2013年7月3日水曜日

終わりの始まり (3) 先生の涙

こんばんワニ。


と、いうようなことがあったのでイライラがまた爆発しそうになり、ここ数日アーユルヴェーダやらの薬でお腹の痛みと戦ってきた私ですが、なんとか卒業できそうな雰囲気です。

学科長の言葉を信じようというか信じないとやってらんねーと思いつつ今日も大学へ向かいました。友人宅のあるVeelinayakenpattiNilakottaiからちょっと離れているのでAutoに乗りNilakottaiのバス停へ。

ここ2年間何度も「うちに住んで大学に通えばいいよ」と言われてきたのでそれを今になって試しているような感じです。結論、日本でも満員電車の通勤はしたことあるけど、インドのラッシュアワーバス通学はつらそうだわ、ものすごく。あとは想像にお任せします。

学科長との約束の10時前に学科に到着。E教授も来ている。蚊を追い払うのに疲れたので外で待つ。すぐ学科長も現れる。

まず学科長とP先生が学科長のオフィスで話をして、そのあとE教授が呼ばれ3人で話している。E教授は昨日ぶつぶつ言っていたようなことを学科長に伝えているようす。謝礼がどうのこうの、とか。

少しして私も呼ばれ中に入る。E教授はご丁寧にもうだうだと理由を書き連ねたレターを用意してきたようで、それを学科長に渡して熱弁している。学科長には先週の金曜日に「7月4日にDindigulから電車に乗るのでそれ以降は来られません」とレターを渡しているのに今になって「いつここを出るんだ」とまた聞かれる。「4日です」「4日…?」「7月4日です」「7月?」…ってオイ、先週話したじゃん…。E教授は「なぜ学科長にも私にも連絡していないのにP先生にだけ(出発日の)連絡をしたんだ」と言われる。いちいち全員に話さなきゃいけないのかよ。

E教授には昨日と同じように「7月4日にここを離れなくては行けない理由は何だ」と聞かれる。なので、「とっとと出ていきます」レターの件を学科長に思い出してもらう。E教授は「君が大学を離れるための許可を誰が出したんだ」と言う。卒業生が大学から巣立っていくのにいちいち許可が必要なのかよ。たぶんお前はガイコクジンだから大学の許可が必要なんだと言いそうなところ、学科長が「これ(私がインターンシップのあとにすぐに出ていくこと)は私たち(学科長とP先生)が指示したことだ」とビシっとツッコみを入れる。それなのにP教授は「それは私には受け入れられない。きちんと許可が必要だ。私は自分の意見をきちんと書いて正式に学科長に提出している。」うんぬんかんぬん。それで学科長の話がまだ終わってないのに勝手に出て行く。

E教授のレターに目を通している学科長。そこで、私も一応用意してきたんですけど…と、昨日マニプリお姉ちゃんのラップトップでこつこつタイプしたレターを渡す。内容はもうすでに学科長にもControllerにも伝えてあることなのだけど、一応きちんと文面にしたんで。電車やフライト、ホテルも予約していて、またアレンジしなおすのは難しいこと、奨学金も先月末で打ち切られていること、父が来ること、学科にはP先生を通して出発日が伝わっているものだと思っていたことなどなど。かなり腰を低くして書いたつもり。

それを見た学科長が「Let's go」と言う。またE教授のとこですか…とあきらめようとしたら、学科長はP先生と一緒に学科から出て行く。あわててあとについていく。

学科長が向かった先はOffice of Controller of Examinations。まぁ、うちの学科の隣の隣くらいの距離なんだけどさ。そして学科長とP先生がControllerのオフィスに入っていく。ここはテスト関連の書類があり生徒は勝手に出入りできないので外で待つ。

ちょっとして何か書類をかかえてE教授がやってくる。なんだよコイツも来るのかよ!と思ったけどControllerのオフィスじゃなくて他のスタッフのいるところに入っていく。何をしているのかわからないけどすぐ出て行く。私の前を無言で通り過ぎる。私も見なかったことにする。

20分くらいして学科長とP先生が出てくる。学科長が「心配しなくていい、今日外部評価者を呼んでVivaをやるから。午後にまた来なさい」と言う。これは口約束ではないと思う。思いたい。

寮に行ってお姉ちゃんとイトコちゃんに何があったか説明する。二人も新しくマニプールから来ているオンナノコの入学手続きや寮の部屋確保でバタバタ忙しいのだけど、まぁ座りなよと言ってもらい話をする。んで、結局ランチもごちそうになる。。。

午後って何時くらいかな~…クラスのスケジュールだとランチは13時45分までということになってるけど。と思っているとNilakottaiのCが電話をかけてくる。「今Mと一緒にいるんだけど、学科の教授と話をしようか?」えぇ。

CとMのNGOはうちの大学ともつながりがあって、研修をここで受けたり、研修の講師として呼ばれることがあるほか、Mは実は私の大先輩に当たる人。2年前に私がここで勉強することになったとき、周りがみんな喜んでいる中で「あそこはpoliticsがあるところだから気をつけて」と唯一警告をしてきた人です。彼もかなり苦労したから、と。そんなわけで私はCをLocal guardian(遠方から来ている生徒はこの辺りに住んでいる人に保護者代わりになってもらわなくてはいけない)として大学に登録していました。

まぁそんなつながりはあるのですが、わざわざ学科と話をしなくても…と思ったので「大丈夫、きっとやってもらえるから心配しないで」と言う。Mが「でももしやるつもりがないようなら連絡して」と。

そのあと、またぼ~っと過ごす。

またCから電話がある。「今学科長と話をしたよ」と。??????????????

二人がなんと私の学科に行って話をしてくれたのだそうです。それによると学科長は「心配ない、今日15時に評価者をアレンジしたから」と言ったそう。わざわざ本当に話をしてくれるとは思っていなかったのでびっくりする。Vivaが終わったらまた連絡してくれと言われ、とりあえず電話を切る。

そのあと、同じ学科のB教授から電話があり、16時にVivaを受ける準備をしなさいと言われる。でも秘密だから、と。

ということで16時前に学科長のKVKオフィスへ。オフィスの前で待っているとB教授もやってくる。で、「レポートは?」と聞かれる。えぇ。「金曜日にE教授に提出して、自分の分は印刷していないんです」と言う。「そうか、ではあとで提出でもいいか確認しよう」と。そのうち車に乗った女性がやってきて学科長のオフィスに入っていく。学科長の車でこの女性を迎えに行ったスタッフが私にも中に入るように言う。

思ったとおり、この女性が外部評価者でした。8日に他の生徒が来るときにも担当になる人のようです。レポートはもう1冊印刷し、学科長を通してこの女性に渡してもらうことになりました。

この間の「冗談でしょ」のようなVivaとはちがい、なんだかんだで1時間くらい話をしました。口頭試験っていうか、2年間の総括のような質問が多かったかな。日本とインドの比較とか。糖尿病に関しては私もかなり熱弁しました。

でも「それでは、2年間のガンディグラムでの経験をまとめて、『何を日本に持って帰るか』という点に関してはどのように考えているか」なんて質問は今聞かれるには最悪のタイミングなわけで。

「2年間最悪な思いをしてきました。クラスメイトとの言葉の壁、インドのシステムあれこれ、修士論文での苦労、病気…。もう早くここを出たくてしょうがないんです」

…とかは言ってないです笑。かと言ってこの大学を褒め称えるわけにもいかないので「まぁいろいろ大変ですよ。私も、クラスメイトも、周りの村も、いろんな問題を抱えてますよね。それがわかったというのは貴重な経験です」とオブラートに包んだ返答をしました。

名刺までいただいて(そいえばこの間のVivaでも名刺もらったけど、どこにやったかな)、わざわざ2度も来てもらうことになることに感謝し、学科長とB教授に感謝し、KVKを出る。レポートのことがなければ今日が最後になるのでもう一度お姉ちゃんに会いに行こうと思ってたけど、また明日も来るしと思ってそのまま帰ることにする。通学(帰り)ラッシュにまたぶつかり、満員バスで帰る。

帰り、お世話になった人たちに「MBA終わりそうです」の報告とお礼のために箱詰めのお菓子を買う。思ったより高くて少々ビビる。

村に帰ってお菓子を配り、すっかりリラックスしてグーグー寝る。

では済まなかった。

お菓子を持ってCの家へ。

ここで何があったかを話したところ、Cに実は今日もともとうちの大学で用事があったと聞かされました。わざわざ来てくれたのなら申し訳ないと思ってたのでちょっとホっとする。それで、学科に行って話をした~、の一部始終を聞きました。

まずは学科長より親交の深いB教授のところにあいさつに行ったそうです。最初っから私の話をするのもあれなのでまぁ当たり障りのない話題から始まり、「そういえばミワのことは知ってますか」と切り出したそう。もちろん知っていると話がつながり、そこで「ずいぶん大変な目にあっていると昨日彼女が言っていたものですから」と伝えたのだそうです。実はその時点でもう学科長が外部評価者のアレンジをしていたのだけれど、B教授は「ぜひあなたたちからも学科長に話をしてほしい」と言ったそうです。

それで…私の話をしているとき、B教授が涙を流したと言うんです。

ルールにそって生きているような人で、生徒には厳しいし、キッツいこと言うし、人間性疑うこともよくあるのだけど(生徒をバッファロー呼ばわりとか)、私をDindigulに迎えに来てくれたあの日(実はあの日心配で朝4時からバス停と家を行ったり来たりしていたのだとか)から私のことを妹のように思ってくれていたのだと。(そこ、娘じゃないんだ?というツッコミ入れたかったけど。)

なんだか、こんなこととかあったけど、私のことをきちんと考えていてくれたのだと思うと、しばらく意識して距離を置いていたことなど、大変申し訳なく思いました。

B教授と話をしたあとCとMは学科長のところへ。学科長は今日どこかで会議があったのだけど、私のためにそれをキャンセルして大学に来てくれたのだそうです。E教授が書いたレターはちらっと二人に見せたあと、二人の目の前でそれをビリビリ破ってゴミ箱に捨てたんだって。あぁ、それ、E教授の前でやってほしかったわぁ。

Cの話を聞いたあとMの家に行って、同じように学科長と話をしてくれたことのお礼を伝えました。Mは在学中にB教授とちょっとモメた過去があるので、「普段Bがめんどくさいごたごたに生徒を巻き込むことが多いんだけどね。学科長もB教授も君のことを心から応援してくれているようだね」と驚いていました。

最後の学期に起こったあんなことやこんなことで本当に心底、うちの大学の評価が自分の中で急降下だったけれど、最後の最後に私のために今日のVivaを(こっそり)アレンジしてくれたControllerと学科長、B教授、それにP先生には、今後も頭があがらないでしょうね。

明日レポートをもう1冊提出してきます。これで終わりだと思うけれど、本当に終わるまで終わりとは言わないことにしよう。


おまけ:お菓子買う前に心配した父から電話がありました。心配、つきないね苦笑



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