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2013年6月15日土曜日

Internship Day 19 トラの山からKaraikudi

こんばんワニ。

ネットがつながらない山奥に行ってました。以下ここ数日の記録です:


Internship Day 17: 6月12日(水)

GobiMYRADAからArepalayamのトレーニングセンターに引っ越して3日目。

いろいろあったような、なかったような。

あいかわらず、意思疎通がうまくいっていないというか、何をすればいいのかよくわからないというか、めんどくせーと思うことが続いています。初日(月曜日)なんか責任者が「土曜まで君たちが来るのを知らなかった」とか言って6時まで来ないんだよ?おかしいべ。土曜にはわかってたんじゃんね?笑

メンバー(私のクラスメイトとチェンナイからの生徒)同士でコミュニケーションがなってないというのも問題で、毎日プチけんかみたいなことになっていて、私は高見の見物をしています。といってもメンバーの一員なので誰かモメてると災いはバラバラと降ってくるわけだけど。

まーともかく。

おとといこの山間のトレーニングセンターにやってきました。

上記の理由で責任者と話をもてたのが夜の30分ほどなので、はっきり言ってここで何のトレーニングをしているのかよくわかりません。そこそこの敷地面積であるのはわかるのだけど。ここにはたくさんビニールハウスならぬ網ハウスみたいなのがあって、たぶん学校行ってないんだろうなというような若い子(オンナノコメイン)がたくさん働いています。学校行ってないというのは私の憶測ですが、若いオンナノコに学問を続けることをすすめるかわりに雇用するなんてまさかNGOがするわけない(と思いたい)ので、若いうちに結婚させられた子に雇用の機会を~とか、extraで憶測がむくむくとわいています。

で、何を作っているかというと、菊とか、花です。




日本人の感覚だと菊→葬式とか思っちゃうんですけど、菊はお寺で神様にささげたりするようなので、需要は高そうです。チェンナイとかバンガロールで販売しているそうな。

もともと私は切花反対主義なので(鉢植えは可)特に興味がありませんが、Kはかなり興奮してました。

私たちのいる地域は森林保護地域に入ってるんだか入ってないんだかのぐらいのエリアなので、野生の動物がそこらへんを通ったりするそうです。例の責任者も月曜日にはじめてトラを見たと言っていました。あと、CMRCのアシスタントのおっちゃんは、毎日ゾウがジャックフルーツを食べに来るって言ってた。トレーニングセンターの敷地にもサルがいっぱいいて、向かいのお店からヒトの食べ残しをパクっているようです。でもココナッツチャツネの袋にむしゃぶりついているのを見ると、サルでもインドにいたら辛いものOKになっちゃうのかねとしみじみ思いました。

で、肝心のインターンシップ。

先日、ここで「新しく」Kitchen gardenの事業をするからうんぬんかんぬんと書いたと思うのですが、ここに来て実はもうこの事業去年はじめていたということがわかりました。はじめたと言っても7月の15日間でKitchen gardenを各家庭で作って点滴感慨を整備し、種配っておしまいみたいな感じだったみたいだけど。

ということで、その際(始める前)120人の受益者(8ヶ村)に直接聞き取り調査をしていて、その質問表を見せてもらったら、なんと私たちが先週準備した質問とまるで同じ。調査が去年だったので、今年新しい受益者を対象に同じような調査をしても結果は似通ってくるだろうからやる意味がまるでなし、だと思うんだよね。「どの種がほしいですか」みたいな質問は個々で変わるからやってもいいかもしれないけど。

しかも、こういう地域で交通機関も限られてるので、責任者(トレーニングセンターの主任)はここから離れた村には朝5時半のバスに乗って行けと言うわけ。で、聞き取りして8時のバスで帰ってこいと。おかしいべ。村には30分くらいでつくらしいのだけど、それって6時台でしょ。この時間帯農家は農作業してるし、お母さんはご飯作ってるし、ガキは(当然学校も遠いので)早い時間に家を出る。(前提は調査をする前に村の人たちと顔見知りになっていることだとしても)そんな忙しい時間に「裏の畑のことなんですけどね」なんて聞けないでしょ?

で、村の人たちがどちらかというともうちょっとリラックスしている時間帯には交通機関の関係で行けないか、夕方6時以降は動物がぞろぞろ出てくるので私たちがほっつき歩いているのはよろしくないというわけです。

つまり…交通機関で村をまわるのはものすごくむずかしい。かといっていくつかの村はトラの保護地域に入ってるので(個人的には恐ろしくて行きたくない)公共交通機関(バス)以外の車は入れない。←事前に許可が必要。まぁ、もともとMYRADAが私たちのために車出してくれるってこともないんだけど、こういう事情でお金払ってタクシーで数日かけてまわるってのもむずかしいわけなのです。

こういうとこで事業をしているというのはとても尊敬に値することだし、ぜひそういった地域も訪れてみたいけれど、私たちにもできることって限られてるので…

だからぶっちゃけ、何をしていいのかわからなくなった。やろうとしていた調査は終わってるし、やろうとしてもlogisticsがかなり難題だし、サポート体制もない(勝手にやってね状態)。なのでGobiの責任者に電話して「何が求められているのかわからないんですけど」と言ったら、この人も去年の調査のことは知らなかったようす。「誰がこの調査結果見せてくれたの?」なんて言ってる始末。だから質問表作ったときにこれでいいねなんて言ったんだろうね…。。。なので、「1年たってるし評価ならできるんじゃないですかね」と伝える。「それはいいね!私もどうなったか知りたいし」だそうです。評価、やってなかったんだろうか。

で、グループメンバーに「こうこうこういう評価はどうかな」と言うと、沈黙。「私はこう思うけど、結局(タミル語で)質問するのはみんなだからみんなが賛成してくれないとできないじゃん」と言ったのだけど、沈黙。結局、どうでもいいんでしょうね。「評価なんてやったことないから何をしていいかわからない」などぐちゃぐちゃ言い訳を並べるチェンナイボーイ。女々しくて泣けてくる。幸い私たちは先学期評価のクラスやって、実際に開発事業の評価をやってるので、なんとなくはわかる。うだうだ言わないで、何かやれば責任者も努力は認めてくれるでしょう。

つーことで質問表を作成しなおし。

トレーニングセンターはちーさな村にあり、これまた中距離バスが止まって運転手や乗客が休憩をとるところなのでちーさな食堂が3つくらいあり、朝早くから10時までやっているそう。でも他にはなーんもない、そんなところです。ご飯食べるところが目の前にあるのは幸いだけれど、バリエーションもないしね。。。まぁ、お店の人にも顔を覚えてもらったのでニコニコ対応してもらうとホっとするけれど。私のRelianceもつながらないし(Vodafoneのモデムは使用可)、初日は泣きたいと思った。2回目のVPPほどじゃないけど寒いしねー

と、ここまで書いたのが今朝。

このあとCMRCに行ってマネージャーに会い、こうこうこうしたいんですけどと伝え、結局去年の事業の評価をすることに。8ヶ村のうち最寄の3ヶ村、43名の受益者のうち24か25くらい質問をしようということになりました。アバウトにしてあるのは行っても受益者の人に会えない可能性もあるからです(農家は畑にいないかもしれないから)。でもGobiの責任者が受益者全体(120名)の15%(18名)か20%(24名)くらい調べればと言ったので24名はおさえたいところ。

で、朝ちょっとミーティングしたあと3ヶ村に行きました。最寄とはいえ…1キロくらいって言ってたけどもっとあったと思う。まぁ、高地で涼しいので平地の太陽の下ヒーヒー言いながら歩くのとはちがう(けど陽射しは強いわ)。途中このへんの地域の作物などについてCMRCのアシスタントさんに聞きながらのんびり歩く。





Kitchen gardenですが…。まぁ、きちんと世話をしている人もいれば、あれっ?みたいな人も多かったかな。「ちょうど作物の植え替え時期で」と横ヤリを入れてくるマネージャー氏を疑うわけではないけれど、きちんとやってねぇなって人は確かにいます。「世話は大変」って言ってる人もいるし。高齢の人は買った方が楽チンって思っちゃうかもしれないし。けれど、MYRADAのトレーニングセンターがあるArepalayamに住んでる人たちはけっこうきちっとやってたかな。サポート体制もここはしっかりしているのかもしれない。農家の人が多くて植物の世話に慣れている人が多いせいか多くの家できれいな花を植えている人が多いです。バラとか、こんな寒いところでも育つんだと思ったジャスミン、その他もろもろ。

とちゅう、きれいな花をたくさん植えているおうちでティーをご馳走になりました。先日読んだMYRADAの「地域で地元住民のグループをもりあげるには」みたいなマニュアルを読んだときに、こういった際ティーを断るのはあまりよろしくないと書いてあったのを思い出してしめしめと思う。このあたりでは通常ティーには白い砂糖じゃなくてjaggeryを使うのだそうです。でもお客さんが来たときは普通の砂糖。Jaggeryの方が体にいいのにね。




また、最初に行った2ヶ村ではヴェジタリアンの人が多いと聞きました。ある一定のCommnityの人たちで構成される村だからだそうです。食事にもコメを使うところにRagiを取り入れていて(Ragi dosaiなど)、それも健康にとってはプラス。んじゃー伝統的に健康的な人たちなんじゃ…じゃぁ事業やる意味あったの?とか思っちゃうけど、やっぱり野菜不足のため貧血の人がけっこういるんだってさ。ほうれん草食おう。


今日長々と歩いてこのあたりの人たち(特に男性)が平地のぶよぶよおっさんたちと違う理由がわかってきた気がする。伝統的にちょっと健康的な食生活をし、よく歩き(坂道も多い)、よく農作業をする。だから平地の人よりは体つきが健康的に見える。実際はどうかわからないけれどそれが私のimpressionかなぁ。


空き地じゃなくてKitchen gardenですよ

しつもん中


まぁそんなわけで25名の聞き取りを終えたわけなのですが、「明日Gobiに帰りたいんですが」と言ったら、朝5時半バスの主任に会ってから帰ってきなと言うわけ。でもこの人あさってまでここに来ないのよ。明日何すりゃいいんでしょ。

夜。電気のつかないバスルームで顔を洗っていたKが「大変!ちょっと来て!」と大慌て。また何やらかしたんだと思って行ってみたら、なんと小鳥がバタバタしている。

来た日から鳥がぴーちくぱーちくと朝から夕方くらいまで鳴いてるので屋根裏(といってもトタン屋根なんだが)にでもいるんだろうと思っていたんです。しばらく使ってなさそうだった部屋には鳥のふんがたくさんあるし笑。でも小鳥がおっこちてるなんて何事!

日本人の感覚として「おっこちてる小鳥に手を出したら親鳥は世話をやめてしまう」って思うので「手でさわっちゃだめ!!!」と言ったのだけど、Kはエサをやるわ(ビスケット)水をたらして「飲んでる」と大騒ぎ。さわっちゃだめなんだってばと何度も言ったのだけど。

で、ベッドフレームを立てて、巣があるらしい屋根と梁のすき間に鳥を返せと「叔父さん(のちほど登場)」が言うので、夜中にベッドをぎーぎー動かしていると、部屋のすみに黒い影がふたつ。よく見てみるとそこにも小鳥が2羽。でもこの2羽はもう羽をぱたぱたして多少は飛べる感じ。捕獲しようとすると逃げる。とかってぎゃーぎゃーやってるのに親鳥がどこにも見当たらないので、私たちがこの部屋に来たことで逃げてしまったんじゃないだろうかと思う。

戻すのは待って様子見をすることに。鳥が寒いかなと言って葉っぱやら綿のようなもの(カポックというらしい)をかき集めてベッドを作り、そこでとりあえず寝てもらう。3羽ともねむそーにして、ピィとも言わず寝る。

Internship Day 18: 6月13日(木)

ブラブラ過ごせばいいよねと思っていた木曜日は大変な1日になりました。

朝イチで親鳥のような鳥が戻ってきているのを確認。遠目に観察していると、私たちがさわったにも関わらずまだちゃんとご飯をやっているようす。よかったぁと思うものの、最初に見つけた飛べない鳥はやっぱり動きづらそうな感じ。親鳥がいないのを見計らってよく見てみると、折れているんだかまだ生まれたばかりだからか、この子の足はまだまっすぐ立たないみたいでした。動き回るのもままならないようですが、親鳥がくると一生懸命そっちの方に動こうとしています。だけどうまくいかない。見ていて涙が出そうでした…

と、親鳥が戻って世話を再開したにも関わらず「小さいやつはほかの2羽よりご飯をもらってない」とまたビスケットをやっているK。「あのさぁ、あんたが世話すれば世話するほど親は世話しなくなる可能性があるよ」と言うとだまって小鳥を戻す。

そんなこんなで朝から鳥の世話をしたり、昨日の聞き取り調査の項目と去年のを照らし合わせたり、あんまりダラダラせずに夕方になったなぁ~。主任はいつ来るんだろうと思っていた16時ごろ。

クラスメイトSが泣きながら電話をしてきました。なんと別のクラスメイトDのお母さんが亡くなったとのこと。すぐにDの家にみんな来て!ということでした。

とは言え、インターンシップ中にだまってここを出て行くわけにもいかないしということで、学科長やGobiの責任者に電話をして許可をいただき、彼女の家に向かうことになりました。どこにあるのと聞くと、Karaikudiという私は聞いたとこのない場所。Maduraiから2時間くらいの場所と言われても、あいまい。。。。

ということで地図にしてみました。




17時半ころあわてて荷物をまとめるとなんとバスが今!トレーニングセンターの前に止まってるとのこと。お世話になったスタッフやお店の人たちにお礼を言うヒマもなく、半ば夜逃げ状態でバスに飛び乗る。小鳥たちのことが気になり、後ろ髪をぐいぐい引かれながらArepalayamをあとにする。どうぞ、親鳥さんたちががんばって子育てを続けますように。

下りヘアピンカーブは速いけど、気持ち悪くもなりますね。。。

どうやら22時台にTirupurから直接Karaikudiに出るバスがあると叔父さん情報なので、それまでに間に合うようにと急ぐ、急ぐ。途中GobiのMYRADAで荷物をおろし、またあわてて飛び出す。22時くらいにTirupurにつかないと席が確保できないかもと言われあせるけれど、MYRADAからGobiのバス停まで行くためのバスがなかなか来ない。次の停留所まで歩いてようやくバスに乗りGobiバス停へ。ここでも出発ぎりぎりだったTirupur行きに乗るとTirupur到着は乗り換えバスの出発時間の22時45分といわれ、またあせる。しかし案外早くついたので(それもどうかと思うけど)ようやく夜ご飯。食べてすぐ23時にバス出発。

なんていうか、普通の乗り合いバスみたいなバスなのに夜行、っていうのは初めてでした。前にACつきのデラックスバスみたいなのには乗ってるけど、これはフツーの車両の席を多少改良したくらいの感じで、気分はちょっとそのへんに行くような気分のバス。リクライニングなんてもちろんないわけで、そんな中で眠るのはちとキツいものが。幸い涼しかったというかぶっちゃけ寒かったので汗だくとかじゃないけどね。

Internship Day 19: 6月14日(金)

7時間くらいかかったかな。ようやくKaraikudiへ。Arepalayamからは12時間経過済。

こちらに来てやたらと結婚式にはおよばれするけれど、葬儀は2度目。何を言っていいのかさっぱりわからないままDのおうちへ。数時間前に到着していたクラスメイトたちに囲まれて、Dがさめざめと泣いていました。事情は詳しく聞きませんでしたが、お母さまは呼吸系の病気を患っていたのだそう。彼女も呆然として疲れきっているようでしたが、長女としててきぱきと親戚に指示を出したり、弟に頼んで仕事をしてもらったり。お母さまも生前は家のことをてきぱきとやってお父さんをひっぱるタイプだったそうです。

明日ちょうどタミル暦の月が変わるのですが、葬儀(3日かかるそう)が月をまたいでしまうと家族にまた不幸があるのだそうです。だからDは2日で全て終わらせなければならないとお父さまに伝えているようでしたが、お父さまは3日やりたいと考えているようで、それでモメているうちに時間がすぎる。そのうちようやく、私たちは別に葬儀に参加するために来ているのではなくて彼女に会うために来ているというのがわかりました。話を聞いて、気分をやわらげてあげるということなのでしょうか。私はてっきり葬儀までいるのかと思っていたので、朝ごはんを食べてあっさり「じゃぁそろそろ戻りますか」というのは変な気分がしました。

でもみんなインターン先からあわてて来ているわけで(許可が出なかった子たちは週末に来る)、しかも一番遠隔から来ている私たちはいっそいで帰らないと今日中にたどり着けなくなってしまうのです。そんなわけで10時ごろDのおうちをあとにしました。

それにしても、こんな若いうちに母が亡くなるなんて、Dはさぞかし辛いだろうなと思います。しかも、ご両親は異コミュニティ間の恋愛結婚だったそうで、お母さまの葬儀だというのにお母さまの家族親戚はDの家に入るのを拒否して外にいるという始末…あぁ、インドって複雑だ。めんどくさい。

Mが月曜日に企業の面接があるからと実家に帰ったので、帰りは私とKのみ。陽射しの強くなってきた窓側の席で、Gobiまで戻る。Tirupurに直接行くバスがないのでTrichy経由で帰る。←これだと1時間半くらい時間が長くなる。。。Trichyまでは3時間。30分ほど乗り換え待ちでTirupurまではまた5時間乗車。

Tirupur行きのバスで途中、Kの「叔父さん」が乗車。叔父さんというのは呼称のようなもので、実際はKのカレシでした。まぁいっつもKが電話口で怒鳴り散らしているのはこの人かくらいの感覚だったけれど、辛くあたられても笑Kをやさしく見守ってくれる男性という感じでいい人なんじゃないかと思いました。そんな叔父さんとTirupurで夜ご飯を食べて、Gobiについたのは22時近くでしょうか。あぁ、疲れた。お尻が痛い。


お葬式の花とか私が思ったからバチが当たったんだろうか。と今ふと気がつきました。


2013年5月4日土曜日

My Master's Thesis...WAS.

こんばんワニ。


更新がずいぶん遅れました。

最後に書いたのがずぅっと前のような気がします。


VPPに行っていました。


…ウソです。




…ウソです。


Veelinayakenpattiでブラブラしてました。


…ウソです。


かなり間があいてしまっていたのはわかっていたけれど、
ちょっとウェブログを書く気にならなかったです。


よく読んでもらっている人もいるようなので
ちょっと心配されちゃうかも…
とか思ったけど
そんなこと、なかったですよね笑


なので、先日「ちょっと心配している」と
両親からメイルが来たときは
さめざめと泣いてしまいました。エヘ。

父のメイル件名は「どうした」で
笑えたけど泣けました。


なんかこの1週間でいろんなことがありすぎたし、
ストレスでどうかなっちゃいそうだったので
今の時点で頭を整理して書けるかというと
そうでもない感じです。


まぁでもご報告として、
昨日の朝、修士論文を提出しました。


今日最後の定期テストCFAが終わり
来週から期末テストESEがはじまり
18日に論文の発表があり
20日前後にインターンシップ開始、
1ヵ月後にレポートを提出し
それで私の修士課程が終了します。

今は正直、早くここを出たいです。



2013年4月24日水曜日

My Master's Thesis (4) Unleash HELL

こんばんワニ。


いびつ

今日大学入り口の野菜やさんで買ったにんじん。
この前は日本で売ってるようなサイズのにんじんがあったけど
今日はちっちゃいのだけ。

形もバラバラ、折れてるのばっかり。
写真のようなセクシー二股にんじんもたくさん。

でもおいしいんだからいいじゃない。

日本では野菜が形がよくないと売れないということで
ちょっとでも規格(?)に合わないものはスーパーなどに並ばないと
聞いたことがあります。

もちろんそういう野菜は加工するような事業者に卸しているのだろうけど、
何で小売で売らないんだろうね。

形がちょっと変だって、同じところで作ってるんだから
同じ味になるはずでしょ?

じゃがいもはいつも小ぶりのものばかりだけど
今日は大きいサイズのものがあって
ざっくり切って、小さいのもまぜて、
クリームシチューにしました。

たぶん肉をやめてから
野菜がおいしいと心から思うようになりました。

前からサラダバーとか好きだったけどね。

でも最近野菜出費が増えてしまって泣

前はいろいろ買っても60ルピーとかだったのに
最近は100ルピー。。。
食べすぎかなぁ。インフレかなぁ。


● ● ●  ● ● ● ●  


今日1日中頭にあった言葉。

1) Unleash hell

2) Hakuna matata

1)は、慣用表現化と思っていましたが
グラディエーターのマキシマスの台詞でした。

"At my signal, unleash hell."

という、戦いの火蓋を切る合図を送る前の台詞です。

2)は、言うまでもなく(?)
ライオンキングからの台詞というか教え、です。

”It means no worries, for the rest of your days”
ということですね。


「やっぱインド人のDon't worryは信じがたい」と
思った私。

今週に入っても
Don't worryばかり聞かされているような気がして
そのうちHakuna Matataの歌が頭を流れるようになったんです。

でもね。。。

やっぱり自分はHakuna matataに生きられない、と思うのです。

けっこう細かいことでクヨクヨするし。
心配することばっかりだし。

たまにこちらの人はなんでそんなに
Don't worry, be happyで生きられるのかと
思ってしまいます。

論文を担当講師につっぱねられても
けろっとしているクラスメイトのM。

「大丈夫よ、気にすることない」
と私に言ってくるのだけど、

いやー、あんた、
遅刻グセとか、直したほうがいいよ。
あと、論文はちゃんとやったほうがいいんじゃね?

と、言ってあげたくなるのです。


何が言いたいかというと。


昨日も学科にちょくちょく顔を出したけど
E教授が読んだ形跡はなし。

16時すぎ話しかけると、
16時に原稿を持ってきた生徒がいるので
そちらが優先だと言われました。

でも朝やっぱり他の担当教官の生徒の原稿を読んでいたんですよ。
じゃぁ私のを優先して朝のうちに読めたんじゃないの?

でもつべこべ言うのはいやなのでわかりましたと退散。

今日。

朝から何度か顔を出したけど
やっぱり他の生徒のを読んでいる。

呼ばれて「とうとう」と思ったら
製本がすんだ私の論文の最初のページに
Draft submitted for approval, 19th April 2013
(承認のために提出した原稿、4月19日)
と書けと言われる。

だから、もうdraftじゃなくて最終なんだよ、と思う。

でも黙って言われた通りにする。

「今日中に読む」と言われる。

午後。16時前かな。

「学科長と話をしてきなさい」
と言われる。

は?

もうどういう言い方をされたか覚えていないので(ショックで)
簡潔にまとめると、

E教授は私の論文に承認のサインをするけれど、

1) 論文半分カットする

もしくは

2) そのまま提出の場合はObservation(所見)つき

と言われたのです。

「どうするか学科長と相談して決めろ」

と。

何を決めるって言うの?
もう何がなんだかさっぱりわかりません。


私の論文は流水域開発のそのガイドラインがメインではあるのですが、
それと並行して私が重要だと思っているのが
「計画」の役割についてです。

開発事業に関わらず、
ビジネスマネジメントや私たちのプライベートなことだって
計画は重要なことですよね。

"Well Planned is Half Done"
(計画をしっかりしていれば半分終わったも同然)
とかって言い回しがあるくらいだし。

だけど、この「計画」という作業は
「実施」「モニタリング評価」「フォローアップ」と共に
ガイドラインに制限される可能性がある。

例えば、計画に1年使いたいとしても
ガイドラインが6ヶ月と言ったら6ヶ月で終わらせないといけない。

だから流水域開発に計画は重要。
だけどガイドラインがその計画プロセスを制限している
かもしれない

というのが私の研究の最初の仮定(?)だったわけですよ。

だから、ガイドラインが計画段階にどのような指示を出しているか
またNGOが実際にどんな計画プロセスをふんでいるか

というのをガイドラインをあれこれ読んで学んだことと
NGOの人にインタビューをして学んだことと
まとめている、
それが私の論文の構成なんですね。

で、結果どんなことを書いたかというと。

たとえば、流水域開発に関する文献をのぞくと
たいてい地元の人がプロセスに関わってないと成果が出ない
と言っている人が多いんですね。

で、私は、考察の中で
その地元の人の参加(People's participation)は
計画段階からはじまっていないとダメだと
言っているんです。

最初から関わってないと
何でこの事業をやってるのかっていう根本的なことが
わからないからね。

ともかく、私の論文は

「ガイドライン」「計画段階」どちらもテーマになっている。
「ガイドラインの比較」「NGOへのインタビュー」どちらも含めている。

だって、どれも重要だと感じたから。


これのどこに不満なのかさっぱりわからないですが
E教授は私がテーマを二つ持っていて
比較(2次データ)とインタビュー(1次データ)をどちらもやった
これが気に入らないそうです

Concerned authorityと話をしてそれが彼らの結論だから」

と言っていましたが
学科長でさえ事態を把握していないのに
その「上」の人と話をするなんて
絶対ウソだと思います。


でも皆さん、よく思い出してくださいね。

博士号のテーマみたいだと言ったものの、私をデータ収集に送り込み、
原稿をきちんと読んでいなかったにしろ
先週印刷しろと言ったのはこの人です。

今まで研究内容も、目的も、
収集データも、
考察、結論も、
ぜーーーーーーーーーーーーーーーーーんぶ
印刷して渡していて
ギリギリになってタイトルにいちゃもんつけられて
それもしぶしぶ変えて、
私が印刷したのを知っているのに

今になって内容を切れというのは
どういうことなんですか?
ありえないでしょ?


学科長に話をしに言ったところ
「What is your problem?」と言われました。

私の問題じゃないですよね?
この教授自体が問題なんじゃないですか?

「今になってこんなことを言われるのがわかりません」
と言って、どの部分も重要な旨伝えました。

すると学科長は
「B教授と話をしたのかね」と。

なんでそこでB教授が出てくるんだよ。

っていうかあの日からもうB教授(前学科長)とは話をしないと決めたんです。

と思ったけど、学科長が電話をしてB教授がやってくる。

そこでアシスタントのP先生と3人で
なんだか話し合いが始まりました。

そして学科長が言うには
Don't worry, be calm, be bold
何とかするから、気をしっかり持て、ってとこでしょうか。

この怒りをどうやって静めればいいんでしょうか。


もともとこの教授には関わらないほうがいいと思っていました。

何年か前、うちの学科でVPP中にものすごく具合を悪くした生徒がいました。
その年のVPP担当はこのE教授で
「問題ないから病院に行きなさい」と
言ったそうです。

そこで彼女は泣く泣く途中で帰りました。

なのにそのあと、彼女のVPP評価はF
夏休み中に再参加となりました。

この子はとても優秀な生徒で、
このF評価がなければ学科トップの成績で卒業していたはずです。

「問題ないから」帰れ?ふざけんな。

この話を聞いてから、
この人に関わらないのがいちばんだと思ったんです。

なのに出席番号順に論文の担当教官が割り当てられ
この人の担当下に。

いつこんなトラブルを引き起こされるのかと
今までずぅっと、気をつけて、腰を低く低くして
なんとかやってきたのに、
最後になって地獄のふたをあけられたわけです

なんなんでしょうね。
生徒の不幸がうれしいんでしょうかね。

もうどうしていいかわかりませんが
学科長の「なんとかする」を信じるしかないです。


今日Department Committee Meetingという席で
(MBAの生徒と教師陣が今学期のクラスはこうでしたと話し合う会議)
E教授が何をしたか、何をしなかったか、
ぜーーーーーんぶ、話したそうです。

ここに政府機関の職員か何かがいたらしくて、
この件は「上」にあげて
Nは他の担当教官に変えてもらうことになったようです。

今さら変えるの?って感じがしないでもないですが
Nの場合当初別の教授(S教授)にこまこま相談をしていたので
彼に変更してもらうことが可能なようです。

私の場合は、それも無理。

E教授が承認しないと、困るのです。



2013年2月26日火曜日

What equality? ティーカップ

こんにちワン。


Ootyにて

この間の「国際」会議の話。

もうなんだか記憶がうすれかけています。それだけインパクトがなかったということなのでしょう。


だけどなんかしっくりこないっていうか、許せないなと思ったことがあったので書いておきます。

前回もうだうだ書きましたが、この会議では持続可能な開発というのがテーマで、あるワークショップでは自分の住んでいる場所や自分の所属している団体は「平等」「資源利用」にどのようにとりくんでいるか、という話になりました。この2つの組み合わせで

  1. 平等や公平な社会を目指し、そのために資源利用もおさえている
  2. 平等や公平な社会を目指しているけれど、そのために資源利用が増えている
  3. 資源利用はおさえているけれど、そのために不平等や不公平な社会になっている
  4. 資源利用をおさえているし、不平等や不公平な社会になっている

のどれでしょう?というもの。インドではどうか、タミルナドゥではどうか、自分の団体ではどうか、自分の住んでいる地域ではどうか、と考えて話し合います。

このあとの意見を述べるところがなんかグダグダになってしまったので結局なんだったんだろうと思っているのですが、つまるところ、みんな1に持っていきましょうねということだったんでしょう。

だから資源利用も公平に行わなきゃいけないってことですよね。大規模なインフラ整備なんかやっても、受益者がひと握りの人たちだったら意味がないし、開発事業も社会的に抑圧されている人たちひとりひとりのことを考えてやっていかなくちゃいけない。

なんていうか、普通に考えたら倫理的に正しいことなんだけど、まぁ実際はそうではないですよね。



と、いうワークショップの話はけっこうどうでもいいのですが。


だから私の中では、「持続可能な開発」「平等」をどっちも念頭にいれた、そんな会議だと思っていたわけです。


だけどふたを開けてみればACのガツンときいた部屋でミネラルウォーターを飲みつつ、快適な時間が流れていく。たとえば不公平な開発事業のせいで環境汚染に悩まされている農村部の人たちのことをこの部屋の中で考えたり、話し合うこと自体、おかしくないですか?

よく、汗だらだらの授業中に教授が「国の政策はみんなデリーやムンバイのACの部屋の中で作られるんだ。これで農村部の実態が組み込まれているわけがない」とかって言うんですが、これと同じですよね。

かと言って、じゃぁ村に行って差別や環境汚染に悩まされている人たちを呼んで円座になって国際会議しましょうなんてのは現実的に無理なことだとはわかっているのだけど(農家の人はそんなヒマないと思う)。

でも「この会議では環境に配慮した運営を目指しています。会議の終わりにWater Footprint(どれだけ水を使ったか。環境への影響の指標となるEcological Footprintのようなもの)を発表しますからね」とか言われると、カチンとくる。


それと、ティーの時間。

「国際」会議とはいえホストがインドの人なので、ティータイムはインドばりにありました。次に発表する人がひかえていても、ティーの時間がおしていれば発表者を次に回してティータイムを強行します。「皆さん何の時間だかわかっているようですね。ティーの時間にしましょう!15分後に席に戻ってください…」まぁありえない話だけれど、インドだから仕方ない。←というかこういうのに慣れてしまった自分がいる。

この会議と並行して同じカレッジでSHGがやってきて自分たちの仕入れた製品や自分たちで作ったものを売るCollege Bazaarというのをやってたんですね。


オンナノコはアクセサリーに群がる

そこで売られている製品なのか、ジンジャーコーヒー(?)とかヘルシーそうな雑穀系のクッキーなんかがおやつに出たりして、「おぉ」と思ったのだけど(もちろんクラスメイトには大不評)そのうち変なことに気がついた。

テーブルには、ティーカップセットとティーバッグがいくつもおいてある。隣にはホットミルクの入ったポット。好きなティーバッグを選んでミルクで抽出して飲んでねということのよう。だけどカップの数が明らかに参加者数より少ない。

「私たちのじゃないと思う」とK。

クッキーの並べられたところをはさんでテーブルの反対側を見ると、紙カップを持った学生たちが別のラインを作っている。

つまるところ、このティーカップセットは「お客様用」だったわけ。

この「国際」会議にはイギリス、ベルギーからConvergence関係者と思われる人が多々参加していて(つっても20人くらい?)それとうちのGandhian教授が連れてきたイタリア人も2名。この会議を「国際」会議と銘打つための大事なお客様、ってわけ。

これに加わるのがインド各地からのゲストスピーカーたち。国の政策に関わっているような人もいたので("you know,..."がやたら多いスピーチだったのでイライラしたけど)、彼らが特別扱いされるのは仕方ないと思う。

私は「なるほどね~」と思って普通にクラスメイトと並んでいたのですが、私を見るなりクッキーをサービングしていた女性たちが「何が食べたいの」「こっちに来てカップをとって」と言ってくるわけですよ。私は特使でも教授でもVIPでもないんですが。

結局、クラスメイトたちとは違った目で見られるしかない自分に気がついてしまったんですね。なるべくクラスメイトたちと行動するようにしているし、村で2週間一緒に滞在したし、マージンだって文句言わないでやるようになったけれど、やっぱり、特別扱いされてしまう自分。他の子たちの後ろに立っていても、学科長が誰かを生徒に紹介したいときは前に出てきてあいさつをしなければいけない自分(「彼女は日本からの留学生でうんぬんかんぬん~」と毎回言われる)。

というのは個人的にイラっとしたことなのだけど。

会場を見ればお客様席(テーブルつき)と椅子席(ミネラルウォーターなし)が分かれているし、お客様専用カップはあるし、もちろんそういう人たちから食事の会場に通されるし。

平等?何のことよ。

と、思うのです。

ちなみに私たちは一応主賓(スピーチをしたうちの大学のVice Chancellor)と一緒に来ているからなのかお客様席に座らせてもらっていたのですが、教授とか研究者なんだろうなと思う人がうしろーの方で、ぎゅうぎゅうの椅子席に座っているのを見ると、なんだか申し訳ない気がしました。

でも主催者、こんなことも見えないわけ?と思う。ACの部屋で干ばつに悩まされるタミルナドゥ各地の農民の人たちのことを考えるのは難しいかもしれない。でも同じ部屋で、会場で、ラインを引いたような「違い」を作っておいて、何がEqualityだ、と私は思うのです。




2012年8月27日月曜日

VPP2 (3) コーヒー栽培


こんばんワニ。


今日はVeelinayakenpattiに行きました。


完成前にやってしまった完成式。

そして2012年8月

じゃじゃーん

Cのおうちがついに完成


…でもなかった笑

外観は終了しており、
中も居住可能って感じですが、
まだ作り付けの棚など、作業が入るようです。

まぁ、なんとか家族が戻って生活できるようになったよ。

最初は「2ヶ月って言ってるってことは6ヶ月かかるね」とか言ってたのに。
8月に確か取り壊したので、ホーントまん丸1年。

新しいおうちができたのは喜ばしいのだけど、
前のおうちも懐かしいなぁとすでに思っています。


今日は新しいおうちでPが腕をふるい
おいしいごはんをいただきました。

は、吐く
と思うくらい食べたのは生まれてはじめてかもしれない苦笑
あまりにもお腹がいっぱいすぎて昼寝することしかできなかった


 ●  ●  ●  


さて、VPP話です

眠いので短く。


ころころころころ

調査中に見つけたころころ物体。

鹿のふん。。。

ではなくてコーヒーでした。


豆を干していたおばあちゃん

コーヒーってネシアとかブラジルとか熱帯地域で作ってそうだけど

この山の中でせっせとコーヒーを作っている人は多いらしい。
最初のポストに書いたけど。

昼間はあったかいし、雨が豊富だからかな?

よくCMで見るような赤い実をつけるのは
ちと季節が先のようなので見なかったです。

でもおばあちゃんみたいに家の庭で栽培して、
自分でローストして
乾かしてる人も多いのかもね。

うちの庭でコーヒー作りなんて
コーヒー中毒にとってはうらやましい限り



Coffee Processing Unit

てなわけで、某NGO日本支部はコーヒーの粉を製造する
プチ工場を作ったわけ。
(注:これも日本支部のプロジェクトだと思うけど未確認)


皮むき機

まずは豆の皮をむく。


ロースト機

乾かした豆を焙煎する。 


グラインダー

最後にごりごり粉にして完成。

チコリーなし。都市部で売ってるそうです。


この作業場をつくることで
雇用を生み出し
地元のコーヒーを都市部に持ち込み

とアイディアはよいと思うのだけど、

いまいち利益がどこに行ってるのか明確ではなく
農業組合長がいただいているのではないかと疑惑が)

働けるのはひとりで
日給200ルピー、400円ほど)

なおかつ電気ないと作業できないよね。

みたいな。。。

しかもこの地域にはせっかく有機農法でコーヒー栽培してる人がいるのに
ひと組しか機械がなかったら
有機も有機じゃないコーヒーもまぜこぜで製造するんじゃんね、みたいな。


…とか思うのは私がひねくれてるからかもしれない。


建物は立派でしたよ。

なんか泊まれちゃうんじゃないのみたいなスペースあり。

コーヒーたくさんストックできるんじゃないのみたいなスペースあり。

でもだーれもいなかった

コーヒーもひと袋見ただけ。


見学中は停電中で作業見られず。

別の場所に行って戻ってきたら電気が復旧してたので
村の担当職員が「見ていって」と言ったのだけど、

なんだかそれまでには生徒の感心も他にうつっていて
結局ロースト作業は見ませんでした。




2012年8月25日土曜日

VPP2 (2)  イベント目白押し

こんばんワニ。


なんだか日曜にVPPから帰ってきて何日もたつのに、疲れがとれません。

いつもは夜に紅茶をいれるとカフェインで眠れなくなるくらいなのに、グーグー寝てしまう。

そのくせ、朝4時とか5時に起きちゃう。

カンペキに、VPPに体内時計をぶっ壊された感じ。

でも朝早起きになるのはありがたい。というのも…

この続きは来週書きます。


 ■ ■ ■  ■ ■ ■  ■ ■ 


さて、今日も写真をのせつつVPPの話です。

VPPの週、7日間のうち、1日は祝日でした。なんで祝日はさんでやるかねぇ?と思うし、こちらでは基本的に振り替え休日ってないので、怒り倍増。

でもこの日でなければ参加できない村イベントに参加できたので、よしとする。

さて、この祝日とはなんでしょう?



たくさんの花でかざりつけ

そうです。日本の終戦記念日はインドの独立記念日、8月15日です。

1947年8月15日が独立記念、てことで今年は66回目だったそうです。

この日に小学校にPanchayat(自治組織)のプレジデントが来るのでセレモニーに参加しましょうとみんなで坂の上の小学校に行ったのだけど。



中央に立ってる大人のいちばん右がプレジデント

Summer ProgrammeのときのはPanchayatが政府のお金もらってやってる事業の名前をプレジデントが知らなかったりして、なんでこんな人が…と思ったけど(いい人なんだけど爪が甘い)ここのPanchayatもMBAのことをMaster of Business Aナントカとおおっぴらに間違えて言っていて(Associationだったかな)、なんなんだろうと思った。

そしてこの人はなんか見た目が悪者っぽい感じがする。




やっぱし

やはり去年同様、メインイベントは 国旗掲揚。

国旗あげる前にお祈りの歌が2曲ほど歌われ、やっぱし掲揚の間は国歌だろうと勝手に思ったけど、旗揚げ中は歌なし。終わった後に「国旗の歌」のようなものが歌われました。

国旗もこの類のセレモニーには欠かせないそうですが、この日はなぜか歌わず。なんでだ。。。



クソデブに見える

国旗掲揚のあとは子どもにチョコレートが配られ、MBAたちにも配られ、包み紙はみんなそのへんにポイポイ捨て、なんだかなぁと思いながらセレモニー終了。



みんなチョコレートを食っている

そうそう、余談ですが、この「チョコレート」と呼ばれるキャラメル、誕生日だけじゃなくて用途がいろいろあるんですよね。

いい成績をとったらTreat(お祝い、ごほうび)
いいことがあったらTreat
おんなじ色の服を着てたらTreat

って感じ。つか、いつでもいいんでしょって感じ。

たとえば今週なんか、「ルームメイトが出ていったんだからTreatのお祝いちょうだいよ」と言われました。

なんにしろ、チョコレートを購入するのはいっつも、お祝いされるべきはずの人。数日前もクラスメートが誕生日でなぜか彼女がクラスメート全員にジュースをおごってました。なんでだ。。。



クラスメートKと1年目の生徒

仲良くなる必要もねーだろうと思って今年のVPPでは特に1年目の生徒に声をかけようとは思わなかったのだけど。

私のクラスメートがある1年目の生徒に恋をしてしまい、「なんとか取り持ってよ」と言うのでどうしたもんかなぁと思っていたら、なんとクラス全員がキューピッドとして活動していました笑

でも私の7日間の観察から推測するとこの子は別の生徒にちょっと惹かれているのではないかなと。

どうしたもんかねぇ。

ちなみに私の代には私と西ベンガル出身のNがいて2名の州外出身者がいますが、1年目の生徒はビハール州のオトコノコのみ。

このオトコノコがクセのある子でねぇ。でっかいし、細いし、メガネくんで(たぶん)寒がりだし、頭もよくて知識もあり、何よりも、率先的である。「自分が発表します!」「自分が歌います!」みたいな。うちの大学にはものすごくまれなタイプだと思う。

最初に会ったときに「Hi」とかものすごくなれなれしい印象を受けたので「ケッ」と思ってしばらく半ばシカト状態を続けていたのですが。

VPP後半具合が悪そうだったことと、7日間のまとめレポートを書くのを(自主的なのか押しつけられたのかわかんないけど)担当してるわりになんかよくわかってなさそうだったので(去年私もやって大変だった)「どんな感じなの」と聞いてみたら「意見とかアイディアを聞きたいから明日(VPP最終日)時間とってもらえる?」と言われ、正直

キモい

と思ってしまったので州外同士先輩Nに押しつけて私は逃亡した



 ■ ■ ■  ■ ■ ■  ■ ■ 




ヤギよ何をみている?

同日15日には去年もやったVeterinary Campが行われました。当日呼びかけだったにも関わらず40名ほどの住民が参加、160以上の家畜の健康状態をチェック。



ヤギさんたくさん

動物が何匹来たのかチェックしていたのがクラスメートS。

最後に集計を手伝ったのだけど、動物の種類に「Lamb」とある。

こちらで羊を見たことがなかったのであれと思って聞いてみると

Goat(ヤギ)の子どもはLamb(子羊)っていうのよ」



ちがくね?

まぁ、こっちって通常は羊肉のことを指す「マトン」がヤギ肉のことなのでちゃんぽんになっちゃうのはわかるけど。。。羊は大きくなってもヤギにならないよねぇ



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女性もたくさん

また、8月15日はPanchayatが年に4回行う村の会議(寄合?)Gram Sabhaが開催される日でもあります。

他の開催日は1月26日(Republic Day)、5月1日(メーデー)、10月2日(ガンディ誕生日)。

以前からGram Sabhaの問題点は人がぜーんぜんこないことだと聞いてました。村の重要事項を投票して決めるというような役割があるはずなのに、なんせ参加率が悪い、と。

まぁ、でも当日この状況をみたらそんなもんかなって思っちゃったよね。

小学校の脇の木の下、シートをひいてみんなぎゅうぎゅうに座っている。

1時間の会議のうち半分は就任から今までプレジデントがどんな活動を行ってきたかの報告だったらしい。あとは政府の事業の宣伝チラシが配られてたな。

この間、何か投票していた気配なし。雨がぽつぽつ降り出したので、ビスケットとティーを消費してみんな退散

まぁ、そんなもんだろうとは思ってたけど。

ぱっと見、女性が多いのは感心した。参加者の女性は「いっつも来てるわよ」と言ってたし。でもこれってただ単に男性の参加率が悪いだけかもしれない。

第一、上記Vet CampをGram Sabhaに合わせてやるっていうのはうちの大学のミスプランニングだと思う。動物のケアするから(大事な)村の寄り合いには行かないでねって言ってるようなもん。民主主義国家なんだから、こういう行事は大切にしていただかないとね。



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まぁ、そんなこんなで、8月15日はイベントが目白押しでした。


2012年8月23日木曜日

VPP2 (1) クルル

こんばんワニ。


こんなとこに泊まってました

みなさんお待ちかねの、私の村滞在プログラムVPP報告をしたいと思います。

え?待ってないって?笑

まぁ、いろいろ思うことがあったのですよ。つきあってやってください。


今日は出発前に書いたこと

寒い。
バス通ってない。
病院ない。
停電たぶん多い。
18時以降は暗いから外出禁止。
雨ばっかり。

について書きます。


ほかほかのティーがどれだけありがたかったか

まず、寒かった。寒さはタミル語でクルルと言います。まいんちクルルクルル言ってたね。

南インドとはいえ、山の上は日本の山と同じように気温が下がるわけですよ。
雨も多いし。

12月に行ったときはヒーターなんか使って「寒い!」と思ったけど、まさか8月で寒いと感じるとは思わなかった。これは完全に事前の勉強不足ね。

私たちが宿泊していたのは某超大手国際NGOの日本支部がインド支部を通じて事業を行っていた際に建てたと思われるゲストハウス。男性陣はすぐ近くのインフォメーションセンターと書かれた建物に泊まってました。

ゲストハウスには二つベッドがあるのだけど、22人もいるので(オンナノコ)ベッドルームではなく併設されたオフィスのようなスペースに雑魚寝することに。

ここで、学科から持ってきたきったないカーペット状の敷物をしいて…ということだったらしいのだけど、知らないうちにこの敷物がみんなに占領され、私を含め6名ほどは敷物なしで、コンクリ(?)床に寝ることに泣

底冷えってこういうことを言うのねと思った。毛布は持っていたので包まって寝たけれど、朝4時くらいにかなり冷え込むので、眠れなくて起きちゃったもん。。。(毎日!)

太陽が出て「ありがたい」と思ったのは久しぶり。

あっ、日中は気温そこそこ上がりますよ。でも関東の5月みたいな感じ。
うっかりして日焼け対策を怠っていたら7日後肌が真っ赤になってました泣


裏山(つか

バス通ってない。 というのはちょい誇張だったよう。

政府運営のバスは1時間に一本は通っていたようです。

でも、宿泊していた集落から別のところに移動しようとしたとき、バスを逃してしまって次は1時間後ってことだったのであきらめて歩くことになりました。目的地についたら帰りのバスがちょうど出発したところだったし苦笑


コーヒーを生産しています

病院ない。というのはホントだった。

最寄の病院は10キロはなれたところかな。

村で車を持っている人は多くない。バスは数が少ない。オートなんかない。ということで、病院に向かう途中で亡くなる人も少なくないのだとか。

だから伝統的な治療方法が普及してるのかもとか言ってたんだけど、そういうわけでもなさそう。

一応村にはそれぞれ看護婦さんがいるようなのだけど、緊急の治療なんかできないしね。赤ちゃんのいるおうちに行くと、お母さんよくがんばったなぁって思う。

1年目のオンナノコに呼吸器官にもともと問題があって、なおかつ整理痛がハンパないという子がいて、ある夜に気絶して、次の日の夜はありえないペースで吐いてたのね。村のおじいちゃんが「車を手配しようか…」とすんごい心配そうな顔で見守っていたのだけど。いつものことだからと病院にも行かずに済んだけど、ホント誰か倒れたら病院行けないし、行っても夜はしまってそうだし、と不安になった。


小学校で行われた、ビンを最初にいっぱいにした人が勝ちゲーム

停電多い。多かったね。丸2日はなかったと思う。

集落には上記NGOのおかげで(未確認ですが日本のODA:政府開発援助も関わっているよう)上水施設はまぁまぁ整備されています。

私たちのゲストハウスは、モーターを回してタンクに水をくみあげる施設が別途ついていたのだけど、2日目にタンクが空になり、停電だからモーター作動せず。次の日電気がきたのを見計らって水をくんでもらう。

で、明くる日にまた水が出なくなったので「また出ないんですけど…」と言ったら、なんと今度はモーターがぶっ壊れたとのこと。

てことで、インド村ライフらしく、みんなでバケツやらプラスチックポットやらを使って水を運んでました。←これは経験として悪いことではないと思ってる。村の女性たちと同じ目線になれるから。

停電多いせいか、住居ではミキサーではなくまだまだ伝統的な石臼を使って調理をしているようすが多く見られました。政府のタダテレビはみんな持ってるようだけど、電気ないんじゃしょうがないよねぇ。


走れー

18時以降は暗くなる。確かに。まぁ山だから仕方ない。

でも時間がなくて18時以降も調査をしなくちゃいけなかったので、停電で暗い中を帰ってくるのはちょっと怖かったかな。


制服はどうした?

雨ばっかり。これも土地柄季節柄仕方ない。

私たちの場合去年(私のせいで)VPPが延期になり平地の雨季の時期に行ったのであのときも雨に降られて大変だったんだけど、今回は寒いのもあって、サンダルがちめたいーって感じだった泣

1日除いて毎日午後になると雨がしとしと降ってた。

夕方すぐ暗くなるのもそうなのだけど、何しろこの雨が毎日来るもんだから、かなり活動が制限されたね。。。まぁ、人んちで雨宿りさせてもらってお話を聞くのは楽しいのでまぁいっかと思ったけど笑

けれど、この雨のおかげで、平地のカピカピ大地とは違って雨だけで作物が育てられるとのことなので、このあたりの農業はかなり恩恵を受けています。主な作物は豆、コーヒー豆、バナナ、コショウ、みかん、などなど。ジャックフルーツもあちこちで見かけました。



まぁ、基本情報はこんなもん。と、いうような場所に7日間滞在していたわけです。

去年は日ごとに書いてましたが、今回は気づいたことを少しずつ書いていこうと思います。

あ~ちなみに、行ったのはPeriyurというところです。

District(県)としては私の住んでいるDindigul Districtと同じところなのですが、Block/Taluk(地区)は標高の高い南タミルナドゥのリゾート地Kodaikanalに属しています。Kodaikanal Blockの北部に位置するPeriyur Panchayat(インドの自治組織)の、Malligaipalaiという集落に滞在してました。

(まぁ、Google Mapでも出てこないし検索する人いないだろうけど笑)