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2013年8月20日火曜日

出国1ヶ月記念 Missing sambal

こんにちワン。


スカイツリー!

日本に帰国して1ヶ月ではないのですが(ネパールに寄ったから)、インドを出国して1ヶ月が立ちました。

学士留学から帰国したときもたぶん2ヶ月くらい放心状態になっていたのですが、今回も同様にぼけーっと過ごしています。

食生活も変わってなんだかお腹の調子がよろしくない日も多く、なんで日本でお腹壊してるんだと自分に腹が立ちますが。

あと、日本の暑さなんてへっちゃらでしょうと予想していましたが、日本もけっこう暑くて、湿気は怖いと思っています。 でも、そこらへん傘さして歩かなくても平気なのはやっぱり気温がちょっと低いからなのかなぁ。傘さすと逆に空気が通らなくってむぅっとする。

 

東京


1枚目の写真からおわかりのように、東京に行ってスカイツリーに登ってみたり(文字通りおのぼりさん)、ツクバネーゼにまじってカフェでゆっくりしたり、友人とカラオケ行ってサッカー観戦したり(?)、海岸に行ったり、花火を視たり、お祭りに行ったり、お墓参りをしたり、水泳と陸上と野球を視たり、夏を満喫しているような感じです。

え!今まで通年夏だったのに、まだ夏満喫しちゃうの?ってね…


うちから見えた花火

さて、大学院をあとにする直前にいろいろゴタゴタがまたありました。 で、なんとか収まって電車に乗り遅れたけど無事にDindigulから逃げるように出て行ったわけで笑

でも出発直前に学科長と前学科長が「あとのことは気にするな」と言ってたのでよっしゃと思っていさぎよく出てきたのよね。

 しかーし。

E教授はまだあきらめてなかったらしいんだわ。

詳しいことはよくわからないのだけど、なぜかHome Scienceって学科で講師をしている人が「E教授がミワのことでなんだか上に文句を言ったらしい」とマニプーリお姉ちゃんに話があり、それが私に伝わってきました。

なんでも私の「Certificate」にいちゃもんをつけたとか。

それがインターン修了時のcertificateのことなのか、入学時に学科に提出した学士の頃の成績証明書の類のことなのかはわかりません。

んで、これも人づてなので真相は定かではありませんが、学科長がこれに対してE教授自身に対する不満をやっぱり上の人に訴えたとか。

この話は私がまだ父と旅行をしていたときに耳に入ったことです。だから「戻ってこいとか言われたらどうすっぺ」とか微妙に思っていたのですが、本当に大問題になっているのであれば学科から正式に連絡があるだろう、連絡がないってことは私は大丈夫なんだ、と思い込ませてました。

で、結局出国の日までそんな連絡はなかったわけで。

けど一応、気になるじゃないですか。だから先日前学科長に念のためメイルで聞いてみたんです。こうこうこういうことを耳に挟んだんですが、と。

そしたら返答には「E教授は最後の最後のチャンスまで君を陥れようとするだろうね」 だって。

まぁ冗談だとは思うけど、メーワクな話だわぁ。。。汗


話は前後しますが、Dindigulを出てから最終学期の単位は全部取れたらしいことも聞きました。つまり成績はどうであれ受講したクラス(論文も含め)は全て単位が取れた→全課程修了→卒業、なんだろうということです。

最終的な成績や修了証書にあたるものは半年しないと送られてこないらしいのだけど、私のやるべきことは一通り終わったということなんですね。

ふぅ~。。。


と、思うとなんだかお腹が緩くなってきそうですが笑


インドを出て1ヶ月、日本での生活に慣れたかと言ったらまだそうでもないかもしれない。

年末に帰ってきたときくらいのカルチャーショック笑はないかな。父と2週間インドで過ごしたっていうbufferがあるからかもしれないね。

でも、インドではこうだったなといちいち比較してしまう自分がいます。列に並ばないとか、道がガタガタとか、ネガティブなことが多いけれど。人にじろじろ見られなくなったのもけっこう新鮮だったりする笑

そして、こう思ってる自分にビックリだけれど、おせっかいなタミルの人たちが恋しい。 なんかこう、そのへんにいる人たちに話しかけられたりしないっていうのがちょっとさみしいのです笑

論文を書いているときは人間不信の極みで、大学の人どころかタミル人全てに背を向けたいような日もあったけれど。今は正直、また遊びに行きたいなぁと思うのです。

こんな感じ:




決して今すぐではない


まぁそんな感じで、日本に帰ってきてまだゆっくりしています。

日本の皆さん、遊んでください。就職したら忙しくなっちゃうからね(たぶん)。

タミルナドゥの皆さん、そのうち遊びに行きます。サンバル作って待ってて。


ということで、このウェブログもしばらく更新をしないかと思います。

半年たってまた書類のことでいろいろモメるんじゃないかと思うけど苦笑。

あっそういえば、このウェブログを読んだりラジオを聴いてFacebookからご連絡をくださった方がたくさんいらっしゃるんです。でも実はそのメッセージが普通のInboxに入っていないから今まで気がつかなかったんですよ…(迷惑メイルかと思ってた)。今までシカトし続けてごめんなさい。でもあまりにも遅いレスポンスになるので逆に失礼かと思って返信してません苦笑

こりずにまたご連絡くださるとうれしいです。(するわけねーだろってね…)

このウェブログは休止しますが、何かタミルナドゥのこととかご質問があればご連絡くださいね。わかる範囲でお答えしますよー。

ではでは


ப்ம் பார்க்கலாம்!!! 





2013年7月20日土曜日

北インドブッダ追っかけ旅 (14 n 15) Delhi

Good morning world!


Dad left with a Delhi belly last night, from Indira Gandhi Intl Airport. Too bad his visit in India had to end with 'some' problems (I hope these stay just "some" and not major), but I am grateful that he had been fine for the past 2 weeks. Getting sick in the middle of the trip would have made everything difficult. Anyways...I've just read an email from dad, saying he arrived (safely? maybe) in Narita. Woo-hoo!


And this is my time now. 

So after 2 years of dealing with Indianess, I am leaving India.

This weblog is titled India Grad School Diary. As of now, I believe I have completed all the requirement to graduate from that Institute. I was told by my friend at the dorm that that man was still creating some noise regarding my viva voce and other things...but I never heard 'officially' from the department or the Institute, saying I have problems and have to be back to resolve the issues. So, I say, as of now, I am free to leave the country with a good prospect of (lol) getting my MBA degree. And this should be "one of the last entries" for my weblog. One of the last, because I am pretty sure that I am going to encounter more funny stuff in the future, and I might add more entries.

I hope I will not be writing re-doing the course, though.


I was planning on writing a big entry thanking those people who supported me throughout my study, in and out of my Institute. But I do not have time, unfortunately. My car is picking me up in 40 minutes and I still have to finish my packing. 

So let me just say, thank you very much all, for your love and care. I would not have made it this far without you guys. I mean, how many times have I broken down in front of you because it is "manasu kashtama irukku"? You were there for me, whenever I needed the help. You were there when I needed it the most. Umakku Mikka Nadri.


Okay, enough of sentimental stuff.

I am leaving from India around 11-ish, and going to Nepal to meet my ex co-worker F san. I will be back to Japan on the 26th. I am thrilled to meet my family, friend, and, of course, my 3 cats who must be fighting the heat and humidity in Japan.

So farewell to my friends in India, for the time being.

So hello to my friends in Japan, I will be back.





2013年7月4日木曜日

終わりの始まり (4) 2 years

こんばんワニ。


ものすごくどうでもいい話ですが最近くっつけたGoogleのTranslate(画面右側にあるはず→)でこのウェブログを英訳するとこんばんワニが"Crocodile tonight"になります。ハイ、どうでもいいですね。

まぁ、いろいろ昨日もありましたが今日レポートを提出して修士課程が一応終わりましたことをここにご報告します。

つか。

学科長がE教授にヒミツでレポートを別途提出しろというので今日もわざわざ行ったわけです。で、いつもは大学近辺で印刷の類はするのだけど(プリンタ持ってないからいつも外で印刷してました)、今日はNilakottaiでやったわけ。ChinnalapattiエリアにはBrowsing Centres(ネットカフェのカフェなしのようなところ。つまるところネットができてコピーなどもやってくれるところ)の連合のようなものがありどこへ行っても一律の値段で印刷ができるのだけど、Nilakottaiにはそういった仕組みがないのかそれともどこの店でもそうなのか、Chinnalapattiでは1ページあたり1ルピーが相場なのに今日は5ルピーもとられました。この間100ルピーちょっとだったレポートが500ルピー近くになってしまい半泣きになる。でも仕方ない。

と思って提出しに行ったのに、学科長が「E教授に提出したレポートも入手した」と言う。つまりもう1冊は無駄。大学まで行ったのも無駄足・・・。

でも最後にまたマニプリの子たちにあいさつをしたかったのであんまりおいしくないケーキとイトコちゃんが好きだというMaggiを手土産に部屋に行く。二人に買っていったものなのに、結局私にも振舞われる。3時にインスタントヌードルとケーキ食ってる女子って一体。。。

イトコちゃんに会ったのは1年前。デリーからイトコが来るとシスターズにいわれ、超都会からやってくる子がどうやってこのド田舎大学で生き残るのかと思っていたけれど、私なんかより数段ここでの生活をエンジョイしてるように…見える。というか、ちょっと都会から来るから高飛車な子なのかと勝手に想像していたのに、ものすごくdown to earthな子で、いつもテキパキと動き回っていて、いい子だなぁとしみじみ思ったものです。

実家に帰っているマニプリ妹ちゃんとも電話で話し、あ~最後にもういっぺん会いたかったねぇとしみじみ。

思えば2年前に大学にやってきたとき、当時の学科長(B教授)に紹介され、私のクソ重い荷物を運ぶのを手伝って寮に連れてきてくれたのは彼女でした。あの日医者が憎くてベソをかいている私を病院に連れて行ってくれたのも彼女。最後にきちんと会ってお礼を言えなかったのは心残りかな。

そしてお姉ちゃん。今日もうだうだと3時間くらい話をしました。同じ学科の妹ちゃんよりお姉ちゃんと仲良くなったのは彼女の方が私に年が近いせいか、同じように遠距離恋愛をしていたせいか、それともうちの大学への不満が同じくらい高かったせいか笑、わかりません。一緒に行ったKerala旅行は短かったけど楽しかったなぁ。私が具合悪いときも、悪くないときも、いつも気にかけてもらって、彼女の薬箱にはしょっちゅうお世話になったし、グチで過ごした時間は何日分にもなると思う笑。次にインドに来るのはお姉ちゃんの結婚式だろうなと思うくらい、大切な友だちです。

明日最終日もまた私が来ると思っていたらしいイトコちゃんに「さみしくなるよ~」と言われつつ、寮をあとにしました。

ぼけとる。

ぼけとらん。

バイバイ

今日記を書いていてふと気がついたこと。

2年前大学に来たのは6月の後半ですが、学期がはじまったのが7月4日の月曜日でした。で、修士課程が終了したのが本日7月3日。

ちょうど2年間だったわけです。

妹ちゃんが「2年なんてあっという間だよ」と言っていたのが信じられなかった。それが本当に2年前になってしまいました。




2013年7月3日水曜日

終わりの始まり (3) 先生の涙

こんばんワニ。


と、いうようなことがあったのでイライラがまた爆発しそうになり、ここ数日アーユルヴェーダやらの薬でお腹の痛みと戦ってきた私ですが、なんとか卒業できそうな雰囲気です。

学科長の言葉を信じようというか信じないとやってらんねーと思いつつ今日も大学へ向かいました。友人宅のあるVeelinayakenpattiNilakottaiからちょっと離れているのでAutoに乗りNilakottaiのバス停へ。

ここ2年間何度も「うちに住んで大学に通えばいいよ」と言われてきたのでそれを今になって試しているような感じです。結論、日本でも満員電車の通勤はしたことあるけど、インドのラッシュアワーバス通学はつらそうだわ、ものすごく。あとは想像にお任せします。

学科長との約束の10時前に学科に到着。E教授も来ている。蚊を追い払うのに疲れたので外で待つ。すぐ学科長も現れる。

まず学科長とP先生が学科長のオフィスで話をして、そのあとE教授が呼ばれ3人で話している。E教授は昨日ぶつぶつ言っていたようなことを学科長に伝えているようす。謝礼がどうのこうの、とか。

少しして私も呼ばれ中に入る。E教授はご丁寧にもうだうだと理由を書き連ねたレターを用意してきたようで、それを学科長に渡して熱弁している。学科長には先週の金曜日に「7月4日にDindigulから電車に乗るのでそれ以降は来られません」とレターを渡しているのに今になって「いつここを出るんだ」とまた聞かれる。「4日です」「4日…?」「7月4日です」「7月?」…ってオイ、先週話したじゃん…。E教授は「なぜ学科長にも私にも連絡していないのにP先生にだけ(出発日の)連絡をしたんだ」と言われる。いちいち全員に話さなきゃいけないのかよ。

E教授には昨日と同じように「7月4日にここを離れなくては行けない理由は何だ」と聞かれる。なので、「とっとと出ていきます」レターの件を学科長に思い出してもらう。E教授は「君が大学を離れるための許可を誰が出したんだ」と言う。卒業生が大学から巣立っていくのにいちいち許可が必要なのかよ。たぶんお前はガイコクジンだから大学の許可が必要なんだと言いそうなところ、学科長が「これ(私がインターンシップのあとにすぐに出ていくこと)は私たち(学科長とP先生)が指示したことだ」とビシっとツッコみを入れる。それなのにP教授は「それは私には受け入れられない。きちんと許可が必要だ。私は自分の意見をきちんと書いて正式に学科長に提出している。」うんぬんかんぬん。それで学科長の話がまだ終わってないのに勝手に出て行く。

E教授のレターに目を通している学科長。そこで、私も一応用意してきたんですけど…と、昨日マニプリお姉ちゃんのラップトップでこつこつタイプしたレターを渡す。内容はもうすでに学科長にもControllerにも伝えてあることなのだけど、一応きちんと文面にしたんで。電車やフライト、ホテルも予約していて、またアレンジしなおすのは難しいこと、奨学金も先月末で打ち切られていること、父が来ること、学科にはP先生を通して出発日が伝わっているものだと思っていたことなどなど。かなり腰を低くして書いたつもり。

それを見た学科長が「Let's go」と言う。またE教授のとこですか…とあきらめようとしたら、学科長はP先生と一緒に学科から出て行く。あわててあとについていく。

学科長が向かった先はOffice of Controller of Examinations。まぁ、うちの学科の隣の隣くらいの距離なんだけどさ。そして学科長とP先生がControllerのオフィスに入っていく。ここはテスト関連の書類があり生徒は勝手に出入りできないので外で待つ。

ちょっとして何か書類をかかえてE教授がやってくる。なんだよコイツも来るのかよ!と思ったけどControllerのオフィスじゃなくて他のスタッフのいるところに入っていく。何をしているのかわからないけどすぐ出て行く。私の前を無言で通り過ぎる。私も見なかったことにする。

20分くらいして学科長とP先生が出てくる。学科長が「心配しなくていい、今日外部評価者を呼んでVivaをやるから。午後にまた来なさい」と言う。これは口約束ではないと思う。思いたい。

寮に行ってお姉ちゃんとイトコちゃんに何があったか説明する。二人も新しくマニプールから来ているオンナノコの入学手続きや寮の部屋確保でバタバタ忙しいのだけど、まぁ座りなよと言ってもらい話をする。んで、結局ランチもごちそうになる。。。

午後って何時くらいかな~…クラスのスケジュールだとランチは13時45分までということになってるけど。と思っているとNilakottaiのCが電話をかけてくる。「今Mと一緒にいるんだけど、学科の教授と話をしようか?」えぇ。

CとMのNGOはうちの大学ともつながりがあって、研修をここで受けたり、研修の講師として呼ばれることがあるほか、Mは実は私の大先輩に当たる人。2年前に私がここで勉強することになったとき、周りがみんな喜んでいる中で「あそこはpoliticsがあるところだから気をつけて」と唯一警告をしてきた人です。彼もかなり苦労したから、と。そんなわけで私はCをLocal guardian(遠方から来ている生徒はこの辺りに住んでいる人に保護者代わりになってもらわなくてはいけない)として大学に登録していました。

まぁそんなつながりはあるのですが、わざわざ学科と話をしなくても…と思ったので「大丈夫、きっとやってもらえるから心配しないで」と言う。Mが「でももしやるつもりがないようなら連絡して」と。

そのあと、またぼ~っと過ごす。

またCから電話がある。「今学科長と話をしたよ」と。??????????????

二人がなんと私の学科に行って話をしてくれたのだそうです。それによると学科長は「心配ない、今日15時に評価者をアレンジしたから」と言ったそう。わざわざ本当に話をしてくれるとは思っていなかったのでびっくりする。Vivaが終わったらまた連絡してくれと言われ、とりあえず電話を切る。

そのあと、同じ学科のB教授から電話があり、16時にVivaを受ける準備をしなさいと言われる。でも秘密だから、と。

ということで16時前に学科長のKVKオフィスへ。オフィスの前で待っているとB教授もやってくる。で、「レポートは?」と聞かれる。えぇ。「金曜日にE教授に提出して、自分の分は印刷していないんです」と言う。「そうか、ではあとで提出でもいいか確認しよう」と。そのうち車に乗った女性がやってきて学科長のオフィスに入っていく。学科長の車でこの女性を迎えに行ったスタッフが私にも中に入るように言う。

思ったとおり、この女性が外部評価者でした。8日に他の生徒が来るときにも担当になる人のようです。レポートはもう1冊印刷し、学科長を通してこの女性に渡してもらうことになりました。

この間の「冗談でしょ」のようなVivaとはちがい、なんだかんだで1時間くらい話をしました。口頭試験っていうか、2年間の総括のような質問が多かったかな。日本とインドの比較とか。糖尿病に関しては私もかなり熱弁しました。

でも「それでは、2年間のガンディグラムでの経験をまとめて、『何を日本に持って帰るか』という点に関してはどのように考えているか」なんて質問は今聞かれるには最悪のタイミングなわけで。

「2年間最悪な思いをしてきました。クラスメイトとの言葉の壁、インドのシステムあれこれ、修士論文での苦労、病気…。もう早くここを出たくてしょうがないんです」

…とかは言ってないです笑。かと言ってこの大学を褒め称えるわけにもいかないので「まぁいろいろ大変ですよ。私も、クラスメイトも、周りの村も、いろんな問題を抱えてますよね。それがわかったというのは貴重な経験です」とオブラートに包んだ返答をしました。

名刺までいただいて(そいえばこの間のVivaでも名刺もらったけど、どこにやったかな)、わざわざ2度も来てもらうことになることに感謝し、学科長とB教授に感謝し、KVKを出る。レポートのことがなければ今日が最後になるのでもう一度お姉ちゃんに会いに行こうと思ってたけど、また明日も来るしと思ってそのまま帰ることにする。通学(帰り)ラッシュにまたぶつかり、満員バスで帰る。

帰り、お世話になった人たちに「MBA終わりそうです」の報告とお礼のために箱詰めのお菓子を買う。思ったより高くて少々ビビる。

村に帰ってお菓子を配り、すっかりリラックスしてグーグー寝る。

では済まなかった。

お菓子を持ってCの家へ。

ここで何があったかを話したところ、Cに実は今日もともとうちの大学で用事があったと聞かされました。わざわざ来てくれたのなら申し訳ないと思ってたのでちょっとホっとする。それで、学科に行って話をした~、の一部始終を聞きました。

まずは学科長より親交の深いB教授のところにあいさつに行ったそうです。最初っから私の話をするのもあれなのでまぁ当たり障りのない話題から始まり、「そういえばミワのことは知ってますか」と切り出したそう。もちろん知っていると話がつながり、そこで「ずいぶん大変な目にあっていると昨日彼女が言っていたものですから」と伝えたのだそうです。実はその時点でもう学科長が外部評価者のアレンジをしていたのだけれど、B教授は「ぜひあなたたちからも学科長に話をしてほしい」と言ったそうです。

それで…私の話をしているとき、B教授が涙を流したと言うんです。

ルールにそって生きているような人で、生徒には厳しいし、キッツいこと言うし、人間性疑うこともよくあるのだけど(生徒をバッファロー呼ばわりとか)、私をDindigulに迎えに来てくれたあの日(実はあの日心配で朝4時からバス停と家を行ったり来たりしていたのだとか)から私のことを妹のように思ってくれていたのだと。(そこ、娘じゃないんだ?というツッコミ入れたかったけど。)

なんだか、こんなこととかあったけど、私のことをきちんと考えていてくれたのだと思うと、しばらく意識して距離を置いていたことなど、大変申し訳なく思いました。

B教授と話をしたあとCとMは学科長のところへ。学科長は今日どこかで会議があったのだけど、私のためにそれをキャンセルして大学に来てくれたのだそうです。E教授が書いたレターはちらっと二人に見せたあと、二人の目の前でそれをビリビリ破ってゴミ箱に捨てたんだって。あぁ、それ、E教授の前でやってほしかったわぁ。

Cの話を聞いたあとMの家に行って、同じように学科長と話をしてくれたことのお礼を伝えました。Mは在学中にB教授とちょっとモメた過去があるので、「普段Bがめんどくさいごたごたに生徒を巻き込むことが多いんだけどね。学科長もB教授も君のことを心から応援してくれているようだね」と驚いていました。

最後の学期に起こったあんなことやこんなことで本当に心底、うちの大学の評価が自分の中で急降下だったけれど、最後の最後に私のために今日のVivaを(こっそり)アレンジしてくれたControllerと学科長、B教授、それにP先生には、今後も頭があがらないでしょうね。

明日レポートをもう1冊提出してきます。これで終わりだと思うけれど、本当に終わるまで終わりとは言わないことにしよう。


おまけ:お菓子買う前に心配した父から電話がありました。心配、つきないね苦笑



2013年7月2日火曜日

終わりの始まり (2) What Do You Mean by MONDAY???

こんばんワニ。


今日ものすごくストレスを感じていて、そのせいかお腹もズキズキしているので簡潔に書きます。

やっぱり、今日Vivaはやってもらえなかった。それどころか、今日までアレンジに手をつけていなかったようすだった。

結論から言うと、思い出したくもない論文のときのような状況になっている。

E教授は私に選択肢を与えない。学科長は「大丈夫」と言っている。関わりたくないB教授は「きっと木曜までにはやってもらえるはずだから」と根拠のないassuranceをくれる。

約束の10時になっても誰も学科に来ていないので(金曜日に来なかった子だけ)E教授に電話。待っていろと言われる。

誰も来ないのでクラスメイトSに電話すると「この間Vivaを早くやってほしいとレターを書いたのはミワだけだったから今日はミワしかVivaをやらないとE教授が言ったの。だから誰も来ないわよ」と。他の人は全員来週月曜日にやるのだと。

しばらくしてE教授がやってくる。7月8日に来いと言われる。Controller of Examination (テスト関連の職務を行う部署のトップ。今ケガして入院中だか静養中だかのRegistrarのポジションも兼任している)が言うには外部から人をよんでVivaをするわけなので謝礼や交通費がかかる。私のために2度学科で外部者を呼ぶにはそれなりの理由が必要だと。私はもうすでに電車もフライトもホテルも予約していて、返金できないものも多いので、だから出発日は変えられないと言う。E教授はそれは全うな理由にならないと言う。じゃぁなんならいいんですかと聞くと出発日にヴィサが切れるとかそういう理由ならと言い出す。

ヴィサのごたごたが片づいたとき、学科長が「これで延長はしたけれど、結局は学生ヴィサなので修士課程終了後は速やかに大学を出るように」と言うので「とっとと出ていきます」といった内容のレターも書かされた。だからP先生が言ったようにインターン終了後「数日」で全部ものごとが片づいてこの大学とおさらばできると思っていた。P先生に7月4日に出ることは先週火曜日に伝えてあるので。それがE教授に伝わるものだと思っていた。

私のこの「思っていた」が間違いだとわかったのが今日。もともとうちの学部内部のコミュニケーションがお粗末なのはわかっていたけれど。

最初はニヤニヤしながら私の話を聞いていたE教授だけど、私が「じゃぁなぜ金曜日に無理なら無理だと言ってくれなかったのか」と問い詰めるとキレたのか「自分の手に負えることじゃないから学科長と話せ」と、とっととオフィスを出て行く。

呆然とその場に立ち尽くして、2分くらい座って考えて、何でまた、最後の最後まで、と思う。

学科長が電話に出ないのでControllerに直談判に行く。RegistrarのオフィスにいたControllerはE教授が今来たばっかりと言っていたけれど、私の事情はさっぱり伝わっておらず、あたかも私がわがままで日にちを変えてほしいとでも思っているようだった。なので全部説明する。私が「思っていた」で全部今後のスケジュールを立ててしまった非は認めるし、ルールを曲げてどうにかしてくれとは思ってないけれど、この時点でじゃぁ月曜日に来ますとは言えない。父との予定も話した上で、どうしたらよいか訪ねると、とりあえず学科長と話をして何ができるか考えると、ポジティブな返答をもらう。Controller自身E教授が来たあとに学科長に電話したけれどつながらなかったと。

そこで学科長にしつこく電話をかけまくる。あとでB教授と話したときに学科長は会議に出席していると聞いたけれど、しつこく電話する。13時とかになって学科長から電話あり。E教授がこうこう言っているけれど、金曜にも説明した通り4日に出発しなければいけないと言うと「E教授は何と言ったんだ」と確認してくる。「他の生徒と一緒に月曜にVivaを受けろと言われました」と伝えると「大丈夫、明日学科にきなさい、明日Vivaやってあげるから」と言う学科長。あなたの「大丈夫」ほど信じられないものはありません。

でもとりあえず学科長がこう言ったので、どうせまたE教授が説き伏せるのだろうけどお先真っ暗ではない気がする。でも今日中にControllerにもう一度会って学科長がこう言っていると伝えたかったのでControllerのオフィスへ。学科長は明日やってくれると言っていますがと伝える。

そのあと学科に戻りP先生と話をしているとE教授がやってくる。以下のようなことを言われる:朝の9時半から16時までいろいろな人に会ってなんとか君のVivaを早くやってもらえるようにお願いしたけれど、全員「全うな理由を言え」と言っている。それで誰かひとりでも推薦状を書いてくれるのならVivaのアレンジは私がしよう。と。

たったキャンパス内の4人と話をするために7時間かかるわけない。いちいち、「上の許可がおりるなら私が謝礼を払ってもかまわない」「許可が出るなら君がいる場所に私と外部評価者が出向いていってVivaをすることもできる」とバカじゃねーのとしか思えないことをぶつくさ言っている。立場を変えるP先生はさっきまで「外部評価のことはE教授も気がついていなかったし、早めにアレンジしているようすもなかった」「きちんとインターンシップの予定を立てていなかった」と文句を言っていたのに、E教授の横で「E教授は君のことを助けようとしているんだから」とうなずいている。一体何なんだ。

ともかく、明日また大学に行くことになった。今日が本当の最終日だと思って昨日はひと晩だけ寮に泊めてもらい、マニプリお姉ちゃんと楽しくLife of Pi(この映画すげぇ)なんて観てたのに。


ちなみに、E教授がインターン中に私たちを訪問したのですが、他のグループの受け入れ先には行ったようすがなかったので「なんでうちだけ」とムカついていた。で、何でですかねとP先生に聞いたら、うちに来たあとあともうひとつ訪問はした。だけどそのあとE教授事故ったから他のところには行けなかった、とのこと。

人としてサイアクな考え方だけれど、これはKarmaだとうれしく思う。心から。




2013年6月29日土曜日

終わりの始まり (1) MONDAY???

こんにちワン。


先日のポストインターンシップのレポートを提出したら修士課程が終了と書いたのだけど。

現実はそう甘くなかった。

っていうか、予想したくないけどこれも予想してた。

なんたってインターンシップの担当あのE教授だからね!そう簡単にはいかないよね!


ということで、昨日大学に行ってきました。

予定では午前中にレポート提出して、Viva Voce(口答試験)をささっと終わらせて、寮にいるマニプーリお姉ちゃんを訪ねて1ヶ月何があったか洗いざらい話そうと思ってたんだけど。

9時半に集合と言われていたけれど、大学の入り口でレポート印刷してたら時間がやたらかかり10時半くらいにやっと学科に到着。

スタッフが入り口に集まってるので何かと思ったら、学科長のいるKVKにみんな行っていると言われる。携帯電話チェック。誰かが私に連絡をくれた形跡なし(ムカ)。

KVKに到着すると地元西ベンガルでインターンシップをしていたN以外はみんなそろっている。KaraikudiのDも来ていました。

もうVivaがはじまってるのかと思ったらそうでもないようす。Karaikudiで会っていないクラスメイトと1ヶ月間の苦労を分かち合う。。。

しばらくして学科長のオフィスからB教授E教授と次々に出てくる。

ちと話が戻りますが。

インターンシップ終了日1日前に、私は学科に電話をしてP先生にいつレポートを提出するのか聞きました。先生は7月8日と言ったのですが、私は6日にタミルナドゥを出てしまうんですよね。なのでどうしたらいいんでしょうと聞くと、では28日(金曜日)に来なさい、特例だからと。だから金曜日に来るのは私だけの予定だったんです。

なのに27日になって連絡が来て、全員金曜日に来いと言われました。

んで、金曜日のKVK。

E教授が出てきて、レポートの提出は○○日(タミル語だったのでわからん)なので今日はもう帰ってよい、今日提出できる人やVivaを早めに受けたい人はレターを書いて事情を説明しろとのこと。

はぁ、めんどくせー!!!

私は今後一切大学に足を踏み入れるつもりはなかったので「P先生に電話したとき私の事情を話して今日Vivaやってもらえるということだったはずですが」と言うと

E「P先生がインターンシップの担当なのか?君は私の電話番号を持っているし、私は君の番号を持っている。なぜ担当(の私)に聞かないんだ

と言い放って出て行く。

はぁ?同じ学科のスタッフなんだから、P先生の指示通りに行動するの何がいけないのよ?

でも「P先生が言ったんです」が通用しないのはわかってる。こういうときP先生はしらばっくれるから

あーめんどくせーと思いつつ、学科長に事情を説明するレターを書く。P先生にレポートと一緒に渡すと、先生はそれを持って学科長のオフィスに入っていく。

ちょっとして先生が出てきて「3時にまた学科にきなさい」とのこと。Vivaをやってくれるものだと思う

このあと寮に行ってお姉ちゃんとうだうだ話す。ランチをごちそうになる。

15時前学科に戻る。クラスメイトも何人かは残っているようす。E教授がオフィスにいるので「あの~」と話しかける。

E「なぜ君は学科長あてのレターを私のデスクに放置しておくんだ」

見ると、私のレポートとレターがデスクに置いてある。

「P先生に渡したんですけど」と言うけれど案の定通用しない。

E「私あてのレターを書きなさい」

…自分でコピーすれば?ハゲ!!!!

イライラをおさせつつレターを書く。

そのうちE教授は午後のティーのために学科を去る(この人ゼッタイこれを欠かさない。ティーショップの人とデキてるんじゃないかとさえ思う)。で、そのうち学科長が来る。

学科長に直接話をしてE教授あてのレターに承認のサインをもらう。つまりこれって学科長も「私が今日Vivaを受けるべき」だと承認するということなのだけど、そのあとE教授がやってきてしばらく学科長と話をすると、やっぱり事情が変わる

E「Vivaのための外部評価の人を急いで探すので月曜の10時に来なさい。レポートは急いで読むから」

なんだよそれ、ハゲ!まだ探してなかったのかよ???

担当とかホザいてるけど、何もやってねーじゃねーか!

第一、インターンシップの外部評価なんてホントにあったのかよ(他の学科はやってないはず)。うちの学科だって去年なんかViva自体なかったじゃん(いっこ上談)!!!

超うぜー!!!!!

と、言うことで今日レポート出さなかった人には完全ムダ足の一日となりました。

私もNilakottaiから行くと時間かかるから、月曜にまた行くなんてイヤなんですけど。つか月曜って7月じゃん。次の学年だよ?

もうマジ、うちの学科どうかしてる。

このあとまた寮に行ってお姉ちゃんに不満をたらたらこぼしたのは言うまでもありません。

夜ご飯までごちそうになり、あわててNilakottaiに帰ってきましたとさ。




2013年6月26日水曜日

Internship Day 30 お姉さんちの事情

こんばんワニ。


長かったような短かったような、インターン生活も明日で終わり。今日修了証明書もらっちゃったので明日の朝帰るのみ。今日学科に電話したらレポートの提出は7月8日とのこと。

私7月4日にもう行かなくちゃいけないんですけど(どことは言ってない)と伝えたら、じゃぁ今週金曜に来てくれとのこと。もうレポートはここで作成済みなのでプリントして出すだけ。

そのあと大学に行くことはもうない気がする。


さて。

今日が実質最終日だったわけです。

Producer Companyに関する資料作成は自分のやる部分は土曜に終わらせていて、あとひとりがファイル更新するのを待ってたのですが、今日になってパワポが事務所のパソコンにインストールされてないだの自分のUSBドライブが使えないなどうだうだ言っているので、もういいから…とパワポだけ私が作り、即提出。

1ヶ月のまとめのレポートも今日提出しました。

ってことでプリンタと部屋といったりきたりしているうちに、ある女性スタッフがKに話しかけました。

「明日帰るのね?」

私はパソコンで作業したかったのでその場を離れましたが、スタッフがKに何か聞いているのはきこえました。

そのあとKが私のところにやってきて、

「ふりかえりの会をやりなさいって言われたの」

と。何でも、「あなたたちは私たちスタッフと話すこともあまりなくて名前だって知らないくらいだったわよ。去年の子たちは最終日にティーをスタッフにもてなしてふりかえりの会をやってたわよ」と、明らかに、生徒たちが自主的にやりそうなことをやれと言っているわけです。つまるところ、感謝の気持ちを表するためにおやつを買ってこいと(いう風に私には聞こえた)。

あの~。。。

第一、去年うちの大学の生徒はここに来てない(Arepalayamにずっといた)はずなんですけど。それに、あちこちの事業地を回って担当のスタッフにはお世話になったけれど、事務所のスタッフとは全然話をしてないし、お礼って言われても2~3人くらいしかお世話になった気がしない。

でもまぁ、そんなこと言われて何も準備しないのも気分が悪いし、一応来年もここに生徒が来るかもしれないので悪い前例は作るべきじゃない。ということで重い腰をあげておやつを買いに行くことにしました。本来はティーとおやつを準備するべきなのだろうけど、もともと事務所で午後にティーは用意するし、ソフトドリンクとおやつということにしました。


ってことでGobichettipalayamまで行って買い物。ささっとランチを食べ(最近はめんどくさくて朝とかもビスケットだけで済ませちゃうので、ランチも食べる機会があれば食べてます苦笑)、揚げ物系スナックを15人分ご購入。わざわざ15の子袋に分けてもらったせいか、かなりぼったくられた気がする。

そのあと、紙皿と紙コップを求めてうろうろ。文房具やっていうか紙製品の店でやっと皿を発見。コップはなし。

バスに乗ってオフィスの近くまで戻る。このバス停留所にある小さなお店にはここ2週間ぐらい通いづめでした。夕方ご飯を買いに行くときにここに立ち寄って、おやつをよく買ってたから。今日はここでソフトドリンクを買って帰るつもりだったけど、お店を切り盛りしているお姉さん(と言っても40代後半か50代かなって感じだけど)がいなくて、シャッターも閉まっている。

同様に待っているおっさんが、今家に帰ったけど5分で戻るよと。

5分待てってのは10分だよねと言って待ってみる。待つ。待つ。こなーい。

私たちの買い物であれば待っていてもよいけれど、今日はスタッフさんたちのティータイムにあわせておやつを出したかったので、ちとあせる。15時半回ってたから。

しばらく待って、Kが「おうちに行って聞こう」と言う。

てっきりお店の裏がおうちなのかと思ってたけど、Kがずんずんと別のの家に向かっている。あぁおうちの場所知ってるのかなと思ったら、その家の人にお店のお姉さんの家はあっちだよと教えてもらう。「お姉さん!」とその人が呼ぶのに答えて、「おいで!」と聞きなれた声が。

おうちに行ってみると、お姉さんがCurd rice(ヨーグルトライス)のようなものを手で丸めて、誰かに食べさせているところでした。

私たちは入り口にすぐ外に立っていて、私たちに背を向けて椅子に座っているその人の顔を見ることはできなかったけど、白髪がまじったその人はかなり高齢に見えました。服を着ていなくて、古いシャツのようなもので体の一部をわずかにおおっているだけ。

お姉さんがご飯を食べさせている間に、「あぁ、あぁ」と声をあげています。

私はてっきり、お姉さんはお父さんの介護をしているのかなと思いました。

実はその人はお姉さんの姉にあたる人なのだそうです。

財産争いで夫が親戚に殺されてしまったというその人は、この事件のせいなのか20年前に生活に支障をきたすようになって、知能障がいの症状が出るようになってしまったそう。痴呆のことなのかもしれません。それ以来お姉さんはずっとこうやって面倒を見ているのだとか。

ご飯が終わって、ご飯つぶがたくさんついた顔を洗ってあげて、そのままシャツをどかして全身水あび。きれいにしたあと、お姉さんはその人をひょいと持ち上げて、ベッドに運びました。お姉さんはきちんと食べさせてあげているようだけど、かなりやせ細っているようでした。姉妹だとは思えないくらい。

座っていた椅子には穴があけてあって、もしかしたらおトイレの類はここでそのまましてもらっているのだろうと思いました(下におけとか置いてね)。

こんな介護の作業をてきぱきとこなし、家族の大変な状況を話し、でも悲しそうな顔をひとつも見せないお姉さん。他にもまだ家族の問題があるそうです。そして家を出てまたお店を開ける。何事もなかったかのようにソフトドリンクの値段をささっと言っている。

インドの高齢者や介護についての話を聞いたようなこともあり、インドでも高齢者のケアは大きな問題となりつつあると意識し始めていた私。そんな中で、政府にも施設にも頼らず、自分のお店を持ちながら20年介護をしているお姉さん。

NGOもすごいけど、個人でがんばっているお姉さんもすごい。よね

インターンシップの最後に毎日のように会っていたお姉さんちの事情を知って、なんだか気まずいような、不思議な気持ちになりました。


で、そのあと帰っておやつを配布しました。あからさまに残して帰る人もいたけど、ニコニコうれしそうに食べている人ばかりでした。特に例の女性スタッフはね。「もう買ってきたの」と
わざとらしそうでした。



2013年6月20日木曜日

Internship Day 24 精進料理…?

こんばんワニ。

この色が好き。

今日例のKitchen Gardenの事業の評価を提出しました。

なんでだかクラスメイトのKとMはさっぱり評価の文章作成手伝ってくれなかったので私の主観で書きました

前からわかっていることなんだけど、クラスメイトがやる気をこれっぽっちも見せないととても腹が立つ。ビジネスの勉強なんて全然興味なかったけど私は一生懸命勉強したし、自分が興味のある教科は誰にも負けないと言えるくらい勉強した。なのに周りは単位がもらえればいいみたいな人ばかりだし、すぐあきらめるし、教師が見てなければ怠けるし、叱られれば泣く。それでいいと思ってる彼女たちは問題だらけですが、それでここまで(大学院レベル)やってこられた、そんな教育システムも周りの大人たちも大問題ですよ。

まぁ、都会で競争にもまれている人たちは違うと思うけれど。ね。


と、いうことで朝からイライラしていたけれど、提出したらなんか力が抜けて昼寝。起き上がるのがなんかツラかったので「やばい、これは病気になりそうだ」と思ったけど、そうでもなかった笑

でもまだお腹の調子はよろしくないです。


夕方最寄のお店と食堂に食料調達に行きました。

このお店でやたらとビスケットとバナナを買っているので(朝ごはんはこれで済ませている)、お店のおばちゃんもかわいそうにと思ってるかもしれません。

スナックの類もいろいろあって、ちょっと駄菓子やさんみたい。このへんによくあるPetit shop(小さなお店)は女性がしきってやっていることも多く、小さなスナックから、豆やお米などの乾燥食品、石けん、お店によってはちょっと野菜も売っていたりします。

そのあと夜ご飯をお持ち帰り。まだ激ウマIdlyのことを考えてすごす毎日ですがここでは夜Idlyを販売する日が少ないらしく(お客さんが少ないと作らない)、しぶしぶDosa(お米のクレープのようなもん)を食べています。Dosaは好きなのだけど、毎日だとやっぱあきるね。

帰り道に、MYRADAのすぐ近くにあるお寺の前を通ると、人が何人か集まっていました。

このお寺、私たちが来た週になにやらお祭りをしていて、花火やら夜通しお祈りやらでかなりにぎやかにどんちゃんやっていたところです。

こういうお祭りのときはXX日間(お寺によると思う)毎晩人が集まってお祈りをして、というようなことをするそうです。なのでどんちゃん騒ぎが終わったあとも毎晩人が集まっているのは通るたびに見ていました。

で。

こういうときって、Kいわく、お寺でSundal(マメを炒めたもの)やPongalVariety riceトマトライスココナッツライスなど味つけご飯系)を振舞うそうなんです。

これを目当てに行こうと当初から言っていたK(Nanbanで3人の学生がご飯を目当てに結婚式だかなんだかにもぐりこむシーンがあったっけ笑)。だけどやはり夜になるとあまり外出したくないので行く機会もなく3週間過ぎてしまったわけ。

今日もあー人が集まってるねーと思いつつ通り過ぎようとすると、男性が私たちを呼び止める。夜にお祈りがあるから来なさい、ご飯も振舞うからとのこと笑

いや~今夕飯買ってきたところですよ…と思ったけれどせっかくご招待をいただいたので(ご飯を食べたあとに)行ってみることにしました。

毎晩20時ごろに鐘をならすので人が集まってるなぁとわかるのだけど、今日は時間になっても鳴らない。

まー20時半ごろ行けばいいんじゃないとノロノロ出発したら、なんと皆さんお祈りを終えて食べてらっしゃる。は、入りづらい…。入り口の近くで帰ろうか…と話していると、中から「いらっしゃい、いらっしゃい」と声をかけられる。

そこで、申し訳ない気持ちでいっぱいになりつつ、座って食べている皆さんの脇を抜けてお寺へ。祭司のおじさんが私たちのためにお祈りをしてくれる。なんか手にもらって口に運んだけど、なんだったんだろう苦笑←二つ目は牛乳だった、はず。

お祈りをしたので、じゃぁ行きますかと言っていると案の定「食べていきなさい」と言われる。こういう場合「いえいえ」は通用しません。ということでありがたーく2度目のディナー。

今日のメニューはトマトライスに食事Pongal(バター塩おかゆって感じでしょうか)、甘いPongalにPanchamritam(ヒンドゥ教のお祈りで使われる蜂蜜、砂糖、牛乳、ヨーグルト、ギーを使って作るものすんごく甘いペースト)。PanchamritamはPalaniという所で作ってるものが有名なのですが、今日のはバナナを使った手作りのものだったようです。

いやー。

うまかった。笑

トマトライス週末に食ったけど、こんなおいしくなかったぞ?Pongalもぎとぎとしてなくて上品な味だったし。寺パワーかねぇ。

と、突然現れて食うだけ食っている私たちを地元の人たちは温かく迎えてくれて、「お代わりはいらない?」「どこに泊まってるの?」「また明日もいらっしゃい」と言ってくれました。

まぁ、精進料理ってわけではないですが、外食ばかりで疲れている私たちのお腹にはやさしい、元気の出るご飯だったかな。


…と思ったのに部屋に戻ってすぐトイレに駆け込んだ私。。。うぅ泣


2013年6月15日土曜日

Internship Day 19 トラの山からKaraikudi

こんばんワニ。

ネットがつながらない山奥に行ってました。以下ここ数日の記録です:


Internship Day 17: 6月12日(水)

GobiMYRADAからArepalayamのトレーニングセンターに引っ越して3日目。

いろいろあったような、なかったような。

あいかわらず、意思疎通がうまくいっていないというか、何をすればいいのかよくわからないというか、めんどくせーと思うことが続いています。初日(月曜日)なんか責任者が「土曜まで君たちが来るのを知らなかった」とか言って6時まで来ないんだよ?おかしいべ。土曜にはわかってたんじゃんね?笑

メンバー(私のクラスメイトとチェンナイからの生徒)同士でコミュニケーションがなってないというのも問題で、毎日プチけんかみたいなことになっていて、私は高見の見物をしています。といってもメンバーの一員なので誰かモメてると災いはバラバラと降ってくるわけだけど。

まーともかく。

おとといこの山間のトレーニングセンターにやってきました。

上記の理由で責任者と話をもてたのが夜の30分ほどなので、はっきり言ってここで何のトレーニングをしているのかよくわかりません。そこそこの敷地面積であるのはわかるのだけど。ここにはたくさんビニールハウスならぬ網ハウスみたいなのがあって、たぶん学校行ってないんだろうなというような若い子(オンナノコメイン)がたくさん働いています。学校行ってないというのは私の憶測ですが、若いオンナノコに学問を続けることをすすめるかわりに雇用するなんてまさかNGOがするわけない(と思いたい)ので、若いうちに結婚させられた子に雇用の機会を~とか、extraで憶測がむくむくとわいています。

で、何を作っているかというと、菊とか、花です。




日本人の感覚だと菊→葬式とか思っちゃうんですけど、菊はお寺で神様にささげたりするようなので、需要は高そうです。チェンナイとかバンガロールで販売しているそうな。

もともと私は切花反対主義なので(鉢植えは可)特に興味がありませんが、Kはかなり興奮してました。

私たちのいる地域は森林保護地域に入ってるんだか入ってないんだかのぐらいのエリアなので、野生の動物がそこらへんを通ったりするそうです。例の責任者も月曜日にはじめてトラを見たと言っていました。あと、CMRCのアシスタントのおっちゃんは、毎日ゾウがジャックフルーツを食べに来るって言ってた。トレーニングセンターの敷地にもサルがいっぱいいて、向かいのお店からヒトの食べ残しをパクっているようです。でもココナッツチャツネの袋にむしゃぶりついているのを見ると、サルでもインドにいたら辛いものOKになっちゃうのかねとしみじみ思いました。

で、肝心のインターンシップ。

先日、ここで「新しく」Kitchen gardenの事業をするからうんぬんかんぬんと書いたと思うのですが、ここに来て実はもうこの事業去年はじめていたということがわかりました。はじめたと言っても7月の15日間でKitchen gardenを各家庭で作って点滴感慨を整備し、種配っておしまいみたいな感じだったみたいだけど。

ということで、その際(始める前)120人の受益者(8ヶ村)に直接聞き取り調査をしていて、その質問表を見せてもらったら、なんと私たちが先週準備した質問とまるで同じ。調査が去年だったので、今年新しい受益者を対象に同じような調査をしても結果は似通ってくるだろうからやる意味がまるでなし、だと思うんだよね。「どの種がほしいですか」みたいな質問は個々で変わるからやってもいいかもしれないけど。

しかも、こういう地域で交通機関も限られてるので、責任者(トレーニングセンターの主任)はここから離れた村には朝5時半のバスに乗って行けと言うわけ。で、聞き取りして8時のバスで帰ってこいと。おかしいべ。村には30分くらいでつくらしいのだけど、それって6時台でしょ。この時間帯農家は農作業してるし、お母さんはご飯作ってるし、ガキは(当然学校も遠いので)早い時間に家を出る。(前提は調査をする前に村の人たちと顔見知りになっていることだとしても)そんな忙しい時間に「裏の畑のことなんですけどね」なんて聞けないでしょ?

で、村の人たちがどちらかというともうちょっとリラックスしている時間帯には交通機関の関係で行けないか、夕方6時以降は動物がぞろぞろ出てくるので私たちがほっつき歩いているのはよろしくないというわけです。

つまり…交通機関で村をまわるのはものすごくむずかしい。かといっていくつかの村はトラの保護地域に入ってるので(個人的には恐ろしくて行きたくない)公共交通機関(バス)以外の車は入れない。←事前に許可が必要。まぁ、もともとMYRADAが私たちのために車出してくれるってこともないんだけど、こういう事情でお金払ってタクシーで数日かけてまわるってのもむずかしいわけなのです。

こういうとこで事業をしているというのはとても尊敬に値することだし、ぜひそういった地域も訪れてみたいけれど、私たちにもできることって限られてるので…

だからぶっちゃけ、何をしていいのかわからなくなった。やろうとしていた調査は終わってるし、やろうとしてもlogisticsがかなり難題だし、サポート体制もない(勝手にやってね状態)。なのでGobiの責任者に電話して「何が求められているのかわからないんですけど」と言ったら、この人も去年の調査のことは知らなかったようす。「誰がこの調査結果見せてくれたの?」なんて言ってる始末。だから質問表作ったときにこれでいいねなんて言ったんだろうね…。。。なので、「1年たってるし評価ならできるんじゃないですかね」と伝える。「それはいいね!私もどうなったか知りたいし」だそうです。評価、やってなかったんだろうか。

で、グループメンバーに「こうこうこういう評価はどうかな」と言うと、沈黙。「私はこう思うけど、結局(タミル語で)質問するのはみんなだからみんなが賛成してくれないとできないじゃん」と言ったのだけど、沈黙。結局、どうでもいいんでしょうね。「評価なんてやったことないから何をしていいかわからない」などぐちゃぐちゃ言い訳を並べるチェンナイボーイ。女々しくて泣けてくる。幸い私たちは先学期評価のクラスやって、実際に開発事業の評価をやってるので、なんとなくはわかる。うだうだ言わないで、何かやれば責任者も努力は認めてくれるでしょう。

つーことで質問表を作成しなおし。

トレーニングセンターはちーさな村にあり、これまた中距離バスが止まって運転手や乗客が休憩をとるところなのでちーさな食堂が3つくらいあり、朝早くから10時までやっているそう。でも他にはなーんもない、そんなところです。ご飯食べるところが目の前にあるのは幸いだけれど、バリエーションもないしね。。。まぁ、お店の人にも顔を覚えてもらったのでニコニコ対応してもらうとホっとするけれど。私のRelianceもつながらないし(Vodafoneのモデムは使用可)、初日は泣きたいと思った。2回目のVPPほどじゃないけど寒いしねー

と、ここまで書いたのが今朝。

このあとCMRCに行ってマネージャーに会い、こうこうこうしたいんですけどと伝え、結局去年の事業の評価をすることに。8ヶ村のうち最寄の3ヶ村、43名の受益者のうち24か25くらい質問をしようということになりました。アバウトにしてあるのは行っても受益者の人に会えない可能性もあるからです(農家は畑にいないかもしれないから)。でもGobiの責任者が受益者全体(120名)の15%(18名)か20%(24名)くらい調べればと言ったので24名はおさえたいところ。

で、朝ちょっとミーティングしたあと3ヶ村に行きました。最寄とはいえ…1キロくらいって言ってたけどもっとあったと思う。まぁ、高地で涼しいので平地の太陽の下ヒーヒー言いながら歩くのとはちがう(けど陽射しは強いわ)。途中このへんの地域の作物などについてCMRCのアシスタントさんに聞きながらのんびり歩く。





Kitchen gardenですが…。まぁ、きちんと世話をしている人もいれば、あれっ?みたいな人も多かったかな。「ちょうど作物の植え替え時期で」と横ヤリを入れてくるマネージャー氏を疑うわけではないけれど、きちんとやってねぇなって人は確かにいます。「世話は大変」って言ってる人もいるし。高齢の人は買った方が楽チンって思っちゃうかもしれないし。けれど、MYRADAのトレーニングセンターがあるArepalayamに住んでる人たちはけっこうきちっとやってたかな。サポート体制もここはしっかりしているのかもしれない。農家の人が多くて植物の世話に慣れている人が多いせいか多くの家できれいな花を植えている人が多いです。バラとか、こんな寒いところでも育つんだと思ったジャスミン、その他もろもろ。

とちゅう、きれいな花をたくさん植えているおうちでティーをご馳走になりました。先日読んだMYRADAの「地域で地元住民のグループをもりあげるには」みたいなマニュアルを読んだときに、こういった際ティーを断るのはあまりよろしくないと書いてあったのを思い出してしめしめと思う。このあたりでは通常ティーには白い砂糖じゃなくてjaggeryを使うのだそうです。でもお客さんが来たときは普通の砂糖。Jaggeryの方が体にいいのにね。




また、最初に行った2ヶ村ではヴェジタリアンの人が多いと聞きました。ある一定のCommnityの人たちで構成される村だからだそうです。食事にもコメを使うところにRagiを取り入れていて(Ragi dosaiなど)、それも健康にとってはプラス。んじゃー伝統的に健康的な人たちなんじゃ…じゃぁ事業やる意味あったの?とか思っちゃうけど、やっぱり野菜不足のため貧血の人がけっこういるんだってさ。ほうれん草食おう。


今日長々と歩いてこのあたりの人たち(特に男性)が平地のぶよぶよおっさんたちと違う理由がわかってきた気がする。伝統的にちょっと健康的な食生活をし、よく歩き(坂道も多い)、よく農作業をする。だから平地の人よりは体つきが健康的に見える。実際はどうかわからないけれどそれが私のimpressionかなぁ。


空き地じゃなくてKitchen gardenですよ

しつもん中


まぁそんなわけで25名の聞き取りを終えたわけなのですが、「明日Gobiに帰りたいんですが」と言ったら、朝5時半バスの主任に会ってから帰ってきなと言うわけ。でもこの人あさってまでここに来ないのよ。明日何すりゃいいんでしょ。

夜。電気のつかないバスルームで顔を洗っていたKが「大変!ちょっと来て!」と大慌て。また何やらかしたんだと思って行ってみたら、なんと小鳥がバタバタしている。

来た日から鳥がぴーちくぱーちくと朝から夕方くらいまで鳴いてるので屋根裏(といってもトタン屋根なんだが)にでもいるんだろうと思っていたんです。しばらく使ってなさそうだった部屋には鳥のふんがたくさんあるし笑。でも小鳥がおっこちてるなんて何事!

日本人の感覚として「おっこちてる小鳥に手を出したら親鳥は世話をやめてしまう」って思うので「手でさわっちゃだめ!!!」と言ったのだけど、Kはエサをやるわ(ビスケット)水をたらして「飲んでる」と大騒ぎ。さわっちゃだめなんだってばと何度も言ったのだけど。

で、ベッドフレームを立てて、巣があるらしい屋根と梁のすき間に鳥を返せと「叔父さん(のちほど登場)」が言うので、夜中にベッドをぎーぎー動かしていると、部屋のすみに黒い影がふたつ。よく見てみるとそこにも小鳥が2羽。でもこの2羽はもう羽をぱたぱたして多少は飛べる感じ。捕獲しようとすると逃げる。とかってぎゃーぎゃーやってるのに親鳥がどこにも見当たらないので、私たちがこの部屋に来たことで逃げてしまったんじゃないだろうかと思う。

戻すのは待って様子見をすることに。鳥が寒いかなと言って葉っぱやら綿のようなもの(カポックというらしい)をかき集めてベッドを作り、そこでとりあえず寝てもらう。3羽ともねむそーにして、ピィとも言わず寝る。

Internship Day 18: 6月13日(木)

ブラブラ過ごせばいいよねと思っていた木曜日は大変な1日になりました。

朝イチで親鳥のような鳥が戻ってきているのを確認。遠目に観察していると、私たちがさわったにも関わらずまだちゃんとご飯をやっているようす。よかったぁと思うものの、最初に見つけた飛べない鳥はやっぱり動きづらそうな感じ。親鳥がいないのを見計らってよく見てみると、折れているんだかまだ生まれたばかりだからか、この子の足はまだまっすぐ立たないみたいでした。動き回るのもままならないようですが、親鳥がくると一生懸命そっちの方に動こうとしています。だけどうまくいかない。見ていて涙が出そうでした…

と、親鳥が戻って世話を再開したにも関わらず「小さいやつはほかの2羽よりご飯をもらってない」とまたビスケットをやっているK。「あのさぁ、あんたが世話すれば世話するほど親は世話しなくなる可能性があるよ」と言うとだまって小鳥を戻す。

そんなこんなで朝から鳥の世話をしたり、昨日の聞き取り調査の項目と去年のを照らし合わせたり、あんまりダラダラせずに夕方になったなぁ~。主任はいつ来るんだろうと思っていた16時ごろ。

クラスメイトSが泣きながら電話をしてきました。なんと別のクラスメイトDのお母さんが亡くなったとのこと。すぐにDの家にみんな来て!ということでした。

とは言え、インターンシップ中にだまってここを出て行くわけにもいかないしということで、学科長やGobiの責任者に電話をして許可をいただき、彼女の家に向かうことになりました。どこにあるのと聞くと、Karaikudiという私は聞いたとこのない場所。Maduraiから2時間くらいの場所と言われても、あいまい。。。。

ということで地図にしてみました。




17時半ころあわてて荷物をまとめるとなんとバスが今!トレーニングセンターの前に止まってるとのこと。お世話になったスタッフやお店の人たちにお礼を言うヒマもなく、半ば夜逃げ状態でバスに飛び乗る。小鳥たちのことが気になり、後ろ髪をぐいぐい引かれながらArepalayamをあとにする。どうぞ、親鳥さんたちががんばって子育てを続けますように。

下りヘアピンカーブは速いけど、気持ち悪くもなりますね。。。

どうやら22時台にTirupurから直接Karaikudiに出るバスがあると叔父さん情報なので、それまでに間に合うようにと急ぐ、急ぐ。途中GobiのMYRADAで荷物をおろし、またあわてて飛び出す。22時くらいにTirupurにつかないと席が確保できないかもと言われあせるけれど、MYRADAからGobiのバス停まで行くためのバスがなかなか来ない。次の停留所まで歩いてようやくバスに乗りGobiバス停へ。ここでも出発ぎりぎりだったTirupur行きに乗るとTirupur到着は乗り換えバスの出発時間の22時45分といわれ、またあせる。しかし案外早くついたので(それもどうかと思うけど)ようやく夜ご飯。食べてすぐ23時にバス出発。

なんていうか、普通の乗り合いバスみたいなバスなのに夜行、っていうのは初めてでした。前にACつきのデラックスバスみたいなのには乗ってるけど、これはフツーの車両の席を多少改良したくらいの感じで、気分はちょっとそのへんに行くような気分のバス。リクライニングなんてもちろんないわけで、そんな中で眠るのはちとキツいものが。幸い涼しかったというかぶっちゃけ寒かったので汗だくとかじゃないけどね。

Internship Day 19: 6月14日(金)

7時間くらいかかったかな。ようやくKaraikudiへ。Arepalayamからは12時間経過済。

こちらに来てやたらと結婚式にはおよばれするけれど、葬儀は2度目。何を言っていいのかさっぱりわからないままDのおうちへ。数時間前に到着していたクラスメイトたちに囲まれて、Dがさめざめと泣いていました。事情は詳しく聞きませんでしたが、お母さまは呼吸系の病気を患っていたのだそう。彼女も呆然として疲れきっているようでしたが、長女としててきぱきと親戚に指示を出したり、弟に頼んで仕事をしてもらったり。お母さまも生前は家のことをてきぱきとやってお父さんをひっぱるタイプだったそうです。

明日ちょうどタミル暦の月が変わるのですが、葬儀(3日かかるそう)が月をまたいでしまうと家族にまた不幸があるのだそうです。だからDは2日で全て終わらせなければならないとお父さまに伝えているようでしたが、お父さまは3日やりたいと考えているようで、それでモメているうちに時間がすぎる。そのうちようやく、私たちは別に葬儀に参加するために来ているのではなくて彼女に会うために来ているというのがわかりました。話を聞いて、気分をやわらげてあげるということなのでしょうか。私はてっきり葬儀までいるのかと思っていたので、朝ごはんを食べてあっさり「じゃぁそろそろ戻りますか」というのは変な気分がしました。

でもみんなインターン先からあわてて来ているわけで(許可が出なかった子たちは週末に来る)、しかも一番遠隔から来ている私たちはいっそいで帰らないと今日中にたどり着けなくなってしまうのです。そんなわけで10時ごろDのおうちをあとにしました。

それにしても、こんな若いうちに母が亡くなるなんて、Dはさぞかし辛いだろうなと思います。しかも、ご両親は異コミュニティ間の恋愛結婚だったそうで、お母さまの葬儀だというのにお母さまの家族親戚はDの家に入るのを拒否して外にいるという始末…あぁ、インドって複雑だ。めんどくさい。

Mが月曜日に企業の面接があるからと実家に帰ったので、帰りは私とKのみ。陽射しの強くなってきた窓側の席で、Gobiまで戻る。Tirupurに直接行くバスがないのでTrichy経由で帰る。←これだと1時間半くらい時間が長くなる。。。Trichyまでは3時間。30分ほど乗り換え待ちでTirupurまではまた5時間乗車。

Tirupur行きのバスで途中、Kの「叔父さん」が乗車。叔父さんというのは呼称のようなもので、実際はKのカレシでした。まぁいっつもKが電話口で怒鳴り散らしているのはこの人かくらいの感覚だったけれど、辛くあたられても笑Kをやさしく見守ってくれる男性という感じでいい人なんじゃないかと思いました。そんな叔父さんとTirupurで夜ご飯を食べて、Gobiについたのは22時近くでしょうか。あぁ、疲れた。お尻が痛い。


お葬式の花とか私が思ったからバチが当たったんだろうか。と今ふと気がつきました。


2013年6月8日土曜日

Internship Day 13 トラこぞう

こんばんワニ。


右→
にラベル一覧をつけてみた。
Gandhigramのことばっか書いてる。

って、当たり前か。

Now you can use Google's Translation feature as well!

ためしにタミル語に訳してみた。

おう!

なんかごちゃごちゃしてら。笑


さて、2週目のインターン生活も終わり。

来週新しくMYRADAがやる
Kitchen Gardenプロジェクトに関する調査をすることになったので
ここ数日はその準備をしてました。

といっても質問項目を作ってただけ。

Kitchen gardenというのはいわゆる家庭菜園。
野菜をあんまとってない高地の人たちの家に
Kitchen gardenを設けて
栄養のある新鮮な野菜を食べよう!
っていう流れです。

家庭菜園なんか作らなくても野菜買えるんじゃないの
と思ってしまうのだけど、
先日訪れた流水域開発地のように
山の上でもからっからというところがあるようなので
そう考えるとやっぱり雨って重要なんだと思う。

で、来週何をするかというと、
このプロジェクトの候補地になっている地域(ここから2時間半)に行って
住民がどんなものを食べ、どこで食材を買い、
どんな野菜が必要とされているかを調べます。

あと、栄養にかかってくるさまざまな疾患、
たとえば栄養失調のサインだとか、貧血、
高コレステロールや糖尿、などなど
医療ど素人の私たちでもわかる程度に
簡単な質問もする予定です。

つか、私はついていくだけだけどね笑

ちょっと心配しているのが
3日くらいで質問をするのは終わらせて
データ処理やレポートをじっくりやりたいのですが
それではRapport building(まず住民の人と知り合い信頼関係を築くこと)が
おろそかになりそうなんですよね。

それに、私がついていくと
話が脱線するから(どこから来たのと逆に聞かれ話が長引く)苦笑

まぁともかく。
これが来週の予定。
宿泊先も変わります。


と、いうことで
今週の業務終了。

映画を観にいくことに。


ここから最寄の町Gobiに行く途中の手前
Gobi Arts and Science Collegeというカレッジがあり、
その周辺にもいくつかお店があるのですが、
そこに小さな映画館もあります。

来たばかりのときに映画館があるのを知って週末に行こうと言いつつ、
時間がびみょうに合わなかったので先週あきらめたんです。

なので今週再チャレンジ。

よく考えたら
2010年のインターンシップのときは何度か映画館に行ったけど
大学院でこっちに来てから映画館ははじめて。

タイトルも役者も知らない映画だったけど、まぁいっかと思って行く。


Kは地元のお祭りで実家に帰ってるのでMとふたり。
14時半の回。

14時15分ころになって
おっさんが入り口近くに座り、チケットを販売し始める。
(一応チケット販売窓口のようなものがあるのだけど使われていない感じ)

Fiftyと言われ50ルピー紙幣を渡す。
そのあとごちゃごちゃ何か言っているのでMに聞くと
ひとり50ルピー…」
早く言え!
で、100ルピー払う。

ひとり50ルピーかぁ。
日本だったらレディースデーでも1000円くらい?
500ルピー以上だよねぇ。

ちなみにChennaiでは150~300くらいが相場だそうです。

都市部ではマルチシネコンも多いけれど、
こんな風に地方の映画館では上映一本、
一日3回上映のみ(朝昼夜)なんだよね。

で、上へ上がれと目で合図されて上の階へ。
なんで2階に通されたのかわからないけど、まぁスクリーンがでかいのでよし。

だけど席が!空調が!

AC?ないです。天井ファンのみ←上映時まで作動しない。

席。ふかふかの椅子でもなく、かすかにリクライニングするタイプでもなく、
背筋が直立になるような感じ。
これで2時間半はキツい。。。

扉。きちんと閉まらない。
なのに携帯電話応答のためにいちいち行き来する観客。
やめれ!!!

では、映画の話にうつります笑



タイトルはKutti puli (Little Tiger)。トラこぞうですな。
これ、主人公の名前です。

なんかね~…低予算、プロットがまるでなし、
でもタミル映画典型的パターンおさえてる、
って感じかなぁ。

他でレビュー書いてる人のコメントで
農村部の暴力描写と母親の愛に飢えている人にはいいかも
ってのがあって、まさしくそーですって感じ。。。

主人公はケンカばっかり。

引っ越してきた(?たぶん)オンナノコに恋をする。

政治家とつながりのある悪者と主人公が対立。

母は傷ついた主人公を介抱。主人公泣く。

そして最後に主人公が悪者をやっつける。

…だったら本当に典型的なタミル映画なんだけど!!!

悪者をやっつけるのが実はお母さんだったりする。
これは衝撃でした。

最後のシーンでお母さんが血まみれ(返り血)になって
主人公が逆に泣いてるっていう…

母がトラだったんかい!

以前にも何本かこういう後味の悪い映画って観たんですけど。

え~、オンナノコはどうなったの?
友人は?
ちょくちょくでてきたバカ4人みたいなガキは?
そこで終わっちゃうわけ?
ハッピーエンドでもなくね?

みたいなツッコミを入れざるを得ないわけなんですよ。

それでも、
オンナノコが最初に出てくるシーンではヒューと会場がわきあがり
(って言っても全部で20人いないくらいだと思いますが)
主人公がイメチェンで田舎ルックからジーンズに変わるシーンも同様。
会場がわく。

だからエンタメ要素が入っていれば内容(プロット)は
どうでもいいんすかね?と思ってしまう。

とてもいいストーリーを書く人もタミル映画界にはいるのに
そういうのはメガヒットにならず、
こういう娯楽映画がそこそこはやってしまう。
これは残念なことです。
観客がついてきてないって感じ。


届いた

そういえば、日本に送った荷物もう届いたんだって。
おとといかな?早!!

日本で税関が開けたようですが、中身はたぶん無事。

なんか今持ってる荷物がめちゃくちゃ重いので
もうひとつくらい送ってから帰ろうかと思ってます。

絶対Dindigulから送ろう。。。



2013年5月29日水曜日

Internship Day 3 MYRADA-KVKにやってきた

こんにちワン。


先日寮を出てもう2日たってしまいました。

自分の部屋が、恋しい。笑

てなわけで、MBA課程のシメにあたるインターンシップがはじまりました。


田舎。

こんなところです。



田舎。

こんなところです。


VPPみたいな感じになるのかと思っていたけれど
とてもきれいな研修生用の宿泊施設に入れてもらい
とても快適。

ここの責任者の人はうちの大学の卒業生で
彼がインターンシップをしたときには
宿泊場所なんて確保してくれないので、
村に行って泊まれるところを探し、
ようやくみつかった牛小屋で1ヶ月すごしたんだって。。。

驚くことにそのときに彼に同行していたのが
マニプールのオンナノコ4人とアフリカからの留学生。

当時は選択の余地なんかないわけで、
彼らも一緒に牛小屋ですごしたとのこと。スゴい。


田舎。

と、言われると
「自分でご飯は調達してね」
と言われても何も文句は言えないのですが
ご覧の通り何もないところなので
最寄のちーさな食堂は800メートルくらい離れています。

行って帰ったら
お腹すくよね!みたいな笑

しかもおいしくないしさ。。。

パンとかお菓子買ってきておいておいたら
数時間後にはありんこが群がってるし。
袋しっかりしめたのにな。

でも仕方ない、と今は元気だから思える。


と、思ってるかもしれない

一緒にここで過ごすのはKとM。

おとといから電話をかけまくり
食事に関して大変な目にあっていると
みんなにグチっています。

1ヶ月、もつかねぇ。


というのは置いておいて。

私たちの受け入れ先は
MYRADA (Mysore Resettlement and Development Agency)という
けっこう大きいNGOで、
主にカルナータカ、タミルナドゥ、アンドラプラデシュで
活動をしています。

名前が示す通り
もともとはチベットからの難民の移住に関わっていた団体です。

でも移住の件がひと段楽したので
どーすっぺ、となって
今度はインドの貧困のために活動を展開することになりました。

今やインドで開発の根っこになっていると言える
女性の自助努力グループSelf Help GroupsSHGs)を
NGOとして広めた先駆け団体のひとつでもあります。
※MYRADAはSelf Affinity GroupsSAGs)と呼んでいる。

働いていたNGOの現地パートナー団体だったのがMYRADAだったので
滞在先はやっぱりMYRADAの研修センターでした。

で。

私が今いるのは数あるMYRADA関連施設のひとつ。

Erode県のGobichettipalayam(通称Gobi)にある
Krishi Vigyan KendraKVK:農業化学センター)です。

KVKというのは
政府の研究機関ICARIndian Council of Agricultural Reserach)が
それぞれの県に設置しているもので
MYRADAのようにNGOなどが運営を行っています。

Dindigul県ではGandhigram Trustが運営をしていて
私の学科長はKVKのトップも兼ねています。

KVKにはMysoreでも行ったね、そういえば。

ということで私たちが泊まっているところは
MYRADA-KVKと呼ばれているわけ。

んで、KVKが何をする施設かというと、
うーん、農業技術の普及かな。簡単に言うと。
それに付随したいろいろなサービスや研修を行っています。

MYRADAは私が必死に勉強した流水域開発でも有名な団体なので
行きたい、と思ったんだけど、
この施設に関しては農業メインっぽいので
(もちろん流水域開発もやってるんだけど)
思っていたより自分の希望に沿わないかも
と正直思っています。

まぁ、昨日流水域開発のためにインドまで来ちゃったことを
くどくどと責任者に話したので
開発地くらいは連れて行ってもらえるだろう。

たぶん。




2013年5月27日月曜日

2 Backpacks and a Small Trolley

おはよウナギ


あと小1時間ほどで
寮を出ます。

バックパッカーみたいに前後にバックパック
あと、小さいキャリーバッグころころしつつ
4時間かけてインターンシップ先へ。

1ヵ月後インターンシップが終わったときに
また大学には戻ってくるのだけど
部屋を無駄にキープしていてもあまり意味がないので
今日完全に出ていきます。

くだらないルールばかりで
本当に気が滅入ることもあったけれど
いい友だちに出会うことができて
自分の部屋と呼べる場所ができて
よかったなぁと今では思います。

Working Women's Hostel
と言われる
本来は働いている女性たちのための寮。

でも普通の寮になじめない
他の州からの学生はここにやってきます。

だから、
「ありえないここ(タミルナドゥ田舎)の事情」
について文句をたらたら言って一緒にストレスを発散する、
そんな場所でもあった気がする。


さようなら、私の部屋。

たくさんのイモリ(ヤモリ)さんともさようなら。


さぁ、行くぞ、インターンシップ。

MBA課程ラストスパート




2013年5月26日日曜日

結婚してくださいの人と僕じゃだめですかの人 Palm Fruits

こんばんワニ。


どん

エキゾチックなインドの果物を食べる機会ももう少なくなってきたと思うので
あ~あれ、食べたいなぁと思ったものは
今のうちに食べよう、という魂胆。

まぁ、果物だけじゃないんだけど。

ということで今日はPalm Fruitsを買ってきました。

Palmってのはヤシです。

私さぁ、
ココナッツっていうのはヤシの木にはえるものだ
と思っていたから、
最初Palmのフルーツっていわれたときに
それココナッツじゃんって思ったんだよね。

で、もらってみたら全然違う代物だったわけで。

ココナッツがヤシの木にはえるってのは間違いじゃないんだけど、
ヤシにはココナッツの他にもたくさん種類があるんだって。

っていうのはPalm fruitsを食べてからわかったんです。

今ググったらPalm fruitsは正式にはPalmyra fruitというようです。
この果物をつける木のラテン名はBrassus flabellifer(たぶん)。
(ココナッツはCocos nucifera。)

で、これね。

この白っぽい果物がヤシの木にぶらさがっているわけではなくて、
「ヤシの実」の中に入っているわけなのね。

なんか古臭い写真だけど参考はこちら

この黒っぽいヤシの実の表皮をなたでちょっと切っていくと
中のやわらかいしろっぽいところに3つばかりのこの果物が隠れています。
これをなたでていねいにはがしていくわけですね。

果物3つ、つまり実ひとつぶんで10ルピーなり。

これはココナッツジュースやスイカ同様、
夏の時期に体温を下げると信じられているもののひとつで、
このシーズンよくそのへんでおっちゃんがなたを片手に売っています。

あっ、こっちのページの写真の方がわかりやすいかも。

この白い皮をていねいにはがして、
中の半透明の部分だけいただきます。
見た目どおり、ゼリーのような食感で、
中にちょっと果汁が入っています。

そんなに甘くないし、皮食べちゃうとものすごくマズいんだけど、
なんかクセになります。

ちなみに今日、
3つだけくださいと言ったあと
袋におっちゃんがつめている間にお財布から10ルピーを出しました。

顔を上げるとおっちゃんが最後のひとつを袋に入れているところで、
それがものすっごく小さいやつだったので
代えてもらおうかと思ったけど、
まぁいっかと帰る。

あとで袋の中を見たら
4個入ってました。

小さいのはおまけだったのね…

代えてくださいなんて言わなくてよかった苦笑


■  ■  ■  ■  ■  ■  


今日は半日ダラダラして、
半日部屋の中のものをゴミに出して
夕方、Chinnalapattiまでお散歩にいきました
(そのときにPalm fruitsを買ってきた)。

私はもう早くテストが終わってインターンを待つのみですが
夏休み中に特にプログラムがない寮生は
期末テスト最終日にたいてい寮を出ます。

そんな感じなのでここんとこ
寮を出るとやたらと荷物を持って実家に帰る人たちばかり。

卒業して出て行く人も
あんまり荷物がないので
(小さなスーツケースとダッフルバッグくらい)
どうやって2年間とか3年間過ごしてたんだろうと
不思議に思います。

私なんか4箱実家に送ったのに!

同じMBAの子たちでも
インターンシップが終わってないのはうちの学科だけなので
(他の学科は12月中にやっちゃったらしい)
2年間一緒に過ごしたメンバーを何度も見送りました。

さみしい。。。

それに私ももうすぐここを出るしなー

と、イヤなことはいったん忘れて
感傷にひたっていると

見慣れた顔が。

このへんで登場したMBAのケララのオトコノコM。

あら、まだいたのねぇ。

M「いつここを出るの?」

私「インターンシップがはじまるから月曜に出るよ
そっちはもうインターンシップは終わってるよね。
いつ帰るの?」

M「今日帰るんだ」

と、握手。

私「そうなんだぁ」

彼はこのあと軍隊に入るつもりで、
でもコンピュータやマネジメントなど
学士修士で学んだことを活かせる
そんなポジションにつきたいのだそうです。

とりあえずChennaiの部署に入ることが決まっているようなので
何かChennaiで必要なことがあれば
電話して、とのことでした。

はー。。。
最後までいい人だ。。。

(上から目線だけど)
私はオトコレベルがあまり高くないMBAの中でも
彼を一番高く評価していました。

気さくだし、あいさつは欠かさないし、
笑顔だし、
頭もまぁ悪くないようだし、
将来のビジョンをしっかり持っていて
ものすごく好感がもてます。

いつだったかなぁ、なんかヘコんでたときに
たまたま彼と話す機会があって
「MBAのあとは日本に帰っちゃうの?」
と残念そうに聞くので
「結婚してください」
と言いたくなったくらいです笑

私「わかったー、電話番号は変わらないよね」

M「うん、同じ番号。
Facebookでも連絡とろう。
それじゃぁ」

と、颯爽と去るM。

これからはFacebookでつながるのみか~。。。
惜しい男を逃がした。

と、大学の入り口まで来て
Chinnalapattiに向かって歩いていると
野菜やさんの隣の小さなティーショップで
MBAのオトコノコたちが集まっている。

今学期からかなぁ、
いっつもここで集まっているメンバー。

寮にまだ残ってる人じゃなくて、
家から通ってる人もわざわざここまで来て
だらだら~と過ごしているようです。

私が野菜をここで買うようになってから
話すようになった人もいて
(同じクラスにいても話さないオトコノコいっぱいいるから)、
そんなことも考えていると
さみしくなるなぁと思ってしまうのです。

と、そんな中に友人RMが。

RM「いつここを出るの」

私「月曜かな…」

RM「インターンシップがあるよね」

私「そうそう。月曜からだよ」

RM「日本に帰るのは?」

私「7月になるかな」

RM「そのあと、結婚するの?

私「笑それは、いい人が見つかってからでしょ」

RM「ひとつ聞いていい?」

私「うん」

RM「僕じゃだめ?

私「笑博士号とってから連絡して」

RM「博士号?」

私「ダンナは博士号かお医者さんか弁護士がいいから笑」

けっこう、コイツもお調子者だわ。


■  ■  ■  ■  ■  ■  


お客さんに私のことを「友だち」と紹介している
Ceylon Bakeryのお姉ちゃん。

最近Amla(グースベリー)のジュースを買うようになって
顔見知りになったGandhigram Trustのお店のお兄さんは
お店の前を通るたびにニコっとしてくれる。

Trustの前の小さなお菓子やさんのお姉さんも
道で会うたびにあいさつしてくれる。

「シスター、ブドウは?」
といつも声をかけてくれる
踏み切りの近くでブドウを売ってるお兄さん。

タミル語も結局全然上達しなくて
簡単なやりとりしかできないけれど
こうやって何度も顔を合わせて
あいさつをして
そういう関係が築けたのは
本当に幸せなことだと思っています。

明日が寮での最終日

ランチごちそうするわよと言ってくれるマニプリお姉ちゃん。

ホント、頭が上がらないです。

(今晩ホットケーキでお礼←足りねーわ。)