2011年7月15日金曜日

A Long Way to India (7) 3/11 and Aftermath

こんばんワニ



今日寮の友だちに誘われて大学の敷地内で行われた結婚披露宴に行ってきました。

私は誘われてないんだけど、こっちの人はあんまりそういうの気にしないみたい…

以前に友人のものも含めてインド結婚式は何度も経験しているのですが、規模宗教がさまざまだし、何よりも当人が幸せってのが前提なので(もちろんお見合いだとそうじゃない場合も多々笑)何度行ってもあきることはないです。これは大学の中のちっちゃな部屋で行われたヒンドゥー式、かな。

結局誰が誰と知り合いで招待されたのか不明でしたが、どうやらカップルの片側がヒンディ語教授の家らしく、写真の中で右で立ってるおにーちゃんの披露した歌もヒンディ語でした。

このあと、カップルが退席したのをいいことに二人のかけている花輪でイタズラして撮った写真もあるのですが、流出するとまずいのでお蔵入りしておきます笑


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インドに来るまでの過程第7章。

東京で留学資金稼ぎのアルバイトをはじめたのが2011年3月1日。


3月10日、思ったより忙しいアルバイトに疲れて、行こうかどうしようか迷ったけれど、以前に引率したインド・スタディツアーの参加者たちとゴハンを食べて、(あぁ、行ってよかったな)と帰宅。


そして3月11日はやってきました。

そのとき都内にいた私の経験したことなんて、東北にいた方たちの経験と比べたらなんてことはないでしょう。でも、揺れるビルの中で、床がぬけてこのまま私たちは落ちてくんだと思ったし、そのあとに見た、聞いた、感じたことは一生忘れません。

小雨の中、東京駅をめざすスーツの群れ。
東京駅は大混乱。
今日はJRがもう動かない、と聞いて移動を開始する人たち、動けない年配の観光者たち。
つながらない携帯電話。
公衆電話には長蛇の列。
コンビニからものが消えていく。
封鎖されて車が一台もない道。反対方向は大混雑。
ほのあかりの中、疲労しきって見とれた日本橋。
テレビに流れる各地からの恐ろしい映像。右下には日本地図と、真っ赤にそまった沿岸部。

水がない。
電気がない。
ガスがない。
ガソリンがない。
牛乳がない。
米がない。

いきなり住み慣れた家から連れてこられて、閉じ込められた場所で、恐ろしい目に遭ったロコ。
置き去りにされた東北のペットたちや家畜たち。
餓死は「かわいそうだから」と殺処分される動物たち。

もちろんヒトが経験した被害は甚大。でも、私は地震のあとから東北の動物たちのことが気になるようになりました。新聞を読んで悲しくて、自分で何もできないのがくやしくて、泣いたのも初めてです。


日本がこんなことになってるときに、
国際協力をしたいからと留学するのは間違ってるんじゃないだろうか

困っている人、助けを必要としている人のために働くのが夢なら、
今は日本にとどまるべきなんじゃないだろうか

動物たちはヒトが勝手につくった仕組みの中で生かされ、今は殺されている。
こんなことって許せるんだろうか


貯金もなくって、まとまった募金もできなかった私は、アルバイトをやめることもできず、被災者の方のために何もできない、くやしい、と毎日考えて、悩んで、自己嫌悪に陥っていました。


もう全部投げ出して、東北に行こう。そうしよう


そう思った日もあります。

でもできなかった。それは


今の自分にできることはあまりない


とわかっていたからです。緊急支援のノウハウもない。土木の知識もない。体力だってあんまりない。行けばちょっとでも何かできることはあるだろうけど、逆に被災地の負担になってしまう可能性のほうが高いと感じたんです。

新聞で被災地の方が、「経済活動をやめないでほしい。被害のなかった所ではいつも通りの生活をして日本経済を支えてほしい」「いつも通り働くことが大切」とおっしゃっているのを読みました。そのときは、そんなこと言われたって、被災地がこんなことになってるのに、いつも通りってわけにはいかないと思ったけれど、心のどこかでは、こういう言葉を信じて、耳をふさいで、目を閉じて、アルバイトに行っていたのかもしれません。

初めてのアルバイト代からちょっとだけ寄付。罪滅ぼしとしか言いようのない額だけど、


今の生活の中で自分にできることをしよう


と思えるようになりました。


今の自分にできること。大学院に行って、人の役に立てる知識と技能を身につけること。
今の自分の目標。2年たったら、本当に人の役に立つ仕事をすること。そして動物たちのためにも活動しよう。


続きはまた今度。

9. 5月大学院出願奨学金選考通過
10. 6月渡印

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