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2013年7月29日月曜日

(おまけ)ネパールブッダ追っかけ旅 Lumbini

こんばんワニ。


ネパール旅行の続きです。


バス

ということで、交通機関のストライキBandaのおかげでせっかく予約していたACバスがキャンセルになりました。

(余談)帰ってからFさんにメイルで教えてもらったのですが、今週またBandaやデモがカトマンドゥ周辺で行われているそうです。今回主導しているのが「地下武装組織」なので、Bandaの最中にそのへんうろついてると撃たれる可能性あり、みたいな状況なんだって。恐ろしい。。。ルンビニに行くルートでもBandaが行われるので、ホントーにこの時期を避けることができてよかったと思う。

で、話戻るけど。

夜行バスのチケット買い直したんだけど、これはACバスでも観光用でもなく、地元の人たちが普通の交通機関として利用する長距離バスだったわけ。観光客用であれば海外からの人も乗っていて、もちろん料金も高いのでそれに従って車内の安全レベルやサービスも上がるわけなんですけど、この普通バスは大丈夫かなぁ、とバス停まで送っていただいたFさんのダンナさまも心配なようす。女性専用シートなんてのもインドとちがってないわけで、隣はフツーのおっさん。

ダンナさまには出発するまで雨の中待っていただいていたのに、なっかなか出発しねーーーーー!!!!バス停の敷地内で給油し、あちこちで止まって乗客を乗せていく。指定席のはずなのにシート間の通路にも人が埋まっていく。

もー何なの。。。と思ったので寝る。なので出発したのは何時かわからないけど、予定時間より1時間は遅かったんじゃん。 

カトマンドゥ(1400メートル)はちと高地にあるのでルンビニ(150メートル)までは下り坂。けっこーとばしてるので酔うかと思った。でも寝た。

やたらと休憩やら多いなと思ったけど、一歩もバスの外に出ないまま朝到着。

ちなみにこのバスの写真を撮ったのは、休憩中にバス降りてどれだかわかんなくなっちゃったら困ると思ったから。バスのナンバープレートがネパールの数字(こんな感じ)で読めないんすよ!

まぁ、降りなかったから必要なかったんだけどね。
 


Tibetan Bread?

バス停について、すぐ帰りのバスを予約。次の日水曜日の朝、乗るはずだった会社のACバスを予約しました。私が乗ってきた普通バスの車掌さん(これもただのお兄ちゃん)が「ACに乗るの?」みたいな顔をしてました。もともとこれで来る予定だったんだよと言ったけどたぶん通じてない。

そのあと「ルンビニバザール」と言われるほどでもない小さな通りにあるゲストハウスに部屋をとりました。Fさんにコピーさせてもらった「地球の歩き方」 にも出ているめちゃくちゃ安いところ。ついたら「今ゲストが次々にチェックアウトしてるところだから30分待ってくれる?」と言われて早くシャワー浴びて観光に行きたかったので「30分ですか-」と渋ったら「じゃぁ今シンプルな部屋が空いてるから」と言われて安い部屋(400ネパールルピー、400円ちょい)に通してもらいました。ちゃんとバスルームもついてるし、問題なし。

ルンビニをまわるにはリキシャ(ここではサイクルリキシャ)かレンタサイクルがいいと読んだのでチャリを借りることにしました。自転車が準備される間向かいのレストランで朝ご飯。

Tibetan Breadって書いてあってこれを期待して頼んだのに、ただのうすっぺらい揚げパンみたいだった。朝から揚げ物はキツいよ泣 コーヒーで流し込む感じ。



ルンビニ観光地の入口

ここが入り口。バス停のすぐ向かい側です。

ルンビニの観光スポットっていうのは日本の建築家丹下健三さんがデザインをしている公園みたいな敷地に点在しています。 このデザインしたってのが1980年代なのに、まだ完成してないっていう…。世界遺産なのにお金ないのかねぇ。

あっ、ちなみに、ルンビニっていうのはブッダが産まれた場所です。

この敷地には3つのエリアがあって、北側からブッダの生誕地のある場所、各国のお寺がある場所、それに博物館や日本のお寺の作ったストゥーパのある場所があります。 完成したら正門は南側になるんだって。私が入ったのは現在の入り口、北側です。


セカイイサン

ここがSacred Gardenと呼ばれるところ。200ルピー払うとチケットは3日間有効らしい(ガイドブックだと1日有効とあるのでどちらが正しいか不明)。

この白い建物の中に、ブッダが生まれた場所を示す石(アショーカ王が置いた)があります。その上にはブッダが産まれたときの様子(天上天下唯我独尊ってやつね)を描いた石碑があるのですが、顔がなくなってしまっています。ガイドブックでは偶像崇拝を禁じるムスリムが削ったと書いてあるけど、あとで図書館で読んだ本には摩耗した可能性もあると記してあるのでホントのところはわかりません。

中はもちろん写真撮影禁止!


石柱

 インドでも見たアショーカ王の石柱。



菩提樹


ブッダと菩提樹というと有名なのはもちろんその下で悟りを開いたというブッダガヤの菩提樹。 そうです、私たちが見られなかったやつ笑。 でもここにもアショーカ王が植えたという菩提樹がありました。お坊さんたちが座っています。


ぐるり

白い建物や菩提樹のあるエリアは円形の蓮の池に囲まれており、チャリンコでぐるりと周りを回って次のエリアに向かいます。


Baby Buddha

がっつり工事しててみられません。


これRajgirでも見たな

平和の火?
聖火みたいな。


寺エリア

二つ目のエリアは運河をはさんで両側に各国のお寺があるところ。歩道は歩行者のみと書いてあるけど、オフシーズンで誰もいなんだからチャリで通っても怒られなーい。


右脇から

お寺はあとで見ることにして一番最後のエリアに来ました。これはブッダが産まれたときのようすを金ぴか像で再現したもの。

出産をひかえて実家に帰る途中だったブッダのお母さんMaya Deviが木に手をかけたところ右脇からブッダが産まれます(!)。ブッダはそのまま7歩歩き(そこに蓮の花が咲いた)、天上天下~と言ったわけですね。ふむ。

お母さんの前にぽつぽつあるステップはこれ蓮だと思います。



象さん
 こっちは妊娠発覚のシーンの再現。

お母さんは白いゾウが体に入っていくという夢を見て自分の妊娠を知ったんだって。そのつながりがわからん、けど昔はそうだったのかね。。。


天上天下唯我独尊

これ、赤ちゃん。


産まれたシーン像は3つ目のゾーン。 はじっこにあるのが日本のお寺の建てたストゥーパです。ここにはまた蓮の池。


うーむ

ここのに似てるね。同じお寺(日本山妙法寺)が建ててるのかな。

ここ、だーれもいなかった。ひとりでぐるぐる回ってたけど床が熱くって(靴厳禁ですよ)、日陰もなくってどーしようかと思った。12時頃だから暑いの当たり前だよね苦笑


ツル?

ツル保護地だそうです。白い鳥飛んでたけど、あれがツルだったのかなぁ


博物館

ストゥーパをあとにして来た道を戻る。

博物館は火曜日お休み。残念。

この裏の図書館は開いていたので1時間ほどルンビニに関する本を読みました。ブッダ誕生のシーンはもちろんここだけではなくて各国の遺跡でも見られます。以前に行ったインドネシアのボロブドゥールやカンボジアのアンコールワットの彫刻との比較などもあり、おもしろかったです。

ここは本の管理をきっちりやるために、荷物は鍵付きの引き出しにしまい(ノートなどはOK、またコピーができない代わりに本の写真を撮ることはできるらしい)、手を洗ってから本を読みます。 係の人がお水やティーも持ってきてくれます。いたれりつくせり。扇風機もあって観光合間の休憩にはもってこいです(特にこのクソ暑いのにチャリンコなんかこいでる人にはね)。




つるさがりTigger


んで、このあと、3時間くらいかけて各国のお寺をまわったんですけど。

個人的に、あんまり最近作ったようなお寺ってそんなに心惹かれないし、他の観光地でもいろいろ見たし、建設途中のお寺もたくさんあったので、写真もぱちぱち撮ったのだけどここでは割愛します。各国のお寺の建築スタイルだとか仏像のちがいもあってそれはそれでおもしろいんだけどね。



建築途中

ルンビニは素敵なところだし、ブッダが産まれた場所として興味のある人にはぜひ行ってもらいたいとは思うけれど、建設途中であちこち工事してるし、もうちょっと敷地全体が整理されてから行ってもいいのかなと思います。80年代からやってんだからいつ終わるのかわかんないけどね!!!

ちなみに、看板を通り過ぎたせいか暑さでもうろうとしていたせいか、私は観光ルートを外れて泥だらけの道に入り、やっと寺についたと思ったら自転車が入れないようになっていて、それを強行突破したら警備員の人に出てけーと言われました。それで気分がなえて行かなかったお寺もいくつかあります苦笑

チャリンコも足も泥だらけだし、暑いし、お腹すくし(中に食べるところあんまりない)、 へとへとになってまたSacred Gardenに戻りました。


線香

先ほどの菩提樹にお線香を供えました。

夕方の少し涼しい時間になって団体の観光客がたくさん来ていました。中国からのグループに中国語を話すネパール人ガイドがついていて、もちろん日本人が行ったら同じように日本語を流暢に話すガイドがつくのだろうけど、なんだか笑えました。

でも観光客の多くがタンクトップやらミニスカートやらハーフパンツでなんかなぁと思った。

アグラでも思ったけど、やっぱこういう「聖地」と呼ばれる場所で肌を露出するのはどうかと思うのですよ。クリスチャンの人だって、教会に肌を思いっきり露出して行かないでしょう?たぶん。ちょっと気にしてほしいなぁ。


人気者

あいかわらずサル呼ばわりされるTiggerさんですが、手を合わせてお坊さんたちにごあいさつしたらやんややんやと喝采をあび、人気者になりました。

Tiggerさんがいると話しかけてくれる人もいるので、観光先では私と地元の人をつなげてくれるリンクだったりするんだよね。

この日もこうやってお坊さんの隣に座って(というのがよろしいことなのかわからなかったけれど)どこから来た、これからどこへ行く、と話をすることができました。



定時

お坊さんたちは18時帰宅らしいです。 

右の池はブッダが産まれたあと体を洗ってもらったところだそう。今は亀やコイ(?)が泳いでます。


やっぱし

Varabasiでの経験がありひもには気をつけねば!と思っていたけれど、せっかくルンビニまで来たのだからと思い、帰り道で出会った別のお坊さんにお願いしてぐるぐるしてもらいました。木のとこにいたお坊さんたちはお金なんかいらないよと言っていたのにこの人は巻いたあと物欲しそうな表情だったので、払いましたよ、ちょっとだけね笑 

このあと部屋に戻って顔をざっと洗い、「バザール」を散策しようと思ったけれどおみやげ屋さんがたくさんあるわけでもなく、ただふらふらと歩き回りました。

バス停のところまで来ると木の下にいたお坊さんのひとりが座っています。手招きをしているので近くに行ってもうちょっとお話をしました。

日本のお坊さん(うちでお世話になっているお寺とかの)は「いいこと言うねぇ」みたいな話をするけれど、このお坊さんはフツーの人って感じで、明日帰るんだよねとか日本までフライトいくらなのーとか、フツーな会話をしました。ガム食ってるのとか一般人みたいです。

バス停を出てバザール側に戻り、インターネットカフェへ。 インドでは「インターネットカフェ」という単語を見たことがなかったけど(タミルナドゥではたいていBrowsing Centreと言っていた)ここではネットカフェで通じるらしい。

中に入るとものすごく流暢な英語を話すちっこいオトコノコが接客をしている。すっごいていねいな話し方。肌が黒くて目がくりくりして、ネパール人ぽくない。どっちかって言うとタミルナドゥで見るような感じだけど、ちょっと顔立ちがちがうなーと思う。ふと壁を見やると、Lankanどうのこうのという広告。もしかしてスリランカの人かなぁと思う。帰り際に「スリランカ出身なんですか」とお母さんらしき人(この人は南インドぽくない顔立ち)に聞くと、夫がスリランカ出身ですとのこと。ルンビニにいるんだから仏教徒=シンハラ人だろうなと思ったけど、一応シンハラ人ですか、タミル人ですか、と聞く。やっぱシンハラ人だって。「行ったことあるの」と聞かれ「ないけど、タミルナドゥにいたからいつも行きたいと思ってました」と答える。

タミル人だったら話勝手に盛り上げただろうなと思う。 タミルの人たちがもう恋しいんだろうか。


トゥクパ

やっぱトゥクパもDharamsalaの方がウマかった。悔しい。。。


菩提樹の実


おみやげ屋さんで「日本人の人はよく菩提樹の数珠をおみやげにする」と言われつまり買えってことかよと言われたけれど、最近両親にきちんとした数珠は買ってもらったし、数珠をおみやげにするような友人も思いつかない。でもルンビニの菩提樹の実というのに何となく心がひかれるので「個売りしてくんない?」 と言ってみたら「ちょっと待って」とお店の中をかき回す店主。で、ビーズのように穴があいている実を売ってくれました。こっちの言い値でね笑

蚊がたくさんいるからと部屋に殺虫スプレーをしてもらい、10分して入室。そのあとグーグー寝たけど、途中停電して扇風機が止まったせいか、それともあまりきれいそうではないベッドに何かひそんでいたのか、朝起きたらおしりから足までたーくさん虫刺されができていました。かゆい。。。

ちなみに、この部屋、北枕でした…。反対側で寝たけど。


バザール?

次の日。

アサイチ、コーヒーだけ飲んでACバスに乗り、カトマンドゥに戻る。

客層がものすごく違うなぁと思うし、サービスも全然違う。車内ではビニール袋、ミネラルウォーター、新聞が配られ(英字新聞もあった)、途中ランチに寄ったレストランの人は流暢な英語を話していたので海外からの人もよく来るんだろうなと思う。

ここはブッフェだったんだけど、ネパール料理はまださっぱりわからないから「他に何かないの」と聞くと、チャーメンやモモもあるとのこと。ヴェジモモを頼んで待つ。待つ。待つ…。来ない。そのうち車掌さんや乗客がバスに戻り初め本気で焦る。やっと来たモモをかきこんでバスに戻る。間に合ったけどさ。

このバスの一番の収穫はイケメンが2人乗車していたことです。ネパールに来てからというか北インドに来てからあんまりイケメンを探そうと思ったこともなかったけれど、ひさしぶりに目の保養になったわ。清潔そうなシャツを着こなして、なんか一般の人よりお金ありそうだなぁとしみじみ思う。ひとりは目がきらっきらしていて、死んだ魚の目のような他の人と比べると輝いてたね!でもあとでもうひとりのイケメン他の乗客と話しているのを聞いたけど、英語はあんまり上手ではないようだった。ていうか声が変だった。ザンネン。


2013年7月9日火曜日

北インドブッダ追っかけ旅 (3) Rajgir - Nalanda

こんばんワニ。


ということで仏教の聖地ブッダガヤへの訪問をあきらめた私たちですが、昨日爆破のあったお寺がもう一般公開再開とかってニュースで言っていて、まぁ容疑者と思われる人がコルカタで逮捕されたからなのかもしれないけれど、ものすごくタイミング悪すぎてまた頭にくる。ムカー!

…というのがわかったのは今日違う場所を訪問して帰ってきてからなんですよね。

今日はホテルの人におすすめされて、泣く泣く(うそ)仏教にゆかりのある別の場所に行くことにしました。

Rajgirは、ブッダが修行をし、また教えを説いたといわれる山エリア。Gayaから70キロ弱かな。4大には入ってないけど仏教8大聖地のひとつらしい。

Ratnagiriという山に登る。


スキーリフト?
60ルピーかな。下りにも乗車できるらしい。


Chappal(サンダル)がおちてまう

ふる~いスキーリフトのようにかったるいスピードです

でっかい生き物がいたりね

Vishwa Shanti Stupa

ここには日本の妙法寺というお寺が建てたストゥーパがありVishwa Shanti Stupaとよばれています。このストゥーパのとなりにお寺を建てておつとめもしているようです…が、私たちが言ったときは修行僧っぽくない普通のオッサンがモゴモゴ何か言いながら太鼓を木の枝でボコボコたたいていて、なんか変な感じでした。でも日本人なのできちんとお賽銭はいれてきた。


サルがいる。

このストゥーパから石畳をおりてきて、Griddhalakutaへ登る。ここはブッダが教えを説いたとされる場所。チベットにあるようなカラフルな旗(あれなんていうんだろう)がたくさんあって、おぉ、仏教エリアだなぁとしみじみ感じる。


こんな暑いところで勉強は大変ね

頼んでもいないのにお線香とお供えの花(もどき)をおっさんに渡され、お供えする。しらじらしく諭吉や100ドル札、500+1000ルピーがおいてありあたかもそんくらいお賽銭してねと言っている感じにげんなりする。

ながめよし。

なんだか旅行者に配られたであろうおそろいのバッグを持ったシニアな人たちがたくさんいて、顔立ちはインドにもいそうなのに服装がワンピースとかなので、どっから来たんだろうと思っていたら、かばんにColomboと書いてありました。スリランカの一行なのね。


Eco-Sanトイレ普及。

菌がものすごく強そうだ。これでトイレを作るモチベーション増える、よね…?


お客さーん!そちらは女湯でーす!

このエリアでは温泉がわいていて、仏教ではないですがLakshmi Narayan Templeというところの温泉はHot Waterと言うんだそうです。そのまんまのネーミング。笑

これはドライヴァー氏が連れていってくれた公共浴場みたいなところ。ひとつひとつのエリアに神様の名前なんかがつけられています。足をつけてみたらホントにあったかい。


落ち着く場所

きれいにして観光客もひとっ風呂あびられるようにでもすればいいのに、地元の人が洗濯も体洗いもガンガンやるもんだから、石鹸の包み紙などでかな~り汚くなってます。ゆっくりつかろうって感じの温泉じゃないしね。

でも人が集まって世間話をしつつ自分や服を洗う、そういう憩いの場所になってるのかもね。

ランチはThali。南インドでいうMealsはこっちではThaliとよばれています。今日は朝ごはん食べてるヒマなかったのでランチがっつり食べました。南とちがうのがカレーの種類と、主食。南はご飯オンリーだけどここではチャパティがつく。ちょっと小さめのチャパティとジャガイモのカレーがウマい。

遺跡ちっく

このあとNalandaに行きました。これは仏教の教えを学ぶ大学があったところ。今はたくさんあった建物の部分部分が残るのみとなっています。

すてきな像

あんまり仏像自体は残っていなくて、僧たちが寝泊りした場所や教室のあとなどがメインかな。


草ボーボー

私、あんまり古い遺跡とかがぴかぴかに修復されちゃっているのはなんだか見た目がよくないなぁ、古いままの方が味があるんじゃないかなぁとか思うんだけど、こんな風に草がはえちゃってるとさすがに「ラピュタみたい」と思う。

ここは入場料が100ルピー(外国人料金)だったかな。チケットは入り口ゲートから通りをはさんで向かい側の建物で買うのだけど、その奥ちょっと歩くと入場5ルピーの小さな博物館というか展示館があり、このあたりで発掘されたものが展示されてます。ステキな仏像が何体かあったので5ルピーならお得かなって感じです。

2013年3月30日土曜日

おせっかいを通り越してはたメーワク Student Protest (3)

こんばんワニ。


数日前「夜寝るとき天井のファン使う」を解禁しました。

寝るときにACやらファンやら使っていると朝ノドが痛いので多少暑くても使わないのだけど、さすがに夏に向けて暑くなってきたので。


そんな今日はGood Friday(聖金曜日、キリストが死んだとされる4月の金曜日)。ここにいる東北部の子たちはたぶん全員クリスチャンなので、マニプール出身の先生んとこに集まってservice(お勤め、式)があるようです。

クリスマスも含めたまにこういった会にも呼ばれるのだけど、なぜかクリスチャンの集まりだと尻込みしてしまう私。

いつも自分は無宗教ですと言っているけれど、心のどこかで多神教(八百万の神様…)を信じているからなのかなぁと最近思います。


さて今日は夜ご飯何にしようと夕方Chinnalapattiまで行ってきました。

よく行くCeylon Bakeryにはキリストの絵がかけてあるのでオーナーがクリスチャンなんだろうな。クリスチャンの祝日だから今日はお休みだろうと思っていたけど、行ったら開いてる。携帯電話のプリペイドチャージ(をベーカリーでやってんだけど笑)担当のおじさんはいないけど、ベーカリー部門は通常営業って感じ。

働いている子に「今日休みじゃないのー?」と言ったら「違うのよ。言ってやってよ」とおじさんの息子(たぶん。同じ顔だから)に目配せ。

そこで息子氏に私から「何で今日休みじゃないんですかー」と言うと「でも休んでたらあなた買い物できないでしょ」と返される。

「休みだと思ってでもチェックしにきたのよ笑!」

おじさんの方は今日どっかでお祈りの式があるとかでちゃっかり休んだらしい。

働いてるオンナノコとオトコノコもてっきりクリスチャンなのだと思ってたけど、そうではないんだって。じゃぁ休みじゃなくても文句言うな笑


で、そういえばこのお店って「Ceylon」ベーカリーじゃんね、と思う。

Ceylonというのは「セイロン紅茶」と言われるように、スリランカの旧名です。

スリランカ政府に対するバッシングがタミルナドゥ中で盛り上がりすぎちゃってる中、ここも被害受けたりするんじゃないかと思ってたけど、そんなことはぜーんぜんなさそうな感じ。

Dindigulの本店は被害受けてたりして。

…そんなことない気がする笑

まさか地元の人はセイロン=スリランカだって知らないわけ?


と、私が言うのにはきちんと理由があるわけです。


反スリランカ政府運動がはじまってから、スリランカと名のつくものはやたらと襲われているんですよ。


たぶん最初に襲われたのはChennaiのBank of Ceylonだと思う。マスクをした12人が押し入り、銀行員を襲い銀行をメチャメチャにしたんです。

あとSri Lankan Airlinesのオフィスに石を投げつけたヤツもいました。


まぁここまでは、よく中国でも日本企業を襲うってことがあるので、ありがちだなぁと思っていたのだけど、次第に変な方向にエスカレートしていったわけです。


スリランカのシンハラ人たちには仏教徒が多いので当然お坊さんもいるんですが。Thanjavurを訪れていたそんなお坊さんが例の寺院で地元タミル人に襲われるという事件もありました。

そのあとすぐにまたChennaiで仏僧が電車の駅で襲われています


最近新しいカトリック教皇がアルゼンチンの内戦時代に殺戮を見てみぬフリしたなんて話も出てきたけど、かといって教皇が人を惨殺していたわけではないだろうし、このお坊さんたちだって進んでタミルの人たちを殺していたということはないと思うのです…


そしてもうなんかメチャクチャじゃんかと思われる事件が。


タミルナドゥの中に海岸エリアを切り取って別の特別行政区にしているPondicherryというところ(もともとフランス領でその影響が今も残りおいしいワインやフランス・インドフュージョン料理が食べられるという夢のような場所)があります。

ここにあるSri Aurobindo Ashramashramというのはヒンドゥ教の教えだったりヨガのレッスンをしたりするような場所)も最近50人のタミル人がやってきて施設を襲いました

で。Sri Aurobindoというここの創設者がシンハラ人でしたというならまぁなんとなくわかるのですが、Aurobindoは西ベンガル出身。

はい?

でも、ここが襲われたのは彼が西ベンガル出身だったからなんです。

じゃぁスリランカと関係ないじゃんと思うのですが。実は。

西ベンガルの州知事Mamata Banerjeeが国連人権理事会の決議(スリランカ政府の内戦時のタミル人に対する行いを非難するもの)に反対していたから、なのです。

…やっぱ関係ないじゃん!

これってつまり。日本政府がこの決議にちょっとでもイチャモンをつけようなら私がそこらへんでボコボコにされるというようなものなのです。恐ろしい。。。

(そういえば西ベンガル出身のクラスメイトNは無事だろうか笑)


そして、政治と切り離されるべきだと私が常日頃考えているスポーツ界にも影響が。


インドの国技ではないにしろものすごく人気があるクリケット。

インディアンプレミアリーグ(IPL)というのがプロクリケットリーグで、インド国内だけではなくて、クリケット選手が多い旧英国領の国から多くのプレイヤーが集まっています。

例によってタミル人の気持ちをくみとってますよと主張したいわがタミルナドゥ州の州知事Jayalalithaaは「スリランカの選手はうちの州でプレイしないでほしいわ」とIPLに言い出す。

でIPLもそれを聞き入れちゃって、Chennaiでの試合にはスリランカ選手は出ないことになったのです。スリランカの選手が襲われないようなセキュリティ体制が整えられないというのが理由らしいけれど。

アホか。こういうときだからこそ、スポーツではフェアに、気持ちよく、タミル選手もシンハラ選手もプレイさせるべきじゃないの???

けどねー。。。パキスタンの選手もしょっちゅうインドに来るなと言われるんですよね。クリケットは人気がある分政治が介入しやすいんだろうか。

にしても、シドニーオリンピックで北朝鮮と韓国が一緒に入場したことにエラく感動した自分としては、パレスチナとユダヤの子どもがサッカーを通じて交流しているなんてことにものすごく感銘を受ける自分としては、なんでインド人はこういうことができないんだと思うのです。


そして、もうはたメーワクとしか考えられないようなことも起こっています。


まぁ、以前から言ってることですが、タミルナドゥ州政府はタミル人が多い北スリランカを独立させろと言っています。

これはつまり、規模は違うけど、中国が横浜のチャイナタウンを独立させろというようなものです。

スリランカのことは、同じ民族であれ、他の国がとやかく言うことではないし、スリランカタミルがそうしたいのであればそれが実現するようにサポートを国際レベルで(国連とかね)することが必要だと思うのです。

まぁ、タミルナドゥ州政府にとっては「だってインド中央政府はタミルの気持ちわかってくれないんだもん!」ってところでしょうが、ウダウダ言う前に何もしてないスリランカ人の安全確保をしなさいよ。


で、今日の新聞で読んだけど、このゴタゴタでスリランカ出身のタミル人だってメーワクこうむってるのです。


最近の混乱で、スリランカから留学している生徒たちが物件を借りられないということが起きています。スリランカ人だと言うと、通常の書類の他に警察に行っていろいろ手続きがあるとかで、大家がめんどくさがって貸さないとつっぱねてしまうんだそうです。

これがシンハラ人だけだったらまぁ、ねぇ、こんなご時勢だから、と思うけどこれはタミル系スリランカ人にも当てはまることなのです。

というのも、Rajiv Gandhi(スリランカ内戦時にIndian Peace Keeping Forceを送り、結果タミル系スリランカ人と戦わせるハメになった)の暗殺(タミル組織LTTEによると言われている)からずーーーーっと、タミル系スリランカ人には警察の厳しい目がついて回っているわけで。

今回の反スリランカ政府デモに至っては、「タミルナドゥにきている難民の人たちはデモで先導きってるんだろう」なんて思うけど、実際には「スリランカの生徒はデモに参加しないように」と大学からきびしく言われて、寮で待機もしくはヒドい生活環境の「難民キャンプ」に帰っているそうなのです。


つまり、タミルタミルと言っているけど、本当に運動を起こしているのはスリランカの、本当にツラい思いをしたタミル人ではなくて、タミルナドゥで育って、最近になって「お隣の国でこういうことがありました、許せません」とわかってしまったインド人なんですよね。


結局誰のための運動なの?と思う。




2013年3月19日火曜日

エンジンをかけられた Student Protest (2)

こんばんワニ。



大学

閉鎖



まぁ、今回はそれなりの理由があるとは思うのだけど。

このブログでも書いてます
インドのお隣スリランカ北部には
私の住むタミルナドゥのタミル人が住み
人口的には多数のシンハラ人とモメて戦争をしていました。

戦争中は両サイド共に殺戮を行い
どっちだけが悪いということはないのですが
国際社会的にはスリランカ軍(シンハラ側)の
女性子ども避難民関係なく殺したというのが
いわゆるジェノサイドだと言っている人もいて

戦争は一応落ち着いたにしても
戦時中の軍の行動、責任者を追及しない現政府など
非難がますます高まっています。

戦争中にタミル側のリーダー的存在の人(Prabakaran)の子ども(Balanchandran)が
捕虜のようにスリランカ軍に捕らえられていたのですが
その子どもを無残に殺した
その殺害直前直後の写真が公になり
タミルナドゥ各地で大規模なデモが起こりました。

2週間くらい前から学生もハンガーストライクを行っていて
先週はバタバタと病院に運ばれる人もいたので
「そのうち収まるだろう」
と私は勝手に思っていたのですが
学生デモは収まるどころか広がっていて
大学を閉鎖せざるを得ないところが増えてきたので
今日州政府が「無期限」閉鎖を決めたわけです。

ちなみにうちの大学でデモはやってないんですけどね。

ある教授いわく
「うちだけ開けているというわけにはいかないだろう」

…なんなんだよそれ。

実は昨日ニュースで
内戦当時の悲惨な殺害に関するクリップが流されたとかで
タミル人の血が煮えたぎっている
というのが今日の状況だったようです。

いつもぽけーっとしている
MBA Coordinatorでさえ
「あんなの絶対に許せない」
と声を荒げて言っていたくらいなので。

私はテレビ観ないから知らなかったけど。。。

たまたまUN Human Rights Council(国連人権理事会)が
スリランカの戦争中の責任を追及するための決議を
通すだの協議だのしている真っ最中で

なのにインド中央政府は「スリランカの国内のことだし」
と「お隣の国に対して強く言えない立場」を表明し
それがタミルの人たちの感情をますますかきたてているのは確かなのです。

気持ちはわかるんですよ。

でも私がわからないのは何で今さらということ。

スリランカの内戦は80年代からずぅっとあったし
私はあの写真集をたまたま見つけたけれど
こんなに同胞タミル人のことを思っているインドタミル人が
今まで戦争や殺戮のことを知らなかったわけがない。

スリランカタミル人の難民はインドにもたくさんいるし。

なのになんで今になって。
というかなんで今まで何も言ってこなかったのよという方が正しいかも。

こういうことがタミルの人に起こっていた
こんなことをお隣の国がしていた
というのを学ぶのに遅いということはないんですが
今までただ無知だったのか
Balanchandranの写真がそこまで衝撃的だったのか
「今」な理由がわからない。


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まぁそんなわけで今週いっぱいはとりあえず閉鎖のようです。

前回とちがって外出はダメと言われているので
もうこれは論文今週終わらせるしかないな
エンジンがボコボコかかったような

そんな気がしていたのに。

停電でまだ寮のここだけ電気なし。。。


エンスト


手下の話いわく寮の電気回路(3本くらいあるらしい)のうち
私側の線だけ木にひっかかってんだって。

はぁ~。。。






2012年7月18日水曜日

Yellow Beauty 首相へのお手紙



こんばんワニ。

またすごいノートを買ってしまった。

これは裏表紙だけど、表紙にもデカデカと「Yellow Beauty」と書いてあって、黄色人種の私が買うためにうちの生協ストアにやってきたのね!と思うしかないデザイン。

裏表紙の下のメッセージも「なんでノートにこんな壮大なメッセージが添えられているんだろう」と思わせる。

このノートを使えばDiscipline for the Adventure of Lifeを会得することも可能でしょう。


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くっだらない写真ではじまった日記なので期待はしないでほしいです。

そう、ネタがない。。。

あえて言うならば、政治学のオンナノコ手術を無事に終え、食事もきちんととっているらしいことと、お父さまが「ここは医療設備が十分に備わってないから、ケララに連れて帰る」と言っていたらしいこと。10日間は絶対安静なので、帰るとしてもそのあとになると思うのだけど…大学はどうするんだろう、と思います。

本当に「他人事」なのだから仕方ないにしても、あんなことがあったあと、彼女が叫ぶのを見たあとに、何もなかったように授業に出ている自分がなんだかイヤになります。


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ネタなしなので、また新聞からニュースを。


今タミルナドゥではスリランカ軍の訓練についていろいろ非難があがっています。

ここでいろいろ書いたようにスリランカの内戦中、スリランカ政府軍は非人道的だと言われるような攻撃を「テロリスト」であるタミル系スリランカ人(ゲリラ・一般市民含め)に行っていました。

そんなスリランカ軍の訓練がここタミルナドゥ州で行われるなんて聞いたら、普通のタミル人は快く思わないでしょう。

まぁこんなこと起こりえないけど、たとえばこれば

米軍が広島の沿岸で軍事訓練

だとか、この間のネタにかけるなら

海上自衛隊が南京沿岸で軍事訓練

に値するようなことではないでしょうか。

では、昨日の記事です:

月曜日、州知事Jayalalithaa(ママ)ら政治家メンバーはスリランカの軍高官2名がニルギリ地区のDefense Service Staff Collegeにて訓練を受けていたとの報告を受け、非難声明を発表した。
Jayalalithaaらはスリランカの高官ががただちに帰国するよう求めている。
首相Manmohan Singhに当てた書面で、州知事は中央政府がスリランカ軍に訓練を提供したことについてタミルナドゥの人びとの気持ちを踏みにじる行動だと述べ、国防省が今後インド国内でスリランカ軍人に対する訓練を行わないよう指示してほしいと要求した。
[...]またJayalaithaaは首相に対し、先日Tambaram(チェンナイ近郊)で行われていた訓練に参加していたスリランカ空軍の9名の帰国を要求したが、その後この9名がバンガロールの別施設で訓練を再度受けていることが発覚したと告げた。

と、うだうだと抗議のお手紙の話が続き、しまいには「国連がスリランカの戦犯をとっちめるように働きかけてちょうだいよ」と言っています。

前から思ってたんだけど、州知事ママはやたらと首相にお手紙を書いている気がする。Letterと言ってももちろんきちんとした書面なんだろうけれど、新聞でしょっちゅうLetterの話が出てくると、なぜかかわいらしい便箋を机に置いて「さぁどうやったら首相がマジメにタミルの人びとのことを考えてくれるのかしらね」とペンを握って(=自筆)考えているママの姿が目に浮かんでしまうのです。

こうしたLetterはもちろん他の州からもたくさん来ているだろうし、首相が全部目を通しているのかもナゾです。お返事が来るのかどうかもね。

ちなみに、この件に関しては一番騒いでいるのは政治家の気がする。一般の人も抗議デモなんかしてるけどね。


あっそういえば、Pinkiは釈放されてうちに帰ったら金メダルがパクられていたらしいですよ。で、その怒りの矛先はPinkiを刑務所送りにした例の女性。

だって、私のうちのカギを持ってたのはあの女なのよ。あいつがパクったに違いない

ていうか、自分を刑務所送りにした人にカギ預けたままにしないでしょう、フツー。


オリンピック開会まであと10日ですね。寮では誰も興味なさそうだけど、夜テレビ誰も観てなかったらこっそりスポーツチャンネルにしちゃおうかな。


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そういえば、教室は政治学科の教室に「仮住まい」することになりました。発電機があるなんて、うらやましい。



2012年7月6日金曜日

光り輝く島 (2) Un-electable Elective Class

こんばんワニ。



今日ヒマなので(まだ授業のスケジュールが出来上がってない)MBAのオフィスで新聞を読んでたらこんな記事がありました。




スリランカ:15,780名のタミル人が未だに行方不明
赤十字国際委員会(ICRC)は、2011年の調査によると内戦後の北スリランカでは依然として15,780名のタミル人が行方不明であると発表した。
このうち、751名は女性である。 
しかしICRCは実際の行方不明者数はこれよりもはるかに高いだろうと推測している。この報告書が赤十字に報告されたケースのみの統計結果だからである。
2010年にスリランカ北部でのICRCオフィスを閉鎖しコロンボからの活動に絞るように指示があってから(たぶん、政府から)、行方不明者の捜索活動は困難なものとなっている。
ICRCの人道的な活動には制限がかけられている、と報告書は述べている。難民への支援活動も断念せざるを得なかったことが何度もあった。
報告書によると、「スリランカ政府は避難民再定住地での赤十字の活動を制限している。また、水資源確保のための活動を禁止し、ほかのプログラムのモニタリングも阻止している。」 
ICRCは政府の一部このような制限をかいくぐって活動を続けている。SLRCS(スリランカ赤十字)とのタイアップである。
 SLRCSと共にICRCは64の反政府軍人拘留所を訪れ、17,741名のタミル人と面会を行った。このうち5,057名はSLRCSとICRCを通じ家族との面会が実現した。


こんな比較はもちろんよくないのですが、15,000人というと東日本大震災の死者(2012年6月現在)と同じくらいです。そんなにたくさんの人が未だに行方不明だなんて。

そして政府がいちいちジャマをするのは、捜索によって政府軍の非人道的な悪行の数々が公になるのが困るからでしょう


…とスリランカ政府の悪口ばっかり言うつもりはないですよ。LTTEだって悪いことしていた(ような)のだから。


すんごい余談だけど、出身のつくばにはスリランカ料理を食べられる小さなレストランがあって、そこで食べたしょうがの効いているカレーを食べて「スリランカカレーっておいしい<3」と思ったものです。それまでカレー=北インドカレー(ドロっとしたタイプ)だったからね。その後タイカレーや南インドカレーに出会ってカレーの世界は果てしなく広がったけれど。

今もあるのかなと思ってググってみた。あるみたい

でも、改めてメニューを見てみるとナンとかラッシーとか、北インド化されてる感が否めない。

今度また行ってみよう。


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てなわけで、今日もけっこうヒマでした。




ここで書いた運用管理のクラスが実は全MBA生徒合同のクラスでしたというのが昨日判明して、おととい初回クラスやっちゃったよというのも判明して、「うちの学科は聞いてないですけど!」とプチ切れ。で、昨日はスケジュール確認して受講。


今日も同じクラスが午前中にあるよと言われて、教室になる通称MBA Hallに行ったら、修士1年目のMBAがオリエンしてる。しかも担当教授はフツーに座って参加している。事前に連絡してくれ。


と、いうことでオリエン用に準備されたティーをパクり、MBAオフィスで新聞を読んで時間を過ごしたのでした。。。

というのが午前中。




午後、学科の(仮)教室(←まだ受講する場所が決まってないんですよ…ありえない)に行ったら誰もいない。スタッフに聞いたら「指示を待って」と言われたけど、念のため別のスタッフに聞いたら「運用管理のクラスに行ったよ」とのこと…


午前中クラスが持てなかったので教授が気をきかせて午後にやってくれることになったんだろうと思い、汗をかきかき小走りで向かう。


MBA Hallに行くとみんな勢ぞろい電話くらいしてくれよ

ところがその直後、私の名前を覚えられないガンディ思想の学科長が1年目の生徒を引き連れずかずか入ってくる。どうやら、この時間はこのホールが使えないらしい。


結局、運用管理の教授は現れず私の小走りを返してくれ




こういうゴタゴタってインドにいるなぁってしみじみ感じるし、もうだいぶ慣れたと思っていたのだけど、やっぱりダメだわ。イライラしちゃう。




ここで話した選択科目の件。「選択科目」なんだから、この選択肢の中で選ぶ分には何も問題がないと思ってた。のだけど。クラスメートは全員「カウンセリングとガイダンス」を受講すると言っている。でも私はそんなよくわからないクラスを受けるのはごめんなので「N教授がかまわないのであれば私はうちの学科からひとりでも受講したいです」と昨日学科に伝えました。


ところが今日、学科で呼び出される。なんだろうと思って行ってみると「問題があってね」と言われる。私は「選択科目」の時間はどの学科も同じで、だからこそ「選択科目」なんだと思っていたのだけど、他のクラスメートと私の選択科目の時間が違うので、他のクラスのスケジュールが立てられない、兼ね合いがつかないとのこと


なんじゃそりゃ。


他の学科のMBA生徒は選択科目を選択できなくて、あらかじめ5つの中から学科の選んだものを受講すると聞いていたのだけど、その理由がわかった。他のクラスとスケジュールが合うものだけ受けさせるってことね。。。


じゃぁ最初から選択科目なんて言うなよ




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これも先日の話の続きですが、Kはホントに追加泥だんごを持ってきました。


でも何か、しみじみと泥だんごを眺めながら食べていると(今回は10個くらいもらった)、これっておいしいのかもしれないと思ってくるのです。不思議ですね。


考えたら初めて食べる納豆がおいしいわけないし!でも私納豆大好きだし!



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あと、余談ですが、今巷で話題の「ヒッグス粒子:Higgs boson」はPeter Higgs博士が提唱した理論に基づいているということはニュースで散々言っていると思うのですが、私はこのbosonっちゃ何ね、と疑問に思っていました。ただの粒子ならparticleと言えばいいわけなので。


そしたらいいタイミングでこんな記事が。


理系じゃないので間違っても粒子についてここで書こうなんて思ってませんが、つまるところbosonというのは粒子のタイプで、インドの物理学者Satyendra Nath Boseが提唱した理論に基づいているんですね。


Boseはイギリスの学会誌に発表しようとしたけど断られて、ちくしょうと思って同じ論文をアインシュタインに送ったら、アインシュタインは「これはすごい」を彼の理論を絶賛。彼の理論を元に二人連名でドイツの学会誌に発表。その際にアインシュタインはこの粒子をBoseにちなんでboson(ボース粒子)としたんだそうな。


ということで、ヒッグス粒子は厳密にはヒッグスボース粒子…なんじゃないの?笑


この記事はそのあと、インドの科学者はなっかなか世界に認めてもらえない、認めてもらえるのは米国等に帰化したインド系科学者ばかりだと嘆いています。大変なのね。(でもゼロを発見したのもインド人だよというのは強調している。)






2012年7月1日日曜日

2nd Half of Short and Sweet Summer Break Day 24 - 光り輝く島

こんばんワニ。




Himalaya Herbals


最近使いまくっているHimalaya Herbalsの商品。日本から持ってきたシャンプー等がなくなり、こちらで買うことになったときに、「どうせなんだからインドのアーユルヴェディックとかの製品使いたいなぁ」と思い、DoveL'Orealなど見慣れた製品もあるのだけど、このHimalayaをセレクトしています。


理由は…名前?笑


でもアーユルヴェディックと普通の化粧製品のアイディアを組み合わせて作っているようだし、なんとなく肌にいいかもとか思ってしまうのよね。(中途半端健康志向だから。)


創始者が当時のビルマで像をなだめるために根っこを食べさせているのをみて「これは!」と研究を始めたのがきっかけで…という「ヒマラヤじゃねーじゃん」という会社創設の歴史はウケるしね。


最初に買ったのはAnti Hair Fall Shampoo。抜け毛が多くて、ホントハゲるかと思ったから。その後、フェースパックや洗顔フォーム、ローションやトナーと買いだめ、なんだかバスルームがHimalayaに占領されてきた。


使い心地は悪くないですよ。肌荒れはあいかわらずお天気任せって感じですが(暑いとすぐ吹き出物が泣)、パックすると落ち着くし。そしてインドの会社、国内製品だから安い。学生にはありがたい。




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突然ですが。


私ができれば優先的に行ってみたいと思っている国リスト(人生でいっぺん行ってみたい場所は多すぎるので書きません)は、


ラオスタイヴェトナム。それにスリランカです。


まぁぱっと見、全部アジア。意識してるのは仏教国ということ。と言ったらブータンやチベットなんかも入るんだけど、ブータンは行くとガイドを雇わなくちゃいけないらしいし(日当1万円)チベットは中国国内だから代わりにチベット仏教を信仰しているインド国内のLadakhに行ければいいやって感じ。韓国も食べもの以外興味ありません。


なんでっつったらただ仏教遺跡やお寺に行って、仏様を眺めて仏教建築にうっとりしたい、ってだけなんだけど。




で、今いるところにいっちばん近いのは、Delhiに行くより断然近い、スリランカ。


大学に入りたてのころの私はスリランカがどんな国なのかもよく知らなくて、スリランカ出身クラスメートのおうちに行って仏様の絵がかけてあるのを見て、初めて「仏教国」だと知ったのです。


数年後、ネットのミュージックヴィデオを観て衝撃を受け、聴いていたスリランカ系UKシンガーM.I.A.


そして、大学の南・東南アジア国際関係のクラスではスリランカ国内の紛争がどうして起こったのか真っ向から対決する2つの論文を探して比較するというなんともめんどくさい課題をやりました。


なんでこんな「私とスリランカ」の接点でもない接点を書いているかと言うと。


先週農園を訪問した際に、ふと手に取った英語の写真集。これがいろいろとまた考えるきっかけになったんですよね。




接点についてもう一度。


先述のクラスメートと仲良くなったときはスリランカという国ではシンハラ語が話されていて、主な宗教は仏教だと思った。(シンハラ語でこんちくしょうの言い方も教わった。)


M.I.A.のお父さんはスリランカのタミル系で、どうやら政府に狙われていたため彼女は英国に亡命したらしいとネットで読む。(スリランカにはシンハラ人じゃない人もいるのねぇ)


そして論文を読んでいて、どうやらスリランカにはタミル人グループのLTTE: Liberation Tigers of Tamil Eelamという「テロリスト集団」があると知る。(あぁ、M.I.A.のお父さんはこれに関わっていたのね、きっと)


そして数年後の私。インドに来てタミルの人と交流する。そのころにはスリランカのタミル人のことなんて忘れていたと思うけれど。のちのちあのクラスのことを思い出したけれど、まさか「大学でタミル人はテロリスト集団作ってるって勉強したよ!」なんて言うわけもなく。


そのまた数年後の私。インドで大学院生するようになって地元の新聞を読み始める。やたらと国際面じゃないところにスリランカの話題が書いてあって、「戦後の和解プロセス」「タミル人への補償」が目につくようになる。


先週。「こんなことが起きたなんて信じられますか」のような題名の分厚い本を、農園の本棚で見つけて手に取る。表紙は女性が手を上げ、しゃがみこんで泣いている写真。うしろには戦車。


どこかの戦争の写真かなと思ってページをめくる。


そう。これはスリランカ内戦の際甚大な被害を受けたタミル系スリランカ人の写真集だったのです。




回りくどい書き方を何度もして申し訳ないですが。何を言いたいかと言うと、私はスリランカのことを全然わかっていなかったんですね。


スリランカには大きく分けて2つの民族が住んでいて、シンハラ系とタミル系がいること。


タミル系はヒンドゥ教やキリスト教を信仰していて、スリランカを仏教国と断言するのには多少問題があること。


イギリス統治下のスリランカ(セイロン)で植民地政府が少数派のタミル人を優遇した結果、多数派のシンハラ系のイライラが高まったこと。そして独立後はシンハラ系が政府をコントロールし、国語をシンハラ語にしようとするなど衝突の種が生まれたこと。そして1980年代に内戦勃発


私が例のクラスを受けていたときは各国の仲介のもとスリランカ政府とLTTEは停戦の話し合いをしている最中でした。…のはずなのにぽつぽつ衝突が起こっていて、という状況だったと思います。


インドも平和維持軍を送って仲介しようとしていますが、それがタミル人の反感を買い、首相Rajiv GandhiはLTTEメンバーに暗殺されます。…という話をきいたのはホント最近、こっちでクラスを受けるようになってから。




そして、この内戦中にスリランカ(輝く島という意味)のタミル人に何が起こっていたか、それはこの写真集を手に取るまで「知ろうとしていなかった」こと。


もちろん、論文比較の際に「政府がタミルの人権を迫害している」「国外難民、国内避難民のタミル人がたくさんいる」というのはもちろん読んでいたし、新聞で「人権擁護団体が内戦中の政府軍の戦法を非難して」なんて記事は何度も読んだし、国連やアメリカがスリランカ政府に「何とかしろよ」と圧力をかけているのも知ってる。


でも、じゃぁ戦争中にどんなことしてたのさ?


というのは、怖くて見られない部分。だったんですね。だから無意識に避けてた。


日本は2つの世界大戦を経て、「もうこりごり」と戦力を放棄した。(すぐ「自衛隊」という形で勢力盛り返したようなもんだけど)40年後の世界で、まだこんなヒドいことが起こっていたなんて信じられないと、平和大好き日本人の私は自分の感性で素直に思ってしまうのです。もちろん60年たった今でも世界ではバカバカしい理由(じゃないのもあるけど)で紛争がたくさん起こっている。


まぁどんな写真が掲載されていたかはご想像にお任せしますが、これはどの戦争にも当てはまるものだと思うんです。実際、ヴェトナム戦争の写真と比べてるページとかあったし。一番被害を受けるのは戦ってる人たちじゃなくて、女性、子ども、老人、戦争とは関係ないひとたち。病院が政府軍に爆撃されたケースも多くあったようです。それに激怒して応戦する。向こうも応戦。意味のないループ。


いろいろな写真を見ていると、「こんなことされたらテロリストになるかもね」と正直思ってしまうけれど、LTTEだってブラジャーに爆弾を仕込む女性用自爆装置を開発したと言われているくらいで、テロリストのレッテルをはられても仕方ないことをしていたのは確か。


だから結局、どちらも悪かったと思うんです。もともとはイギリスの統治の仕方が悪かったのだけど。。。戦争ってそういうもの。どちらが先にやったとかじゃなくって、どちらも悪い。でしょ?


外務省が内戦についてかなりコンパクトにまとめているのでご参考に。中立に書いていると思います。




結局のところ、内戦やこの写真が私の「スリランカのシギリヤロックに登りたい」という希望を打ち砕いたかというと、そんなことはありません


むしろNGOのつてでスリランカタミルの団体にコネクションができたし、そこに行ってみたいなと思っているくらい。


だけど、シンハラ系とタミル系とどちらにもつながりと思い入れができた今、スリランカについてはもっと勉強してから行った方がいいかなと思っています。近いけど、まだ行ない国。それがスリランカなんです。



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そんなことをBlogに書こうかなと思っていた矢先、世界で起きている別の紛争に関して考えるきっかけが。

それが今日観た映画、"Language of the Enemy"(または"A House Divided")というパレスチナ紛争を扱った作品。

実際にあった話が元になっていると書いてあったのですがあまりネットで情報がないので詳しいことはわからないです。以前にユーゴ紛争中にもボスニア系とセルビア系のカップルの悲劇みたいな実話をきいたことあるけど、そんな感じ。許されない恋、みたいな。でもこの話はロミオとジュリエットな要素も入っているんです。死んだと思ってたヒロインが実は…!みたいな(これがホントの話だったらスゴい)。

展開がいちいち早いのでビックリするけれど、パレスチナの子どもがイスラエル軍に対して投石するというのはおそらくホントに日常茶飯事なんだろうと思われる。イスラエルの入植ファミリーに対して笑うのとかも。

この、いちいち早い展開に"Gosh, come ON..."と中盤までイラっとしていたけれど、最後のどんでん返しと(もうネタバレしてるからいいよね)お葬式のシーンでまたさめざめと泣いてしまいました。

テーマがテーマだけに、「いい映画だった」とは言えない。悲しい話だった。


大学で生粋のイスラエルっ子はひとりしかいなかったけど、ユダヤ系アメリカ人は周りに多くいたようです。パレスチナ系学生を含めてパレスチナを支持する学生グループはキャンパス内にテーブルを並べてイスラエル政府と軍を非難しまくってました。たまにユダヤ系もテーブル置いてたけど、うちの大学の気質上あまり受け入れられていない感じでした。

今思うと、なんでスリランカタミルを応援するテーブルはなかったんだろう。タミル人は各国に移民がいるし、たくさんいたインド人生徒にもタミル系はいたはず。なのになんでだろう。イラク戦争が始まったときはイラクの写真もたくさんキャンパスで見たし。。。

きっと、メディアの取り上げ方の違いで、「世界で起きてる大変なこと」にランク付けがされてしまうんだろうな、と残念に思います。