2012年6月17日日曜日

Summer Programme Week 4 - NGO ほそぼそ

こんばんワニ。




ドアを開けると、ぷぅんと鼻をつくにおい。


誰かが、Kerosene Stoveを使ってる。


Kerosene Stoveというのはこんな感じ(参考写真)のポータブルこんろ、です。


農村部ではまだまだ薪をくべて調理をしている人も多いのだけど、たいていはIndaneLPGガスタンクを買って、こんな感じ(参考写真)のこんろに取り付けて使っている人が多い。


けれどこのIndane、注文してもなっかなかLPGタンクを届けてくれないことで有名で(このへんではね)、そうすると登場するのがKerosene Stoveなんですね。(ない場合は薪で。)


ホントにケロシン使ってるのか軽油の類なのかわからないけど、Kerosene Stoveと呼ばれています。


もちろんうちの寮は調理をしてはいけないのでKerosene Stoveも所有してはいけないハズなんだけど、なぜか暗黙の了解というか、持っている人は多いようだし、寮母も使っているというウワサだし、自分で燃料調達してくるんだったらいいのかって感じです。


ムカつくけど、私はこのKerosene Stoveのニオイが好き。


なぜか、家族で毎年行っていた冬のスキー旅行で、朝駐車場で暖房をかけてアイドリングして(環境汚染だー)、リフトが動き出すのを待っている、そのときのニオイがするんですよね。


ただのcrude oil系のニオイ、ってワケじゃないしなぁ。




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さて。今日は、写真撮りましたよ。




ぐるぐる感が伝わらない。。。


これがParottaです。以前から何度か写真を撮り忘れているインドの薄焼きデニッシュでございます。

どうでなのでParcel(持ち帰りパック)も写真に撮ってみた。


ぐるぐる巻き


Parcelを頼むとたいていはこんな感じでゴハンが包まれます。


1枚目の写真のように食べものがバナナの葉っぱに包んであって、それが新聞に包まれています。これがひもでぐるぐる巻きになっているわけです。


インド料理は基本カレーなので、汁物がつく。これはビニールに入っていて、これも同じひももしくは輪ゴムでとめてある。


バナナの葉っぱはあえて言えば防水なので、このまま広げてお皿として使えます。ゴハンを広げて、汁物をちょっとずつかけて食べるのが正当派。


でもこの汁物ビニールが倒れないように行儀よく立たせておくのが(私のようなインドゴハン初級者には)難しいので、ParottaとChapattiの場合は先に全部かけちゃいます笑


(初めてインドに来たとき、電車でご飯・カレー一式を頼んで、一緒にいたオトコノコがジーンズにカレーをどっぷりこぼしてしまい、なんてこともあったっけ)




先にかけちゃったところ



2枚目の写真でコランブと呼ばれるこの汁物が赤くて痛々しいと思いますが、見た目どおり辛かかったです。


今日はこれを食べながら「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」を観ました。


子どものころに観たショッキングな印象が離れず、懐かしいなぁと思って観てたけど、これってインドが舞台だったのね…。それにしてもインド人が観たらブチ切れそうな箇所が多々ありますね。(あまりにも内容がracistなのでインド国内の撮影ができず、スリランカで撮ったそう)


でも1984年の作品とは思えないほど、今観てもスリリングです。Harrison Fordキライだけど、昔はカッコよかったなぁ。





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さて、昨日延期したNGOの話。


何から書いてよいのやら。


詰まるところね、この団体は「1990年代にがっつり活動していたけれど今ではほそぼそと活動しているのみ」いう感じなのですよ。


私が勤務していたNGOも含め、「先進国の途上国支援NGO」は「途上国の現地NGO」を通して活動することが多々あります。この現地NGOをパートナー団体と言います。


ここにとある英国NGOがあります。名前からすると、メインの活動は子どもの医療支援だろうなと想像される。でも実際は児童労働であったり、子ども兵士の社会復帰だったり、幅広く子ども関連の活動をしているパートナー団体を支援している。


この英国NGO自身、「現地のニーズがわかってすぐ活動に取り組めるのは先進国の自分たちより途上国の現地NGO」と言っているくらいなので、この団体はパートナー団体を支援する、中間組織型なんだなと思われる。中間、というのは、直接この英国NGOが駐在員を置いてこの団体の活動として行っているわけじゃなくて、現地の団体がやっていることを支援するから。


そして私の滞在したインドNGO。この英国NGOと同じ名前で正式に登録していて、ロゴも一緒。ということは、パートナー団体じゃなくってこの英国NGOの「インドオフィス」であると想像される。


なのに、この団体は英国本部から8年ほど資金をもらっていない


活動が軌道に乗ったから独立したと考えられないのは、活動がかな~り縮小しているから。90年代の活動記録を見せてもらいましたが、それを読む限りでは「おぉ、この団体がんばってるね!」という感じ。なのに実際は、以前の活動の30%くらいしかやってないんじゃないかと思う。


こういった私のギモンを解決できなかったのは、活動の中心を担っているディレクターに会えなかったから。どうやらお母さまの具合が思わしくないので病院でつきっきり、ということだったよう。


で、代わりにいた秘書的なオッサンが、「ここのマネジメントしている人だよ」と紹介された割になーんにも知らない。理事の名前も監事の名前も知らないなんて、ちょっと失格でしょ。それに頭で覚えてなくてもどっかに書いとけよ。


なんか脱線したけど。


このインドNGOが1992年にDindigulで登録されたときは、農村部で安価な医療ケアを提供し、さまざまな病気や保健に関する知識を広め、子どもの健康診断をし、女性が出産できるクリニックを設立し、救急ボックスを学校に提供し、安全な飲み水を確保する活動をし、女性の自助努力グループを設立し、収入向上トレーニングを行い…と、幅広くがっつりやっていたわけですよ。子どもに特化していたわけじゃないけど。


それが今では、立派に立てたクリニックにドクターが来るのは週2回(午後オンリー)、出産室はクローズ、病室も鍵がかかっている始末。救急車はどこへ行ったのやら。


で、彼らが一貫して言うのは


イギリスから支援がなくなっちゃったから活動をやめざるをえなかった


いや、そうじゃないだろ。


パートナー団体だろうが現地駐在オフィスだろうが、NGOが最終的にめざすのは、「その場を離れること」だと私は思っています。活動する必要がなくなるように活動する、そして別の地域で困っている人を支援する、のが目標でしょ。


だから彼らは12年間支援を受けていた間に、独立して現地の資金だけでやっていけるようにする必要があった、なのにそうしなかった。私はこんなんだから英国NGOが手を引いたのではないかとも思っています。将来性が見えない。英国からの支援にずぅっと頼りっきり。それじゃダメだと思うんです。


お金がなくって都市部の病院に行けない農村部の人たちに、30ルピーの診療代のみで医療を提供するのってとても意義があることだとは思う。ホントにお金がない人には無料で診療、というのもわかる。


でも、お金をとらないことがサービスの幅であったり質を悪くしてしまうのであればやってる意味がないでしょ?実際、付近住民も結局都市部の病院までバス代払って行くようになってしまったんだって。せっかくいろいろそろえた設備も今はホコリをかぶってる。建物も20年たてばほころびが出てくる。当然これからメンテのお金はもっとかかる。


そのくせ、今その英国団体と「老人ホーム」作りの話をしていると言っている。もともとの活動をなおざりにして、何をおっしゃる






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と、言うことで。


関わりもなーんにもなかったほそぼそNGOに行って感じたのは、


支援元と支援先の考え方の違い、支援先と受益者の考え方の違い、温度差


そしてやっぱNGOもマネジメントをキッチリやんなきゃダメだということ。Vision、Mission、Objective、Ideals、全て大事だけど、非営利組織でもオカネは活動のカギ。資金がなくっちゃ目指すものにたどり着けない。


そしてふと思ったのが、自分も同じ間違いを犯していたんじゃないだろうかってこと。日本で活動してたとき、現地の考え方を理解しようとしてただろうか?活動のいいところを主張するだけじゃなくて、オカネのこと、きちんと考えてただろうか?




まぁそんなこんなで、やることもなく毎日寝てばっかりだったけど、それなりに考える機会になった5日間でした。


あとはSummer Programme最終レポまとめ。130ページくらいあるんだけど、どうやってまとめよう。




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気になっている人もいるかもしれないので、一言。


昨日のおねずは、無事に部屋から出ていきました。


と言っても、ほうきでバタバタ追いやった感じだったので、見つけたときはひぃぃと思ったけど、多少心が痛みました。






 ■ 追記  


今日で渡印1周年でした。





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