ラベル St. Joseph's Hospice の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル St. Joseph's Hospice の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年4月1日月曜日

Dialysis 娘の涙

こんばんワニ。


私が論文に打ち込んでいたようないなかったような先週末、VeelynayakenpattiAppa(お父さん)の具合がものすごく悪くなっていたとのことで、お見舞いに行ってきました。


つかカレー作ってる場合じゃないじゃん自分。と思った。


この間のお祭りのあと、お父さんの具合がすっごく悪くなって、Maduraiの病院に連れて行ったけれど、「もうどうにもできない」とか「前回の治療のときに食生活を改善しなさいとあれだけ言ったのに守らなかったからもう私たちには手におえない」とか言われて、何件か病院をたらいまわしにされていたそうなのです。

最後に行ったMeenakshi Mission Hospitalでは前金が払えないとどうも…とやはり断られそうになったのですが、家族が泣いて病院を回りお願いしますといろいろな人に頼んだところ、ある医師(女性だと思う)が娘に向かって「私の娘みたい。どうか泣くのをやめて。私が治療をはじめるよう許可のサインを出します。」とようやく治療をしてもらえることになったそう。

けれどお父さんの容態はとても深刻なレベルに達していたそうで、「手は尽くすけれど約束は何もできない、あとは神様に祈りなさい」と言われてしまい、家族は本当に、心から祈るしかなかったんだって。

それで、治療はするにしてもこの前金を払わなくてはいけないということだったので、それを工面するために付き添っていたお母さん、息子と娘(お姉ちゃんじゃなくて妹の方)のうち、お母さんと息子が村に帰る。

こういう話ってもちろん日本でもあると思うのですが、そんなにたくさんというわけではない額のために人の命が左右されるというのは本当に心が痛むというか、世の中って不公平だなぁっていうか、なんともやりきれない気持ちになります。(ますますカレー作って喜んでいた自分が憎たらしい)

お母さんと息子は村に帰って、親戚や近所の人に聞いて回ったけれど、みんな手持ちがないだとか、もうお父さんのことはあきらめろだとか言って、必要なお金を集めることができなかったんだって。

例のお祭りに来ていたスウェーデンの彼がそのときまた村に来ていたんです。家族はあえて彼にお願いすることはしなかったんだよね。だけど、泣いている家族を彼は見たから「どうしたの」と妹に電話。「僕は君のカレシでも、君は僕のカノジョでもない。ただ僕たちは友だちでしょう。僕は友だちとして聞いてるんだよ」と言ったんだって。そこで妹も泣きながら事情を説明したところ、夜遅かったのに泊まっているところに置いてある現金6,000ルピーを取りにいき、家族に手渡したのだそうです。

彼には私も心から感謝です。(ここ重要:家族はきちんと数日後にお金彼に返しました)


そこで治療も無事すすみ、今日私が訪れたときにはお父さんが3回目のトウセキを受けていました。


話がちと前後しますが、今日病院に行く前にお父さんに一体全体何が起こっているのかきちんと勉強したくて、いわゆる「糖尿病(生活習慣病)」ではないのだけど糖尿病として治療を受けているSさんにいろいろ質問をさせてもらいました。

つまるところSさんはトウセキをするなんてもう手遅れといった感じだったのですが。

恥ずかしい話、私透析って何のことかよくわからなかったんです。お父さんがどんな治療をしているか聞いたときにDialysis(透析)って言われて何のことか知らなかったのでナニソレって言ったら「血をきれいにして戻すのよ」って答えが返ってきて…そのままSさんに伝えたんだよね。

知らないで一生過ごせたらいい単語だろうけれど、一般常識だよね…あぁ、恥ずかしい。バカ!バカ!自分!

という自分のバカっぷりはどうでもいいのだけど、Sさんの話を聞く限りではもうお父さん助からないんじゃないかなって思うくらいで。

けれど、数日前に「お見舞いに行っていい?」と聞こうと電話したらお父さんの容態はなんとか安定したということだったんです。この透析と、インシュリン含めた他たくさんの薬でね…。


容態がよろしくないようであれば行っても邪魔になるだけだけど、お父さんに意識があるならちょっとでも会いたいなぁと思って、今日行ってきました。

ていうか昨日のうちにVeelinayakenpattiインして、今朝一緒に家族と行ったんだけど。

お父さんのことがちと安定したせいか家族はいつものテンション。まぁ、疲れているなって感じはしたけれど。

実はスウェーデンの彼が昨日ここを発つことになってたんです。お父さんのために彼がしてくれたことを今日まで知らなかった私はお礼も言わずに「じゃーねー!」とフツーにバスに乗せてしまったけれど(ますますバカ!)。彼は今日の便でスウェーデンに帰ったようです。いいヤツだった。また来てください。

(彼のガールフレンドKの誕生日今日ですけど、よかったんですかーーー!?←余計なお世話。)

NilakottaiのNGOにはスウェーデンからよくボランティアが来て数ヶ月滞在しています。だけど短期間なのに村の人と交流を深めて、見送りに来てもらえる男性ってあまり多くない気がするんだよね(女性はけっこうグイグイ交流したりしてるけど)。だからこの人はいい人なんだと、インド村人目線で私は評価しています。

もしKと彼が結婚するなら、Veelinayakenpattiでインド式のセレモニーをしたらいいよ!とまたおせっかいなことを言ってしまいました笑


で、彼がバスに乗ってChennaiに向かうその乗車地点が、お姉ちゃんの現在住んでいるダンナさんの村に近かったんです。彼の見送りだけだったら正直行かなかったと思うけど、お姉ちゃんが来るっていうんで私も同行。

もしかしたらちょっとは大変な思いをしてるのかと思ったけど、ひさしぶりに会ったお姉ちゃんは既婚女性らしくサリーをびしっと着て、ホントうれしそうだったんです。

お相手の彼も顔を見たら「あぁ、この人ね!やっぱり私銀行で何度も見てるわ!」って思い出しました。ちょっとやっぱり引け目を感じている成果、あまり家族と話さなかったけど。。。

あぁよかった。お姉ちゃんが幸せなら、私もうれしい。



話戻りますが。

お父さんの透析がまだ進行中だったので、妹と待合室で座って話をしました。

この病院は面会時間がとくに決まっていないかわりに、付き添いの人の寝る場所確保してあるなんてことはないので(個室でない限り病院って日本でもそうかな?)、みんなそのへんにゴロゴロ転がっています。そこいらで葉っぱ広げてご飯を食べているのもざらです。

そんな中天井ファンに近い席を見つけて座っていると、なにやら病院内ツアー?のような人たちがぞろぞろ。女性はみんなおそろいのサリー。髪にはジャスミンの花が。

「花はつけちゃいけないのに」と妹。

何でもこちらの病院ではおそらく衛生の関係で花は持ち込んではいけないことになっているそうです。そういえばよく花を髪につけているお母さんも妹も今日はつけてない。

「日本ではお見舞いに花を贈るんだよ!」

「インドではフルーツが多いかな」

「日本もフルーツを贈ることもあるよ。高いフルーツね。でもお父さんは糖分が気になるからフルーツはやめた方がいいよね」

「でもお医者さんはパイナップルとパパイヤとグアヴァはいいって言ったよ。でもザクロを食べると血糖値がものすごく上がるの…」

というまたよくわからないインド医学の話になりました。

とか言ってたらまた例のおのぼりさんツアー軍団がぞろぞろ。ふふと二人で笑う。

だけどここは病院。

透析専用の病棟の集中治療室にいた男性の娘と思われる人が、もうどうにもできない状態であると医師に伝えられ、それを電話口で誰かに話しています。

それを見ていた妹が涙ぐんでいます。どうしたのと聞くと

「この間ここに来たとき泣いてたのは私たちだったから…」

この女性につきそっていたのは小さな男の子、それに男性の奥さんと見られる年配の女性でした。

「家族があれだけしか来ないなんて」

とも妹は言っていました。

それぞれ家族に事情があるでしょうから、この家族に対してあれこれ私が推測をめぐらすのはよくないけれど、病棟を見回すと、やはりたくさんの人に囲まれている患者と、付き添いひとりきりの人、両親さえきてくれないような幼い男の子、ひとりでずぅっとせきこんでいるおじいさんなど、いろいろ考えてしまうような人ばかりでした。


でも、それでも、誰かお見舞いに来てくれる人がいるわけで。

ホスピスとは違うよね…と思ったのも。


帰りいろんなことを考えながら帰ってきたら、Easter Sundayのお勤めを出てきたばかりのハッピーな東北部の学生たちと遭遇。

その中のマニプールの男の子と修士論文の話をしていたら、期末テストが終わったあとにホスピスに行ってみたいと話をされて。

「えぇ!経営してる人知ってるよ!一緒に行って何かお手伝いする?」

と、とんとん拍子に話がすすんだので、今度いっぺん一緒に行ってみることにしました。

何かしたいとあのとき思ったけど、ひとりではちょっと行きづらいところにあるので、誰か一緒なら安心!

よし、行くぞ。




2013年2月15日金曜日

Love Your Tata and Patti 私はサトウキビ

こんばんワニ。


もう日が変わりますが
今日はヴァレンタインデーでした。


赤いバラ!Ootyにて

今年のVDはなんだか不思議な一日でした。


実は今日、外国人というだけの理由で
セミナーでスピーチをすることになり
それでタミルナドゥでもみなーみの方、Palayamkottaiに行ってきました。

Payalamkottaiには
ミッション系の大学や病院が多く
南インドのオックスフォードといわれている笑
不思議な場所です。

ここにあるSt. Xavier's Collegeという大学で
Gerontologyをテーマにセミナーが行われ
それにゲストとして招待されたのです。。。

Gerontologyというのは私も聞いたことがなかったのですが
医療だけではなく社会的な諸問題等ひっくるめて
お年寄りのことを考えていこうという学問のことらしいです。

日本は高齢社会だから
政府もしっかりお年寄りの面倒見てるんでしょ
というのが企画者たちのイメージだったらしく
「日本でお年寄りが元気に気持ちよく生活できるように
政府が何をしているのか話をしてほしい」
と言われたんですね。

んでなんで私にそんな白羽の矢が立ったのかと言うと
たぶん、
もともとうちの大学の近くでホスピスを運営している人が
企画者と知り合いで(どちらも神父)
このセミナーに参加することになっていたので
どうせなら同じエリアで外国人がいたら連れてきて
みたいな流れだったのだと思います。。。

ある日突然クラス中に
私が敵扱いしているMBAコーディネーターから呼び出しくらって
なんなんだよと思ったら
「興味があるなら」行ってみないかと言われたので
テストのスケジュールとカブらないなら検討しますと返答したのに
次にコーディネーターに会ったときには
すでに私が行くと先方に言ってしまったあとだったようなのです。

コーディネーターの顔に泥を塗ってやりたかったので(ホント)
断ることもできたけれど
大事なテーマだし、
行ったら「発表しましたよ証書」がもらえるので
まぁ1日くらいいっかーと思って。

よくわかっていない介護や医療制度の仕組みなんかを
厚生労働省のサイトをあちこち見て勉強したりなんかして
やっぱ難しくてよくわかんなかったけど、
それまで何が問題だったのかは
なんとなくわかった。

なので自分にプラスになったのでよしとする。


お年寄りの面倒見ますという誓約の手形。。。

というのは実は「あとに起こった前置き」で
このホスピスに行ったことが
もっと自分の糧になったような気がするのです。


イギリスで神父として働いていたTさんが
イギリス人の女性とはじめた施設で
Dindigul地区で活動しているのですが
現在Chennaiにも施設を作っているそうです。

ホスピスというのは皆さんご存知だと思いますが
存命治療をやめて、人生の終わりを少しでも快適に過ごせるようにしてあげる
そういう施設です。

このホスピスはお金がない人たちのための施設。
つまりお金がなくて他の施設に入れない人
家族が面倒を見てくれない人
そんな人たちのための施設なんです。

亡くなるのを待つばかりの人だけ
というわけではなくて
知的障がいがあって路上生活をしていた若い人や
州外から来て働いていたような人
家族に虐待を受けていた人
などバックグラウンドはさまざまです。

インド+ホスピス
と言ったら
思い浮かぶのはマザーテレサのいわゆるマザーハウス
Kalighat, the Home of the Pure Heart: Nirmal Hriday
かもしれないですが
もちろんマザーハウスだけがインドのホスピスというわけではないです。

と、言うことも私はよくわかってなかったと思う。

こんな近くにこんな活動をしている人がいるなんて知らなかったし
ホスピスというのは死にゆく人だけの場所だと思っていたし
どういう人たちが集まってくるのか
どういう人たちがお世話をしているのか
さっぱり知らなかった。


おとといTさんと電話で話したときに
Tさんがホスピスをやっていることと
セミナーの前日(昨日水曜日)にホスピスに泊まって
当日朝早く出ましょうと言われたときは
ほ、ホスピスに泊まるの…?
と正直思ってしまったんですよね。

死を前に苦しんでる人たちの叫びが夜聞こえたりするんだろうか
とか思ってしまって。

昨日行ってみたらAutoで茂みみたいな道をズンズンいくので
やっぱりこんな、隠すみたいなところに作って…
といろいろネガティブなイメージばかりうかんでしまったのです。

でも到着してみたら
そんじょそこらの病院より手入れが届いているきれいな施設で
(もちろん新しいということもあるけれど)
花がたくさん咲いていて
拍子抜け。


けれどTさんに施設を案内してもらったら
なんていうか、それまで考えていたこととか
ホスピスのイメージとか
インドのお年寄りに対する考え方とか
なんか、180度変わっちゃうっていうか。

病気を患っている人、
精神を病んでいる人、
でもみんなTさんが来ると本当にうれしそうにするんですよね。

タミル語を話さない人も
とにかく何でもいいからTさんと話したいみたいで。

私の手をぎゅっとにぎって、離さないおばあちゃん。
ちょっと照れた感じでニコっとするおじいちゃん。
男の子。スタッフ。
夕方日が暮れて室内が暗くなってきたのに
あったかい空気にあふれてる。

その一方で

ハンセン病だと思うのですが
足が(おそらく)腐りかけている人。
頭皮がめくれてしまっている人。

排泄がコントロールできなくなってしまったので
床にたれ流しにするしかない人たちは
みんなと同じ部屋にいると感染症の恐れなどもあるので
壁のない一角に集められていて。

ワナッカム」(タミル語でこんにちは)と
私が手を合わせると
彼らも弱々しく手を合わせてにこりとするのだけど
もしかしたら彼らに次に手を合わせるときは
もう死んでしまっているのかもしれない
考えてしまうのです。


今までも精力的な活動をしているNGOスタッフに会うと
インドのNGOはすごいなぁ
こんなにみんながんばってるのに
インドで苦しんでいる人がたくさんいるのは
やっぱ政府のせいだ
とかしょっちゅう思っていたけれど

今回はなんていうか、感覚が狂うというか
感覚がにぶるというか、
ガツーンっていう衝撃より
今までの自分の価値観がゴミ箱に捨てられたような
そんな気分になりました。

ホスピスで働くのには
強い意志と本当に患者の人を愛する気持ちがないとダメ
とTさんが言っていました。

その通りだと思う。
とても難しい仕事だと思う。

冬は毎日平均ひとり誰かが亡くなる
そういう環境なのだそうです。

それをやってのけているTさん
他たくさんのスタッフ。

心から尊敬する。

自分は看護も介護も知識がないけれど、
お金もないけれど、
ここのおじいちゃんやおばあちゃんに
何かしたいと心から思っています。


このホスピスでは
マザーハウスと同じようにボランティアを受け入れています

宿泊・バスルーム施設がきちんとあり食事にも心配はないです。

医療経験などがある人の方がいろいろなお仕事ができるかもしれませんが
何よりもここに来て現状を見て
何かしたい、何かしよう
と考えることが一番大事だと私は思います。

南インドでこういった施設を見てみたいという方
Tさんにぜひ連絡してみてください。
もちろん私から紹介もできます。


今日のセミナーの企画者が

「今日はヴァレンタインデーですね。
学生の皆さんはウキウキしてるでしょう。
でもヴァレンタインデーや若い人だけのためのものじゃないんですよ
今年はおじいさんやおばあさんを愛する
そんなヴァレンタインデーでもいいじゃないですか

と言っていました。

そうだね。

Tata(おじいちゃん)とPatti(おばあちゃん)を
大事にする、そんな日だっていいじゃない。


 ●  ●  ●  ●  


ちなみに。

私の名前(みわ)

スワヒリ語で「サトウキビ

という意味だそうです。

スワヒリ語を話す人に自己紹介したら
「サトウキビ?ちょうだい!」
と言われるそうです。

なんだそりゃ。