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2013年7月27日土曜日

I am home...for now (?)

こんばんワニ。


表題の通り、さっき実家に帰ってきました。

年末年始に帰っているし数日前まで父と旅をしていたのでそんなに「帰った~!」感はないのですが、ネコたちは「なんかうっさいのが来た」という顔をしています。

デリーを出発してからもあれこれあったので明日にでもまとめて書きますねー。

今日はご報告まで。


おやすみなサイ!


2013年5月10日金曜日

The World of Cat Meme 不機嫌ネコ

こんにちワン。


木曜日から期末テストESEがはじまりました。

今学期は4教科しかとっていないので
来週の木曜日までに終了します。

これが人生最後の期末テストになるのかなと思うと
なんだか不思議な感じ。

間はしばらーくあいたりしたけれど、
7歳からずっと学生やってたわけで。

人生の半分以上勉強してきたんだもんね。

これからは学んだことを生かして生きていかなければ。


と、いうことで、
期末テストの勉強しろよって話なんですが、
(この結果でGPA: Grade Point Averageが決まるわけなので)
ちょっと朝からまたイライラすることがあり、
気分転換にネコの話を笑


Internet Memeってごぞんじでしょうか。
(今までメメ、だと思ってたけど発音はミームになるらしい)

文化の中で考え方や情報が人から人へ伝わっていく
というのがMemeのもともとの意味ですが
それがインターネット上で行われるのが
Internet Memeです。

ネット上では写真やビデオ、ウェブサイトそのものを介して
こういった情報やコンセプトが広がっていきます。

ウェブログで誰かが言ったことが広まる、というのも
Memeのうちですね。

もともとの意味が変わったりすることもあります。

企業などはこのMemeを利用して"buzz"を引き起こし
ゲリラマーケティング」なんてのをやったりします。

(ちなみにこれ大学院で勉強したことじゃなくてWikipediaですからね笑)


んで、このInternet Memeによって
ネット上に君臨しているのが
ネコです

…とは言わないけど、
ネコミームはネット上でかなりたくさん出回っているんです。
ネコミーム専門のサイトがたくさんあるくらい。
LOLCatsとか。

もともと、日本の個人ウェブログなどで
ネコを紹介している人は多いですが
それがMemeとして発展し世界的に広まっちゃったんですね。

写真を使ったネコミームで特徴的なのが、
変な英語のキャプションがつけられること。

ラップトップの上に乗って動こうとしないネコに
"I can has cheeseburger. You can has laptop."

とかね。

あと、ネコたちにとっては毎日がCaturdayとか。

以前に何かのCMで使われていた
ミームで広がってます。

まぁ、いろいろ読んでるとおもしろいし、
使われてる素材もおもしろいし、
かわいいのです。

参考:いろいろ見られます。


そんなわけで、
セレブネコっていうのは日本だけのものではなくなっていて、
ネットじょうで世界的に有名なネコたちも出現しているわけです。

そんな中で今日ご紹介するのが
Grumpy Cat(不機嫌ネコ)です。

への字の口、
眉間にはしわ、
目つきも悪い。

それがGrumpy Catです。

有名になったのは
飼い主さんが去年この子の写真をネットに掲載してから。

キャプションは
"I had fun once. It was awful."
(楽しいと思ったことがいっぺんある。サイアクな気分だった)
という今では超有名になったこの写真です。

最初見たときはガハハと笑ったけど、
そのうちこの子の写真をいろいろなところで見るようになって
「なんでこんなに不機嫌なんだ」
と心配になってググってみたら、
なんと公式サイトまでありました。

しかもGrumpy Cat(TM)なので
勝手に名称を使ってはいけないみたい…

それによると、
お父さんとお母さんのミックスでこんな顔になっちゃったけど
(お父さんネコがホントお父さんなのかちょっと疑惑はあるらしい笑)
いつもはハッピーに暮らしているとのこと。

あぁ、よかった。

でもGrumpy Catと家族、
そして飼い主さんの家族の安全を考慮して
Grumpy Catに会いたい!
というお願いはお断りしているとのことです。

セレブネコだわーーー。。。

今ではGrumpy Catグッズもたくさん出回っていて
本も出版されたみたいなので
飼い主さんも本人(ネコ)もびっくりでしょうねぇ。

まぁ、これは日本のセレブネコちゃんたちと一緒か。


いやはや、
うちの子たちは常時不機嫌ではないし
ぐぅぱぁもしないけど
自分にとっては世界で一番愛おしい子たちなので
ちと有名になってほしいとは思う。

Meme作ってみっか!とも思う。

でも有名になったらなったで、
誘拐とか、心配になっちゃうよね。

凡人(ネコ)のままが幸せかぁ。



2013年5月8日水曜日

Cost n Benefit 稼動しちゃうんですか?

こんばんワニ。


クロウです

実家のクロウです。

このお腹はブラックホールなので
いやなことがあるとクロウが吸い取ってくれます。

あぁ、早く吸い取ってほしい。


さて。

先日のポストはたくさんの方に読んでいただいたようで
ますますショックを受けた方も多いかと思われます。

クロウの写真を送ってくれる家族や
いや、それ、嫁入り前に送っちゃまずいだろうという変顔を送ってくれる友人

そんな皆さんに支えられています。

だけど、
本人は思ったより回復してます。
(気持ちの問題ね)

起きたことは覆せないし、
かといって許せないし、
複雑な気持ちではありますが
今はとりあえず、修士過程を終了しようというのが一番の目標です。

んで、カエル。


読んでいただいている人の中には
「落ち込んで何も手につかないんじゃ」
とかって思っている人もいるかも…

いないか。

でも、ホントそんな感じじゃないので
ネタ変えます。笑


私が学生ヴィサ更新や論文でバタバタしている間に
インドではいろいろなことが起こりました。

どっちかっていうと
ボストンの話の方が気になってたけどね。

パキスタンとは囚人問題でモメたり
中国とも緊迫状態が続いたり
いやー、ヤバいね国際関係、と思っていましたが

今朝の新聞で気になる記事が。

タミルナドゥのKudankulam原子力発電所の稼動に

あちゃー。。。

デモが起きたり
なかなか稼動にこぎつけないじゃんねと思っていたKudankulamですが
いよいよ稼動に向けて最終ステップという感じ。

とは言っても
Atomic Energy Regulatory Board (AERB)
Nuclear Power Corporation of India Ltd (NPCIL)
Department of Atomic Energy (DAE) が
稼動OKなら、という
結局最高裁判所の権限があるのかないのかよくわからない
そんな判決(?)だったのですが。

気になったのは以下です。

稼動から得られる経済的恩恵に焦点を当てるべき。
原子力発電所を稼動させることで貧困が解消され、雇用が生まれる。
発電所を運営するNPCILは環境への配慮をし、
持続可能な開発と社会的責任を果たす準備がある。
原子力開発、制御そして利用は国民と経済発展のための
国の政策である。

ふーん。。。。

で、

公益」が
「憲法21条で約束されている人権と生存権が侵害されるという不安」を
取って代わるようなことはあってはならない。

と言っているのですが

原子力発電所の「負」な事項に関しては
"minor inconveniences and minor radiological detriments"
大したことない不便さ、大したことない放射線の損害
と言っています…

結果がフクシマでも?
周辺の人びとが家も生活も思い出も全部捨てて、
仮設住宅に住まなくてはいけない、
そんなことがこの先起こっても、
大したことないって言えるんでしょうか?

原子力から得られるものが
原子力によって失われるものより
重要、
そういう見解なんですね…

でもね。

最初925メガワット発電するうち
460メガワットのみがタミルナドゥへ。
他は近辺の州に送られる。

発電量の半分はタミルナドゥが使えるんじゃんと思うけれど、
この州では1200~2200メガワット電気が足りてないんです。
400ちょっともらっても全然足りないんですよ。。。

まぁ、裁判所は、
火力発電から原子力に変わるメリットも述べていました。

特にこれと言って
特筆すべき内容ではないのですが
国の最高裁判所がどーぞと言ってしまえば
稼動はものすごく近いのではないかと思われます。

残念ですね…。。。

これに対し
地元ではさっそくデモがまた行われ
福島の発電所が燃えている写真など持った人が
通りに繰り出したようです。




2013年5月6日月曜日

My Master's Thesis...WAS (2) 何があったんでしょう

こんばんワニ。


タカハシヒカルさんってご存じですか。

セレブネコ
ぐぅぱぁネコミーヤちゃんの本や
かご猫シロちゃんのDVDなんかを手がけている
編集者さんです。

「立ち読みしてみわちんに買おうと思った」
と店頭で自分も笑ったというMちゃんから
タカハシさんの本をいただきました。

その名も

帰国時は病み上がりだったので
修士が終わる前に
また病気になったり、
落ち込むことが起こったり、
インドにいたら何かしらあるだろうから
ヘコんだときに読むね」と言って
バッグに入れてこちらに戻りました。

(とか言って、日本から帰るのがちょっと悲しかったので
帰りマレーシアのトランジット待ち中に
ちょっと読んでプッと笑ってたけど。)

ということで、
落ち込んだときのためにとっておいたこの本。

先週2週間、ものすごく気分が落ちていて
すっかりこの本のことさえ忘れていました

なんていうか、すごく重症だった気がする。

先日のポストを読んだ友人Yちゃんに
これまた冬の帰国中にあった
「宮エピソード」を思い出して(詳細は割愛)元気出して、と言われ
思い出したら「プッ」と笑えたので
その旨Facebookで書いたら

あれーそういえば、「プッ」のネコの本。。。
このときのためにもらったようなものじゃないですか!

と思い出して、
昨日ひっぱりだしてきました。

元気出た


と、いうのが
元気が出てきた唯一の理由ではないのだけれどね。

先日のポスト以降
いろんな人に連絡をもらって、
メイルで返事をしたり、
Facebookで返事をしたり、
チャットで話せる人にはちょっといきさつを伝えたり、
としているうちに、
ちょっと気分が落ちつきました。


「そのうち何があったか書くよ」と
伝えている人もいるので
ちょっといきさつを書きたいのですが、
ヘタするとこの大学院留学自体否定するような文面になりそうなので
(そう思っている節がありますので)
注意して書かないとね。。。


ということで、簡潔にまとめようと思う。


あの日、内容を切れ、もしくは所見つきでサインと言われ
内容を切らないでそのまま出したいと決めた私。

同じ日、学科長とB教授、P先生の3人が話した結果
「切らないで所見つきでいいでしょう」
ということになった。


次の日、担当教官E教授に
「所見つきでお願いします」と伝えたところ
ものすごく強い口調で
「変える気がないのか」
と言われ
「ないです」と言う。

「Then leave it」(じゃぁそのままで)
とこれまた強い口調で言われ、
なんなんだよと思いつつ、それで話が済んだものと思う。

次の日(金曜日)もサインをしてくれる気配がないので
「学科長と話した結果所見つきでサインということになりました」
というレターをE教授宛てに書き、
学科長に承認のサインをしてもらってから渡そうと
学科長のところに行くと
「E教授と話し合ったのか」
とまた聞かれる。

「でもこの間の話し合いでこういうことになりましたよね」
と言うけれど、
「P先生を呼んできなさい」と言われる。

P先生が来て、
(たぶん)どうなっているんだと学科長がたずねる。

結局、これは私とE教授が話し合わなければと言われ
P先生と3人で話してこいと言われる。

変えなくていいって言ったじゃんね?
これ以上何を話し合うの?

E教授のところに行くと
「君の論文の何が問題か教えてやろう」
と言われる。

サインがほしいだけなのに、と思うけれど
学科長が助け舟を出す気配はなし、
P先生も話を聞く気満々だけど私を弁護する気配はなし。

だから、
私やっぱり修正しないと提出できないんだ
とうすうす感じ始める。

で、E教授とP先生と3人で座って
何がダメか、話を聞く。

だけどもう教授の顔を見ることさえできない私。
下を見て、黙って話を聞く。

そこで言われたのは
なんだったかよく覚えていないのだけど
つまるところ、
「タイトルがふさわしくない」
「事業の成果を受益者ではなくNGOから聴取するのはダメ」
ということ。

タイトルに関しては「計画」「ガイドライン」と
どちらも含んでいるのがダメ。

二つ目に関しては、
事業の成果は(事業を運営している)NGOから聞き取りをすると
いいことばかり並べるのが当たり前なので
受益者である農民の人たちから聞かなければ
Validではないということ。

はぁ…。

言いたいこと言うだけ言って
自分の作業に戻る教授。

P先生は今の話をひと通り聞いて
わかってんだかわかってないんだか
(たぶんわかってない)
タイトルを変えろということばかり言ってくる。

らちがあかないのでもう一度学科長のところに行く。

「E教授の言いたいことはわかります。
わかるんですけど、
何でそれを今言われるのかはさっぱりわからないです」

「E教授を呼んできなさい」

「ランチに出てしまったようですけど」

「本当か」

…話にならん。

P先生が
「E教授がランチから戻ったら連絡するから
とりあえず部屋に戻りなさい」
と言う。

部屋に戻って
どうしたらいいんだろうと思っていると、
論文でちょっと大変な目にあってると数日前(たぶん)に話をした子が
「提出できたの?」
と聞いてくる。

「もうどうしたらいいかわからないんだけど…」
と話をしていると、
寮の子たちがわさわさ集まってくる。

印刷をしろと言われてから訂正と言われた、ということ、
E教授が「最後の最後に」こういうことをする人だということ、
をみんなが話し合って、
「訂正する必要ないわよ」と
言ってくれる。
「そんなのおかしいでしょう」と。

「学科長に話をしたの?」と聞かれ
「大丈夫だって言ってたのに助けてくれない」と言う。

「それならVC(大学副総長)と直接話をするべきよ」
「今までだってこの教授はトラブルばかり引き起こしてきたんだから」
と言われるけれど、
私には
「学科長を通り越して上に訴える」ことが
できない理由がありました。

ちょっと話が前後しますけど。

同じ担当教官のもとで研究をすすめていて
ヒドい仕打ちを受け、

そのNのしたことを
学科長は快く思っていなかったのです。

学科長いわく、
「Nは他の州から来ていて、
自分はいつも彼のことを気にかけているし、
弟のように思っている。
論文の件だって学科内で解決できたことなのに
彼は外部で話してしまった。
結果関係者はうちの学科を非難している」
ということだそうです。

Nが学科長に助けてくださいと頼んだとき
学科長は私に言ったようにDon't worryと言ったけれど
特に何もしなかった。

だからNは学科の外で戦うしかなかった。

それに、これはNが自分から言い出したことではなくて
Meetingの席で「論文の進み具合はどうだね」と
直接Nが聞かれたので出てきた話であって。

だからNに非はない。

だけど、学科長は学科の名誉が汚されたと思っている。

私だって学科長が何もしてくれないのがわかってきたので
上の人に話をしたいけれど、
学科長が敏感になっているときに
今学科長を敵に回すようなことをしたら、
卒業できなくなるかもしれない。

だから上の人とは話ができない。

と寮のみんなに伝える。

「もう一度学科長と話して修正したくないって伝えなさい」
とみんなに言われる。

午後、P先生が連絡をくれるのを待っていたけど
ランチの時間がとっくに終わっているのに
連絡なし。

部屋でひとりで待っていると頭がおかしくなりそうなので
学科に行く。

学科長がいない。

学科長はキャンパス内の別の団体の責任者でもあるので
そちらのオフィスにいることが多い。

なのでそっちに行って話をすることにする。

途中、生物学科の建物の前に
学科長のスクーターが止まっているのを見かける。

あれと思ったけど
学科長が生物学科に用事があることはないだろうし
学科長のスタッフが使うこともあるので
気にせずそのまま通り過ぎる。

すると学科にいたマニプーリシスター妹から電話。

「今学科長が来たの。
生物学科でA(シスター姉)の担当教官と話をしていたみたい」
と言われる。

…なんだそりゃ。

私がランチタイムに話をしていたとき、
おかしいだろそれと思ったお姉ちゃんが
自分の担当教官に私が「こういう仕打ちを受けている」と
言ったらしいのです。

彼女の担当教官と私の学科長は
プライベートでも親交がある仲なので
さっそく担当教官が学科長に連絡をして
話をしていたらしい。

あとでわかったことですが、
Don't worryと私に言っていた学科長は
お姉ちゃんの教官に対して、私が
「訂正をするのを拒んでいる」
「最終原稿を出さずに印刷をしてしまった」
「奨学金を受けているから(再印刷も?)問題ない」
などと言っていたらしいです。

まぁともかく、
学科に戻る。

学科長に、
朝こうこうこういうことを言われましたと伝える。

「E教授と話をするから少し待っていなさい」

しばらく学科長とE教授が話をしたもよう。

じっと待っているのも疲れるので学科長のオフィスをのぞく。

学科長が
「つまりE教授が言いたいのはこういうことなんだ」
と説明をしてくる。

あのー。。。。

じゃぁ、学科長は、
E教授の言い分をきちんと聞く前に
「訂正しなくて大丈夫」
って私に言っちゃったわけですよね?

で、今になって言い分をちゃんと聞いたから、
「変えなさい」
ってことなんですよね?

「だから、E教授のおっしゃっていることはわかるんです。
間違いだったら直したいと思うんです。
だけど、それを今になって言われるのがわからないんです」

「だけどね…」と学科長。

E教授が呼ばれ、
E教授の言い分がまたはじまる。

新しいタイトルをすらすらと言い出し、
それを書き留めるP先生。

「これがものすごく問題だと思うんです」と、
NGOが事業のスポンサーに提出している事業報告書の部分を学科長に見せる。

そこで言っていたのは
私が収集しているデータは他に提出しているものではいけないと
言われる。

「論文のはじめの誓約書の部分で
『論文のどの部分も他で発表・提出していないオリジナルである』と
書いているだろう」
と言われるけれど、

私の場合「学位のために提出したことはない」と
書いているのであって、
NGOがどこに提出していようと関係ないだろと思う。

それに、スポンサーに提出している正式なものなのに
それを「内容が問題だ」と言われるのは
正直心外だった。

でも論文の3章には2次データを入れてはいけないんだと。

言うだけ言って出ていくE教授。

で、学科長は、
「E教授とP先生と3人で話し合いなさい」
と言われる。

じゃぁ、学科長にに今まで話をしてきたのは全部無駄ということなんですよね。

もう何を言っても無駄なのはわかったので
訂正をすることにする。

P先生と3人でと話をしなさい、私も戻ってくるからと言って
会議に行く学科長。


ところが、E教授は帰宅済み。

この人、17時までオフィスにいたことがない。
しかも金曜は「金曜のお祈り」がある日で
6時間目前(15時45分)にはとっととオフィスを出る
(毎週お祈りに出席しているかは不明)。

そのあと、呆然としながら
P先生と話をして
私の言い分(何で今?)を伝えたけれど
「過去は忘れなきゃ」
と言われる。

どうやって忘れるんだ。

この日、部屋に戻って訂正をしました。

タイトルを変え、
NGOが提出した事業報告書をカットし
(これは事業の成果の比較のために入れていたものなんですが)、
他にNGOスタッフがインタビュー中に話してくれた事業の成果部分をカットし、
こうした成果から得られた私の考察をカットし、
これから得られる私の提案部分をカットし、
その他これによって変わる細かい訂正をしました。

あと、NGOインタビュー中に
「あるNGOは資金の運用がヘタで事業を途中でやめてしまった」
「政府の事業はここがダメ」
と言っているのもカット。

NGOといい関係を築いているうちの大学は
NGOのバッシングがダメなんだと。

あと、学科長があとで言ったことですが、
留学生が政府のバッシングをすると
「外国人のくせに何がわかる」と言われるので
インド人生徒が政府の非難をしても何も問題がないけど
私はダメ、と言われました。
だからカット。

これが一番頭に来る。
同じ学生なのに。

インド人の人が「当たり前」だと感じていることを
私は当たり前だと思わない。

インド人の人がいいと思っていることを
私は必ずしもいいことだと思わない。

外部者だからこれはおかしい、と言えることがあるでしょう?
外部者だから客観的に見えることがあるでしょう?

第一、正直な意見を書けない、
それが学問なの?

それに、収集されたデータから得られることだけ書きなさい
と言われました。
それがscientificなのだからと。

それはわかるけど、
収集されたデータから明らかなことだけ述べる
(『インタビューしたNGO5つのうち4つがYesと答えたのでこれは多数ですね』とか)
それがscientificということなの?

データだけではなくて、
文献から学んだことも織り交ぜて、
そこから得られたことを考察や提案を書く、
それは修士論文に許されないことなんですか?

それがscientificということなんだったら
私はscientificな学問なんかくそくらえ。

I'm a social science person. Not a science person.
I want to say beyond what is obvious.
Because I THINK.

まぁそんなこんなで。
バッサバッサと私の論文はカット。

週末明けて、もう腹をくくり、
「切れと言われたらなんでも切る。ともかく早く提出したい」
と思ったので
月曜・火曜にまた訂正を言われ
最終的に50ページくらい切ったけれど、
正直もうどうでもいいやと思った。

(ということでこのポストのタイトルになるわけですな。)

苦痛だったのが
火曜日になぜかE教授の機嫌がものすごくよく、
印刷するところまで一緒に来てくれると言い出し
一緒に行くのはいやだったけど私に選択の余地もないので
P先生と3人でこの印刷やさんへ。

停電もあり、待ち時間もかなりあったので
14時から18時くらいまでずぅっとE教授と過ごすハメに。

ここでもフォントがあぁだこうだ、目次はこうだと
E教授はDTP店主にいちいち修正を申し付けました。

最初は快くやっていた彼ですが、
私の論文の長さに正直うんざりしていたようです。

「自分の博士号過程が論文を仕上げるときは
いつもここに来て修正をしてもらっているんだ。
彼は頼りになるから」
と言っていたE教授ですが、
今までに博士号ひとりしか担当したことないのを
私は知っています。

この間ものすごくフレンドリーに
私の家族のことやこれからの予定を聞いてきたり
自分の家族や家のことを話してきたりと
E教授が長々と話すので、

本当に、この人がよくわからないです。

私に何か非があって
故意に最後になるまで待っていちゃもんをつけてきたんだか、

それとも本当に
最後の最後になるまで私の間違いに気がつかなかったんだか。

でも本当に間違いに気がつかないわけがないんです。

最初から
こういう目的で、
こういう手法で、
こういう場所でデータ収集して、
こういう方法でまとめます、
と逐一報告していたのだから。

私が論文の部分部分を書き上げるたびに提出していたものを
全く読んでいなかった
そうとしか考えられないんです。

まぁともかく。

論文の冒頭に
担当教官がサインをするページがあり、
そこを先に印刷したので、
E教授はサインをして帰りました。

そのあとP先生と私は停電までまた1時間ほどねばり
あとの作業を店主にまかせて帰りました。

次の日5月1日は
インドでもメイデーなので祝日。

朝9時半にできあがると言われていたものの、
製本作業の一部を外注している店主は
「18時にならないとその店があかない」と。

なのでその日もストレスを感じつつ過ごしましたが、
18時40分くらいに「できました」と電話が。

19時過ぎにとりにいき、お金を払って寮に戻る。

次の日、5月2日に提出。
というより学科に積み上げてとっととテスト(CFA)に行きました。

火曜からE教授には会ってません。
必要がなければもう会わない。
そう思います。


はい、これが一部始終です。

これかなり感情うすめで書いてますが、
心底辛かったです。

いろいろ感情入りで書くと、
本当に将来が心配になるので
やめときます。


ちなみに、

私が滅入っている最中に
政府の人材開発省(Ministry of Human Resource Development)の
大臣がうちの大学にやってきました。

それに際して
うちの大学はいろんな州から生徒が来ている
ということをアピールしたい大学は
数日前に他の州や国から来ている生徒を集めて
「数日後に大臣が来るから」と伝える
「副総長と語らう会」と設けました。
(私は行ってないです)

そこで副総長が言ったことには、
「ひとりにつき故郷でひとり、うちの大学で勉強するように
人を集めてきてくれ(Each one, catch one)」
だそうです。

絶対無理

今後来る人たちが
私と同じような待遇を受けないと
保障ができるでしょうか?
できません。


2013年4月13日土曜日

Extension Education, Education Extension (2) インドなんか2度と来るかボケモメント

こんばんワニ。


倉林家ガールズを紹介します。

もこもこ

3女のメイです。でも今上が出払ってるので長女です。


じっ

4女のカンナです。大きくなってきました。


あぁ、猫に会いたい。猫とゴロゴロしたい。猫に癒されたい。そしていじめたい。

あぁ、ヒトってイヤだ。ていうか

インドなんか2度と来るかボケ!!!!!!!!!!!!!!!

と、思うことはしばらくなかったけど、今日はちょっぴり思った。んで猫が恋しい。

猫って(動物はみんなそう)ヒトが思ってるより頭がいいから、ヒトが落ち込んでたりイライラしてたりするとわかるんだって。なんかいやなことがあっても(写真ここにはないけど)うちのクロウといるといやな気持ちが吸い取られるみたいな気がするし(ブラックホール)。


● ● ●


前回の続き。っていうか、続きなんかなくって

「学生ヴィサ延長できました~」

とかハッピーなポストを書くつもりだったのに、そうは問屋がおろしません。


前回「電話するから」と言った職員の言葉を信じ大学に戻る。水曜に連絡はなし。


昨日木曜日、朝から電話待機。こっちから連絡しようかとも思ったけど、待ってみる。11時、連絡なさそうだから午後電話しようかと思いつつ、洗濯をはじめたところで電話あり。。。

職員「えーと、1時間で来てください

(今洗濯はじめたばっかりなんですけど…)「1時間じゃつきません。午後はあいてますか」

職員「午後は今日お休みです」←祝日だったからだと思われる

「じゃぁ明日行きます。何時に行けばいいですか」

職員「10時に」

「それでは、10時に」

このとき、特に何も言われなかったのでもう手続きは完了し次の日には延長完了書類がもらえるものと思い込む。

という思い込みはよくありません


今朝。今日うちの大学は休み(2週間前閉鎖中にも関わらず土曜日に教職員だけ勤務だったので、振り替え休日)でしたが、他の学校は通常授業、お勤めの人も通常勤務のため、ラッシュにぶつかる。汗だくバス。

でも乗り換えもよく、10時前に無事FRO到着。

職員「かけてください」

座るけれどあとからあとから人がやってきてなかなか私の話がはじまらない。

ちょっとしてやっと職員が私の書類をひっぱりだす。

職員「学籍証明書に期限のことが書いてないですよ

…は?

私が持ってきた学籍証明書は、この人に持ってこいと言われなかったけど念のためMBA Coordinatorに作成してもらったものです。作成の際に「こうこうこういう理由で延長が必要だと書く必要があるのか」と聞かれて「はい、お願いします。こんな感じで…」と言ったにも関わらずできたものをもらったら「クラバヤシミワはうちの大学で2011-2013年勉強しています」というフォーマットに従った内容のみ。Coordinatorが「他に文面が必要なら学科で作成してもらって」と言われてちょっと考えたけど、もともと持ってこいと言われなかった書類なのでまぁいっかと思って(しまって)そのまま持っていったんです。

そしたらこれですよ。

「でも延長のことは9月末までってICCRのレターに書いてあるじゃないですか」

職員「学籍証明書に書いてないとね…」

持ってこいって言ってない書類わざわざ用意したのにケチつけんのかよ!

(追記)つか、電話で話したときに言えよ!!!

とイライラ度がぐんぐん上がる。

私のイライラが伝わったのか、あとからでっかい書類の束を持ってきた男の人が職員にどうしたのか訪ねている。ガンディグラムの日本人学生でねというような内容を職員が話している。

私「Coordinatorの作ったフォーマットだから変えてもらえなかったんですよ」

職員「じゃぁCoordinatorと話をさせてください

今日は休みなんだよ!ボケ!

と思ったけど、なんとかCoordinatorに交渉してほしいので携帯電話に電話する。

C「もしもし…(休日モードな感じ)」

「あー、すみません、ミワですけど、今警察に来てて、職員の人が話したいって言ってるんですけど…」

とつながったにも関わらず部屋をあとにする職員。。。

「ごめんなさい、かけなおします…」

5分ほどして職員が帰ってきたので再度電話。Coordinatorに話をしてもらう。

と、思ったのに、あっさり書類作成し直しを承諾するCoordinator。使えねー!!!

C「月曜にまたレターを作るようにと言われたよ」

(わかってるよ!ボケ!)「はぁ、そうですか…じゃぁ月曜にお願いします」

イライラが爆発しそうな私。ここのオフィスに来るのだって簡単なことじゃないのに。時間もかかるしまた授業を休まなくちゃいけない。

あとから来た男性が「ヴィサ延長には学籍証明書にきちんと期間を書かなくちゃいけないんだよ」と言う。「それはわかりますけど、この人に電話したときそんなこと一言も言わなかったんですよ。」と返す。

そのあともあとからあとから人がやってきて、対応にてんてこまいな感じの職員。

合間をぬって、この男性が職員に私がどうしたらいいのか聞いてくれている。どうやら彼はKodaikanalの学校の関係者のよう。インドに駐在している外国人の人の子どもたちは気候がよいのでよくKodaikanalの学校に通うんですよね。だからヴィサ延長に関しても詳しいようでした。

で、結局わかったのは電話口で持ってこいと言われた書類よりたーくさん必要なものがあったということ。

正しくは


1) Form of application to be filled in by alien desiring to extend stay in India (4)
2) Certificate of registration of foreigners and residential permit (Original with 4 copies)
3) Bona fide certificate (Original with 4 copies)
4) Letter from the financial guarantor/scholarship sponsor (Original with 4 copies)
5) Passport and visa copies (4)
6) Challan for payment of visa fee (Original with 4 copies)
7) Local Police Station security clearance certificate (Original with 4 copies)
8) Passport size photographs (2)


みたいです…。

1) 申請書はもう書いた。手書きで4通。でも男性がタイプしたものを持っていたのでおそらくダウンロードが可能なんだと思う。M子さんに聞いてたけど、どこでダウンロードできるかわからなかったんだよね。

2) 滞在許可はオリジナルを持参、コピー4通。

3) 学籍証明書には延長期間を明記。4通コピー。

4) これも4通コピー。

5) これも4通コピー。

6) これね…。延長申請費用はなんと国籍によって違うんですー。ぼったくられないようにきちんと移民局のサイトをプリントアウトしたらしいものを男性と一緒にチェックして、日本人は435ルピーだということが判明。学生ヴィサだけど、大丈夫よね?とダブルチェック。Challanというのは支払い証明書。で、どこで払うんだというのは後述。

7) こんなのひと言も言ってなかったじゃねーか!という感じ。たまたまうちの大学のそば(Ambathurai)の警察署から人が来ていて、その人の顔を見て「あぁ、Security clearanceももらってきてね」と職員が言う。何なんだよ…。つまるところこれは「この人は滞在中犯罪を犯してないので延長に問題ないです」と警察署に証明してもらうというものです。

この警察署の証明書を作成してもらうのにも学籍証明書、パスポート・ヴィサ・滞在許可書が必要です。学籍証明書はオリジナルとコピーを1通、他はコピーを2通ずつ。

で、作成はぱぱっとやってもらえるのかと思いきや、男性いわく「あの人たちはそんな時間ないから」自分で作成した証明書にサインとスタンプをしてもらうのが常だと言う。なので男性の学校に通っている子どもの例を書き写させてもらう。

学籍証明書や他の書類も見せてもらう。ひとりひとり分厚い書類の束で、何人分も準備済み。数枚の書類で何とかなると思っていた自分がカッコ悪く感じて、ちょっとイライラがおさまる。

(追記)男性「相手は政府なんだから、交渉してどうにかなることじゃないよ」「すぎたことは忘れないと

しかもこの男性Challanを実際に記入して、こうやって書くんだよと説明してくれました。

ムカついて頭がどうにかなっちゃうかと思ったけど、男性のおかげでちょっとスっとする。

イケメンだったらここで恋に落ちていたでしょうが、ちと残念


で、この職員。学籍証明書作ってまた来てねというような感じの態度が、ものすごくムカつく。まだいたの?みたな様相なので「あなたと話をしたいんです」と言う。

「じゃぁ月曜に1)から7)持ってきますけど、他に何か必要なんですか?」

職員「いや、それだけです」

証明写真は?????????????

職員「あ、そう写真も


…殴ってやりたい。

「何枚必要なの!?」

職員「2枚で十分」

信じられん。だけど信じるしかない。

ということで、学籍証明書を作成し直して警察に行き、そこでも証明書を作成してもらったのちにまたここに来ると伝える。

でも平日の今日、なんとか申請費用は支払を済ませたい。

男性に「ここで払えるんですよね」と聞くと、「いや…SBIで支払いをするのだけど、その前にTreasuryで印をおしてもらわないといけないんだ」というまた厄介そうな答え。。。

支払の前に政府のTreasury(財務部?でしょうか)で印をおしてもらうんだけど、なぜかDistrictのオフィスであるこのCollector's Officeにはその部署がないとのこと。。。ハイ?で、男性の場合は"Treasury"で印をおしてもらったけど、このへんでは"Sub Treasury"で印をおしてもらわなくてはいけない…。。。よくわからん。

推測ですが、この印はなぜかDistrict(県)ではなくてひとつ下の自治組織Taluk(もしくはBlock)のオフィスでおしてもらうということのようです。なのでDistrictとは別のオフィスというわけ。←間違ってるかもしれないので当てにしないでください

ともかく、今日中(14時まで)に支払ったほうがいいねと男性が言うので、FROから直接Sub Treasuryに行くことに。何度も(男性に)お礼を言ってオフィスをあとにする。

とは言えちと遠いようなのでDindigulのメインバス停まで戻る。11時くらいにオフィスを出たけれど、暑いーーーー!

バス停に戻り、ちっこい警察駐在所に行く。私ここでよく道やバスの乗車場所を聞くんですけど、いつもたいてい英語の話せる警察官の人がいるんです。でも今日のぞいてみたら中にいたのは女性の警察官二人のみ。英語で「Sub Treasuryを探しているんです」と言うけどなかなか伝わらない。

とりあえず中に入って座ってと言われて、あせる気持ちをおさえてとりあえず座る。Challanをひっぱりだして、Sub Treasuryで支払をしたくて、どこそこの通りにあるみたいなんですけど…と説明する(英語。笑)。なんとなく解してくれたようで、電話で詳しい場所を聞いてくれる。

「バスで行く?Autoで行く?」

私「遠いですか、近いですか(タミル語)」

二人「(笑)」「遠いわね」

私「じゃぁAutoにします」

そこでこの警察官さんがドライバーをつかまえて、場所を説明してくれました。警察官の前でしっかり値段も聞いたから、ぼったくられなかったです笑

せまい路地を抜けて(たまに抜けられず戻ったりしたけど)なんとかこのSub Treasuryに到着。印はすぐに押してもらえました。で、入金はどこでするか。

FRO職員の話と彼の書いた地図によると、入金をするState Bank of India (SBI) の支店はここから近そう、だったんだけど印を押してくれた女性と印を押してもらいに来ていた男性の話(タミル語なのでよくわからん。ここを出て左の方に行ってあっちー!みたいな)によると、そうでもないかも…。

とりあえずその支店の名前を書いてもらう。どうやらお世話になったSt. Joseph Hospitalに近いらしい。ちょっと歩いてガソリンスタンドで道をきく。あっちと言われてそっちに歩く。また道をきく。

「遠いですか」

「遠いね」

マジか…。そこでまたAutoに飛び乗る。「St. Joseph Hospitalの向かいにSBIがあるようなんですが」と言うと?という表情だったけどともかく病院まで行ってもらう。

案の定、病院の向かいにSBIなし。そこで書いてもらった紙をひっぱりだして、ここの支店なんですけどと言うと「そこなの?」と言われる。走ること2分弱、この支店にようやく到着。

なんか人があふれてる…

中に入ると中に入りきれないくらい人がたーくさん待っている。入金用紙のようなものを持って並んでいる人がいる列を対応している銀行員に、「入金なんですけどここの列でいいですか」と聞くと

銀行員「番号札とって待っててください

他のSBIでも番号札出してるの見たことあるけど、それがきちんと使われているのは見たことがなかったので、マジかよ!使ってんの?と思う。とりあえず番号札入手。211番。番号表示板で今の番号を確認。

私の前に100人以上いますけど…。。。泣

泣いても仕方ないので、ACの風が当たるところに突っ立って、待つ、待つ、待つ。12時少し前。男性の話だと14時までに入金ということだったから、あと2時間はある。なんとかなりそう。

札束や入金用紙を持った人があとからあとからやってくる。日本でも銀行は時間によってはものすごく忙しそうだけど、インドは要領悪いのか人が多すぎるのか、銀行でもものすごく待たされる

そのうち、さっきの銀行員の窓口(1)には番号札の人が行かないことがわかる。3つの窓口のうち、番号札対応をしているのは2と3だけ。じゃぁ1は何やってんだろうと思う。1にはたくさん人が並んでいる。窓口にはってある紙が、突っ立ってるおっさんでよく見えないけど、Businessなんとかと書いてあるので、企業用の窓口なのかなと思う。

でも、並んでるのはビジネス経営なんてしてなさそうなおじさんたちばかり。なんか修行者みたいな人もいる。よく見ると、私のChallanによく似た用紙を持ってる人が多いじゃないですか。。。

30分くらい番号札を待ったところで、これはもしかしてと思って立場所を変える。おっさんで見えなかった紙が見える位置へ。「Government Business Centre Until 2PM」と書いてある。

政府関連の入金はやっぱりここなんじゃないの~???

と思ってまた(1)窓口の銀行員のところへ。

「たびたびすみませんけど。私こういうChallan持ってるんですけど、似たようなの持ってる人がこの列に並んでますよね?」

すると銀行員ちょっとニヤけて

「それだったらこの列でいいですよ、マダム!」

コラーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

40分ムダ待ち!←日本人失格

ということで、よく見ると政府入金用紙ばかり持った男性がうじゃうじゃ並ぶ列に参戦。

番号札211より対応が遅かったら私ホントキレるかも、と思う。

「超遅いね」

とぼやくおじさんたちの話に耳をかたむけつつ、また待つ、待つ、待つ。割り込みされないよう、ボケっとせずに待つ

そして待つこと…もうどんだけ待ったか忘れた。泣 何とか14時前に入金は終わりました。


Challan

これと同じのが右に2通ついていて、ひとつは銀行管理用、もうひとつは政府用だと思う。

上部の赤いスタンプがSub Treasuryのもので、これがないと入金不可。下の紫スタンプは嘘つき銀行員の印とサインです。なぜか入金額は赤で書けと言われました。政府のだから?大学の入金でそんなこと言われたことないんだよね。

で、帰る際番号札対応は190番台でした。ちょっとだけ私が早かった

せっかくとった札ムダにするといけないのでそのへんで待ってたオンナノコにあげました。290番台なんだからもっと感謝してほしいくらいだったけど笑、まぁいっか…。


このあと、超疲れていて頭もぼーっとしていましたが、どうしてもこまこま買いたいものがあったのでKannanへ。そのあと写真もプリントしたかったので(Chinnalapattiだと質悪い、高い、遅い)バス停の近くの写真やさんへフラフラと歩いていく。

すると見慣れた顔が。

学科のスタッフG先生。

「何してるんですか~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~???」

このあと、7UPをおごってもらいつつ今日あった出来事を全部洗いざらいしゃべったのは言うまでもありません

先生は地元の人なので、Ambathuraiの警察署にも知り合いがいるとのこと。月曜はお休みの予定ですが一緒に来てくれるそうです。

他に誰も助けてくれないなんておかしいじゃないか」と先生。

今だから思う。スタッフの人に一緒にFROまで来てもらえばよかったと

とりあえず、先生が来てくれるなら月曜の警察署訪問は気分がちと楽になりそうです。


と、いうことで。

インドなんか、と冒頭に書きましたが、こうやってイライラすることがあるたびに、誰かが助けてくれる。これがインドなんです。

たぶん世界一便利で快適な国のひとつである日本から来ている私にとっては、住みづらくてストレスもたまる、そんな国だけれど、インドにはそんなイライラ日本人を見捨てないで、一緒に何とかしようとしてくれる、そんな人たちがたくさんいます。

インドなんか2度と行くか!ボケ!!の人の本は読んだことないけど、きっと彼もそういうインドのことをわかっていたんじゃないかなと思います。

と、いい具合にシメておかないと月曜日に心が折れそうなので。笑


おやすみなサイ。。。今日は熟睡しちゃうぞー




2013年2月11日月曜日

Mogu Mogu い、祈らないです

こんばんワニ。



モグモグ


江ノ島の猫の首輪にウィルスSDカードどうのこうのの話。

猫好きな人には悪い人はいないと思っているんですけど。

その猫は何色だったんでしょう


と、唐突なはじまりですが。

写真は昨日Kannanで見つけた製品。

ナタデココですよ、皆さん!

一時日本を風靡したデザート。当時日本で流行りすぎて製造元の国で一生懸命生産量を増やしたのに、あっという間にブームが過ぎたというメイワク極まりない話だったようですが、私はその後も伊藤園のナタデココをたまにこっそり食べてたくらい、好きです(←ちなみにこれ、特保だってよ)。

まぁ、カンペキになくなったわけじゃなくて、今でもたぶんスーパーとかで缶に入ったナタデココに出会ったりするんじゃないかなと思うのだけど。あっ、ミニストップのハロハロにも入ってるか。

そんなナタデココ、生まれたのはフィリピンだそうです。ハロハロもね。

インドでもココナッツは料理からデザート、そのまま飲んじゃうまで用途がいろいろなので、ナタデココを食べていてもおかしくないような気はするのだけど。

なんかパッケージがインドにしてはかわいらしいなと思ったら、輸入物でした笑 タイで作っているものを輸入しているようです。だから高いのねー。。。320ミリリットルで50ルピー近くしたような。


こちらのサイトでは「もぐもぐ」と日本語表記なのですが、日本にも輸出しているんでしょうか。


私基本的に100%ではない果物ジュースを飲むのは嫌いなのだけど、ナタデココの誘惑に負けてついつい買ってしまいました。他にもいろんなフレーバーがあったけど、どれもたくさん着色料を入れている感じだったので見た目がやさしい笑りんご味にしました。

ナタデココがちーさく切られていて、大好きなあの食感は楽しめなかったけど、悪くはなかった。ジュース25%、ナタデココ25%、だって。

隣にもナタデココ飲料を売ってたのだけど、あれも輸入物だったのかなぁ。



 ●  ●  ●  ●  


昨日は(Kannanに行く前)最近誕生日を迎えたマニプールシスターズのお姉ちゃんのtreat(こちらでは誕生日の本人がご馳走しなくちゃいけない)で、DindigulのAachi'sに行ってきました。ローストチキンが有名とかいうNon-vegレストランです。日本からお客様が来たときにも一度行ったっけな。


そういえば、たぶん書き忘れてることが。

年末弱っていたときに、日本から届いたものを食べていて、そのときにクノールのスープデリのカルボナーラを作ろうとしたら、ベーコンが入っている。。。

私お魚と卵はまだ食べていたのだけど、いろいろあって肉はずぅっと絶っていたんです。

けれど「かやく」として入っていた3切れ(!)のベーコンを見て、そこに至ってしまったブタさんのことを考えたら「食べられない」と捨てるわけにもいかないので、ひさーーーーーしぶりにお肉を口にしました。

でもよくよく表示をみると日本の製品って何かしら肉エキスのようなものが入っているので、それまでにも日本から送ってもらったものを口にしたときに、いろいろな形で摂取していたのかもしれないけれど。

日本に帰っても、それこそお肉は食べなかったけれど、お肉が入った汁でお雑煮をいただいたりしたので、「もう肉を見たら吐き気がするのかもしれない」と思っていたけれど、そんなことはなかった。

…かと言ってお肉はまだ食べたくないし、できたら魚も食べたくない。

インドにいればベジタリアンでいるのは簡単だけど、日本に帰ったらけっこう難しいんじゃないかなというのは自分でもわかっている。

とか、最近考えているわけですよ。


で、昨日はNon-veggieを食するマニプール・ミゾラムのオンナノコたちと一緒ということでAachi'sへ。席についたとたん、チキンがごっそり盛られたプレートが運ばれてきました(これはサンプルで、食べたいものを選ぶと奥から調理されたものが運ばれてくる)。

うっ。

ニオイが、やっぱり、ダメかも。。。

とは言えず、「魚と卵だったらミワも食べるよね?!」とおススメされ、魚のフライと卵チャーハンがオーダーされる。他のメンバーはローストチキンを堪能。

食事が運ばれてきて、隣のミゾガールに「チャーハン食べる?」と聞くけれど返事がない。あれと思ったらシスターズ妹が

今お祈りしてるのよ

とのこと。

そうなんですねー。

食事の前に祈るのなんて、西洋クリスチャンだけがやることだと勝手に思っていたけど、彼女たち東北部のクリスチャン(と言っても私が知ってるのはここにいるマニプールとミゾラムの子たちだけだけどさ)は食事の前にきちんとお祈りをしています。10秒ほど目を閉じて、個人で行っているようです。終わった人から食べる。

私たちの「いただきます」もご飯と作ってくれた人に感謝をしてのあいさつだけれど、お祈りとは違うよね。


で、思い出したんだけど。

この間Ootyに行ったときお部屋はシスターズのイトコと一緒だったのですが、夜寝る前、やっぱり目を閉じてお祈りをしている。

以前に大学時代の友人(ムスリム)の家に泊めてもらったときに、お祈りのカーペットをひっぱりだしてお祈りを始めそうなので「部屋を出てようか」と言ったのですが「かまわないよ」とそのままお祈りをしていた彼女。

今回も部屋を出た方がいいんだろうかと思ったけど私もベッドに入っちゃってたので出るに出られず。

お祈りが終わったようなので「ごめんね。部屋を出てればよかったかな」と言うと、それは気にしないようすだったけど

「(夜寝る前に)お祈り、しないの?

だって。

い、祈らないです。。。




2013年1月11日金曜日

Unexpected, Extended...Day 3 おせっかい

うっひょー

こんにちワン。

写真はうち(実家)の新入りカンナさんです。
10日間でかなり「しつけ」てきました笑

かなり気が強い子みたいで
上の2匹もたじたじといった感じなので
ビシバシ教育してきましたよ。


●  ● ●  ● ●  ● ●  


もらったお土産を速攻で破壊した想定外の休日3日目は
午後にホットケーキを作るというミッションを行いました。

使ったのは
もちろん日本から送ってもらったホットケーキミックスです。

ホットケーキなんて簡単なもの作るの
わざわざブログに書くかよ。
とか言われそうですが、

卵と牛乳買いに行くのだってちょっと時間かかるし(往復30分)
冷蔵庫がないから卵と牛乳買ったらすぐ作らなくちゃいけないし、
けっこう大変なんですよ。

牛乳に関して
村ではたいてい朝と夕方に絞りたて牛乳をバイクで売りに来るおっちゃんがいて
たいていそういう人から買うようですが
お店に行くとちゃんと熱処理してパッケージに入ったものを買うことができます。

でも行ったお店には500mlしかなかったので
ホットケーキに100ml使ったあと
残りはすぐ飲まなきゃいけない。

で。しかも私フライパン持ってない笑

そんなに調理しないから圧力鍋と中華なべ(みたいなの)しか持ってないんですよね。
中華なべの底が平たいからこれで…と思ったけど
寮の子にチャパティやDosaiを焼く
チャパティパンというもの(参考)を借りました。

Kerosene stoveは火加減が難しい。
弱火とか中火とか言われても結局一箇所だけフレームが大きかったりして。

なのでぜーんぶところどころ焦げちゃったけど。

でもおいしかった。

ホットケーキって食べた当日は
もうしばらくいらない…
って思うけど、
久しぶりに食べるとおいしいなぁ、いいなぁって思う。
よく家族で土曜日のお昼とか日曜日にホットプレート囲んで作ったから懐かしさもある。

…何かまた食べたくなってきた笑


●  ● ●  ● ●  ● ●  



では表題のネタ。

帰国のときの交通ネタを先日書きましたが
そのときFast Trackのドライバーとタミル語でやりとりしてくれたSさんの
ひと言について
その後考えています。

Sさんは、帰国のときにChennaiに向かう電車で
向かいに座っていた人です。

この間のポストには書かなかったけど、
Dindigulで電車に乗り込んだときに
私が寝るはずの寝台(3段の一番下)にオッサンが寝てたんだよね。

まぁ、これはよくあることなんだけど。

なので車掌さんが来たときに
「あの~誰か私の席に寝てるんですけど」と伝え
オッサンを叩き起こし(てもらった)たところ、
オッサンの席は本当は2段目だと言う。

で、本来のオッサンの席にも誰か寝ている

まぁ、これもよくある!

ということで車掌さんはその2段目の人も叩き起こし
私が1段目に無事おさまったというわけ。

あとでSさんに聞いたんだけど、
私が乗車したときSさんはちょうど席を立っていて
でも向かいにはオッサンが寝てると思ったから
朝起きて日本人が寝てたからビックリしたそうです。

という前書きはさておき。

日本から大学に戻るときにやはりChennai経由だったので、
Chennai在住のSさんに
タクシードライバーの件でお礼をしたいのでと
夕食にご招待しました。

とは言ってもSさんのお母さんがご飯を作り始めちゃってたとかで
Sさんはちょーっぴりしかご飯食べなかったんだけど苦笑

それで、
「先日はどうもありがとうございました。
電車で会ったばっかりなのにいろいろ助けてもらっちゃって」
と言ったら

ありがとうなんて言わなくていいよ。
君は外国人なんだから自分が助けるのは当たり前。
日本にいて外国人がいたらこうやって助けてあげるでしょう。

と返答。

はたして、そうでしょうか。

日本人が見てみぬふりをするのは今に始まったことではなくて
昔からなんだよ~
という本のレビュー(あやふや)を読みました。

「見てみぬふり」が最近の日本人の傾向なのかは
私が議論するところではないですが、

例えば外国の方が日本にいて
何か困っているようだったら
どうしますか?

声をかけますか?
それとも見ぬふりをしますか?

日本語をひとっつも知らない(もしくは「サントリー」しか知らない)
私の大学時代の友人が
日本に遊びに来ても何とかなっちゃうのも
たぶん誰かがヘルプしているからなんだろうと
願っているのですが。

もちろん、外国の方だけじゃなくって、
日本人の人でも
誰か困っているのを見たら。

自分ならどうするか。

インドだったら、
きっと誰かが助けてくれます。

「ここに行きたいんだけど…」と
誰かに尋ねると、
あっという間に人だかりができる。

外国人だから助けてくれるのかな?

いや、そうじゃないと私は思うんです。

このへんの人たちは、やたらとおせっかいです

(北インドのことはわからないので「このへん」と言っておきます)

頼んでないのにあれこれしてくれます。

こっちの意思もおかまいなしに
ずんずんふところに切り込んでくる感じ。

初めて会った人なのに
「今度うちに遊びにきなさい」と
電話番号をくれたり。

バスで会ったばかりなのに
「タミル語教えてあげる」と
言ってきたり。

寮のご飯がおいしくないとこぼすと
「大学の近くに親戚がいるからそこに住みなさい」と
言い出したり。

ハッキリ言って、この人めんどくせーと思うことも多々あります。

それに、助けてくれたのが空回りだったり、
聞いた道が違ってたり、
ウソだったり、
「大丈夫」が大丈夫じゃなかったり、
いろんなことが起こります。

でも、そんな「おせっかい」が何となく、
いいなぁ、と最近思っています。

それに、自分もそんな「タミルおせっかい」に
影響されていると感じます。

タミル人じゃないのに
そこらへんで外国の方を見ると
「あぁ道に迷ってる」「店の場所わかんないのかな」とか
なんかしてあげたいなとか思っちゃうもん笑

もちろんうざー!と思われるのはイヤだけど、
誰かを助けてあげたいなって思うのは悪いことじゃないよね。

皆さんはどう思いますか。