2013年2月26日火曜日

What equality? ティーカップ

こんにちワン。


Ootyにて

この間の「国際」会議の話。

もうなんだか記憶がうすれかけています。それだけインパクトがなかったということなのでしょう。


だけどなんかしっくりこないっていうか、許せないなと思ったことがあったので書いておきます。

前回もうだうだ書きましたが、この会議では持続可能な開発というのがテーマで、あるワークショップでは自分の住んでいる場所や自分の所属している団体は「平等」「資源利用」にどのようにとりくんでいるか、という話になりました。この2つの組み合わせで

  1. 平等や公平な社会を目指し、そのために資源利用もおさえている
  2. 平等や公平な社会を目指しているけれど、そのために資源利用が増えている
  3. 資源利用はおさえているけれど、そのために不平等や不公平な社会になっている
  4. 資源利用をおさえているし、不平等や不公平な社会になっている

のどれでしょう?というもの。インドではどうか、タミルナドゥではどうか、自分の団体ではどうか、自分の住んでいる地域ではどうか、と考えて話し合います。

このあとの意見を述べるところがなんかグダグダになってしまったので結局なんだったんだろうと思っているのですが、つまるところ、みんな1に持っていきましょうねということだったんでしょう。

だから資源利用も公平に行わなきゃいけないってことですよね。大規模なインフラ整備なんかやっても、受益者がひと握りの人たちだったら意味がないし、開発事業も社会的に抑圧されている人たちひとりひとりのことを考えてやっていかなくちゃいけない。

なんていうか、普通に考えたら倫理的に正しいことなんだけど、まぁ実際はそうではないですよね。



と、いうワークショップの話はけっこうどうでもいいのですが。


だから私の中では、「持続可能な開発」「平等」をどっちも念頭にいれた、そんな会議だと思っていたわけです。


だけどふたを開けてみればACのガツンときいた部屋でミネラルウォーターを飲みつつ、快適な時間が流れていく。たとえば不公平な開発事業のせいで環境汚染に悩まされている農村部の人たちのことをこの部屋の中で考えたり、話し合うこと自体、おかしくないですか?

よく、汗だらだらの授業中に教授が「国の政策はみんなデリーやムンバイのACの部屋の中で作られるんだ。これで農村部の実態が組み込まれているわけがない」とかって言うんですが、これと同じですよね。

かと言って、じゃぁ村に行って差別や環境汚染に悩まされている人たちを呼んで円座になって国際会議しましょうなんてのは現実的に無理なことだとはわかっているのだけど(農家の人はそんなヒマないと思う)。

でも「この会議では環境に配慮した運営を目指しています。会議の終わりにWater Footprint(どれだけ水を使ったか。環境への影響の指標となるEcological Footprintのようなもの)を発表しますからね」とか言われると、カチンとくる。


それと、ティーの時間。

「国際」会議とはいえホストがインドの人なので、ティータイムはインドばりにありました。次に発表する人がひかえていても、ティーの時間がおしていれば発表者を次に回してティータイムを強行します。「皆さん何の時間だかわかっているようですね。ティーの時間にしましょう!15分後に席に戻ってください…」まぁありえない話だけれど、インドだから仕方ない。←というかこういうのに慣れてしまった自分がいる。

この会議と並行して同じカレッジでSHGがやってきて自分たちの仕入れた製品や自分たちで作ったものを売るCollege Bazaarというのをやってたんですね。


オンナノコはアクセサリーに群がる

そこで売られている製品なのか、ジンジャーコーヒー(?)とかヘルシーそうな雑穀系のクッキーなんかがおやつに出たりして、「おぉ」と思ったのだけど(もちろんクラスメイトには大不評)そのうち変なことに気がついた。

テーブルには、ティーカップセットとティーバッグがいくつもおいてある。隣にはホットミルクの入ったポット。好きなティーバッグを選んでミルクで抽出して飲んでねということのよう。だけどカップの数が明らかに参加者数より少ない。

「私たちのじゃないと思う」とK。

クッキーの並べられたところをはさんでテーブルの反対側を見ると、紙カップを持った学生たちが別のラインを作っている。

つまるところ、このティーカップセットは「お客様用」だったわけ。

この「国際」会議にはイギリス、ベルギーからConvergence関係者と思われる人が多々参加していて(つっても20人くらい?)それとうちのGandhian教授が連れてきたイタリア人も2名。この会議を「国際」会議と銘打つための大事なお客様、ってわけ。

これに加わるのがインド各地からのゲストスピーカーたち。国の政策に関わっているような人もいたので("you know,..."がやたら多いスピーチだったのでイライラしたけど)、彼らが特別扱いされるのは仕方ないと思う。

私は「なるほどね~」と思って普通にクラスメイトと並んでいたのですが、私を見るなりクッキーをサービングしていた女性たちが「何が食べたいの」「こっちに来てカップをとって」と言ってくるわけですよ。私は特使でも教授でもVIPでもないんですが。

結局、クラスメイトたちとは違った目で見られるしかない自分に気がついてしまったんですね。なるべくクラスメイトたちと行動するようにしているし、村で2週間一緒に滞在したし、マージンだって文句言わないでやるようになったけれど、やっぱり、特別扱いされてしまう自分。他の子たちの後ろに立っていても、学科長が誰かを生徒に紹介したいときは前に出てきてあいさつをしなければいけない自分(「彼女は日本からの留学生でうんぬんかんぬん~」と毎回言われる)。

というのは個人的にイラっとしたことなのだけど。

会場を見ればお客様席(テーブルつき)と椅子席(ミネラルウォーターなし)が分かれているし、お客様専用カップはあるし、もちろんそういう人たちから食事の会場に通されるし。

平等?何のことよ。

と、思うのです。

ちなみに私たちは一応主賓(スピーチをしたうちの大学のVice Chancellor)と一緒に来ているからなのかお客様席に座らせてもらっていたのですが、教授とか研究者なんだろうなと思う人がうしろーの方で、ぎゅうぎゅうの椅子席に座っているのを見ると、なんだか申し訳ない気がしました。

でも主催者、こんなことも見えないわけ?と思う。ACの部屋で干ばつに悩まされるタミルナドゥ各地の農民の人たちのことを考えるのは難しいかもしれない。でも同じ部屋で、会場で、ラインを引いたような「違い」を作っておいて、何がEqualityだ、と私は思うのです。




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