわからん)寮にこもっていなさいと言われたのですがVeelinayakenpattiに行ってきました。

というのも村のお祭りがあると言われたので。

最初は私が脱肉笑したきっかけとなった例のお祭りと内容は似ているということで行くのをためらったのですが、20年以上やってないお祭りなのよと言われ、授業がないから夜中の催し物も見られるなと思い、「論文の作業がうんぬん」と大ウソをついて許可をもらい昨日夕方出発。

キラキラ


…つ、疲れた。。。

3日間のお祭りを全部みようかと思っていたけれど、1日でこんなの疲れちゃったら論文の作業どころじゃないですよ。←本当に今週終わらせようと思ってます

ということで1日観て満足したことにして帰ってきてしまいました。

さて。

Veelinayakenpattiには大きく分けて3つのコミュニティ(カースト区分)が住んでいます。ひとつは私がお世話になっているお父さんのカーストで、260世帯くらいあるそうです。もうひとつは(たぶん)Nayakarとよばれるテルグ語を話すコミュニティ、農業を生業をする人たちが60世帯くらい(人によって30とか言ってるので本当にいくつあるのか不明)。あと、Scheduled Caste (SC)という、ハリジャンの人たちがコロニーという村のはじっこに住んでいます。

NGOスタッフCはテルグ語コミュニティだけれどこのどこにも属さず、4つ目のカースト(大工が生業って言ったかな)で数件のみ(たぶん)でこの村ではマイノリティ。

んで。

一応村のエリアごとにコミュニティが分かれていてこの通りはこのコミュニティ、あっちは別の、となっています。だからコミュニティ内で仲がいい。でもそうすると別のコミュニティといざこざが起きる。

てなわけで、この最初のふたつのコミュニティはあんまり仲がよろしくなく、一緒にやればいいのにわざわざ似たようなお祭りを別々にやる(しかも2週間か10日しか間をあけない)、というのが今年決まったそうです。

このいざこざが原因なのかわかりませんがNayakarの人たちは過去20数年以上自分たちのお祭りをやっていなかったということで、彼らの意気込みは十二分。

対するお父さんのカーストも、あとでやる強みか人数の差の優越感か、自分たちのお祭りの方がもっと盛大になると言っている。

それでもって、別々にやるのはおいといてお互いのお祭りには参加すりゃいいのに、変なプライドで「あっちのお祭りには行かない」と言う始末。

ちなみにCの家はどっちのグループにも属さないので「私関係ないし」と言えなくもないのだけど、マイノリティゆえ「どちらのコミュニティにも頼って生活してきたから」と、お祭りの費用をどちらにも出しているそうです。大変だー。でも折半の仕方もコミュニティごとに違うからそれもめんどくさかったみたいです。

まぁ、そんな背景があるお祭りだったわけですよ。

では写真メインでご紹介しますの前編。


Cのうちの前にも

メインイベントは木曜0時(深夜)と言われていましたが、水曜の夜からドンちゃん騒ぎは開始。


わいわい

このお寺だってみんなで力を合わせて作ったのに。 お祭りは別々なんてね。


どぅううん

おそろの黄色いTシャツを着て(ない人もいるけど)踊り続ける男声陣。

音楽というか節とりに使っているのが見た目シンプルな太鼓のようなものなのだけど、孫の手のようなものでさするとどぅううんという独特な音がします。インドの他の地域のお祭りでこれ使ってるかわからないけど、これを聞くとあぁお祭りだぁと思うし、ワクワクする。

あとで女装した人も加わりました。この人の役割を聞くの忘れたけどお祭りには欠かせない存在らしい。

Tシャツはきちんとひとりひとり名前がタミル語でプリントしてあって、村の名前もばっちり入ってて、いいなーほしいなーと思いました。頼んだら作ってくれるかなー


おみこしだよね

ひと通り踊ったあと神様を迎えに行く準備。ちと離れた村にこれまた別のコミュニティで像などを作る人たちがいて、土(陶器?)で作った像をお迎えにいきます。

これを最終日に水の中に沈めます。こういうお祭りはでっかい都市でもよくやってます。なんで沈めるんだろ。


わいわい

神様を迎えに行くのはメンズの仕事。 女性陣は…寝て待つ笑

これ22時半くらい。


うまそう
おいしそうなデコレーション。


到着

神様が来るのは0時くらいだからそれまで寝てていいよと言われ横になるも、爆音音楽で眠れるわけもなし。それでもウトウトしていたらなんかザワザワしているのであわてて飛び出すとお迎え部隊が帰ってきている。

神様到着は1時近くでした。花火でお出迎え。


わいわい

神様

布がかぶさってるのが神様です。何の神様か聞いたけど名前忘れちゃった。女神様です。


ところどころ電球が切れてる

メイクアップ控え室

お越しになった神様を、Nayakarの通りにある小さなお寺へお連れしてメイクアップ。みんなが奉納するアクセサリーやお花で飾ります。これがやたら時間かかってました。

20年分のお化粧だもんね~とジョークを飛ばす。

このあとプチ事件が。お祭りへの寄付(寄進っていうの?)としてCのおうちも神様のピアスを購入して準備していたのですが、当日持っていったら「小さいからダメ」と言われたそう。自分たちが心をこめてお祭りのために準備しているものを使ってもらえないというのは彼女たちにとってはとても心が痛むことなのだそうです。そんなわけでCの家族は超ガッカリ。この話には続きがあります…


メイクアップ完了


お化粧完了の神様をメインのお寺にお連れします。写真を近くで撮っていいかわからないので遠巻きに。


ぐるり

お寺の周りをぐるりと一周して、正面からお寺の中へ。


いざ中へ~

後ろ向きに入っていきました。

これもう3時すぎ。


でこのあとも怒涛の勢いでいろいろあったのですが、それは次回書きますね~




2013年3月19日火曜日

エンジンをかけられた Student Protest (2)

こんばんワニ。



大学

閉鎖



まぁ、今回はそれなりの理由があるとは思うのだけど。

このブログでも書いてます
インドのお隣スリランカ北部には
私の住むタミルナドゥのタミル人が住み
人口的には多数のシンハラ人とモメて戦争をしていました。

戦争中は両サイド共に殺戮を行い
どっちだけが悪いということはないのですが
国際社会的にはスリランカ軍(シンハラ側)の
女性子ども避難民関係なく殺したというのが
いわゆるジェノサイドだと言っている人もいて

戦争は一応落ち着いたにしても
戦時中の軍の行動、責任者を追及しない現政府など
非難がますます高まっています。

戦争中にタミル側のリーダー的存在の人(Prabakaran)の子ども(Balanchandran)が
捕虜のようにスリランカ軍に捕らえられていたのですが
その子どもを無残に殺した
その殺害直前直後の写真が公になり
タミルナドゥ各地で大規模なデモが起こりました。

2週間くらい前から学生もハンガーストライクを行っていて
先週はバタバタと病院に運ばれる人もいたので
「そのうち収まるだろう」
と私は勝手に思っていたのですが
学生デモは収まるどころか広がっていて
大学を閉鎖せざるを得ないところが増えてきたので
今日州政府が「無期限」閉鎖を決めたわけです。

ちなみにうちの大学でデモはやってないんですけどね。

ある教授いわく
「うちだけ開けているというわけにはいかないだろう」

…なんなんだよそれ。

実は昨日ニュースで
内戦当時の悲惨な殺害に関するクリップが流されたとかで
タミル人の血が煮えたぎっている
というのが今日の状況だったようです。

いつもぽけーっとしている
MBA Coordinatorでさえ
「あんなの絶対に許せない」
と声を荒げて言っていたくらいなので。

私はテレビ観ないから知らなかったけど。。。

たまたまUN Human Rights Council(国連人権理事会)が
スリランカの戦争中の責任を追及するための決議を
通すだの協議だのしている真っ最中で

なのにインド中央政府は「スリランカの国内のことだし」
と「お隣の国に対して強く言えない立場」を表明し
それがタミルの人たちの感情をますますかきたてているのは確かなのです。

気持ちはわかるんですよ。

でも私がわからないのは何で今さらということ。

スリランカの内戦は80年代からずぅっとあったし
私はあの写真集をたまたま見つけたけれど
こんなに同胞タミル人のことを思っているインドタミル人が
今まで戦争や殺戮のことを知らなかったわけがない。

スリランカタミル人の難民はインドにもたくさんいるし。

なのになんで今になって。
というかなんで今まで何も言ってこなかったのよという方が正しいかも。

こういうことがタミルの人に起こっていた
こんなことをお隣の国がしていた
というのを学ぶのに遅いということはないんですが
今までただ無知だったのか
Balanchandranの写真がそこまで衝撃的だったのか
「今」な理由がわからない。


● ● ●


まぁそんなわけで今週いっぱいはとりあえず閉鎖のようです。

前回とちがって外出はダメと言われているので
もうこれは論文今週終わらせるしかないな
エンジンがボコボコかかったような

そんな気がしていたのに。

停電でまだ寮のここだけ電気なし。。。


エンスト


手下の話いわく寮の電気回路(3本くらいあるらしい)のうち
私側の線だけ木にひっかかってんだって。

はぁ~。。。






2013年3月17日日曜日

We Feel So Powerless/ I Romance Looking

こんばんワニ。


今朝の朝刊。

日曜は読み物がいくつかついてくるのだけど、バサっと開いたらこんな写真が。

かっこいい。

Kollywoodの俳優Aryaです。

彼の映画をはじめて観たのはMaduraiのがらんとした映画館。

Boss Engira Bhaskaranという映画で、テレビのCMでよく流れていた音楽が耳から離れなかったのでそれだけのために観にいったようなものでした。

内容はシンプルだったけど話はそれほどおもしろくなかったので(ダメ男が塾をはじめてちょっと成功するみたいな話)、病み上がりなこともあり半分くらい寝ていました。

んでも、かっこいいなぁと思った。というか、ダンスがよかったのね、きっと。

そのあとイギリス統治下のChennaiを描いたMadrasapattinamやラブコメディChikku Bukkuを観る。

前者はイギリス人の女性と恋におちるというものでなんかだらだらとした恋愛ものだったけど、情景がきれいな映画だったのでよし。

後者では主役と彼の若いころという2役をこなしていて、軽めの現代男性とちょい昔の男性と演じ分けていて、悪くなかった。


こういう毛の濃そうな感じの人は(文字通り)毛嫌いしてしまう場合が多いのだけど、彼の場合目の色がちょっと薄いのでそれでバランスとれてるっていうか、ちと他のKollywood俳優とは違う顔立ちなので(もともとケララ出身なので当たり前かも)顔は好き。


でもそのあとに観た映画がVaruduというテルグ映画Urumiというマラヤラム映画で、どちらも目力の強い変人の役だったのでその後なんとなくAryaの映画は避けていました。

役は選びましょうよ。俳優なんだし。。。

と思ったけど、今日この写真見たらやっぱかっこよくね?と思ったわけです。

今度やるのはBollywoodのブラックコメディDelhi Bellyだそうです。

Delhi Bellyっていうのはデリーっていうかインドに来る人が滞在中いっぺんは悩まされるであろうゲリのことで、デリーとベリー(お腹)をかけているわけですね。

んでこのDelhi Bellyというのは3人のルームメイトがギャングのごたごたに巻き込まれてしまうという話で、もちろんヒンディ語の作品。

それをそのままヒンディ語からタミル語にして舞台をChennaiにする、というよくあるヒンディ→タミルリメイクでは舞台設定がなんかおかしくなるので、ムンバイのタミル語新聞社で働いている3人とかって設定になっているそうです。それもなんか無茶だけど。


● ● ●

結局、ヴィサは延期すんの?

という質問の答えがまだ出ないのですが、遅れている授業時間を取り戻すため明日から午後も授業が行われるようです。

1月に入ってから午後は論文書きの時間に当てられていて、それはそれで感謝していたのだけど、明日からは授業の復習やってたら先学期までと同じスケジュールなので論文書きが夜になっちゃう。困ったなぁって感じ。

それにプラスしてまた停電時間が長くなってきたんです。

夏に向かって電気消費量が増えるので停電時間延長は予想していることなのだけど、やっかいなのが時間がばらばらってこと。毎日同じ時間ならプランが立てられるのに。

しかも、なんでか知らないけどここ数日寮の半分だけ電気が来ないという時間がものすごく長くて。今は私のところが停電してるけど、昨日の夜は1階が半分くらい停電してたし。

超メイワクなんですけど。

We feel so powerless!

と叫んだら笑われました。冗談じゃないんだけど。。。



● ● ●


最近クラスでよくKと話すことが多いのですが、彼女のInglishのクリエイティビティったらありません。いくつかご紹介します。




Don't problem!

(= No problem)



I'm come!

(= I'm coming)



Sir's come!

(=Sir is coming!)

(Sir has comeではないと思われる。)



I romance looking!

(ロマンチックな目線で私を見ていると言いたかったらしい)



その他、間違ってはいないのですが


How to copy?

(= How can I copy this?)



Miwa, sing a song!



など、唐突に言い出すこともあり笑いの連続です。



まぁ、2年近くたってタミル語全然習得していない私がとやかく言うことではないけれど。



2013年3月14日木曜日

A bit early 延長戦

こんばんワニ。



Multipurpose Auditoriumの入り口が

いつも何かイベントが行われるAuditorium。
年末はヨガで通ってましたが。

今日はMくんとRさんの結婚式ですよーというアーチが。

左につっ立っているのは扇風機です。
入り口に立てて風と湿気を送るもの。

先日招待状をもらったときに
「8時か8時半くらいに来てね」と言われたので
8時過ぎに行ったら



すでに終了?

だ、だれもいない。

もう終わっちゃったのかと思ったら
お寺で式をしてこれからここ(披露宴会場)に来るとのこと。
(たまたま居合わせた知り合いが、ケータリングのおっちゃんに聞いてくれた)

そこでがら~んとした会場で待つことに。


主役登場

10分ほどしてがやがやと新婚のふたりが登場。

男性のMさんがうちの大学のゲストハウスで働いているので
以前からお世話になっています。

そんな彼も結婚です。


このあと、なんだかガキやおばちゃんなどに囲まれ

名前はなんていうの
お父さんの名前はなんていうの
どこから来たの
なんでご飯食べないの

といつものように質面攻めにあったので
もうかなわんと思って退散。

新郎に自分が来たことだけは伝わったと思うので
よしとしよう。


さて。

今週またイライラが。

新しく買ったサンダルの靴ずれが治らず、
それをかばって歩いていたせいか水ぶくれもできて
ものすごく痛い左足。
乾かない傷。グロい。

ウィルスに感染してかわいそうなことになっている私のラップトップ。
フォーマットしたいけど卒論の作業にひびくと困る。。。

そして。

なんと学生ビサが切れる前にここを出られない可能性が浮上

大学の予定によると4月末に期末テスト
でMBAの予定によると5月いっぱいインターンシップ
私のビサ期限が6月13日
→出国。

という予定だったのに

1月に学生座り込みが入り
授業が全く進んでいない。

しかもUGC(University Grants Commission、大学認定委員会)の決まりで
90日間授業やんないと期末テストできないよ
というのが月曜になってはじめて判明。

しかもこれMBA Coordinatorは知らなかったらしく
うちの学科のオトコノコがテスト担当オフィスに聞いてはじめてわかったこと。

なんでそんな基本的なことが知らされてないんだ。。。

ということで、今の計算でいくと
全部1ヶ月後回しになるので
5月末に期末テスト
6月いっぱいインターンシップ
私のビサ期限が6月13日
不法滞在


…コラ!

ではすまされません。

ということで、ビサ延長しなくちゃいけないかも。。。

めんどくさいなー。。。

延長なんて言ったら賄賂をせびられるかも~





2013年3月12日火曜日

2 years and still counting (2)

Continued from here


So...I was not able to attend the prayer this year.

I was kind of expecting that Facebook would be a full of posts about 2 years ago, but things were more 'as usual' than I thought. More pictures of babies of my ex classmates, more shared posts of George Takei, more posts by our Ministry of Foreign Affairs - all of which do not talk about the earthquake. I know this is a good thing. Facebook is full of fun. But then again, I feel a bit guilty for enjoying it.

It is not that everyone is forgetting about it. It is not that everyone is 'done' with the past. And I should embrace the fact that we are finding things that make us happy everyday despite that we had a horrible, horrible disaster which took away lives of so many.

But then again, I feel guilty.

It is partially because I am away. It may be because I have not done much for the people suffering. 

So...on this day (though it is not technically March 11th now) I once again swear to myself: I will keep searching for ways to help out.

I hope this feeling of 'guilt' keeps me going. Going in a sense that I will do whatever I can, to make up these 2 years of being away from my people, those days which I could have spent for my people.










2013年3月11日月曜日

2 years and still counting

We 'fixed' Kanna

"Romba dull..."

The usual irritating expression to describe me being a bit down. The usual day with classes. The usual blackout hours.

But today is not the usual day. It is March 11th.

And yet, frankly, I do not think my classmates even remember what happened 2 years ago.

Well, I cannot blame them. I do not recall when an earthquake hit Darjeeling/northeast a while ago. Nor can I remember the exact date  for the Mumbai attacks. Sorry, but it's true.

And for me, too, the painful memory of the disaster is slowly becoming the-memory. 

I always thought "not a single day passes without thinking about that day." To be honest, not anymore. I do, of course, think about it a lot. I do. But lately I have been having days when I am free from the fear, the devastating fear, that we experienced that day. And those happier days are increasing in number.

It is a shame, I think. How can I ever live without thinking about those people who are still suffering, away from their home, living in temp houses, missing their family, searching for their loved ones....??? I should never live without it. But it does feel nice to be away from these thoughts and be a happy person.

Speaking of a happy person:

I was not a happy person for many years. I mean, I had not been. I was dragging some pain since 2004 because of something which happened in March. Every March, I was sorta in a small depression, thinking about it over and over. I used to tell my friends how difficult it was to get over it. I was so convinced I would not overcome it that (I think) I even told myself to be in a state of being super sad during the entire month.

Then March 11th 2011 came. My life changed. Our life changed. All of us.

At the beginning of March 2011 I was expecting my sadness would hit me soon, as I had been doing for the past few years. Then the earthquake. I did not even bother about my past anymore. Gone.


Personally, I am a bit grateful in a sense that my 2004 is no longer a 'big deal.' It is a tiny tiny issue compared with the loss we had as a country.


But this does not mean it is better that way. Being sad about myself is just replaced by being sad about other people. Does it make it any better? No. It is worse. It is not just about me anymore. It is about us, our country, and our land.


Last year I put on an Internet radio to offer a prayer at the time when we had the quake a year earlier. This year I was stuck in my classroom, listening to my teacher talking about how one SHG became a failure case. It felt wrong.

This is what I am afraid of: not being able to have at least once a year at the right time when I do think about that day, and offer a prayer for those who have lost their lives and who are still suffering. Not being able to do it, and slowly forgetting the past.

To be continued...