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2013年7月14日日曜日

北インドブッダ追っかけ旅 (8) Kushinagar - Delhi

こんばんワニ。

今日デリーに帰ってきました。

今朝はチェックインまでダラダラするつもりだったのだけど、現金を下ろすためSBIへ。

Kushinagarの遺跡やお寺は大きな通り(有料道路みたい)から門(おとといの雨ザーザーの写真のところ)を入っていくのですが、この門を入ると周辺にはATMがひとつしかないのね。それが昨日使えなかったの。だけど大通りには門を出てすぐのところにSBIがあるのを見かけたので今朝行ってみた。

9時半くらいに開くだろうと勝手に思ってたら(ネットで営業時間が調べられなかった)開店は10時。待ちまくったらきちんと整理番号1番をもらったけどけっきょくお金は下ろせませんでした。小切手(Cheque)がないと自分の支店以外で下ろせないんだって!今までATMばっかり使ってたから知らなかった…。じゃぁATMどこにありますかって聞いたら2キロ先だって。行くかよ、バカ!

なので結局父が両替しました。個人で両替してくれるところはあります。

Mahasukhamdada Chin Thargyi Pagoda

金ぴかPagoda(ストゥーパ)。表記はBurmese Templeとなってます。


なぞの像群

たまに色の塗ってある像もあるのですが


托鉢?

基本白。アートのことはわからないの素人にはブキミに感じます。


12時にチェックアウトしてタクシーでGorakhpurに戻りました。ホテルでタクシーをお願いしたらバスで帰ればいいじゃないと言われたけど、始発じゃないから座れないと疲れちゃうかなと思ったのでタクシーに。Gorakhpur-Kushinagar間、バスなら1時間半50ルピー(ひとり)、タクシーなら1時間1200~1300ルピーでした。

Gorakhpurの空港は空軍の横にくっついているものらしくて、写真撮影禁止でセキュリティもデリーよりきちんとしているくらい。でもちーさな空港なのでたぶん1日2便とか。Jet Airways/ JetKonnectしかいません。そのくせやたら働いている人が多い。お給料どのくらいもらってるんでしょう。


今日のホテルも空港に近いところだけれど、前回より遠め。迎えのおじいちゃんはプープーとクラクション禁止のところで鳴らしまくり、車とAutoの隙間にグイグイ入っていく。あぁ、インドだなぁとしみじみ思う。


マッシュルーム

ホテルのルームサービスはちょっと高いね~と言って外へ。外から見たら超ショボい食堂に見える小さなレストラン。思い切って入ってみたら、インドの口コミサイトZomatoでお得なお店として賞をもらったところでした。

父は日本の皆さんも大好きなバターチキン、私はマッシュルーム(解禁笑)マサラを頼みました。あわせたのはベーシックなRoti。うまかった。


こんなところ

値段も確かにデリーにしてはお手ごろだし、量もたくさんあるし、おすすめです。


どうもありがとう

それと、今日サンダルを買いました。

あの日死に物狂いで走ってたらかかとがボロボロになってしまったサンダル。いいサンダルを買うまでとほうっておいたらどんどんどんどん形が崩れていって、右はかかとの台がなくなってしまいました。

ネットで買ってものすごく気に入っていたけれど、もう修復不可能のようなのでさようなら。一緒に旅してくれてありがとう。

かかとがずるりとむけています

明日は北上します。


2013年7月12日金曜日

北インドブッダ追っかけ旅 (6) Kushinagar

こんばんワニ。


ザーザー
ブッダの人生をちょっぴり追っかけることになっていたならなかった部分もあるけど)この旅。

本日はKushinagar、ブッダが亡くなった場所にやってきました。

昨日Varanasiのホテルをあとにしたのは23時。夜のガート周辺エリアは昼間の喧騒がウソのようにしーんとしていて、ぽつんぽつんとティーやさんがあいているくらい。なので逆にコワい。ホテルで22時以降は外に出ないでくださいと言っているのがわかる。私たちはSarnathに連れていってくれたオートドライヴァーに迎えに来てもらって、Autoが停められる場所まで歩いていきました。夜中でもお寺の周りには警察がたくさん常駐。ガートが爆破された事件は2010年、まだ最近の話だもんね。

Varanasi Junctionを0時40分発だったはずのChaurichaura Expressは1時間近く遅れたかなぁ。立ったり座ったり、かなーり待ったよね。インドの駅のプラットフォームではありえないことをたくさん見てきたけど、ウシさんが悠々とプラットフォームを歩いているのは初めて見たかも。子猫みたいなサイズのおねずがたくさんいるのも初かなぁ(ちっこいのは駅でも電車でも見たことあるけど)。普段あんまり乗らない2AC車両(3段じゃなくて2段ベッドのAC車両)でわくわくする。

で、終着駅Gorakhpur Junctionについたのも1時間半遅れくらい。ここからKushinagarまではバスに乗るのだけど、駅から近いはずのバス停まで歩く途中みーんながSunauliに行くのかと聞いてくる。Sunauliというのはネパール国境の町。インド滞在中にSunauli経由でブッダの生誕地Lumbini(ネパール側)に行く観光客が多いからなんだろうね。

私たちもまぁ方向は似てるんですが、Kushinagarに止まってもらわなくちゃいけないので「Kushinagar行き~」と車掌さんが言っているバスに乗り込む。普通の乗り合いバスより小さくて、でも周りに同じようなのがたくさんあるから公営か私営かわからない。どーでもいいけど激混み。父はこのバス旅を心配してたみたい。私は「思ったより快適」とか思っちゃってたけど。。。笑

乗る前に「1時間半」と言われ、チケット買うときに「1時間」と言われたので何なんだよと思ったけど、案の定1時間半くらいかかりました。で、ついたときの有様が上の写真。泣きたくなるような大雨。10分くらい待ってなかなかやまないので「もう行こうよー」と歩き出したけど、荷物持って雨の道はやっぱ歩きづらいねー。

半泣きでついたホテルはPathik NiwasというUttar Pradesh州政府が運営しているホテル。ネットであんまりいい評価をもらってないんだけど、このちーさい町で他にある宿泊施設はやけに高いホテルかゲストハウス(安め)だったので、間とってここでいいかと思ったのね。でもメイルは返信しないわ、電話は出ないわ、やっと出たと思ったらなかなか英語が通じないわで、旅行日程の中でも気になっていた箇所です。

で、部屋。古臭いシーツ、インテリア、はげた壁紙。テレビがブラウン管…つかない。バスルームについてるGeyser(シャワーのお湯をわかすもの)がつかない。バスルームには前に宿泊したであろう人の石鹸が残されている。カーテンひっぱったらレイルごこ落っこちる笑 部屋、変えてくれーーーーー!

まぁ、なんとか滞在してます笑


Nirvana Stupa

気分を変えて出かける。ホテルからすぐそばのMahaparinirvana Templeの横にはNirvana Stupaが立っています。ここがブッダの入滅した場所、なんですね。

ちなみにブッダがキノコの食中毒で亡くなったというのはホントなんですかね?ホントならレストランにマッシュルームカレーなんてメニューがあるのはものすごく縁起が悪い気がするんだケド…

手前のお寺に当たる建物の中にはブッダが亡くなったときの涅槃ポーズ、の黄金の像が横たわっています。

Gold foil!

「金箔はらないで」って書いてあるけどこのお寺にもストゥーパにも金箔ぺたぺたはってあります。そっかに座ったらこんな風にくっついちゃいます。

(ちなみに足が汚いのは気のせい?と思われるでしょうが、気のせいじゃないです。ホントーに汚い!)

お寺の周りは公園のようになっています。気持ちのいい風が吹いていましたが、日陰じゃないとやっぱ暑い~。座ったら座ったで通りかかりのおとこにじろじろ見られ"Chi*k"(英語では中国系の人を呼ぶ悪いことばですが、ヒンディ語でも同じなのかな?)と言われ、非常に腹が立つ。聞こえてんだよ、デブ!


イケメン

すぐそばのMathakuar Shrineは亡くなる前にブッダが最後の説法をしたとされる場所です。ここにも金色の仏像が安置されています。


なんでスリランカと一緒なんでしょ

ここには日本スリランカ仏教センターというものがある。でも何をするところなのかイマイチわからん。


ブッダと…菩提樹?

どうやらここは展示館といった類の場所ではないらしい、と思う。15時ちょっと前に行ったけどしーんとして警備のおっさんくらいしかいないし。でもネットで訪問者が泊まることができると読んだので、宿坊?はあるのかなぁ。

あ、あと、お寺があります笑


似てる?

父いわく日本のある仏像に似ているって言うのだけど、そうかなぁ?

作ったのは日本で、バラして持ってきて組み立てたそうです。だから日本風の仏像であることは間違いないね。10人の教え子たちがステキな版画になってました。


Government Museum

すぐそばの博物館。悪くないけど空調ゼロ(停電?)、警備員まばらな感じで泣けてきます。(うそ)テラコッタの像とかは日本の古代のものに通じるものがあって不思議な感じ。いくつかイケメン仏像もいましたよー。


Museumの庭

博物館の前のお庭は日本の支援を利用して作ったみたいです。インドで日本っぽい灯篭見ると変な感じ。


おやつ

小さな町でやることもあんまりないのでおやつ買って帰る。父は焼きとうもろこし。数日前から何度も見てたので興味津々。塩とレモンで味つけ。しょうゆはさすがになし。


昨日は電車でぐっすり寝たのにやっぱ眠い。。。寝ちゃおう。


2013年7月10日水曜日

北インドブッダ追っかけ旅 (4) Varanasi

こんばんワニ。

きたねぇ(「来た」ねぇ、ですよ!)

行ってみたいけど行ってみたくなかったインド、Varanasiです。

Banaras、Benares、いろんな呼び方はあるけど、「ごちゃごちゃした国、インド」を集積しているかのような聖地。

みんながざっぶーんと茶色の水につかっている、あの場所です。ヒンドゥ教徒なら一生に一度はざっぶーんと沐浴したい!でもって、死んだらここに流してほしい!という場所。たぶん。

なんで聖地かって誰かに聞いたときに、Varanasiのとこだけガンジス河の流れが逆になっていると言われました。地図で見ると確かにVaranasiのとこは北西から南東向きになっている流れが南→北のようになっています。でもホントかどうかわかりません。詳しい人、教えてください。

まーともかく、この旅では仏教聖地を中心に回ることになっているのだけど、こんな寄り道もしちゃうわけです。


およぐぞー!(うそ)

今朝4時の電車に乗ってGayaを出発。AC車両の寒さにふるえながらVaranasiについたのは8時すぎ(外との気温差大きすぎてメガネくもった笑)。ホテルの人に迎えに来てもらいました。

Autoで通った街並みはまぁまぁきれいで、都市部にあるようなチェーンのお店もあって、ひなびた門前町を想像してたけどけっこう発達してるんだなぁ、と思う。

でも混沌のVaranasiって感じの場所にやってきて、Autoをおろされる。ガンジス河の岸近くはAutoが入れないんだって。で、けっこー歩いたね。。。


ごちゃごちゃ

チェックインの時間には早かったけど、お掃除がすんだらすぐに入れてもらえました。さっそく街を散策。あ、あついーー。でも小さな通りにはシーツのようなもので日陰が作ってあったりして、太陽ギラギラの中歩くことはないです。

でもねー。予想通りっていうか、Varanasのイメージ通り、客引きもウソつきもいっぱいで疲れる。どこ行くの?こっちに自分の店がある。日本人ですかーこんにちはー!私は何も売りつけようとしてませんなどなど、客引きの言い方はごまんとあるようです。これでいいです、いりません、もうどっか行って…となって、だんだん頭にくるわけです。きぃー!!ムカつく!

それが十数メートルおきにあるわけなので常時イライラすると、自分がイヤな人間になるのがわかります。そんなこと思ってもないのに「インド人なんかキライだからあっち行って」とか言っちゃう自分。「インド人がキライなら国へ帰りなよ。僕も日本人はキライだ。政府はインド人を日本にやらない方がいいね」と返され、これもマジで頭にくるんだけど、自分も同じようなことを言っているので反省する。ごめんなさい。

荷物預けてまで(50ルピー)行ったお寺はヒンドゥ教徒以外入れず、言ってくれよ~!と思う。で、その近くの小さめのお寺に入ってみたら、オッサンにぐるぐると赤と黄色のひもを手首に巻かれる。なんかご利益あるようなのでお礼として10ルピーを出すと50ルピーくれと言う。

そのあとまた同じひもを持って待機しているオッサンがいるので「もういりません…」と言うけれど、「ちょっとこっちにきなさい!君のことはシスターだと思うから!いいことを教えてあげよう!」とゴリ押しなので、ハイハイ…と言って腕をさしだすと、「2ヶ月中に夫に出会う!1年以内に息子が生まれる!」とぽこぽこ頭をたたかれつつぐるぐる巻かれる。お礼にまた10ルピーを出すと、また50くれと言われる。「家族の分もあるから!」とひもをたくさんおしつけられる。「50ルピーがないんですよ」というと「おつりあるから!」と言う。ない、ないと言ったけれど「シスターだと思ったのに」と良心に訴えかけるような言い振り。仕方がないのでオッサンの隣に座って「お釣り」の準備をしている人に100ルピーを渡すと、50ルピーをオッサンに渡している。「なんでよ!お釣ちょうだいよ!」と言うと、「50ルピーずつなんだよ!」と返される。ムカつく!絶対取り返してやる!と思うけど父になだめられ、立ち去る。

父のリクエストで火葬場ガートも見ました。なんていうか、不思議な光景でした。火葬の隣でフツーに洗濯してます。遺族の儀式の一部だと思いたい。。。薪代どうのこうのというScamにもひっかかるところでした。ここでもケチな観光客って感じのケンカ腰だったので、あとで自分に嫌気がさす。

こんな感じで、いやな気持ちが循環します。めちゃくちゃ疲れる。


Dashashwamedh Ghat

Dashashwamedh Ghatは84あるガート(沐浴場)の中でも中心部分にあっていちばんポピュラーらしいです。ここで地元で先生をしてる人(映画までの時間つぶしをしていた)が「ここに30分座ってるけど、3人ゴミを捨ててったよ。ここから12時間離れたところならこの河も透き通ってるのに」と言っていたのが印象的です。


モクヨク

そういえば「長澤まさみ(漢字あってる?)を知ってる」と言っていた人もいましたけど。

もちろんチキンの私はこの聖なる河でバタフライなんて度胸はないわけで。

というのも、何年か前にスタディツアーでインドに来たMちゃんが、ガンジス河で泳いだら次の日傷があったところがありえないくらいはれて、めちゃくちゃ具合も悪くなったって言ってたから。

2年インドにいて体の耐性もできてるとは思うけれど、ちと怖いよ、やっぱりね。

ということで足だけ。


しっぽだけ。

帰ったらクリーニングしようねぇ!!


向こう岸

この時期は水位が高いから、ボートも出ないんだって。とホテルで聞いたけど、そのへん歩いてると「ボート乗る?」と聞かれまくる。でも流れがめっちゃ早いので、バカの私でもこのボートに乗ったら帰ってこられないだろうなと本気で思う。私ボートキラいだし。。。


…結論:この街が非ヒンドゥ教徒の観光客をたくさんひきつける理由がわからない。自分はこの街に向いてないと思う。Chennaiにも向いてないと思うけど。

あ~今日も疲れたぁ


2013年7月8日月曜日

北インドブッダ追っかけ旅 (2) Patna - Gaya

こんばんワニ。


なじみのあるSan Franciscoで飛行機の事故があったとかでビックリして、また悲惨な事故だったと思っています。

が、けっこう私たちも今日大変でした。

ニュースを観て「え~インドで爆破テロだって!みわちゃん大丈夫かな?でも毎回インドで何かあってみわちゃんに大丈夫ってメイルすると、今いるところと関係ないって言うから、今回も大丈夫だよねー!」と思った人は間違いです

今朝爆破があったお寺は明日行く予定だったところなんです。


今日は朝からいろいろあった。

7:20発のAir Indiaビハール州Patna行きの飛行機に乗るため、朝イチでホテルから空港へ。空港までは車で5分くらいだし、国内便なんて1時間ちょい前に行けば手続きが間に合うのに、ホテルマネジャー氏が5:15にタクシーを用意してくれて、早めに行くことに。これが不幸中の幸いだった。

チェックインをしようとカウンターに行く。Eチケットを渡すと、係の人が「ちょっと待って」と別のカウンターに行ってしまう。なんだろうと思ったけど待つ。5分くらいしてその人が戻ってくると、「問題がある」と言う。

何がどうしてそんなことになっちゃったのかわからないけど、父のチケット番号で誰かがもう「飛んだ(flown)」と言うのです。乗り継ぎ便などの場合父が同じチケット番号を使う可能性はあるけれど、昨日父が日本からやってきた便は今日のフライトと別々に予約しているのでそんなこともないはず。。。

別のカウンターでこの人のスーパーバイザーと6時に話をしろと言われ、待つ。

6時にそのカウンターに行くと、話が全く伝わっていない感じで、私たちが説明をするハメになる。んで、まぁそのまま搭乗券をくれるのかと思ったら、いっぺんキャンセルして取り直さないとダメ。私たちはネットで早めに予約していたので、今日取り直すと割引額が帳消しになってしまうと説明される。最初の値段で取り直せるように手配すると言われる。

そのカウンターでそのまま手続きしてくれればいいのに、建物の端っこにある別カウンターまで行けと言われる。

で、そこでもなんだかんだ待たされ、クレジットカードで払ってよーやくチケット入手。またスーパーバイザーのカウンターに戻りようやく搭乗券入手、荷物預け、あわててゲートへ。案の定、ゲートではFinal call中。お腹ペコペコで席についたのでなんだかよくわからないVegetarian pastryが非常においしく感じる(父はカレー風味チキンCalzone笑)。


Patnaに到着。ちっちぇえ空港。州都なのに。。。

Biharはインドでも最も開発がすすんでいない州。そこらへんにテント住まいしている人たちもたくさんいるし、州都なのになんかちょっとさみしい町だしね。まぁ南インドの町並みと違うし、そのせいもあるのかも(私の気持ちの問題)。

空港から駅へPrepaidタクシーで移動。360ルピーは高いだろ。

Patnaの駅もなんかごみごみしてるし、駅前はごちゃごちゃしてるし、ゴミはタミルナドゥよりたくさん落っこちてるし。とりあえず荷物を駅で預けて(ひとつ17ルピーなんてぼったくり!)、電車の時間まで近くにあるという博物館に行ってみることに。

駅のPrepaidオートを手配(100ルピー)。ドライヴァーのおっちゃんは私がヒンディ語を話さないのなんておかまいなしにガンガン話してくる。

で、博物館についてみれば(9時半くらい)博物館は10時半まで開かないとのこと。。。電車が11時40分なので11時には駅に戻っていたい。なので30分だけってちょっともったいない。んなわけで、同じおっちゃんに駅までまた乗せていってもらうことに。

でも結局駅のすぐ近くの公園に降ろしてもらう。Budha Smriti Parkという公園で、大きなストゥーパが立ってます。なんか新しそうだなと思ったけど「ISO」を胸につけたうさんくさいセキュリティ氏いわく2010年オープンとのこと。

ストゥーパ

中ではちょうどお坊さんがお経をあげているところで(お祈り?)、座って聞かせていただく。そのあとにお坊さんが「どこから来ましたか」とおっしゃる。日本から来ましたと言うと「二人のためにお祈りしましょう」とまたお経をあげる。そのあと、お釈迦さまと他の国から贈られたというHoly relicsの周りをぐるりと回り見学終了。この間汗がだっくだく(エアコン故障中)。

ここにも博物館ができるようですが、オープンから3年たってもまだ建設中だかなんだかで入れず。展示するものがないんじゃないかと思ってしまう。

ここの芝生でだらだら~と過ごし、11時ごろ駅へ戻る。途中父がバナナ購入。25ルピーと(バナナカートの人が英語わかんないからそのへんにいたお兄ちゃんに)言われたのに、50ルピー渡してお釣りが40ルピー。よくわからん。。。


AC車両に乗り込み、いざGayaへ出発!と思ったら雨がざーざー降り出す。いや~な天気。

とか思ってたら、ホントにありえないことが起こったね。

Gayaにつき予約してあるホテルを探す。地図見たら駅の近くだったので特にお迎えのお願いもしてなかったんです。でもその地図を印刷してなかったんで苦笑、想像より20倍くらい混沌としたGaya駅前からは見当たらない。どうしようかと思案しているとAutoドライヴァーが次々にやってきてBodhgayaに行くのか?連れてってやると言ってくる。今日は行かないのよと強く言ってホテルの方向と思われる方に行く。小さな路地をのぞいて、あっけなく見つかる。

ホテルに入ったとたん、これまたお粗末な英語のフロント氏(たぶんマネージャー)が「Bodhgayaは危ない、爆弾、爆弾」と言ってくる。

はて、言ってんだ?あぁ、Biharは物騒だって言うし、そのことかなぁと思う。すると、別のスタッフがやってきて、今朝5時ごろ、明日私たちが向かう予定だったMahabodhi Templeで爆破があったと言われる。周辺地域は閉鎖され、中にいる人は外に出られず、外にいる人は中に入れない。捜査に2週間はかかるとのこと。と、フロントのテレビをつけてくれたけどヒンディ語でさっぱりわからず。苦笑


ば、ばくは…?ね、ねむい。

マネージャー氏のススメもあり、 明日は別の仏教関連遺跡に行く事になりそうです。今日の業務終了。

で。そのあと部屋に来たのだけど、ここでもタオルがひとつしかない、停電は短いけど回数が多い、水が出ないとトラブル続き。あぁ、今日も疲れた。



卵パコラ



Fried dhal and Chicken Butter Masala

まぁこんな感じで北インド料理もちょっとずつ食べています。


2013年7月3日水曜日

終わりの始まり (3) 先生の涙

こんばんワニ。


と、いうようなことがあったのでイライラがまた爆発しそうになり、ここ数日アーユルヴェーダやらの薬でお腹の痛みと戦ってきた私ですが、なんとか卒業できそうな雰囲気です。

学科長の言葉を信じようというか信じないとやってらんねーと思いつつ今日も大学へ向かいました。友人宅のあるVeelinayakenpattiNilakottaiからちょっと離れているのでAutoに乗りNilakottaiのバス停へ。

ここ2年間何度も「うちに住んで大学に通えばいいよ」と言われてきたのでそれを今になって試しているような感じです。結論、日本でも満員電車の通勤はしたことあるけど、インドのラッシュアワーバス通学はつらそうだわ、ものすごく。あとは想像にお任せします。

学科長との約束の10時前に学科に到着。E教授も来ている。蚊を追い払うのに疲れたので外で待つ。すぐ学科長も現れる。

まず学科長とP先生が学科長のオフィスで話をして、そのあとE教授が呼ばれ3人で話している。E教授は昨日ぶつぶつ言っていたようなことを学科長に伝えているようす。謝礼がどうのこうの、とか。

少しして私も呼ばれ中に入る。E教授はご丁寧にもうだうだと理由を書き連ねたレターを用意してきたようで、それを学科長に渡して熱弁している。学科長には先週の金曜日に「7月4日にDindigulから電車に乗るのでそれ以降は来られません」とレターを渡しているのに今になって「いつここを出るんだ」とまた聞かれる。「4日です」「4日…?」「7月4日です」「7月?」…ってオイ、先週話したじゃん…。E教授は「なぜ学科長にも私にも連絡していないのにP先生にだけ(出発日の)連絡をしたんだ」と言われる。いちいち全員に話さなきゃいけないのかよ。

E教授には昨日と同じように「7月4日にここを離れなくては行けない理由は何だ」と聞かれる。なので、「とっとと出ていきます」レターの件を学科長に思い出してもらう。E教授は「君が大学を離れるための許可を誰が出したんだ」と言う。卒業生が大学から巣立っていくのにいちいち許可が必要なのかよ。たぶんお前はガイコクジンだから大学の許可が必要なんだと言いそうなところ、学科長が「これ(私がインターンシップのあとにすぐに出ていくこと)は私たち(学科長とP先生)が指示したことだ」とビシっとツッコみを入れる。それなのにP教授は「それは私には受け入れられない。きちんと許可が必要だ。私は自分の意見をきちんと書いて正式に学科長に提出している。」うんぬんかんぬん。それで学科長の話がまだ終わってないのに勝手に出て行く。

E教授のレターに目を通している学科長。そこで、私も一応用意してきたんですけど…と、昨日マニプリお姉ちゃんのラップトップでこつこつタイプしたレターを渡す。内容はもうすでに学科長にもControllerにも伝えてあることなのだけど、一応きちんと文面にしたんで。電車やフライト、ホテルも予約していて、またアレンジしなおすのは難しいこと、奨学金も先月末で打ち切られていること、父が来ること、学科にはP先生を通して出発日が伝わっているものだと思っていたことなどなど。かなり腰を低くして書いたつもり。

それを見た学科長が「Let's go」と言う。またE教授のとこですか…とあきらめようとしたら、学科長はP先生と一緒に学科から出て行く。あわててあとについていく。

学科長が向かった先はOffice of Controller of Examinations。まぁ、うちの学科の隣の隣くらいの距離なんだけどさ。そして学科長とP先生がControllerのオフィスに入っていく。ここはテスト関連の書類があり生徒は勝手に出入りできないので外で待つ。

ちょっとして何か書類をかかえてE教授がやってくる。なんだよコイツも来るのかよ!と思ったけどControllerのオフィスじゃなくて他のスタッフのいるところに入っていく。何をしているのかわからないけどすぐ出て行く。私の前を無言で通り過ぎる。私も見なかったことにする。

20分くらいして学科長とP先生が出てくる。学科長が「心配しなくていい、今日外部評価者を呼んでVivaをやるから。午後にまた来なさい」と言う。これは口約束ではないと思う。思いたい。

寮に行ってお姉ちゃんとイトコちゃんに何があったか説明する。二人も新しくマニプールから来ているオンナノコの入学手続きや寮の部屋確保でバタバタ忙しいのだけど、まぁ座りなよと言ってもらい話をする。んで、結局ランチもごちそうになる。。。

午後って何時くらいかな~…クラスのスケジュールだとランチは13時45分までということになってるけど。と思っているとNilakottaiのCが電話をかけてくる。「今Mと一緒にいるんだけど、学科の教授と話をしようか?」えぇ。

CとMのNGOはうちの大学ともつながりがあって、研修をここで受けたり、研修の講師として呼ばれることがあるほか、Mは実は私の大先輩に当たる人。2年前に私がここで勉強することになったとき、周りがみんな喜んでいる中で「あそこはpoliticsがあるところだから気をつけて」と唯一警告をしてきた人です。彼もかなり苦労したから、と。そんなわけで私はCをLocal guardian(遠方から来ている生徒はこの辺りに住んでいる人に保護者代わりになってもらわなくてはいけない)として大学に登録していました。

まぁそんなつながりはあるのですが、わざわざ学科と話をしなくても…と思ったので「大丈夫、きっとやってもらえるから心配しないで」と言う。Mが「でももしやるつもりがないようなら連絡して」と。

そのあと、またぼ~っと過ごす。

またCから電話がある。「今学科長と話をしたよ」と。??????????????

二人がなんと私の学科に行って話をしてくれたのだそうです。それによると学科長は「心配ない、今日15時に評価者をアレンジしたから」と言ったそう。わざわざ本当に話をしてくれるとは思っていなかったのでびっくりする。Vivaが終わったらまた連絡してくれと言われ、とりあえず電話を切る。

そのあと、同じ学科のB教授から電話があり、16時にVivaを受ける準備をしなさいと言われる。でも秘密だから、と。

ということで16時前に学科長のKVKオフィスへ。オフィスの前で待っているとB教授もやってくる。で、「レポートは?」と聞かれる。えぇ。「金曜日にE教授に提出して、自分の分は印刷していないんです」と言う。「そうか、ではあとで提出でもいいか確認しよう」と。そのうち車に乗った女性がやってきて学科長のオフィスに入っていく。学科長の車でこの女性を迎えに行ったスタッフが私にも中に入るように言う。

思ったとおり、この女性が外部評価者でした。8日に他の生徒が来るときにも担当になる人のようです。レポートはもう1冊印刷し、学科長を通してこの女性に渡してもらうことになりました。

この間の「冗談でしょ」のようなVivaとはちがい、なんだかんだで1時間くらい話をしました。口頭試験っていうか、2年間の総括のような質問が多かったかな。日本とインドの比較とか。糖尿病に関しては私もかなり熱弁しました。

でも「それでは、2年間のガンディグラムでの経験をまとめて、『何を日本に持って帰るか』という点に関してはどのように考えているか」なんて質問は今聞かれるには最悪のタイミングなわけで。

「2年間最悪な思いをしてきました。クラスメイトとの言葉の壁、インドのシステムあれこれ、修士論文での苦労、病気…。もう早くここを出たくてしょうがないんです」

…とかは言ってないです笑。かと言ってこの大学を褒め称えるわけにもいかないので「まぁいろいろ大変ですよ。私も、クラスメイトも、周りの村も、いろんな問題を抱えてますよね。それがわかったというのは貴重な経験です」とオブラートに包んだ返答をしました。

名刺までいただいて(そいえばこの間のVivaでも名刺もらったけど、どこにやったかな)、わざわざ2度も来てもらうことになることに感謝し、学科長とB教授に感謝し、KVKを出る。レポートのことがなければ今日が最後になるのでもう一度お姉ちゃんに会いに行こうと思ってたけど、また明日も来るしと思ってそのまま帰ることにする。通学(帰り)ラッシュにまたぶつかり、満員バスで帰る。

帰り、お世話になった人たちに「MBA終わりそうです」の報告とお礼のために箱詰めのお菓子を買う。思ったより高くて少々ビビる。

村に帰ってお菓子を配り、すっかりリラックスしてグーグー寝る。

では済まなかった。

お菓子を持ってCの家へ。

ここで何があったかを話したところ、Cに実は今日もともとうちの大学で用事があったと聞かされました。わざわざ来てくれたのなら申し訳ないと思ってたのでちょっとホっとする。それで、学科に行って話をした~、の一部始終を聞きました。

まずは学科長より親交の深いB教授のところにあいさつに行ったそうです。最初っから私の話をするのもあれなのでまぁ当たり障りのない話題から始まり、「そういえばミワのことは知ってますか」と切り出したそう。もちろん知っていると話がつながり、そこで「ずいぶん大変な目にあっていると昨日彼女が言っていたものですから」と伝えたのだそうです。実はその時点でもう学科長が外部評価者のアレンジをしていたのだけれど、B教授は「ぜひあなたたちからも学科長に話をしてほしい」と言ったそうです。

それで…私の話をしているとき、B教授が涙を流したと言うんです。

ルールにそって生きているような人で、生徒には厳しいし、キッツいこと言うし、人間性疑うこともよくあるのだけど(生徒をバッファロー呼ばわりとか)、私をDindigulに迎えに来てくれたあの日(実はあの日心配で朝4時からバス停と家を行ったり来たりしていたのだとか)から私のことを妹のように思ってくれていたのだと。(そこ、娘じゃないんだ?というツッコミ入れたかったけど。)

なんだか、こんなこととかあったけど、私のことをきちんと考えていてくれたのだと思うと、しばらく意識して距離を置いていたことなど、大変申し訳なく思いました。

B教授と話をしたあとCとMは学科長のところへ。学科長は今日どこかで会議があったのだけど、私のためにそれをキャンセルして大学に来てくれたのだそうです。E教授が書いたレターはちらっと二人に見せたあと、二人の目の前でそれをビリビリ破ってゴミ箱に捨てたんだって。あぁ、それ、E教授の前でやってほしかったわぁ。

Cの話を聞いたあとMの家に行って、同じように学科長と話をしてくれたことのお礼を伝えました。Mは在学中にB教授とちょっとモメた過去があるので、「普段Bがめんどくさいごたごたに生徒を巻き込むことが多いんだけどね。学科長もB教授も君のことを心から応援してくれているようだね」と驚いていました。

最後の学期に起こったあんなことやこんなことで本当に心底、うちの大学の評価が自分の中で急降下だったけれど、最後の最後に私のために今日のVivaを(こっそり)アレンジしてくれたControllerと学科長、B教授、それにP先生には、今後も頭があがらないでしょうね。

明日レポートをもう1冊提出してきます。これで終わりだと思うけれど、本当に終わるまで終わりとは言わないことにしよう。


おまけ:お菓子買う前に心配した父から電話がありました。心配、つきないね苦笑



2013年5月25日土曜日

Sealing, sealing, shipping! 白い巨塔(2)

こんばんワニ。


と、いうことで、昨日の続きです。


今日は朝からトラブルでした。

トラブってたのは私ではないのだけど。


昨日白い布ぐるぐる巻きにつきあってくれたマニプリお姉ちゃん。

帰りに荷物を乗せてAutoで帰ったときに
いつもの大学入り口野菜やさんで
マンゴーを購入。

私はマンゴーにアレルギーがあるので、
このマンゴーシーズン、
店頭で黄色く輝くマンゴーを眺めつつ
あぁ、食べてみたいなぁと思いながら
ブドウを買う毎日です泣

で、お姉ちゃん昨日部屋に戻って
2個たいらげたらしい。

夕方くっちゃべってたときに
「ひとつ食べたんだけどあんまり新鮮じゃなかった」
と言っていたので
まさか2個目食べるとは思わなかったんだけど…。
2個目は友だちと電話で話しつつ食っちゃったって。

マンゴーって、私みたいにアレルギー持ちの人でなくても
お腹をこわしちゃう人、多いみたいなんだよね。

マンゴーシーズンに入りたてのときとか、
みんな喜んで食べるけど
クラスメイトのKなんか
舌が真っ赤になっちゃったりするんだよね。

じゃぁやめとけよ、と思うけど。

で、お姉ちゃん。
この人、ものすごくお腹(も体も)弱い人です笑

すぐお腹こわすし、
すぐ熱出すし、
頭痛もしょっちゅうだし、
ついでに腰痛もよく出るし、
虫によく刺されるし、
やたらと薬を飲んでいるのを見かけます。

マンゴーでお腹くだすのもしょっちゅうなのに
2個も食いやがって。

昨日はぐるぐる巻き待ってる間にアイス食べたし、
ご飯でグリーンチリ多めだったようだし、
全部ごっちゃになって
夜からお腹下り坂だったようです。。。


そんなこんなで今朝。

10時にAutoに来てもらうことになってたので
15分前に確認の電話を入れることになっていたのですが
その直前にお姉ちゃんから電話。

「電話した?」

私「いやまだだけど、もうすぐかけるよ」

「10時半に来てもらって」

私「わかった…何かあった?」

「昨日からお腹の調子が悪くって。
今薬飲んだから10時半には行ける

私「えぇ じゃぁ休んでてよ ひとりで行けるよー」

ひとりで行けるわけないでしょ

…うぅむ、そうかも。

お姉ちゃんにも妹にも
ずぅっとお世話になりっぱなしな私。

他の州から来ている彼女たちは
ガイコクジンの私と同じようなもん。
言葉もなんとなくしかわからないし。

だけどChennaiで何年かすごしたあとにここに来ているので
ものごとがうまくいかない」ことに慣れているし
どうやったら対処できるか知っている。

私のようにやたらブチ切れることもない。

だからいろいろつきあってもらっているのです。

今日も具合が悪いのなら休んでいてほしかったけど、
郵便局でまた変な要求をされたり
やたら待たされたりといったことが不安だったので
結局、来てもらいました。
ありがたや。


病人待たせたら、ダメっしょ!!

と思ったけど、
今日はキモチワルイくらいに物事がスムーズでした笑


前述の通りうちの大学の郵便局では大きい荷物を受け取ってもらえないので
Dindigulの本局(?)へ。

AutoでDindigulについてみたら
何やら政治デモか何かで
道がごったがえしている。

あーめんどくせーと思ったけど
小さい隙間にズンズン入っていく
ドライヴァーS(最近パパになりました)のおかげで
無事到着。


窓口に並んで、
「あ~担当が英語きちんと話せなかったら困るな~」
と思ったけど、
まだ研修生らしいその子は
流暢に英語を話し、
ていねいに対応し、
的確な説明をし、
仕事きっちり!

さすが、本局


というのも。

少し前に大学の郵便局でマニプリ妹とイトコちゃんが荷物を出そうとしたとき。

職員「今停電してるから処理ができない」

妹「発電機があるんだから使ってください」

職員「発電機を作動させる人が2時にならないと来ない
(注:それまでにはおそらく停電時間は終了している)

妹「そんなに難しくないでしょ」

職員「私たちじゃわからないのよ」

妹「その人早く呼んでよ。
電気がないからといって仕事をしなくていいというわけじゃないでしょう」

と言い合ってるうちに
郵便局に来ていた客に
職員が何やらタミル語で話しかけ、
客が発電機作動させたっていう。。。

と、いうのが大学の郵便局の対応なわけです。
客を客と思ってない。


なのでしばらく郵便局への信頼はマイナスだったわけですが
今日の彼女の対応で希望が持てた


まぁ、ちとめんどくさいことはありましたよ。

上記大学郵便局で
これ書いて持ってきてと税関用のフォームをもらったのだけど
昔のフォームのオリジナルをくり返しコピーしているような代物で
よく読めないし、大丈夫かこれ。。。
と思う。

ネットで同じフォーム見たら
まるっきりレイアウトが違うし。

でも書かないわけにはいかないので
書いて持っていったら
デキる窓口の子が
これじゃだめよ」とバッサリ。

新しい、4連複写式くらいの用紙をもらい
全部書き直し。

内容は日本から海外に出すときに書くようなものと同じです。
たぶんこのページのCN 23。

ちなみにこれ、
日本のフォームみたいにシールじゃないので
(気がきかないねぇ)
セロテープ(←持参)で貼り付け。

支払証明のステッカーも
片側しかのりがついてないので
結局セロテープ貼り付け。


また、郵便局に宛てて
私はどこそこにどんな荷物を送ります。
返送されても郵便局に責任を問いません
という恐ろしい内容のレターを書かされました。

届いてくれ。。。泣
返送されても困る。


それと、「総重量がわからない」と言ったら
じゃぁこっちで測ってと窓口の反対側にあっさり通される。

自分で測るのは別にいいけど、
客を作業場に通しちゃっていいのか。。。

で、総重量は箱の上にマジック書き。
(フォームにも書くけど)


このあと、昨日やった「封蝋」ではちょっと足りないということで
再度やることに。

「そうじゃないと開けて中身が抜き取られるわよ」

という窓口の子の言うことはごもっともなんですが、
郵便局職員がそれ認めちゃっていいのかって笑

まぁ、私は傍観者なので写真を撮りました。


ぺたぺた

左に立てているろうそくで赤い封蝋スティックをあたため、
箱の角と糸の始末をしているところにくっつけます。

(ぼったくり仕立て屋はまず箱のサイズでミシン縫いの袋をつくり
それに箱を入れてとじるところだけ手縫いをしています。
ミシン縫いのところはしっかりしてるので封をする必要ナシ)


ぺたぺた

蝋をつけたところにルピーコインを押し付け、
しっかりと固めます。


できあがり

これで完了。

ちゃんと届いてください。

ちなみにお値段はSAL(Surface Air Lifted)で

5.7キロ 1807ルピー
9.1キロ 2591ルピー
10.7キロ 2815ルピー
9.7キロ 2703ルピー
でした。

1万ルピー以内におさまった!Yay!

20日で届くといわれたので
多分その倍の40日くらいかかるでしょう。。。

まぁ、私が帰る前には届いてるかな。


写真にちょっと写っている封蝋やってくれたお兄さん、
マッチも買ってきてくれたし
2ルピーもお兄さんのポケットから出したものだったのね。

作業を終えてすぐに出て行ってしまったので
コインも返せず、
お礼もできず。

どこに行ったかわからないので
「これちょっとですが渡してください」と
心ばかりのお金を窓口の子に渡そうとしたら
「必要ないですよ」との答え。

まぁ、サービスの一部だと思えばいいのだけど
わざわざマッチも買ってきてもらったし、
どうしようと思っていたら
なんとお兄さん郵便局の目の前でティータイムでした。

まずコインを渡して
「あと、これ、私からです」と
お礼を渡そうとすると
「やめてください」との答え。

公共のサービスだからこういうチップみたいなものは
受け取れないのかな?と思ったけど
こういうのにがっついてくる人たちに慣れてしまっていたので
(ホテルとか、チップくれって言ってくるんだよ)
なんだか拒否られたのが新鮮で
すがすがしく感じられました。


さぁ、荷物も送ったし、
あとは部屋を掃除して、
月曜からのインターンシップに臨むのみです。




2013年5月24日金曜日

Packing, sealing, shipping 白い巨塔 

こんばんワニ。


白い巨塔

日本もそろそろ気持ちいい季節からじめじめした季節に足かけ
って感じだと思いますが
いかがお過ごしでしょうか。

今日ナゾの白い巨塔が私の部屋に出現しました。


…ではなくて。


これ、インドで何か荷物を送るときにしなくてはいけない
白布ぐるぐるまき、です。

ネットで何か買ったりするときは
普通のダンボール箱にテープはっただけなのに、
なぜか個人で物送るときは
こうやって布につつむことが奨励される。

んでもって、海外に物を出すときは
必須、と言われました。
これもホントかわからないけど。


一応、日本から何か送るときのように
航空便、船便とSAL(Surface Air Lifted)が選べます。
EMSもあるのかな。

SALというのは
航空便より安くて船便より早い
というふたつの中間に位置するサービス。

国と国の間を輸送するときは飛行機で、
国内に入ったら陸路で運ぶというもの。

日本はあんまり大きくないし
国内の郵便事情がものすごくいいので
陸路で送ろうがあんまりカンケーないでしょ。

なのでSALにするほうがお得なのです。

…が、ネットで検索したら100ルピーくらいしか変わらなかった笑

それなら航空便のほうが安心かなぁ。


まぁ、なんにしろ、ぐるぐる巻きはやるべきなのです。

こうすれば破損を防ぐし
開けられる可能性が減る

…ということですが、う~ん、あんまり関係ない気が。。。

この超めんどくせー作業を
マニプリお姉ちゃんは
「私が縫ってあげるわよー!」
と言ってくれたのですが
一応プロに頼んでぎっちり縫ってもらったほうがいいかと思って
(実家から荷物を送ってもらったときの、2年前の古い箱リサイクルなので苦笑)
Chinnalapattiの仕立て屋さんで縫ってもらうことに。


昨日箱づめを終了し
4箱持ってAutoでChinnalapattiへ。

ドライヴァーのおっさんが知っているとこに連れていってもらったら
担当の人がいないからわからない、
でも明日午後1時前に仕上げます
と、アイロンしかできないようなお兄ちゃんに言われ
「1時ね?」と念を押して帰る。


今日、ちと遅れて2時すぎに到着。

案の定まだ縫ってやがる。。。

「1時って言ったじゃんね」
と言うも、

朝から一生懸命やっていて手が痛いくらいだ
と悪びれもなく、ニコニコして言われるのみ。

そのまんま拾ってDindigulに行こうと思ってたのに。

というのも、
うちの大学にも郵便局あるんだけど、
大きい荷物は受け取ってくれないんだって。

一応最高20キロってことになってるのに
20キロになるんだったら、扱いが難しくなるから3つに分けて
とか窓口で言われるんだよ。。。

あんたが扱うわけじゃないじゃん。。。

ということで、Dindigulに行こうとしていたけれど
ぐるぐる巻きが終わってないし
Autoに待っててもらうわけにもいかない。

ということでAutoにあとで来てもらうことにして
「いつ終わるの?」
と聞くと、
4時に終わる

いや、窓口4時でしまるんですけど

そばで見てたらプレッシャーで早く終わるかと思って
その場で待つことにする。


と、思ったけど、
やっぱ終わったの4時前。。。

あきらめて明日の朝出すことにする。

「いくらですか」
布代込みで1000ルピー

いや、ぼってるっしょ

ネットでいろいろ見たけど、ひと箱200ルピー出してる人だって少なかったぞ?
250ルピーなんて高すぎだろ。

と思って交渉したけど
ニコニコするだけで一向に値下げする気なし。

これもあきらめて払う。

(でも今書いてたらムカついてきた。やっぱねばるんだった)


Seal

んで、すごすごと寮に帰ってきたわけですが。

お姉ちゃんいわく、
この縫い目のはしっこ(糸の始末をしているところ)に
こうやって「封蝋」をするんだよと言われ、
赤いスティック状の蝋をもらって封をしました。

つか、お姉ちゃんにやってもらったんだけどね。。。

赤い蝋で封をするなんて、
映画でしか見たことないなーと思ってたけど、
インドでも重要書類などにはこうやって封蝋をするんだそうです。

テストの問題とか。


さぁ、明日は朝から郵便局に行くぞー。

つか、いくらかかるんだろ。。。

ぶっちゃけ、荷物がそれぞれ何キロあるかわかんなから
計算もできないんだよね苦笑

でも10キロ航空便で2800ルピーくらい、らしい。

10キロもないと思うけれど。。。



2013年4月16日火曜日

Extension Education, Education Extension (3) 救世主あらわる、かも。

こんばんワニ。


表題から察していただきたいのですが、まだ学生ヴィサ更新ができていません

前回前々回と学生ヴィサ更新のためにDindigulに行った私。今日もう一度行ってとりあえず書類を受け取ってもらうところまではどーにか今日終わるだろうと思っていた。願っていた。

今日はDindigulにもたどりつかなかった

ホント、今日は3回ぐらい泣きたくなった。

今日の予定は

アサイチで学籍証明書(9月末まで滞在する必要があると明記されたもの)を入手し、コピーをとってAmbathuraiの警察署(つか交番?)に行き、Security Clearanceをもらってその足でDindigulに行き、更新の手続きが終わらないにしてもとりあえず書類を渡す

というものでした。

午後帰ってきて論文の最終原稿を担当教官に見せるというのも予定のうちでした。←今週提出なんだよ!

朝。

気合い入れて今日は靴。(いつもはサンダル)

9時半前からMBA Coordinatorのオフィスで待つ。ちぃと遅れてCoordinatorが到着。この人大キライだけど、どうしようもないのでぺこぺこ頭を下げて(嘘)もう一度日づけ入りで作ってもらう。

「これでいいんだね」と言われて「そうだと思いますけど…FROの人に確認しましょうか」と電話を取り出したけれど「私が金曜日に話したときにこうこうこうしてと言われたから」とCoordinatorが言うので、そのまま印刷してもらう。

と言っていたら停電。CoordinatorのオフィスはUPSがあるのでパソコンもプリンタもそのまま使えるけど、外でコピーがとれない。どうしようとわざとらしく言ったら、学籍証明書にサインしたものをスキャンして、それを印刷してくれました。

「ホントに何から何までありがとうございます」と言うと「いやいや、We are here to help」と言われて、ホントに1年以上この人のことがキライでキライでどうしようもなかったけど、ちょっと自分考え改めないとと思う。

待っている間にまたしょうもない日本についての質問をされ、先日の社会学科での事件を思い出す笑

ありがたくコピーもいただき、あわてて外へ。

金曜日にDindigulでバッタリ会い、警察に一緒に来てくれると言ったG先生に電話をかけ、「これから警察署に行きます、待ち合わせましょう」と言おうとすると、

今Dindigulにいるんだ

えぇ?

月曜一緒に行くから朝電話しろって言ったじゃん…。。。

「じゃぁひとりで行きます…」

と電話を切る。。。その後、学科のP先生から、G先生は3月末で退職したことを聞く

なんなんだよ。。。

Autoドライヴァーに電話をかける。待つ間「これから警察に行くの!」とマニプーリシスターズのお姉ちゃんに伝えようと生物学科の前へ。

「これから行ってくる。今Autoが来るの。スタッフの人は来られないんだって」と言うと「一緒に行こうか?」と言ってくれる。

警察にひとりで行くのはやっぱり少しイヤだったので「でも作業とかあるんじゃないの」と言うと「いいからいいから。担当教官に話してくる」と言ってすぐにバッグを持って出てくる。

どーやら、もちろん彼女は親切心で言ってくれているのはもちろんなんだけど、今日学科にいるとめんどくさい仕事を頼まれそうなので(他の博士号過程の人の論文の訂正)、抜け出したかったみたい笑。まぁ、私にとってはありがたい!

ということで、二人で警察署へ。やっぱ交番、かも…。

大学を出る前にFROの職員に電話して「これから警察にいきます」と言ったときに担当の警察官の名前を聞いていたので、デスクで作業をしていた人(制服を着てないけど警察官て言うんでしょうか)に「Rさんを探しています」と言うと

「あとで来るから隣の部屋で待ってて」と言われる。

いつ来るんだ…と思いつつ、待つ。待つ。待つ。

そのうち中でデスク警察官と話をしていた人たちが帰る。デスク警察官が中に入ってと言う。

こうこうこういう理由で…と話し出すけれど、どうやら英語は話せない様子。でもどうにかヴィサの延長をしたいんですと言うと

担当の人は夕方にならないと来ない。Maduraiに行ってるんだ

と言われる。

えーーーーーーー。。。

夕方また来るの?と思って予定が狂ったと焦る。

でもとりあえず、書類を見せたら?とマニプリ姉が言うので一式渡す。

きちんと読んでるのかわからないけど、目を通す警察官。

Witnessからのレターが2通必要だ

また、追加の書類…。

どうやら、警察から「この人は犯罪を犯していません」という証明を受けるためには、誰かに「この人は犯罪を犯していません」と言ってもらわなくてはいけないのだそうです。Referenceみたいなもん。

じゃぁ警察の意味って何なの?フツーにこの人たちがSecurity Clearanceを作ってくれればいいんじゃないの?

と思ったけれど。それがそういうもんなんだって。インドは!!!!!

タミル語でこうこうこういう内容でWitnessからレターを作ってもらってと言われたけどイマイチわからなかったので、作成してもらう人にお願いをする際この警察官に電話して、直接タミル語で説明してもらうことにする。

(追記:電話番号をいただいたので名前をきいたら、この人がRさんだった。「担当がいない」って、アンタが担当だろうよ!!)

ひとりは寮母、もうひとりはMBAか学科の教授に作成してもらったらと言われる。

「あとパスポート写真が必要」

と言われて、Kodaikanalの彼の言ってたことと違うじゃん…と思う。心底。

パスポート写真、手元にあったけど、これはFROに渡そうと思っていたものなので撮りなおしをすることに。

と、言うことで。18時にまた来ると伝え警察署をあとに。

Chinnalapattiへトボトボと歩いていって、パスポート写真を撮る。顔がひきつっている。

Autoに飛び乗って、そのまま化学学科の教授である寮母のところへ。いない。学科のオフィスで聞くと「どこそこのオフィスに行った」と言われる。

そこでまた移動しようとすると後ろから声をかけられる。ふりかえると、授業を終えたばかりの寮母が生徒と一緒に教室から出てくるところ。

化学学科オフィス、使えねー。嘘つくな!

寮母に説明をし、警察官とも話をしてもらう。記載内容(私の所属学科、父の名前、パスポート番号、ヴィサ番号、FRO登録番号、日本の住所等)を確認してどうぞよろしくお願いしますと伝える。快く引き受けてもらってほっとする。

次は学科へ。本来は学科長に書いてもらうのが一番よいのですが、学科長が出張のため、前学科長の教授のところへ。私の入学時からいつもお世話になっている人で、最初のFRO登録のときに私を連れて行ってくれた人なので、この人に頼むのが当たり前だと思ったから。

同じように説明して、こういうレターが必要なんですと言うと

「明日学科長が帰ってくるから頼んだら」

「いえ…急いでいて。今日の夕方に書類をそろえてくるようにと言われたんです」

「かと言って学科長の代わりはできないから」

「いえ…学科の教授なら誰でもいいと言われているんです」

「権威があるのはMBA Coordinatorだから」

「いえ…もうCoordinatorには学籍証明書を作ってもらったので別の人が証明するべきなんです」

…なんか、イラつく。レターが書けない(書きたくない)ならそうやってハッキリ言え!

私のイライラが伝わったのか

「君にはわからないと思うけれど、私はそういうレターを書く権威がなくてだね…」

うんぬんかんぬん!

いつもだったら「そうですねすみません」で済ませるけど、頭にきたし何言ってるのかさっぱりわからないので「ありがとうございました」と言って学科を飛び出す。

怒りで頭がどうにかなりそう。でもとりあえず、Coordinatorにもう一度お願いしてみようと思ってMBAのオフィスに行く。

Coordinatorは来客対応中。朝もぺこぺこお願いしたのにまた来てしまった自分がイヤになって、しばらくぼぉっと待っていたけど、その場をあとにする。

もう、自分だけじゃどうにもできないと思う。

私、基本的に人に頼るのがいやで。自分でできることは自分ひとりで何とかしたいと思うんです。このヴィサのことだって、以前にデリーで修羅場を経験したから何とかなると思ってた。

だけど、もういっぱいいっぱい。ひとりじゃ抱え切れない。

そこで、学科で「行って話をしてみたら」と言われたけど直接会いに行ったことのなかったPR(渉外、広報)のKさんのところに行くことにする。

Kさんのオフィスに行く。「学籍担当事務官のオフィスに行きましたよ」

学籍担当事務官のオフィスに行く。「開発部にいるみたいよ」

またたらいまわし。。。

でも開発部にてK氏を発見。特に何をしてほしいわけではないのだけど、こうこうこういうことがあって、書類がきちんとそろってるか不安なんですと言う

すると、私にいくつか質問をしたあとさっそくあちこち電話をするKさん。

大丈夫。私が何とかするから。3時に私のオフィスにきなさい

と言われる。

この数日間、「大変」「もうインドなんか」「政府の役人は最低」などグダグダ人に伝え続けていた私。でも「大丈夫」と言われたのははじめてでした。インド人の「Don't worry」は普段信じない私ですが、今日はKさんが神に見えた

K「学科の教授がダメなら私が誰か他の教授に頼むから。P教授(例の物乞い刺客)はどうだろう」

「授業受けたことないですけど」

K「大丈夫、大丈夫。」

といろいろ提案をしてもらって、とりあえず寮に戻る。

マニプリシスターズのところに行って、前学科長がレターを作成してくれなかったと怒りをぶちまける。「なんでなのかわかんないよ!」

マニプリ妹は前学科長のもとで博士課程をやっているので「ごめんね、悪いけど、あなたの担当教官サイアクよ」と言う。

…と言うのを聞いていたんでしょうか。。。前学科長が電話をしてくる。

前「私にできることは何でもするから!」

…なんなんだよ。。。。

前「いつでも電話をしてもらっていいから!必要なら早めにランチを切り上げて…」

「いえ…もう大丈夫です。Kさんに相談をしましたので…」

あきれてものも言えない。なんでそんなにコロっと変わるのよ。

午後。

あわただしく午後の授業に30分だけ出て、寮母のところへお願いしていたレターをとりにいく。15時に会議があるからその前にいらっしゃいと言われていたので14時40分には寮母のオフィスへ。いない。。。

待つ。。。待つ。。。待つ。。。15時になってしまう。。。

すると、私が寮母を待っていたのを知っていたオフィス職員が

M教授、会議に行くところですよ!

と言ってくる。は?と思って彼の方を見ると、寮母(M教授)がスクーターに乗ってどこかへ走り去るところ。

マジかよ!!!!!15時前に来いって言ったじゃん!

いろいろ罵倒ボキャブラリを発しながら寮母を追いかける。

運よく、すぐそばで寮母を止めて話をした人がいたので、なんとか追いつく。

「レターなんですけど…今もう会議に行くんですよね」

「あら、もうできてるのよ。ちょっと待って、誰かを呼ぶから」

早く言えーーーーーーーーーーーー!

まぁともかく、レターは作成済みで、彼女のオフィスにあるとのこと。彼女が受け持つ博士号過程くんに来てもらって、レターはいただきました。IbarakiがなぜかZbarakoになってたけど。。。

ということでWitness Letter一通は入手。

このあとKさんのオフィスへ。案の定、いません

15分ほど、オフィスにあった古い地図を見て待つ。にわか雨のあとKさんが到着。

ここで衝撃の事実が。

K「学籍証明書の年のところに書き加えなくちゃいけないことがあるね

何ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー????

私ここには2011年度、2012年度で在籍していたわけなのですが、この年度は5月で終わっちゃうので、それ以降滞在するには「2013年度にかかる9月まで」と言わなくてはいけないそうなのです。

バッカじゃないの?なんでそんな細かいこと?読めばバカでもわかるじゃんそんなの!

と明らかにあきれてます私、という顔をしたのでKさんが「君にはわからないと思うけど…」と言う。

ぜんぜん、わかりません。ホント、バカらしい。

学籍証明書作成しなおし(2回目)かよ。。。。

ともかく、寮母のレターを見せて、あと一通どうするか相談。けっきょく刺客に頼むことにする。

「寮母でとか寮での生活でというところを変更すればあとは同じでいいから」とKさんが言うので、そうお願いをすることに。18時には警察署に一緒に来てくれると言ってもらい、本当にありがたく思う。

刺客のオフィスへ。なんでまた自分なんだという顔をされるけれど、Coordinatorはもう別の証明書を発行していること、今日このレターがどうしてもほしいということと、前学科長にキョヒられた旨伝えると、じゃぁサインするよと言う。

ただやはりこの時間も停電中だったので、MBAのオフィスでレターの文面だけ作るように言われる。16時半には帰るので、それまでにはMBAオフィスに寄ってサインをするから、と言う刺客。

刺客オフィスを飛び出してMBAオフィスへ。今朝証明書をタイプしてくれたスタッフがいない。そこでCoordinatorがいるCooperation学科へ(彼はCoordinatorとCooperation学科長を兼任している)。授業中。。。

そこでやはりCoordinatorに話があって待っていたクラスメイトに「いろいろ大変でさ…」とこぼす。でも刺客が帰る時間が気になったので、授業妨害してCoordinatorと話をすることに。

(ちなみに、私と同じように授業妨害して話をしていた人がいたからですよ)

「すみません…また作成しなおすように言われました」

「わかった、授業が終わったらMBAオフィスに行くからそこで待っていなさい」

と言われ再度MBAオフィスへ。スタッフはまだいないけど、別のスタッフに頼んでパソコンを使わせてもらう。と、そこには朝のファイルが!(ひらきっぱなし)

さっそく学籍証明書を訂正し、同じレターヘッドを使って刺客のレターも作成。Coordinatorと刺客が来るのを待つ。

授業が16時45分に終わり、Coordinatorがやってくる。サインをしてもらって、Witnessレターのことも伝える。

「P教授にお願いすることになったのですが」

C「P教授も私と同じ学科だから本来は君の学科の教授の方がいいと思うのだけどね…」

「(イヤミに)でもB教授(前学科長)が書いてくれないんです。何ででしょうね」

苦笑いするCoordinator(この二人は犬猿の仲なんですよね)。

「P教授にはもうお願いしたんです。サインをしてくださるって」

C「そうか。P教授は電車で帰ることもあるから急いだほうがいいね」

?!?!

確かに…16時半はとっくにすぎてる。。。

あわてて、また重ね重ねお礼を言ってMBAオフィスを飛び出す。刺客オフィスへ。

いねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

なんで?なんで?サインしてくれるって言ったじゃん!!

そこらへんでブラブラしていた生徒に聞くと、刺客は帰ったと言われる。

ふざけんな!なんなんだよ!

もう疲れてどうしようもなくて、悔しくて、泣きたくて、Kさんに電話をする。

「P教授(刺客)帰っちゃったんですけど」

K「えぇ?ちょっと待って。電話してみるから」

と言われ電話を切り、とぼとぼとKさんのオフィスへ。

18時はせまっている。

けっきょく、Kさんと話して(私たぶん半ギレだったと思う)、今日はあきらめようということになりました。

明日の朝学科長が出張から帰ってくるからWitnessレターを作ってもらい、その足でAmbathuraiへ。Security ClearanceにサインをしてもらったらそのままFROへ。大学の車を使えるようお願いもしてくれるそうです。

「本当は13日に申請を終わらせなくちゃいけなかったんです…」

K「大丈夫、何とかするよ

もう、信じるしかないです

Kさんはランチをはさんで警察署にもFROにも電話をしてくれて、奨学金スポンサーのICCRのレターの他に、私には誰かFinancial Guarantor(私が滞在費用を払えなくなってしまったときの保証人)が必要だと言われたので(FRO職員は私にそんなこと一言も言わなかったけどね!)Kさん自身がその役目を引き受けると言ってくれました。

見ず知らずの私なのに…本当に頭が下がる思いです

そこで、明日の朝学科長が来たらすぐにレターを作ってもらい、10時半にまたKさんのオフィスで会うと約束をしました。

夜。

時間節約のために寮母が作ってくれたレターを参考に学科長用の文面を作成し、CDにやき、明日これをレターヘッドにコピペするだけ、という準備もしました。

でもうちの学科長も他のとこと兼務しているので、キャンパス内にいても学科に来なかったりするわけ。でもちょっとこれは緊急なので、出張先のChennaiから帰る途中であろう学科長に電話して明日の朝は学科に来てもらえるようお願いすることにしました。

「こんばんは、学科長。ミワですけど」

長「あぁ、こんばんは」

「お忙しいところすみません。質問がありまして」

長「ヴィサのことかな」

「あっ、そうなんです。実はこうこうこういう理由で、学科長にWitnessになっていただきたいのですが」

長「なるほどね。あさって学科に行くから…

「えっ???」

長「水曜の朝には学科に行くよ」

「あのう、明日いらっしゃると聞いてたのですが」

長「今Chennaiにいるんだ。あさって戻るよ」

「…えぇと…明日レターがほしかったんですよね」

長「他の教授に頼んだら」

「実はB教授(前学科長)には断られてしまって。Coordinatorには別のレターをお願いしたし」

長「S教授(黒がキライな)は?」

「あぁ、S教授…」

長「あとはB教授(前学科長)かE教授だろうな」

あぁ、そうです。E教授…

E教授って、私の論文の担当でイカつい顔をしている例の人ですが、パソコンいじってるの見たことないし、こういう事務作業をするようなタイプに見えないので、あえてWitnessレターのことはお願いしなかったんです。

でも、もう、なんていうか、仕方ない。うちの学科で頼めるのはもうE教授しかいないんだもん。

学科長との電話を切って、もう今日何度目だろうと思うくらい、また泣きたくなりました。

自分の思い通りにことが運ばないって、ものすごくキライです。

でも、Kさんともっと早く話をしなかったことや、E教授にあえて頼まなかったことなど、自分に落ち度がたくさんあるから、仕方ない。

明日どこまでこの作業がすすむかわからないけど…

Kさんの大丈夫、を信じてあとちょっとがんばろうと思う。



2013年4月13日土曜日

Extension Education, Education Extension (2) インドなんか2度と来るかボケモメント

こんばんワニ。


倉林家ガールズを紹介します。

もこもこ

3女のメイです。でも今上が出払ってるので長女です。


じっ

4女のカンナです。大きくなってきました。


あぁ、猫に会いたい。猫とゴロゴロしたい。猫に癒されたい。そしていじめたい。

あぁ、ヒトってイヤだ。ていうか

インドなんか2度と来るかボケ!!!!!!!!!!!!!!!

と、思うことはしばらくなかったけど、今日はちょっぴり思った。んで猫が恋しい。

猫って(動物はみんなそう)ヒトが思ってるより頭がいいから、ヒトが落ち込んでたりイライラしてたりするとわかるんだって。なんかいやなことがあっても(写真ここにはないけど)うちのクロウといるといやな気持ちが吸い取られるみたいな気がするし(ブラックホール)。


● ● ●


前回の続き。っていうか、続きなんかなくって

「学生ヴィサ延長できました~」

とかハッピーなポストを書くつもりだったのに、そうは問屋がおろしません。


前回「電話するから」と言った職員の言葉を信じ大学に戻る。水曜に連絡はなし。


昨日木曜日、朝から電話待機。こっちから連絡しようかとも思ったけど、待ってみる。11時、連絡なさそうだから午後電話しようかと思いつつ、洗濯をはじめたところで電話あり。。。

職員「えーと、1時間で来てください

(今洗濯はじめたばっかりなんですけど…)「1時間じゃつきません。午後はあいてますか」

職員「午後は今日お休みです」←祝日だったからだと思われる

「じゃぁ明日行きます。何時に行けばいいですか」

職員「10時に」

「それでは、10時に」

このとき、特に何も言われなかったのでもう手続きは完了し次の日には延長完了書類がもらえるものと思い込む。

という思い込みはよくありません


今朝。今日うちの大学は休み(2週間前閉鎖中にも関わらず土曜日に教職員だけ勤務だったので、振り替え休日)でしたが、他の学校は通常授業、お勤めの人も通常勤務のため、ラッシュにぶつかる。汗だくバス。

でも乗り換えもよく、10時前に無事FRO到着。

職員「かけてください」

座るけれどあとからあとから人がやってきてなかなか私の話がはじまらない。

ちょっとしてやっと職員が私の書類をひっぱりだす。

職員「学籍証明書に期限のことが書いてないですよ

…は?

私が持ってきた学籍証明書は、この人に持ってこいと言われなかったけど念のためMBA Coordinatorに作成してもらったものです。作成の際に「こうこうこういう理由で延長が必要だと書く必要があるのか」と聞かれて「はい、お願いします。こんな感じで…」と言ったにも関わらずできたものをもらったら「クラバヤシミワはうちの大学で2011-2013年勉強しています」というフォーマットに従った内容のみ。Coordinatorが「他に文面が必要なら学科で作成してもらって」と言われてちょっと考えたけど、もともと持ってこいと言われなかった書類なのでまぁいっかと思って(しまって)そのまま持っていったんです。

そしたらこれですよ。

「でも延長のことは9月末までってICCRのレターに書いてあるじゃないですか」

職員「学籍証明書に書いてないとね…」

持ってこいって言ってない書類わざわざ用意したのにケチつけんのかよ!

(追記)つか、電話で話したときに言えよ!!!

とイライラ度がぐんぐん上がる。

私のイライラが伝わったのか、あとからでっかい書類の束を持ってきた男の人が職員にどうしたのか訪ねている。ガンディグラムの日本人学生でねというような内容を職員が話している。

私「Coordinatorの作ったフォーマットだから変えてもらえなかったんですよ」

職員「じゃぁCoordinatorと話をさせてください

今日は休みなんだよ!ボケ!

と思ったけど、なんとかCoordinatorに交渉してほしいので携帯電話に電話する。

C「もしもし…(休日モードな感じ)」

「あー、すみません、ミワですけど、今警察に来てて、職員の人が話したいって言ってるんですけど…」

とつながったにも関わらず部屋をあとにする職員。。。

「ごめんなさい、かけなおします…」

5分ほどして職員が帰ってきたので再度電話。Coordinatorに話をしてもらう。

と、思ったのに、あっさり書類作成し直しを承諾するCoordinator。使えねー!!!

C「月曜にまたレターを作るようにと言われたよ」

(わかってるよ!ボケ!)「はぁ、そうですか…じゃぁ月曜にお願いします」

イライラが爆発しそうな私。ここのオフィスに来るのだって簡単なことじゃないのに。時間もかかるしまた授業を休まなくちゃいけない。

あとから来た男性が「ヴィサ延長には学籍証明書にきちんと期間を書かなくちゃいけないんだよ」と言う。「それはわかりますけど、この人に電話したときそんなこと一言も言わなかったんですよ。」と返す。

そのあともあとからあとから人がやってきて、対応にてんてこまいな感じの職員。

合間をぬって、この男性が職員に私がどうしたらいいのか聞いてくれている。どうやら彼はKodaikanalの学校の関係者のよう。インドに駐在している外国人の人の子どもたちは気候がよいのでよくKodaikanalの学校に通うんですよね。だからヴィサ延長に関しても詳しいようでした。

で、結局わかったのは電話口で持ってこいと言われた書類よりたーくさん必要なものがあったということ。

正しくは


1) Form of application to be filled in by alien desiring to extend stay in India (4)
2) Certificate of registration of foreigners and residential permit (Original with 4 copies)
3) Bona fide certificate (Original with 4 copies)
4) Letter from the financial guarantor/scholarship sponsor (Original with 4 copies)
5) Passport and visa copies (4)
6) Challan for payment of visa fee (Original with 4 copies)
7) Local Police Station security clearance certificate (Original with 4 copies)
8) Passport size photographs (2)


みたいです…。

1) 申請書はもう書いた。手書きで4通。でも男性がタイプしたものを持っていたのでおそらくダウンロードが可能なんだと思う。M子さんに聞いてたけど、どこでダウンロードできるかわからなかったんだよね。

2) 滞在許可はオリジナルを持参、コピー4通。

3) 学籍証明書には延長期間を明記。4通コピー。

4) これも4通コピー。

5) これも4通コピー。

6) これね…。延長申請費用はなんと国籍によって違うんですー。ぼったくられないようにきちんと移民局のサイトをプリントアウトしたらしいものを男性と一緒にチェックして、日本人は435ルピーだということが判明。学生ヴィサだけど、大丈夫よね?とダブルチェック。Challanというのは支払い証明書。で、どこで払うんだというのは後述。

7) こんなのひと言も言ってなかったじゃねーか!という感じ。たまたまうちの大学のそば(Ambathurai)の警察署から人が来ていて、その人の顔を見て「あぁ、Security clearanceももらってきてね」と職員が言う。何なんだよ…。つまるところこれは「この人は滞在中犯罪を犯してないので延長に問題ないです」と警察署に証明してもらうというものです。

この警察署の証明書を作成してもらうのにも学籍証明書、パスポート・ヴィサ・滞在許可書が必要です。学籍証明書はオリジナルとコピーを1通、他はコピーを2通ずつ。

で、作成はぱぱっとやってもらえるのかと思いきや、男性いわく「あの人たちはそんな時間ないから」自分で作成した証明書にサインとスタンプをしてもらうのが常だと言う。なので男性の学校に通っている子どもの例を書き写させてもらう。

学籍証明書や他の書類も見せてもらう。ひとりひとり分厚い書類の束で、何人分も準備済み。数枚の書類で何とかなると思っていた自分がカッコ悪く感じて、ちょっとイライラがおさまる。

(追記)男性「相手は政府なんだから、交渉してどうにかなることじゃないよ」「すぎたことは忘れないと

しかもこの男性Challanを実際に記入して、こうやって書くんだよと説明してくれました。

ムカついて頭がどうにかなっちゃうかと思ったけど、男性のおかげでちょっとスっとする。

イケメンだったらここで恋に落ちていたでしょうが、ちと残念


で、この職員。学籍証明書作ってまた来てねというような感じの態度が、ものすごくムカつく。まだいたの?みたな様相なので「あなたと話をしたいんです」と言う。

「じゃぁ月曜に1)から7)持ってきますけど、他に何か必要なんですか?」

職員「いや、それだけです」

証明写真は?????????????

職員「あ、そう写真も


…殴ってやりたい。

「何枚必要なの!?」

職員「2枚で十分」

信じられん。だけど信じるしかない。

ということで、学籍証明書を作成し直して警察に行き、そこでも証明書を作成してもらったのちにまたここに来ると伝える。

でも平日の今日、なんとか申請費用は支払を済ませたい。

男性に「ここで払えるんですよね」と聞くと、「いや…SBIで支払いをするのだけど、その前にTreasuryで印をおしてもらわないといけないんだ」というまた厄介そうな答え。。。

支払の前に政府のTreasury(財務部?でしょうか)で印をおしてもらうんだけど、なぜかDistrictのオフィスであるこのCollector's Officeにはその部署がないとのこと。。。ハイ?で、男性の場合は"Treasury"で印をおしてもらったけど、このへんでは"Sub Treasury"で印をおしてもらわなくてはいけない…。。。よくわからん。

推測ですが、この印はなぜかDistrict(県)ではなくてひとつ下の自治組織Taluk(もしくはBlock)のオフィスでおしてもらうということのようです。なのでDistrictとは別のオフィスというわけ。←間違ってるかもしれないので当てにしないでください

ともかく、今日中(14時まで)に支払ったほうがいいねと男性が言うので、FROから直接Sub Treasuryに行くことに。何度も(男性に)お礼を言ってオフィスをあとにする。

とは言えちと遠いようなのでDindigulのメインバス停まで戻る。11時くらいにオフィスを出たけれど、暑いーーーー!

バス停に戻り、ちっこい警察駐在所に行く。私ここでよく道やバスの乗車場所を聞くんですけど、いつもたいてい英語の話せる警察官の人がいるんです。でも今日のぞいてみたら中にいたのは女性の警察官二人のみ。英語で「Sub Treasuryを探しているんです」と言うけどなかなか伝わらない。

とりあえず中に入って座ってと言われて、あせる気持ちをおさえてとりあえず座る。Challanをひっぱりだして、Sub Treasuryで支払をしたくて、どこそこの通りにあるみたいなんですけど…と説明する(英語。笑)。なんとなく解してくれたようで、電話で詳しい場所を聞いてくれる。

「バスで行く?Autoで行く?」

私「遠いですか、近いですか(タミル語)」

二人「(笑)」「遠いわね」

私「じゃぁAutoにします」

そこでこの警察官さんがドライバーをつかまえて、場所を説明してくれました。警察官の前でしっかり値段も聞いたから、ぼったくられなかったです笑

せまい路地を抜けて(たまに抜けられず戻ったりしたけど)なんとかこのSub Treasuryに到着。印はすぐに押してもらえました。で、入金はどこでするか。

FRO職員の話と彼の書いた地図によると、入金をするState Bank of India (SBI) の支店はここから近そう、だったんだけど印を押してくれた女性と印を押してもらいに来ていた男性の話(タミル語なのでよくわからん。ここを出て左の方に行ってあっちー!みたいな)によると、そうでもないかも…。

とりあえずその支店の名前を書いてもらう。どうやらお世話になったSt. Joseph Hospitalに近いらしい。ちょっと歩いてガソリンスタンドで道をきく。あっちと言われてそっちに歩く。また道をきく。

「遠いですか」

「遠いね」

マジか…。そこでまたAutoに飛び乗る。「St. Joseph Hospitalの向かいにSBIがあるようなんですが」と言うと?という表情だったけどともかく病院まで行ってもらう。

案の定、病院の向かいにSBIなし。そこで書いてもらった紙をひっぱりだして、ここの支店なんですけどと言うと「そこなの?」と言われる。走ること2分弱、この支店にようやく到着。

なんか人があふれてる…

中に入ると中に入りきれないくらい人がたーくさん待っている。入金用紙のようなものを持って並んでいる人がいる列を対応している銀行員に、「入金なんですけどここの列でいいですか」と聞くと

銀行員「番号札とって待っててください

他のSBIでも番号札出してるの見たことあるけど、それがきちんと使われているのは見たことがなかったので、マジかよ!使ってんの?と思う。とりあえず番号札入手。211番。番号表示板で今の番号を確認。

私の前に100人以上いますけど…。。。泣

泣いても仕方ないので、ACの風が当たるところに突っ立って、待つ、待つ、待つ。12時少し前。男性の話だと14時までに入金ということだったから、あと2時間はある。なんとかなりそう。

札束や入金用紙を持った人があとからあとからやってくる。日本でも銀行は時間によってはものすごく忙しそうだけど、インドは要領悪いのか人が多すぎるのか、銀行でもものすごく待たされる

そのうち、さっきの銀行員の窓口(1)には番号札の人が行かないことがわかる。3つの窓口のうち、番号札対応をしているのは2と3だけ。じゃぁ1は何やってんだろうと思う。1にはたくさん人が並んでいる。窓口にはってある紙が、突っ立ってるおっさんでよく見えないけど、Businessなんとかと書いてあるので、企業用の窓口なのかなと思う。

でも、並んでるのはビジネス経営なんてしてなさそうなおじさんたちばかり。なんか修行者みたいな人もいる。よく見ると、私のChallanによく似た用紙を持ってる人が多いじゃないですか。。。

30分くらい番号札を待ったところで、これはもしかしてと思って立場所を変える。おっさんで見えなかった紙が見える位置へ。「Government Business Centre Until 2PM」と書いてある。

政府関連の入金はやっぱりここなんじゃないの~???

と思ってまた(1)窓口の銀行員のところへ。

「たびたびすみませんけど。私こういうChallan持ってるんですけど、似たようなの持ってる人がこの列に並んでますよね?」

すると銀行員ちょっとニヤけて

「それだったらこの列でいいですよ、マダム!」

コラーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

40分ムダ待ち!←日本人失格

ということで、よく見ると政府入金用紙ばかり持った男性がうじゃうじゃ並ぶ列に参戦。

番号札211より対応が遅かったら私ホントキレるかも、と思う。

「超遅いね」

とぼやくおじさんたちの話に耳をかたむけつつ、また待つ、待つ、待つ。割り込みされないよう、ボケっとせずに待つ

そして待つこと…もうどんだけ待ったか忘れた。泣 何とか14時前に入金は終わりました。


Challan

これと同じのが右に2通ついていて、ひとつは銀行管理用、もうひとつは政府用だと思う。

上部の赤いスタンプがSub Treasuryのもので、これがないと入金不可。下の紫スタンプは嘘つき銀行員の印とサインです。なぜか入金額は赤で書けと言われました。政府のだから?大学の入金でそんなこと言われたことないんだよね。

で、帰る際番号札対応は190番台でした。ちょっとだけ私が早かった

せっかくとった札ムダにするといけないのでそのへんで待ってたオンナノコにあげました。290番台なんだからもっと感謝してほしいくらいだったけど笑、まぁいっか…。


このあと、超疲れていて頭もぼーっとしていましたが、どうしてもこまこま買いたいものがあったのでKannanへ。そのあと写真もプリントしたかったので(Chinnalapattiだと質悪い、高い、遅い)バス停の近くの写真やさんへフラフラと歩いていく。

すると見慣れた顔が。

学科のスタッフG先生。

「何してるんですか~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~???」

このあと、7UPをおごってもらいつつ今日あった出来事を全部洗いざらいしゃべったのは言うまでもありません

先生は地元の人なので、Ambathuraiの警察署にも知り合いがいるとのこと。月曜はお休みの予定ですが一緒に来てくれるそうです。

他に誰も助けてくれないなんておかしいじゃないか」と先生。

今だから思う。スタッフの人に一緒にFROまで来てもらえばよかったと

とりあえず、先生が来てくれるなら月曜の警察署訪問は気分がちと楽になりそうです。


と、いうことで。

インドなんか、と冒頭に書きましたが、こうやってイライラすることがあるたびに、誰かが助けてくれる。これがインドなんです。

たぶん世界一便利で快適な国のひとつである日本から来ている私にとっては、住みづらくてストレスもたまる、そんな国だけれど、インドにはそんなイライラ日本人を見捨てないで、一緒に何とかしようとしてくれる、そんな人たちがたくさんいます。

インドなんか2度と行くか!ボケ!!の人の本は読んだことないけど、きっと彼もそういうインドのことをわかっていたんじゃないかなと思います。

と、いい具合にシメておかないと月曜日に心が折れそうなので。笑


おやすみなサイ。。。今日は熟睡しちゃうぞー