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2013年8月20日火曜日

出国1ヶ月記念 Missing sambal

こんにちワン。


スカイツリー!

日本に帰国して1ヶ月ではないのですが(ネパールに寄ったから)、インドを出国して1ヶ月が立ちました。

学士留学から帰国したときもたぶん2ヶ月くらい放心状態になっていたのですが、今回も同様にぼけーっと過ごしています。

食生活も変わってなんだかお腹の調子がよろしくない日も多く、なんで日本でお腹壊してるんだと自分に腹が立ちますが。

あと、日本の暑さなんてへっちゃらでしょうと予想していましたが、日本もけっこう暑くて、湿気は怖いと思っています。 でも、そこらへん傘さして歩かなくても平気なのはやっぱり気温がちょっと低いからなのかなぁ。傘さすと逆に空気が通らなくってむぅっとする。

 

東京


1枚目の写真からおわかりのように、東京に行ってスカイツリーに登ってみたり(文字通りおのぼりさん)、ツクバネーゼにまじってカフェでゆっくりしたり、友人とカラオケ行ってサッカー観戦したり(?)、海岸に行ったり、花火を視たり、お祭りに行ったり、お墓参りをしたり、水泳と陸上と野球を視たり、夏を満喫しているような感じです。

え!今まで通年夏だったのに、まだ夏満喫しちゃうの?ってね…


うちから見えた花火

さて、大学院をあとにする直前にいろいろゴタゴタがまたありました。 で、なんとか収まって電車に乗り遅れたけど無事にDindigulから逃げるように出て行ったわけで笑

でも出発直前に学科長と前学科長が「あとのことは気にするな」と言ってたのでよっしゃと思っていさぎよく出てきたのよね。

 しかーし。

E教授はまだあきらめてなかったらしいんだわ。

詳しいことはよくわからないのだけど、なぜかHome Scienceって学科で講師をしている人が「E教授がミワのことでなんだか上に文句を言ったらしい」とマニプーリお姉ちゃんに話があり、それが私に伝わってきました。

なんでも私の「Certificate」にいちゃもんをつけたとか。

それがインターン修了時のcertificateのことなのか、入学時に学科に提出した学士の頃の成績証明書の類のことなのかはわかりません。

んで、これも人づてなので真相は定かではありませんが、学科長がこれに対してE教授自身に対する不満をやっぱり上の人に訴えたとか。

この話は私がまだ父と旅行をしていたときに耳に入ったことです。だから「戻ってこいとか言われたらどうすっぺ」とか微妙に思っていたのですが、本当に大問題になっているのであれば学科から正式に連絡があるだろう、連絡がないってことは私は大丈夫なんだ、と思い込ませてました。

で、結局出国の日までそんな連絡はなかったわけで。

けど一応、気になるじゃないですか。だから先日前学科長に念のためメイルで聞いてみたんです。こうこうこういうことを耳に挟んだんですが、と。

そしたら返答には「E教授は最後の最後のチャンスまで君を陥れようとするだろうね」 だって。

まぁ冗談だとは思うけど、メーワクな話だわぁ。。。汗


話は前後しますが、Dindigulを出てから最終学期の単位は全部取れたらしいことも聞きました。つまり成績はどうであれ受講したクラス(論文も含め)は全て単位が取れた→全課程修了→卒業、なんだろうということです。

最終的な成績や修了証書にあたるものは半年しないと送られてこないらしいのだけど、私のやるべきことは一通り終わったということなんですね。

ふぅ~。。。


と、思うとなんだかお腹が緩くなってきそうですが笑


インドを出て1ヶ月、日本での生活に慣れたかと言ったらまだそうでもないかもしれない。

年末に帰ってきたときくらいのカルチャーショック笑はないかな。父と2週間インドで過ごしたっていうbufferがあるからかもしれないね。

でも、インドではこうだったなといちいち比較してしまう自分がいます。列に並ばないとか、道がガタガタとか、ネガティブなことが多いけれど。人にじろじろ見られなくなったのもけっこう新鮮だったりする笑

そして、こう思ってる自分にビックリだけれど、おせっかいなタミルの人たちが恋しい。 なんかこう、そのへんにいる人たちに話しかけられたりしないっていうのがちょっとさみしいのです笑

論文を書いているときは人間不信の極みで、大学の人どころかタミル人全てに背を向けたいような日もあったけれど。今は正直、また遊びに行きたいなぁと思うのです。

こんな感じ:




決して今すぐではない


まぁそんな感じで、日本に帰ってきてまだゆっくりしています。

日本の皆さん、遊んでください。就職したら忙しくなっちゃうからね(たぶん)。

タミルナドゥの皆さん、そのうち遊びに行きます。サンバル作って待ってて。


ということで、このウェブログもしばらく更新をしないかと思います。

半年たってまた書類のことでいろいろモメるんじゃないかと思うけど苦笑。

あっそういえば、このウェブログを読んだりラジオを聴いてFacebookからご連絡をくださった方がたくさんいらっしゃるんです。でも実はそのメッセージが普通のInboxに入っていないから今まで気がつかなかったんですよ…(迷惑メイルかと思ってた)。今までシカトし続けてごめんなさい。でもあまりにも遅いレスポンスになるので逆に失礼かと思って返信してません苦笑

こりずにまたご連絡くださるとうれしいです。(するわけねーだろってね…)

このウェブログは休止しますが、何かタミルナドゥのこととかご質問があればご連絡くださいね。わかる範囲でお答えしますよー。

ではでは


ப்ம் பார்க்கலாம்!!! 





2013年7月27日土曜日

I am home...for now (?)

こんばんワニ。


表題の通り、さっき実家に帰ってきました。

年末年始に帰っているし数日前まで父と旅をしていたのでそんなに「帰った~!」感はないのですが、ネコたちは「なんかうっさいのが来た」という顔をしています。

デリーを出発してからもあれこれあったので明日にでもまとめて書きますねー。

今日はご報告まで。


おやすみなサイ!


2012年12月19日水曜日

After 1 1/2 year... 帰ります

こんばんワニ。


どこかへ行く前って
ワクワクして、ドキドキして、
ウズウズして、ソワソワして、
なんともいえない、くすぐったいような気持ちになりませんか。

昔っから私はそうです。

でも今回の帰省は本当に特別。

幼稚園からの友人が23日に結婚式

そして妹が25日に結婚式。

こんなハッピーな帰省はなかなかありません。


しっかし道程は長い。

今夜23時の電車でチェンナイへ。

明日7時にチェンナイ到着。

18時にチェンナイからAir Asiaでクアラルンプールへ。

あさって0時過ぎにクアラルンプール到着。

15時前の同じくAir Asiaフライトで羽田へ。

23時羽田到着。

実家につくのは土曜日未明。。。

Low Cost Carrierだから
乗換えが不便なのは仕方ないにしても
まる2日かけて帰るのかぁって感じです苦笑


Theniのホテルにて

この間泊まったTheniのホテル。

Hotel Theni Internationalというところです。

ビジネスホテルってことでバス停に近く便利
…とインターネットで読んだので予約しました。

インドのホテルって
こういうアメニティがついてないところばかりです。

もちろん高いところに泊まればそれなりについてくるんだけどね。

バンガロールではじめてインドのホテル(安い)に泊まったとき
ちっちゃい石鹸だけぽつんと置いてあって
「う~ん、こんなもんか」
と思ったものです。

ムンバイでたっかーいホテルに泊まったときは
日本のホテルにあるようなアメニティがあったと思います。

んで、このホテル。

なんていうか、中間?

アメニティの数としては申し分ないのですが
内容がものすごくインド

石鹸。

くし。

なぜか歯ブラシはなし。

シャンプー。

ここまではよし。

ココナッツオイル。


ううむ。

「顧客はインド人」を想定していますな。

ちなみにココナッツオイルは何に使うかというと、
髪の毛にべっとりすりこみます。

髪の健康によいばかりでなく(たぶん)
暑さを軽減してくれるという効果がある

…そうです。

私は絶対やらんとずぅっと拒否しています。

でも髪の毛にオイルというのはこちらではポピュラーなヘアケアで
ココナッツオイルが一番使われていますが
アーユルヴェーダちっくにいろいろ植物エキスを混ぜたり
いろんなオイルが混ざっていたり
ヘアオイルもさまざまです。

お店に行くとヘアオイルセクションが
ででーんとあるので
買わないにしてもふぅんと思って見ています。

抜け毛防止とか
フケ防止とか
専用のオイルもあるんですよ。


おじゃましました

同じくTheniに行ったとき。

ティーだけちょっと」のおうちです。

おでこがぴかぴかしてるのは
その前に行ったフィールドで汗をたーくさんかいたから
なので許してください。



さぁ、荷づくり終わらせるか。


2012年7月6日金曜日

光り輝く島 (2) Un-electable Elective Class

こんばんワニ。



今日ヒマなので(まだ授業のスケジュールが出来上がってない)MBAのオフィスで新聞を読んでたらこんな記事がありました。




スリランカ:15,780名のタミル人が未だに行方不明
赤十字国際委員会(ICRC)は、2011年の調査によると内戦後の北スリランカでは依然として15,780名のタミル人が行方不明であると発表した。
このうち、751名は女性である。 
しかしICRCは実際の行方不明者数はこれよりもはるかに高いだろうと推測している。この報告書が赤十字に報告されたケースのみの統計結果だからである。
2010年にスリランカ北部でのICRCオフィスを閉鎖しコロンボからの活動に絞るように指示があってから(たぶん、政府から)、行方不明者の捜索活動は困難なものとなっている。
ICRCの人道的な活動には制限がかけられている、と報告書は述べている。難民への支援活動も断念せざるを得なかったことが何度もあった。
報告書によると、「スリランカ政府は避難民再定住地での赤十字の活動を制限している。また、水資源確保のための活動を禁止し、ほかのプログラムのモニタリングも阻止している。」 
ICRCは政府の一部このような制限をかいくぐって活動を続けている。SLRCS(スリランカ赤十字)とのタイアップである。
 SLRCSと共にICRCは64の反政府軍人拘留所を訪れ、17,741名のタミル人と面会を行った。このうち5,057名はSLRCSとICRCを通じ家族との面会が実現した。


こんな比較はもちろんよくないのですが、15,000人というと東日本大震災の死者(2012年6月現在)と同じくらいです。そんなにたくさんの人が未だに行方不明だなんて。

そして政府がいちいちジャマをするのは、捜索によって政府軍の非人道的な悪行の数々が公になるのが困るからでしょう


…とスリランカ政府の悪口ばっかり言うつもりはないですよ。LTTEだって悪いことしていた(ような)のだから。


すんごい余談だけど、出身のつくばにはスリランカ料理を食べられる小さなレストランがあって、そこで食べたしょうがの効いているカレーを食べて「スリランカカレーっておいしい<3」と思ったものです。それまでカレー=北インドカレー(ドロっとしたタイプ)だったからね。その後タイカレーや南インドカレーに出会ってカレーの世界は果てしなく広がったけれど。

今もあるのかなと思ってググってみた。あるみたい

でも、改めてメニューを見てみるとナンとかラッシーとか、北インド化されてる感が否めない。

今度また行ってみよう。


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てなわけで、今日もけっこうヒマでした。




ここで書いた運用管理のクラスが実は全MBA生徒合同のクラスでしたというのが昨日判明して、おととい初回クラスやっちゃったよというのも判明して、「うちの学科は聞いてないですけど!」とプチ切れ。で、昨日はスケジュール確認して受講。


今日も同じクラスが午前中にあるよと言われて、教室になる通称MBA Hallに行ったら、修士1年目のMBAがオリエンしてる。しかも担当教授はフツーに座って参加している。事前に連絡してくれ。


と、いうことでオリエン用に準備されたティーをパクり、MBAオフィスで新聞を読んで時間を過ごしたのでした。。。

というのが午前中。




午後、学科の(仮)教室(←まだ受講する場所が決まってないんですよ…ありえない)に行ったら誰もいない。スタッフに聞いたら「指示を待って」と言われたけど、念のため別のスタッフに聞いたら「運用管理のクラスに行ったよ」とのこと…


午前中クラスが持てなかったので教授が気をきかせて午後にやってくれることになったんだろうと思い、汗をかきかき小走りで向かう。


MBA Hallに行くとみんな勢ぞろい電話くらいしてくれよ

ところがその直後、私の名前を覚えられないガンディ思想の学科長が1年目の生徒を引き連れずかずか入ってくる。どうやら、この時間はこのホールが使えないらしい。


結局、運用管理の教授は現れず私の小走りを返してくれ




こういうゴタゴタってインドにいるなぁってしみじみ感じるし、もうだいぶ慣れたと思っていたのだけど、やっぱりダメだわ。イライラしちゃう。




ここで話した選択科目の件。「選択科目」なんだから、この選択肢の中で選ぶ分には何も問題がないと思ってた。のだけど。クラスメートは全員「カウンセリングとガイダンス」を受講すると言っている。でも私はそんなよくわからないクラスを受けるのはごめんなので「N教授がかまわないのであれば私はうちの学科からひとりでも受講したいです」と昨日学科に伝えました。


ところが今日、学科で呼び出される。なんだろうと思って行ってみると「問題があってね」と言われる。私は「選択科目」の時間はどの学科も同じで、だからこそ「選択科目」なんだと思っていたのだけど、他のクラスメートと私の選択科目の時間が違うので、他のクラスのスケジュールが立てられない、兼ね合いがつかないとのこと


なんじゃそりゃ。


他の学科のMBA生徒は選択科目を選択できなくて、あらかじめ5つの中から学科の選んだものを受講すると聞いていたのだけど、その理由がわかった。他のクラスとスケジュールが合うものだけ受けさせるってことね。。。


じゃぁ最初から選択科目なんて言うなよ




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これも先日の話の続きですが、Kはホントに追加泥だんごを持ってきました。


でも何か、しみじみと泥だんごを眺めながら食べていると(今回は10個くらいもらった)、これっておいしいのかもしれないと思ってくるのです。不思議ですね。


考えたら初めて食べる納豆がおいしいわけないし!でも私納豆大好きだし!



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あと、余談ですが、今巷で話題の「ヒッグス粒子:Higgs boson」はPeter Higgs博士が提唱した理論に基づいているということはニュースで散々言っていると思うのですが、私はこのbosonっちゃ何ね、と疑問に思っていました。ただの粒子ならparticleと言えばいいわけなので。


そしたらいいタイミングでこんな記事が。


理系じゃないので間違っても粒子についてここで書こうなんて思ってませんが、つまるところbosonというのは粒子のタイプで、インドの物理学者Satyendra Nath Boseが提唱した理論に基づいているんですね。


Boseはイギリスの学会誌に発表しようとしたけど断られて、ちくしょうと思って同じ論文をアインシュタインに送ったら、アインシュタインは「これはすごい」を彼の理論を絶賛。彼の理論を元に二人連名でドイツの学会誌に発表。その際にアインシュタインはこの粒子をBoseにちなんでboson(ボース粒子)としたんだそうな。


ということで、ヒッグス粒子は厳密にはヒッグスボース粒子…なんじゃないの?笑


この記事はそのあと、インドの科学者はなっかなか世界に認めてもらえない、認めてもらえるのは米国等に帰化したインド系科学者ばかりだと嘆いています。大変なのね。(でもゼロを発見したのもインド人だよというのは強調している。)






2011年7月8日金曜日

A Long Way to India (4) ICCRに出願:分厚い袋

こんばんワニ


今日から授業が始まりました。授業は

1 9:30~10:30
2 10:30~11:30
15分休憩
3 11:45~12:45
1時間休憩
4 13:45~14:45
5 14:45~15:45
6 15:45~16:45

てな感じです。毎朝9:15から朝のお祈り、金曜日は16時にお祈りの時間というのがあるので5クラスで終了。

日本の大学は(行ったことないからわかんないんだけど)、こんな風にぎっしり授業があるのでしょうか

私の大学時代は好きなクラスを選んでじゃんじゃんとるって感じだったので、朝8時から夜22時までクラスの幅があったし、クラスの間が数時間あくこともあったし、週に2回だけ行けばいいってこともありました。

こんな風にぎっしり毎日授業がありなおかつほとんどのクラスが同じ教室で行われるというのは高校以来なので、ちょっと心配ではあります苦笑

そしてなぜか現れない2時間目の教授…(待ちぼうけ)←これも、大学のときはクラスの時間の何%までに教授が来なかったら帰っていいって決まりがあったので、何もわからず待っているのはちとpain in the assであります。スタッフに聞いたら「待ってなさい」クラスメートに聞いたら「今日は初日だからね」で済ませるし。時間の感覚がちがうのね


☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


インドに来るまでの過程第4章。ICCR奨学金応募準備です。


そもそもこのブログをはじめた理由のひとつが、ICCR奨学金の選考を考えてる人に内容や実態を少しでもわかってもらえたらなーと思ったからです。というのも、以前に書いてますが奨学金の要綱について日本での応募先である駐日インド大使館は「本国からの連絡待ちで」と質問をしてもとりあってくれない(ことが多い)んですよ。

私も情報を得るため、以前にICCR奨学金を受けているBさんや全国の皆さんのブログや「まさら通り-インド発信-」さん(許可もらってないのでお名前のみ)を細かく読んだものです…

ただし、いざ応募する段階になるとそれぞれの希望や事情で内容も変わってくるので、参考程度に読んでいただけたらと思います。


注:私が応募したのは2011年度分です!(内容は大きく変わらないかもしれませんが)応募の際はその年の要項をよく確認して!


まず 、この奨学金ってギリギリまで要綱がアップされません。確か大使館でアップされたのが1月10日、締め切りが1月31日でした。なので昨年までの要綱を見て、成績証明書など準備ができることははじめちゃったほうが無難です

私も12月15日に帰国して次の日には大学の成績証明書送付の手続きをしました←私の大学の場合、クリスマス・新年休暇が長いからだけど。


以前に書いたように、日本でICCR奨学金を受ける場合、駐日インド大使館と独立行政法人日本学生支援機構(JASSO: Japan Student Services Organization)が選考に関わってきます。そのため、ほぼ同内容の書類を前者には英文で後者には和文で送る必要があります。

ここで注意したいのが

(1)インド大使館のサイトでは、JASSOに書類を送ること自体言及がない
(2)ICCRの応募要項とJASSOの応募要項の書類内容が必ずしも一致しない

ってことなんですね苦笑

私はもともとICCR奨学金について初めて詳細を知ったのはJASSOのサイトだったため、JASSOに書類を送ることは知っていたんですけど、大使館のサイトだけ見たら、わっかんないですよ。

で、(2)に関して、2つの要綱を読んで、私が提出したのは以下になります:

英文→インド大使館へ

1. 出願書Application for Indo-Japan Cultural Exchange Programme1通オリジナル1通コピー
2. ICCR要綱Scholarships for Foreign Nationalsの中のApplication Form全8ページ、1通オリジナル5通コピー
3. 研究計画書6通
4. 高校の英文成績証明書大学の成績証明書1通オリジナル5通コピー
5. 大学の卒業証明書1通オリジナル5通コピー
6. 推薦書1通オリジナル5通コピー×2名分
7. パスポートのコピー6通
8. パスポートサイズ写真×9枚
9. 大学で取った全てのクラスのシラバスのコピー6通
10. TOEICスコア原本5通1通コピー

和文→JASSOへ

11. 出願書1通オリジナル2通コピー
12. 研究計画書2通
13. 大学の成績証明書2通と和訳2通
14. 大学の卒業証明書1通オリジナル1通コピー
15. 推薦書1通オリジナル1通コピー×2名分
16. TOEICスコアコピー2通
17. ICCR要綱Application Form(英文2)の中のCertificate of Physical Fitnessコピー2通和訳2通
18. パスポートのコピー6通
19 . 写真4cmx5cm×1枚


~解説(また何か思い出したら順次増やしていきます)~

(a)1と2はインド大使館ウェブサイトでダウンロードしました。

(b)特に気にしなくてもいいと思いますが1でPermanent domicleとあるのには本籍、2でPermanent addressとあるのは実家の住所にしました。Permanent addressって必ずしも本籍ということではないらしい。っていうか本籍のシステム自体海外ではまれなので逆に別の住所が書いてあるのってどうかと思うのだけど。

(c)2は全部大文字で!

(d)2で父親もしくはGuardian保護者の詳細を書くっていうのは、インドのお国柄?だと思います。もしご両親が離婚していて母親と住んでいたとしても父親の情報を書くべきだと、visaの申込みのときに耳にした記憶があります。

(e)2で希望大学とコース名を書くところはせまいですが、きちんとフルネームで書かなければダメだそうです。そんな大学やコースがないとかって言われちゃう可能性あり。私は第一希望にBさんが通っていたGandhigram Rural InstituteのMBAコース、第二希望に別の大学の森林環境マネジメントコース、第三希望にまた別の大学のソーシャルワークコースを書いて、第四・第五希望にはまさかならないだろうと勝手に思い込んで笑、タミルナドゥの適当な大学・コースを書きました。でもたまに、希望してないところで同じようなプログラムをやってるとそこに入学が決まっちゃったりするそうなので、その際はどーーーしても希望のところじゃなくちゃダメって抗議しなくちゃいけないかも。
(f)2で学歴をかくところ。Grade XIIってのが日本では高校にあたるそうです。私はHIGH SCHOOL DIPLOMAって書いておきました。

(g)2で推薦者を書くところは英文推薦状を書いてくれた教授の名前をそのまま書きました。

(h)2と17のCertificate of Physical Fitnessですが、たまたま近くにNASAで診断をしてたとかいうお医者さんがいて、英文で健康診断書を書いてもらいました。都内や、そうでなくてもトラベルクリニックのようなところでは英文診断書を書いてもらえます。こういうところで渡航前の予防注射の相談もしたほうがいいだろうね(と思うけど、私はインドでやっちゃってます)。診断書を書いてもらうときにHIV/AIDSのテスト結果も忘れずに。HIV/AIDS感染者は奨学金がもらえないと要綱に書いてあります。以前は外国人登録の際にもこの結果が必要だったそう。今では差別的だとこの書類は必要でないことになっていましたが(私もそんなのおかしいと思う)、私は大学で提出を求められました。

(i)3と12に関して、いわゆる日本の大学院に提出するための細かい研究計画書である必要はないそうです。インドに行きたいと暑苦しく語り、なぜインドじゃなくちゃダメなのかしつこく語り、勉強したい内容について書けばいいと思います。私は3ページちょっとでした。

(j)4に関して、高校の成績証明書は要綱には書いてなかったのだけど大使館に必要だと言われました。あせりましたねー。私が高校を卒業したのは9年前なので、高校でもうその当時の成績を保存してないんだって。たまたま大学出願の際に作ってもらっていた英文の成績書が残っていたので、コピーでいいか大使館に確認してそれを提出しました。

(k)6と15の推薦書。英文和文それぞれ2人から書いてもらいますが、同じ人のをどちらかに訳せば2人に頼むだけで済みます。でも私は日本でインドに関わる仕事をしていたこともアピール?したかったので、2010年5月まで働いていたNGOの事務局長に和文をお願いし、大学の教授2名に英文をお願いし、そのうち1名のレターを和文に訳してもらいました。

(l)7と18のパスポートに関して余談。私のパスポートは2011年中に切れる予定だったので、インドで更新するならと新しく作り直しました。前のパスポートはサンフランシスコの領事館で作った思い出深いパスポート。髪の毛も長かったし(若かったし)何よりパスポートに大好きなサンフランシスコの表記が入ってるから気に入ってたのね。泣く泣くこれをVOIDして、新しく作成。はじめて10年用を作るためにピカピカの新つくば市庁舎に行ったのもいい思い出だけど。

(m)要綱で9を見たとき、かんべんしてよって思った。だって4年分だよ?34クラス分だよ?1クラス仮に1ページだとしても、34枚。それが6通ずつでしょ?おかげで書類がすんごい量になりました。クロネコヤマトで80サイズ。Full of my records。全部あるかどうかもわからないけどとりあえず大学のノートを全てひっぱりだしてシラバスを抜き取り、スキャン。1日かかったよね。(家族はあきれてた)私はうちにスキャナーもプリンタもあるけど、ない人はコピー代が超かかるって聞きました。

(n)ちなみに私は、記入を間違って最初から書き直すのがいやだったし全部データで残したかったので、ちょっとめんどくさいんですが研究計画書以外はほぼ書類をすべてAdobe Illustratorで作成しました。応募書類はたいていPDFなのでそれをとりこんで、それに記入していくって感じ。おかげでちっこい文字もきれいに記入できました。

(o)これは応募する前、したあとにも言えることなのだけど、応募者は渡航するまで直接ICCRとやりとりができないので、大使館の担当の人の名前を聞いて、しつこくても電話やメールでたくさん質問したほうがいいと思います。だって自分の人生を決める留学になるかもしれないんだもん、失敗したくないでしょ?

(p)そんなやりとりで判明したこともあります。たとえば、書類は全部A4じゃなくちゃダメって書いてあるけど例外もあるとか(海外で書類作成してもらう場合はA4じゃない可能性もあるわけで)、diplomaそのものじゃなくてcertificateでいいとか、リストに出てない大学でも自分が行きたいと強く願えば私のように選考を通る可能性もあるとか、ね。↑で要綱が出る前にはとりあってもらえないって書いたけど、要綱が出たらこっちのもん。わかんないことはガンガン聞きましょう


さて…

以上をぜーんぶ用意して、大きな袋二つ持ってクロネコヤマトへ。そして2011年1月27日、やっと出願書類を全てインド大使館とJASSOに送ったのでした。

選考試験のとき他の人の書類が普通の封筒に入ってるのを見て唖然としたことは言うまでもありません

んで、このあとの流れは以下。今後順次書いていきますねー

7. 2011年2月ICCR奨学金選考試験
8. 3月留学資金稼ぎアルバイト開始→直後に東日本大震災
9. 5月大学院出願奨学金選考通過
10. 6月渡印


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今日の夜ご飯。ご飯にサンバルというサラサラしたカレーをかけて食べます。しかしこのご飯、ところどころ写真のようなかたまりが。なんだかモチみたい…。

このあとご飯をおかわりして、ラッサムという酸味のある汁をかけてまた白米をたいらげます。私はそこまでがっつり食べられないのでラッサムはコップでいただきました。友人の家ではしょっちゅうやってるんだけどここのラッサムは辛い泣。

食べる人はカードというヨーグルトちっくなのをかけてもう一杯。コメバンザイタミルナドゥ。

今日は★七夕★ですね。織姫と彦星が1年ぶりに会えたうれしさで泣くので七夕の日は必ず雨が降るそうです。…ってこともさっきまで忘れてたんだけど、今日の午後こっちに来て初めてまとまった雨が降りました。気温も下がって快適です。